二番目のヨスガ

遊人

一寸先は厄介

 面倒は少女の形をして、軒先に蹲っていた。

 戸を開けると同時、逃れようもなく絡んだ視線を、星浪は雨雲へ逃がす。

 ただ店仕舞をしようとしただけなのに、どうしてこうなった。

 ため息をつきたくなるのを堪えて、視線を戻す。

 いつから此処に居たのだろうか。

 ひと足先に訪れた冬のような娘だった。曇り空めいた灰髪はしとどに濡れ、その肌は白を通り越して青ざめている。正直、見ているだけで寒々しい。

 この命災警報の中外でひとり、雨宿り。命知らずは結構だが、他所でやってくれないだろうか。明日のニュースで、彼女が被災者の1に積み上げられたかどうか、思い悩むのはこちらの方だ。

 このまま戸を閉めて、忘れてしまえたらどんなにいいか。見なかったことにしたい今の自分と、見なかったことにした未来の自分を天秤に掛けて、星浪は諦めた。

 おいと声をかければ、少女は剣呑にこちらを睨む。人形めいた端正な顔立ちが、彼女を大人びて見せていたことが、その視線で分かった。

 まだ全然ガキじゃねぇか。

 そう自分を宥め、口を開く。

「警報、聞こえてンだろ。送ってやるから家に帰れ」

「私、特区の人間じゃないから」

「じゃあホテルは」

「そんな贅沢なもん泊まれないよ。ネカフェ暮らし。財布落として、それもパーだけど」

 厄介ごとの気配も、ここに極まれり。

 面倒くさい。絶対面倒くさい予感しかしない。

 星浪の嘆きは頂点に達したが、今更投げ出すことなど出来やしない。星浪は仕方なく、本当に仕方なく、一番口にしたくなかったーーだがどこかでそうせざるを得ないとも思っていた選択肢を口にした。

「わかったよ」

「わかったってなにが」

 怪訝そうな瞳に、仕方ねぇからと前おいて星浪は続ける。

「警報が解除されるまで店……中にいろ」

「言ったじゃん。私お金ないよ」

「このままお前が喰われでもしたら、俺の寝覚めが悪ィんだよ」

「私は喰われないよ」

「ンな事わかンねーだろ」

「わかるもん」

「どうして」

「うるさいな、わかるったらわかるの!」

「……そうかよ」

 フンとそっぽを向く様にカチンときたので、星浪は実力行使に出ることにした。距離を詰め、首根っこを掴んで立上がせる。抵抗は思いの外強かったが、どうにかできる範囲だ。

「何すんだよ、離せ!」

「話は中で聞く」

 掴んだパーカーが、手のひらに水を吐く。馬鹿。変態。貧困な悪態はくしゃみに消える。

 少女を中に押しやって、看板をクローズに。なんのかんの言っていたが、最終的には寒さが勝ったらしい。星浪が取ってきたバスタオルを受け取ると、少女はむすっとした顔のまま、頭を下げた。

「ちゃんと拭けよ」

 とりあえず外と中を温めてやれば風邪は引くまい。

 暖房のモードを強風に変えて、星浪はキッチンへ向かう。火にかけた牛乳がふつふつとしてきたところへ、はちみつを一匙。

「飲め」

 差し出したマグカップに、娘は顔を顰めた。

「……だからお金ないって」

「今日飲まなきゃ廃棄する分だ。お前が飲まないんなら捨てる」

 此処まで言っても、彼女は頑なに手を出さない。仕方なくテーブルに置けば、少女はその三白眼でマグカップを睨みつけた。まるで、気を許せば死ぬとでもいいたげな猫のように。

(そういやあいつもそうだったな)

 あれも、左目に傷があったっけ。少女の目の周りを覆う火傷痕に昔拾った野良猫を思い出しながら、星浪は向かいの席に腰掛ける。

 黙って自分の分に口をつけつつ、様子を窺うこと一秒、二秒、……十秒。

「いただきます」

 ようやく伸びてきた手に、妙な達成感を覚えた。

 ありがとうございます。先程までの威勢は何処へやら、蚊の鳴くような声で告げられた礼に、ふと、思考が逸れる。

(あいつは蛇、持ってきたな)

 礼のつもりだったかもしれないが、正直あれはキツかった。得意げにこちらを見上げた白猫と、その足元でまだぴくぴくと微妙に動いていた蛇。見るだけでぞわぞわするアレを、自分はどうしたんだっけ。

 ぐきゅるるる。

 こちらに聞こえるほどの腹音にふと我に返れば、彼女はまだ並々残るカップをテーブルに置くところだった。

(……温めすぎたか?)

