12▶蠢く

 不老不死の身体を得た娘は、死と蘇りを繰り返し、七日七晩戦い続け、鬼を常夜とこよに送り返すことができました。

 すべてが終わった後に、娘が人魚の名を呼ぶと、人魚は刀から人の姿へ転じます。 

 深々と頭を下げ、礼を言った娘に、これからどうするのか、人魚は問いかけます。

 ーー旅に出ます。鬼に喰われた家族を、友を、村人を弔う巡礼の旅に。

 ーーでは私も、一緒に行こう。

 こうして娘と人魚は、共に旅に出ることになりました。東に人を傷つける鬼があればこれを送り、西に傷ついた者がいれば万病に効く己の血を与える。果てのない、宛のない、長い長い時の中で、娘と人魚は常夜と現世をつなぐ大きな戸ーー黄泉戸よみとの存在にたどり着きます。

 すべての鬼を常夜に送ると、娘と人魚は、二人の兄弟に自らの力を託し、黄泉戸を封じ込めました。

 常夜側の戸を娘が塞ぎ、現世側の戸を人魚が閉じる。こうして世界は、鬼の脅威から解放されたと言われています。

 

 ――「命核めいかくってなぁに? 命核めいかく管理局かんりきょくのしごとを知ってもらうBOOK」より抜粋。


■□■□


「ーーはい。では、矢野真宙についてはそのように」


 深く深く、頭を下げる。局長代行というこの地位も、目の前に座る彼ら、五家の面々に与えられたもの。簡単にすげ替えられる首である。それを誇示するように、彼らは実に気軽に琥虎を呼びつけた。

 ひとつ、何か答えるたびに、自尊心がざりざひと削られる音がする。猿回しの猿のように、おもねり、へつらい、媚びて笑って。

 君臨すると言っても過言ではないその姿は、子供の頃から何一つ変わっておらず、なまじかなホラーよりよほど薄気味悪い。

 頭が痛かった。吐き気がした。今すぐに、このぐずつく内臓を引きずり出してしまいたい。そんな衝動を、ただ、堪える。

 我慢する。我慢するほか、ない。土岐家の人間というだけで、ヒエラルキーの最下層だ。

 ーー見ていろよ。

 顔を上げる。敵意を沈め、居並ぶ面々へと、琥虎は微笑んだ。


 

 疲れたので、友の顔が見たくなった。控えていた入間いるまに命じて、車を病院に向かわせる。


「あ、今日はもういいから。そこで」

「ですが」

「帰りはタクシー拾うからさ」


 駐車場に向かおうとするのを制し、門扉の前に横付けさせる。では、と差し出されたのは駅前のドーナツ屋の紙袋。


「お二人でどうぞ」

「ありがと」


 気遣いに感謝し、受け取る。正門をくぐり、警備員が立つゲートへと向かう。

 ひとけのない廊下を一段一段、自分の足音だけを聞きながら、下へ。しんと冷えた空気は、濁った肺が浄化していくようで心地よいーーよかったが。


「あ、」


 小さく声が漏れる。よりによって、このタイミング。自分の運のなさを、琥虎は嘆いた。


「……来てたんだ、星嵐」


 険しい顔でこちらを見据えていた男は、座っていた長椅子から静かに立ち上がる。黙って向かってくる足は徐々に、早足に。伸びてきた手が、胸ぐらを掴むのを琥虎は黙って受け止めた。

 何のつもりだ、と低い声が自分を呼ぶ。その目に、声に、嫌いだな、と思った。


「なんのこと?」

「真宙に、何、させようとした?」


 一言一言を区切るように星嵐が凄む。ただでさえ険しい顔はさらに凶悪に。その様にまた、胸が澱む感覚があった。


「言ったろ。に、君が対応できるかーー」

。俺が決めて、俺が選んだ。お前たちにどうこう言われる所以はない」

「だろうね。だけど、あのの生命線を握ってるのは管理局こっちだってこと、忘れてない?」


 売られた喧嘩を反射で買えば、その瞳は猛禽のように細められる。脅しか、と、吐き捨てるように星嵐は言って、乱暴にこちらを突き放した。

  

「どう捉えてもらっても構わないよ。どのみち、彼女の身元引受人も、処方に関しての承認者も俺だってことは変わらないんだから」

「……」

「そんな顔しなくてもいいだろ。できうる限りのことはしてるつもりだ。君が戻ってきてくれて嬉しいんだよ。本当に」


 ねじまがったネクタイを直し、琥虎は笑いかける。露悪的だという自覚はあった。

 

「だから、仲良くやろうよ」

「……」

「無視はひどくない?」


 巫山戯てみせても、星嵐は答えない。


「…………百々が」

「うん?」

「死んでもいいとーー……いや、死んだ方が都合が良いと、計ったな」


 数日前に、真宙が起こした一連の騒動。その警備の手ぬるさを、突入の遅さを、星嵐は淡々と指摘する。

 そうだよと、琥虎は肯定を返した。


「罪は縛りになるからね」

「縛り?」

「他ならぬ君を預けるんだ。彼女が管理局こちらに逆らえない環境を用意する必要があった」

「従わなければ、抑制薬はない。それだけで充分脅しだろ」

「星嵐。君、彼女が自分を省みるタイプだと思うかい?」


 琥虎の問いかけに、星嵐は黙り込む。


「あぁいう手合いには、自罰意識の方が余程効くんだ」

「その為なら、百々を殺しーーと」

「その為の命核だ」

「違う」

「違わない。君だってそうして」

「俺は!」


 荒げられた声が、琥虎を遮る。

 ーー助けられる命を選んだことはあっても、自分の都合のために命を消費しつかったことはねーよ。

 軽蔑と、諦念。どこまでも向かっては来ない瞳に、琥虎は嘆息する。


「……お優しいことで」

「あ?」


 わからないなと、琥虎はぼやいた。


「そこまで君が入れ込むとは思わなかったよ」

「気持ちわりーこと言うな。他よりマシってだけだ」

「どーだか」


 目に見えるフラグに、彼女らはもう星嵐の庇護下に入ってしまったのだと、突きつけられる。

(天邪鬼なくせに、ちょろいんだから)

 命喰いがバディーーこの異常事態を、早急にと、五家うえにはせっつかれている。リスクは排除しろ、とのことだが要は自分達の思い通りにならない事が気に食わないだけ。だが、この分じゃだいぶ、難しそうだ。


 失敗したと、琥虎は思う。だけど今日はもう疲れた。次のは後で考えることにしよう。


「俺は行くけど。ーー……君は、入らないの」


 病室を指し示せば、星嵐は露骨に困った顔をする。俯き、黙って脇をすり抜けた背中を見送って、琥虎は病室の戸をノックする。しんしんと冷たい廊下に、片手に握った紙袋の音が大きく響いた。




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