05▶骨折り損の骨折り損

 事件というのは不幸、あるいは不備の連鎖で発生する。人質になんてものに百々ももがなってしまったのは、見張りの怠慢に加え、自身の油断ーーあるいはうぬぼれでもあった。 


 そもそもの原因は、諸先輩方が揃いも揃って百々に上層部うえからの仕事ねじこみを押し付けてきたことから始まる。


 一発どーんと手柄を立てるといった逆転が根本的に利かない炊事課において、階級ヒエラルキーは、年功序列。命核管理局に入局してまだ一年にも満たない百々に、拒否権はなかった。


 仕事といってもほとんど雑用だ。

 日に三度、旧官舎へ食事を運ぶ。それだけ。ただし手で食べられるもので、使用していいのは紙皿のみ。


 刑務所のようだと思った。

 実際、当たらずとも遠からずというところだったのだろう。場所こそ来客用の宿泊棟だったけれど、エレベーターはカードキーなしには使用不可で、階段は封鎖。入口には見張りとくれば、中の人間が許可なしに外へ出ることは不可能だ。


 この時点で、厄介事に足を突っ込んだ気配がぷんぷんしていたが、百々には黙って廊下を進んだ。

 余計なことは考えない。詮索しない。せっかく寮付飯付高待遇の職にありつけたのだ。長いものには巻かれておこう。

 警備部の人間はそんな百々をじろりと見下ろし、みっつの注意を寄越した。


 部屋では口を利かないこと。

 テーブルに食事を並べたらすぐに戻ってくること。

 中の者と、関わらないこと。


 どこか昔話のようなきまりごとに、なら自分でやれよと百々は思ったが、彼らは部屋に入る気がないらしい。

 ちなみに、皿は次のを持ってくる時に交換、とのことだ。


(まさか人身御供じゃないよね?)

 配膳は名目で、入った瞬間頭からパクリーーそんな妄想がちらりとよぎったが、振り払って中に入る。


 失礼します。反射的に口にしかけたその言葉は、んん、という警備の咳払いに止められた。視線で謝って、カードキーをかざす。


 予想に反し、中にいたのは小さな灰髪の少女だった。高校ーーいや、中学生くらいだろうか。従姉妹くらいの娘は部屋の隅のソファーから、刺すような視線をこちらに向けてくる。

 百々は言われた通り、口を利かないまま、目を逸らしてお皿を置いた。


 今回のメニューは、鮭と梅とたらこのおにぎりに、具のない味噌汁。

 職業柄、お腹をすかせている人間は見れば分かる。

(もう少し持ってきてもよかったかも)

 次はからあげでもいれてくるか、なんて後ろ髪を引かれたところで、一回目の配膳は終了。

 だがその後、昼夜と運んでも、彼女は一切口をつけなかった。


 チキンライスおにぎりに、オニオンスープ。炒飯おにぎりに中華スープ。手を変え品を変え用意した食事は全て無視される。


 徐々に白っちゃけていく顔色に、百々はつい、のせられた。

 ーーラーメンが食べたい。

 これまで一言も口を聞かなかった彼女が、三日目にしてようやく零したその言葉に、抗えなかったのである。

 だが、二重底の椀を作成までして運んだカップラーメンは結局、見向きもされなかった。彼女が求めていたのは、食事ではなく、武器となる得物だったという訳だ。


□■□■


(良くて始末書、悪けりゃ懲戒)

 減給くらいで済ませてくれないだろうか。百々は薄暗い部屋の中で、ぼんやり思う。


 割り箸を縦にではなく横に割り、百々を人質に取った彼女はあろうことか、百々を担いだまま三階の窓から飛び降りるという荒業で逃げ仰せた。


 あの瞬間、マジで死んだと思った。何故今自分が死んでいないのか、百々は今でも理解が出来ない。


 自分の足で歩くことなく連れてこられたのは、今は神体を新舎の方に移した神社の社務所。

 電気のつかない、籠もったような匂いのする一室の片隅で、百々は大人しく両手をあげたまま、慎重に息をする。

 人間離れした彼女の身体能力は今見たばかりだ。下手を打てば、次はマジに死ぬ。


 ぎゅるるるる。


 静かな部屋で、その腹の虫は、いやに目立った。


「……」


 目の前に突きつけられた、折れた割り箸の切っ先が、わずかに揺らぐ。


 一口くらい、食べたってよかったのに。


 今頃は部屋でずるずる膨らんでいるであろう麺を、百々は思った。


「あのさ」

「黙って」


 なんもしないよと百々は努めて柔らかく、話しかける。眼光こそまだ鋭いが、薄茶の目の下にはべったりと隈があった。


 彼女がどうして軟禁されていたのか。素性も、何をしたかも、百々は知らない。ただ、追い詰められた野良猫のような有り様に、同情が勝ってしまった。


「なんでこんな真似を?」

「……いきなり監禁されたら誰だって逃げるでしょ。あの人たちなんにも言わないし」


 どうせ信じてもらえるわけがない。

 そんな風に不貞腐れた彼女の顔は、妙に幼く見えた。


「じゃあ心当りとかは?」

「あるわけないじゃん」

「本当に? マジでなんもない?」

「……」


 あるかもしれない。

 ばりばりに顔に書いてある答えに、百々は呆れる。人を騙せる癖に、感情は顔に出やすいらしい。自分が迂闊なだけかもしれないけど。


「話してみなよ。何か力になれることもあるかもしれないし」


 気付けば、昔家出してきた従姉妹にそうしたように百々は少女に言っていた。


「……バカなの?」

「ひどくない? フツーにただの親切だよ。絶賛人質中かもしれないけど、職業柄、お腹空いてる人間は見過ごせなくてさ」

「職業柄?」

「命核管理局総務部炊事課所属、夜兎やと百々。よろしく。……ええと、」

「矢野真宙」

「おっけ、やのっちね」

「ヤノッチ?」

「だってほら、いきなり真宙ちゃんとかは距離近いってなるじゃない?」

「ならなくない?」

「それでやのっちは……」

「真宙でいい」

「……真宙ちゃんは」


 言いかけたところで、真宙がぱっと耳をそばだてた。


「くる」


 だんだんだんダンダンッ!! 

 逃げる間もなく近づいてくる足音に、真宙が扉の横に構える。だが、横開きの戸が滑った直後、その姿は板張りの床の上にあった。


「ーーったく、獣かお前は」


 飛びかかった真宙をあっさりいなし、地面に組み伏せた青年の姿に、百々は目を丸くする。

命壱メイイチの、オムライスの人)

 反射的に、そう思う。

 日替わりランチのB定食がオムライスの時には大体やってくる彼の名は土岐星嵐。局長代行の縁戚で、命喰い対策室の元エースーーだった男だ。


 ーー戻ってきたのか。


 マジマジと見てしまったところで、ばちりと目が合う。


「無事か」

「え? ーーあ、僕です?」

「そーだよ。こいつに齧られたり啜られたり食われたりしてねーか?」

「するわけないでしょ!」

「されてませんよ!」


 自分たちの声は、きれいに被った。

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