04▶西の海のアンカー
目が覚めて、数秒。見慣れた病室の景色に、星浪は自分に何が起きているのか分からなかった。
「覚えてる……?」
混乱の中、今が現実か確かめるように声にする。
外に蹲っていた娘を店にあげたこと。悲鳴を聞いて飛び出していった彼女の、無鉄砲で向こう見ずな人助け。禿を止めきれず、刺され、死んだこと。
記憶は全て鮮明に、地続きにあった。
だからこそ、おかしかった。
(どうなってる)
星浪は考える。
人魚を祖に持つ自分達は、他の有核者と違い、複数の命核を受け入れる事がーー何度でも蘇生することが叶うが、死と再生を繰り返すが故に、肉体と魂の結びつきが特別弱い。
星嵐にも契約者はいた。ーーいや、今もいる。いなくなった、だけで。
「ーー……」
星浪は黙って、左手を見た。
錆びたように色を変えた指輪から、かろうじて覗く琥珀色の輝きはまだ彼との契約が続いていることを示している。
だけど、それだけだ。
理屈ではなく本能で、
「実は死ななかった……とか?」
「いや、死んだよ」
口にした疑問を否定してみせたのは、ちょうど病室に入ってきたひとりの男だった。
「土岐」
「室長とーー悪い。もう俺の部下じゃなかったね、君は」
いつもの文句を途中で引っ込めると、彼ーー
頭のてっぺんから爪先まできっちり整った身支度と、上等だと一目でわかるスーツ。糸目に眼鏡のダブルパンチが、あいも変わらず彼の胡散臭さに拍車をかけていた。
「その様子だと、ちゃんと覚えてるみたいだね」
よかったよかった。詐欺師のように土岐は笑い、勝手に椅子を寄せてくる。無駄に甘い、香水か何かの匂いにくしゃみが出そうになった。
「俺、マジで死んだのか」
「あぁ、マジもマジだ。11月14日、19時37分。俺がこの目で確認した」
「話が合わねぇな」
ちらりと時計を確認して、星浪は呟く。
死んだのなら、記憶を失っているはず。
死んでいないなら、傷が在るはず。
そう思って病院着の紐を解くが、肌には怪我どころか、傷痕ひとつ残ってはいない。
その時だった。
骨で誂えたかのような白色の輝きを、右手に見つけて星浪は驚く。
「なんで、これが、」
当たり前のような顔をして薬指に収まっていたのは、まだ何色にも染まっていない指輪。
ーーよくわかんねーけど。
そう前置いて、星浪は土岐をまっすぐに見据える。
「だから覚えてるってことでいいのか」
「おそらくね」
「おそらくってなんだよ」
「こちらとしても前例がないんだ。カガリとヨスガの契約は一対。二重契約なんて聞いたこともない」
「よく言うぜ。ーーで?」
「で、って?」
「誰なんだよ、俺に充てがわれた契約者サマとやらは。まさか金森の坊じゃないだろうな」
尋ねた星浪に、土岐はきょとんとした顔を見せる。
「ん? ーーあれ、星浪。君もしかして、俺がなんかしたと思ってる?」
何を言ってるんだと、星浪は顔を顰めた。
「俺が選んでないんだから、お前らだろう」
「真逆。流石に君達の契約に介入はしない……というか、出来ないよ」
「出来たらしたのかよ」
返した刀は曖昧な笑みに流される。
ーー出来たんだったらしたな、こいつ。
そう星浪に確信させるのには、十分な間だったが。
「本当に、君があの子を選んだんじゃないんだね?」
「……なんの話だ」
そらっとぼける。
正直、その言葉だけで察しはついていた。ただ認めたくなかっただけだ。
別の名前を言え。言ってくれ。星浪は土岐の薄い唇を凝視するが、その願いはやはり、叶わない。
「君が現場で助けた子。真宙さん」
「さいっあくだ……」
星浪はがくりと肩を落とした。勘弁してくれ。小さくぼやく。
「俺としては、君と初めましてしなくて済んだわけだからラッキーって感じだけどね。ていうか、君が望んだんじゃないならどうし……あ、」
「なんだよ」
「これは仮説……というか、こんなこともあるかもなーくらいの感じで抑えてほしいんだけど」
「うるせーな。勿体つけてねーでとっとと言え」
せかした星浪に、土岐はもう、と肩を竦めた。
「カガリとヨスガの契約は、カガリが血を捧げ、ヨスガと誓言することで成るだろう」
「あぁ、それがどう」
「ここのとこ」
土岐はこちらの言葉を途中でぶったぎると、右の指で、左手にある親指と人差し指の間の水かきを示す。
「小さい割にエグイ歯型があったって、命癒士から報告があったんだよね。もしかして君、噛まれたりした?」
「………したな」
じゃあそれだ。指を向ける土岐に、待てよと星浪は声を荒げた。
「あれは事故みたいなもんで、」
「俺に言われてもねぇ。成っちゃったんだからとしか」
ていうか、そもそもなんで噛まれたのさ。
シンプルに問われて、言葉に詰まる。羽交い締めにした時にちょっと。その答えは、どう聞いても世間体が良くなさすぎた。
「星浪?」
「死ぬくせに、突っ込んでいこーとするから止めた……ら、噛まれた」
「突っ込むって、命喰いに?」
「そーだよ。そもそも最初襲われてたのは別の男だ。どーする気だったからしンねぇけど、そこに乗り込んでいこうとするから、こう力付くで抑えつけたら、……噛まれた。思いっきり足踏まれてな」
「やるねぇ」
下手くそな口笛を吹いた土岐を、星浪は睨んだ。
「何褒めてンだよ」
「命を賭して人助けなんて、ウチにスカウトしたいくらいの人材じゃないか」
「ぬかせ。死んだら終わるやつが、死んでも終わらねー奴を助けてどーする。本末転倒じゃねーか」
「まぁまぁ、落ち着きなって。実際どうなの彼女」
「どうって、何が」
「ほら、これもなんかの縁じゃん? このまま正式にヨスガに選んだりとかーー」
「お断りだ。あんなのヨスガにしたら、何回死んだって死にたりねーよ。仮契約なら解除して問題ねーだろ。土岐、お前立会やれ」
「……君がそこまで言うんなら」
数十秒の間をあけて、土岐は答えた。
そのまま何か言おうとして口籠りーー結局何も言わないまま、左耳に装着している通信機に手をやった。
「悪い、通信だ。ーーどうした?」
ぱっと態度を切り替え、戸に向かった背をなんとなく目で追う。
思ったよりすんなりいきそうだと、星浪は密かに安堵する。
ーー誰だっていい。君が望む人員に掛け合おう。
幾度となく請われ、断ってきただけに、もっと食い下がられるかと思ったが、どうやら自意識過剰だったらしい。
「礼くらい言わねーとな」
じきになくなる白色の指輪を、星浪は指でつつく。その時だった。
「ーーーー逃げた?」
開いた戸の前で足を止め、土岐は呟く。ぴり、と空気が凍る気配に注視する星浪の前で、土岐は一言二言、通信機に指示を飛ばすと手を離した。
こちらをちらりと見て、視線を逃がす。これまでにも何度かみたことのある顔に、声が尖った。
「お前、何黙ってる」
「千里が彼女を
「……は?」
逃げた、の単語以上のインパクトに驚く間もなく土岐はさらなる爆弾を投下する。
「現在人質を取って逃亡中、とのことだ」
「……勘弁してくれ」
蘇生ほやほや、十二分に健康体であるはずの頭が、まるで血が足りないみたいに、くら、と回った。
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