01▶一寸先は厄介

 面倒は少女の形をして、軒先に蹲っていた。

 戸を開けると同時、逃れようもなく絡んだ視線を、星浪せいらんは雨雲へ逃がす。

 ーーどうしてこうなった。

 ただ店仕舞をしようとしただけだろう。嘆いて、もう一度視線を戻しても、現実は変わらない。


 ひと足先に訪れた冬のような娘だった。

 臙脂色のぶかぶかのスカジャンと、曇り空めいた灰髪はしとどに濡れ、その肌は白を通り越して青ざめている。正直、見ているだけで寒々しい。一体いつから、ここにいたのか。


 この命災警報アラートの中、ひとり外で雨宿り。命知らずは結構だが、他所でやってほしい。彼女が被災者の1に積み上げられたかどうか、明日のニュースで思い悩むことになるのは、自分なのだから。

 見なかったことにしたい今の自分と、見なかったことにした未来の自分を天秤に掛けて、星浪は諦める。


「おい」


 声をかければ、少女は剣呑にこちらを睨んだ。人形めいた端正な顔立ちが、彼女を大人びて見せていたことが、その視線で分かる。

(まだ未成年チビじゃねーか)

 密かに自分を宥め、口を開く。


警報これ、聞こえてんだろ。送ってってやるからウチ帰れ」

「家なんてないよ。私、特区の人間じゃないから」

「寝泊まりしてる場所くらいあんだろ」

「あったよ。さっきまではね」

「どういう意味だよ」

「財布落としたの。だからネカフェも行けない」


 ーー絶対これ面倒な案件だぞ。

 星浪の、こういう時ばかり外れたことのない予感がそう告げる。

 嫌だ。関わりたくない。嘆きは頂点に達したが、今更投げ出すことは、大人として気が引けた。


「……わぁったよ」


 星浪は仕方なく、本当に仕方なく、一番口にしたくなかったーーだがどこかで、そうせざるを得ないとも思っていた選択肢を口にする。


「わかったってなにが」

命災警報アラートが解除されるまで、ウチにいろ」

「言ったじゃん。私お金ないよ」

「このままお前が喰われでもしたら、俺の寝覚めが悪ィんだよ」

「私は喰われないよ」

「ンな事わかんねーだろ」

「わかるもん」

「どうして」

「うるさいな、わかるったらわかるの!」

「……そうかよ」


 フンとそっぽを向く様にカチンときたので、星浪は実力行使に出ることにした。

 距離を詰め、首根っこを掴んで立ち上がらせる。抵抗は思いの外強かったが、どうにかできる範囲だ。


「何すんだよ、離せ!」

「話は中で聞く」


 掴んだ襟元が、手のひらに水を吐く。馬鹿。変態。貧困な悪態はくしゃみに消えた。



■□■□


 喚く少女を中に押しやって、看板をクローズにひっくり返す。なんのかんの言っていたが、結局寒さが勝ったらしい。星浪が取ってきたバスタオルを受け取ると、少女はむすっとした顔のまま、それでもぺこ、と頭を下げた。意外と礼儀正しい。


「……ちゃんと拭けよ」


 とりあえず、外と中を暖めてやれば風邪は引くまい。

 暖房のモードを強風に変えて、キッチンへ。火にかけた牛乳がふつふつとしてきたところに、はちみつを一匙。


「飲め」


 差し出したマグカップに、少女は顔を顰めた。


「だからお金ないって」

「今日飲まなきゃ廃棄する分だ。お前が飲まないんなら捨てる」


 ここまで言っても、彼女は頑なに手をつけようとしない。仕方なくマグカップをテーブルに置けば、彼女はその三白眼でその赤を睨めつけた。

 

 気を許せば死ぬとでも言いたげな有り様に、昔拾った白猫を思い出す。

 傷だらけの、泥まみれの、痩せっぽっち。噛みつく力も、鳴く体力も失って、ぎらぎらと目ばかりが光っていた。

(……あれも、左目に傷があったっけ)

 記憶というのは不思議なものだ。あちらは切り傷で、こちらは火傷痕。全然違うのに、もう随分とうまく思い描けていなかった姿が、輪郭を持ち始める。

 向かいの席に腰掛け、様子を窺うこと一秒、二秒、……十秒。ようやく伸びてきた手は、星浪に謎の達成感をもたらした。


「……あの、ありがと」

「おー」


 蚊のなくような声で告げられた礼に、ねこが持ってきた蛇の事を思い出す。礼のつもりだったんだろうが、こちらとしてはキツかった。苦手なのだ、蛇。


 つんとすましながらーーそのくせちらちらとこちらを見てくるねこと、その足元でまだぴくぴくと微妙に動いていた蛇。見るだけでぞわぞわするアレを、自分はどうしたんだっけ。


 ぐきゅるるる。


 先ほどの礼より余程、はっきりくっきり耳に届いた腹の虫に、星浪は我に返った。

(……猫舌だったか?)