 物欲しそうな目に、星浪は密かに反省する。

 気まずいような沈黙の中、バスタオルを被ったままゴソゴソと動いた彼女が取り出したのは、半分ほどが消費された錠剤のシート。

「それ、」 

 思わず声をかければ、彼女はあぁ、と冷めたーーどこか昏い瞳で唇をねじ曲げた。

「私、失命者だから」

 その手の中で、ぱき、と錠剤は押し出されて、言葉とともにテーブルに転がり落ちる。

 子供の頃に火事に巻き込まれたんだって。

 その細い手首にも、火傷痕は覗いている。視認できるだけで、左の目元、首筋、左手。

 命核による蘇生が行われる場合、通常は身体の損傷についても復元されるのだが、子どものまだ未成熟な命核では、力不足だったのだろう。

「大変だったな」

「別に。覚えてないし」

「痛みは?」

 尋ねた星浪に、少女は首を横に振る。

「お前ーー、」

「まひろ」

「え?」

「私の名前。しんじつの真に、うちゅうの宙って書いて、真宙」

 名乗られてるのだと、理解するのに少し時間がかかった。

 お前は。

 そう言いたげな強い視線に、星浪は慌てて口を開く。さっきから少し思っていたが、この娘、妙に目力が強い。なんというか、色々と押し負けそうになる。

「俺は……ほしに、ろうにんの浪で、星浪。そういや名前聞いてなかったな」

「星浪、さん」

「星浪でいい。敬語もな」

 今更だと笑ってみせれば、真宙もまた、小さく笑む。

「星浪は、失命者の知り合いがいるの?」

「いたが、それが?」

「私のこれ、すぐ分かったみたいだから」 

 右へ、左へと彷徨う視線に、つい口を挟みたくなるが堪える。下手を打てばこの先はもう二度と引き出せないだろう。そんな気配があった。

「その、さ、特区だとどこで売ってるの?」

「え?」

 これ、と薬を拾い、水もなしにのみこんでから真宙は続ける。

「あの……その、私、島育ちで。薬はいつも父さんが本土の薬局で買ってきてくれてたから、どこで買ったらいいのかわかんなくて」

 そんなはずはない。

 喉から出かけた言葉を、星浪はギリギリで飲み込んだ。慎重に言葉を探し、選ぶ。

「種類が、ある」

「種類?」

「あぁ。……そうだ。お前の父親はどんなやつだって言ってた? ほら、成分とか、作用とか」

「お腹が減るのを抑えるやつ」

 星浪の問いに、まひろはこともなげに答えた。

「成分とかはわかんないけど、……えっと、小さい時に失命すると、中枢神経の機能に影響があって、栄養が足りてるのに空腹だって脳が勘違いするから、そういう時に飲まなきゃいけないって、じゃないとデブになるぞって、父さんが」

 つっかえつっかえ語る真宙に、嘘は見えない。

 と、いうことは。

(こいつの父親が、嘘をついている)

 嫌な予感が、ざらりと心臓を舐めた。

「見せてくれるか」

「いいよ」

 手渡されたのは確かに、櫂が飲んでいたのと同じもの。招き入れた面倒が音を立てて加速しぶん殴ってくるのを、星浪は黙って受け止めた。

 どうやら彼女は、随分な嘘のなかで生きてきたらしい。

(嫌なやり口だ)

 嫌悪を覚えるが、顔には出さない。子どもに泣かれるのは苦手だから。

「星浪? どうかしたの」

 考える。どうするのが正解か。何を言うべきか。

「……お前」

 だが、星浪がその答えをだすより先に、防災シャッターに何かがぶち当たったような派手な音が、二人の意識を完全に逸らした。



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二番目のヨスガ 遊人 @miki_yamato92

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