 机に戻したマグカップに、物欲しそうな目を注ぐ様に星浪は密かに反省する。だが、彼女が次にしたのは、カップを冷ますことではなく、ポケットから錠剤のシートを取り出すことだった。


「……私、失命者だから」


 こちらの視線に気づいたのか、彼女は冷めたーーどこか昏い瞳で唇をねじ曲げる。半分以上が消費されたシートからまたひとつ、錠剤は押し出された。


「子供の頃に、死んだんだって。大きな火事だって父さんは言ってた」


 言葉と共に、白い錠剤はころころと転がっていく。テーブルの半ばまで来たところで、彼女は手を伸ばした。

 露出した手首に見える火傷跡は、それが服の奥まで続いていることを想像させる。

 視認できる範囲だけで、左目、首筋、左手。

 通常は、傷や欠損といった身体の損傷についても復元されるのだが、子供の頃ーーまだ未成熟な命核では、蘇生が手一杯だったのだろう。


「……大変だったな」

「別に。覚えてないし」

「痛みは?」 


 答えの代わりに、彼女は黙って横に首を振る。悩んだ挙句、ありきたりの言葉しか出てこない自分を恥じた所で、ひたりと、その真っ直ぐな眼差しが星浪を射た。


「まひろ」

「え?」

「しんじつのしんに、宇宙のちゅうって書く。それで、真宙まひろ


 名乗られてるのだと理解するのに、少し時間がかかった。


「……あ、」


 お前は、と。視線だけで問いただされて、少し焦る。さっきから少し思っていたが、この娘、妙に目力が強い。なんというか、色々と押し負けそうになる。俺は。答える声は少し、上擦った。


「ほし……空のやつ。それに、ろうにんのろうで、星浪せいらん

「……星浪は失命者のこと、詳しいの」

「なんで、そう思う」

「私のこれ、すぐ分かったみたいだから」 


 言いづらそうに、その視線は右へ、左へと流れる。

 その、さ。

 少しして、意を決したように真宙は言った。


「特区だと、どこで売ってるの?」

「え?」

これ、いつもは父さんが本土の薬局で買ってきてくれてたから。……その、どこで買ったらいいのかわかんなくて」


 恥ずかしそうに、真宙は俯く。


「う、」

「う?」

「……っと、その、アレだ。種類がある」


 ーー売ってるわけねーだろ。

 喉から出かけた言葉を、星浪はギリギリで飲み込み、言葉を探した。


「種類?」

「あぁ。……そうだ。その、お前の父親はどんなやつだって言ってた? あーアレだ。効き目的な。ほら、成分とか、作用とか」

「作用……」


 星浪の問いに、真宙は記憶をたぐるように眉毛をぎゅっと寄せる。

 指先でつまんだ錠剤を見つめること数秒。あ、と思いついたような顔をした真宙は、ぱくっと錠剤を水もなしに飲み込んで、言った。


「お腹が減るのを抑えるやつ」

「お腹が減るのをおさえるやつ?」

「うん。成分とかはわかんないけど、……えっと、小さい時に失命すると、中枢神経の機能に影響があって、栄養が足りてるのに空腹だって脳が勘違いするから、そういう時に飲まなきゃいけないって、じゃないとデブになるぞって、父さんが」

 

 つっかえつっかえ、記憶を反芻するように語る真宙に、嘘は見えない。


「カードは?」

「カード?」

「……あー、間違えた。勘違いだ。それ、見せてくれるか」

「あ、うん」


 渡されたシートは、確かに以前見たのと同じもの。頭はなんとか理屈をこねくりだそうとするが、無理だ。失命者は命核管理局に登録される。そして、その管理から逃れる方法を星嵐は思いつかない。

 違法なのだ。どうあがいても。

 手ずから招き入れた面倒が加速してぶん殴ってくる感覚を星浪は黙って受け止める。


「星嵐?」


 怪訝そうに、真宙は首を傾けーーふと、その眉間にぎゅうとしわが寄った。


「どうし」

「黙って」


 シッと指を口の前に立てて、真宙は耳をそばだてる。つられて星嵐も耳を澄ませた。


「聞こえた?」

「いや、」


 首を横に振ったところで、何か、シャッターに重いものでもぶち当たったような派手な音が、夜に響く。


 ーーたすけてくれ。


 一拍遅れ、遠く、幽かに届いたが、悲鳴ことばだと星浪が認識できた時にはもう、真宙は椅子を蹴倒し、雨の中へと飛び出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る