第94話 事故発生
間合いは約2メートル。
剣の有効範囲も目前というところで、シャルロットさんは槍を水平に薙ぐ。
バックステップで槍をかわした後、再び間合いを詰める。
だがそのたびに槍が俺の行く手を阻んだ。
突きや薙ぎはとても素早く、《聖女》の槍術とは思えないレベルだ。
リーチに劣る剣では、シャルロットさんを倒すのは難しい。
──だが《剣聖》の剣術は、槍使いすらも凌駕する。
《剣聖》である父から剣術を教わった俺も、例外ではない。
シャルロットさんは槍を素早く、勢いよく突き出す。
俺はあえて逃げず、ほんの少しだけ右前に移動しながら剣を振り上げる。
肉を斬らせて骨を断つ、という作戦に打って出る。
「ぐっ──!?」
俺の脇腹を、シャルロットさんの槍がかすめる。
傷口がやけに熱く感じ、思わず苦悶の声を漏らしてしまう。
それでも負けじとシャルロットさんとの間合いを詰め、剣の有効範囲に入ったところで袈裟斬りを試みる。
──しかし、何かがおかしい。
俺は闘技場で何回か戦っているが、こんなに強い痛みを感じたことは一度もなかった。
何故なら闘技スペースには、精神力を代価とした自動回復魔術が仕掛けられているのだから。
傷を負ってもすぐに回復されてしまうので、痛みはそれほど強くないし後を引くこともないはずだ。
──もしかして、その自動回復魔術の機能がストップしているのでは……!?
このままでは、シャルロットさんを殺してしまう!
一度振り下ろした剣は止まらない。
俺が扱っているのは両手剣であり、重く長大で取り回しが難しい。
であれば、俺が取れる手段は唯一つ。
袈裟斬りの動作の最中に、両手剣から左手を離して──
「ぐっ……があああああああああああっ……!」
俺は左手で自分の剣の刀身を鷲掴みし、無理やり剣の動きを止める。
今まで実戦で使う機会がなかった片手真剣白刃取りは、半分は成功で半分は失敗。
手指の切断は免れたが、鋭い刃は骨にまで達していた。
出血量はそれなりに多く、尋常でないほど痛い。
やはり俺の予想通り、闘技場内の自動回復魔術は機能していない。
「えっ!? ク、クロードさん!?」
常軌を逸した俺の行動と叫びに驚いたのか、シャルロットさんの表情には戸惑いが見られた。
だが彼女に怪我はないようで、俺はホッとした気分になる。
バックステップでシャルロットさんから距離を取った後、剣を足元に投げ捨てた。
血まみれの左手をあえて癒さず、見せびらかすようにして掲げる。
「審判! 試合を中止してください! 自動回復魔術が機能を停止している恐れがあります!」
「なにっ!? 確かに止血されてないな──試合中止! 双方、武器を収めろ! 試合続行不可能!」
審判は驚きの表情で、赤のフラッグを振り回している。
彼がこの事態に気づかなかったのも無理はない。
何故なら、俺の脇腹を槍がかすめてから片手真剣白刃取りをするまでの間は、ほんの一瞬の出来事だったからだ。
シャルロットさんは審判の合図を受けて、槍を放り出すように地面に置く。
俺のもとに慌てて駆け寄り、血だらけの左手に優しく触れた。
「大丈夫ですか!? 今から治療しますからね!」
今までマイペースだと思ってきたシャルロットさんが、狼狽した様子で俺に回復魔術をかけてくれている。
──ああ、俺に負い目を感じているんだな。
そう考えた俺は、シャルロットさんにすべてを委ねることにした。
本当は自分で治療できるが、少しでも彼女の負い目を軽減できればそれでいい。
それにしても、流石は《聖女》というべきか。
シャルロットさんの回復魔術はとても優れており、脇腹のかすり傷はもちろんのこと、骨にまで達した手の傷すらも完全に癒された。
「ごめんなさい、クロードさん……! わたしを守ってくださったんですよね……!」
「気にしないでください。それより、回復魔術を使ってくれてありがとうございました」
シャルロットさんは困惑しつつも、「いえ、これくらい当然です」とぎこちない笑みを見せた。
その直後、アナウンスが場内に響き渡る。
『──審判から”試合続行不可能”の判定が出ました! よってこれより試合を中止し、原因の調査を行います!』
「い、一体何があったんだ!?」
「闘技場で傷が勝手に治らないなんて、前代未聞だぞ!」
「もしかしてテロか!?」
観客たちは想定外のアクシデントによって、口々に騒ぎ立てる。
明らかに動揺している様子だ。
俺とシャルロットさんは混乱の中、ひとまず闘技フィールドから退場した。
◇ ◇ ◇
フィールドを出た俺は、王国の選手団に用意された観戦席へ向かう。
国王陛下に今回の事態を報告しなければならないと判断したからだ。
廊下を歩いて階段を登り、王国選手団専用スペースに到着する。
その直後、一人の少女に思いっきり抱きつかれた。
「クロードくん、怪我は大丈夫!?」
「気を遣ってくれてありがとう。シャルロットさんが癒してくれたから、俺は大丈夫だ」
俺はその少女──エレーヌの頭を、先程負傷した左手で撫でる。
「もう怪我は完治した」とアピールをすることで、彼女を安心させるためだ。
しばらく撫でたあと、エレーヌが少しだけ安心した様子で俺から離れる。
今まで気づかなかったが、レティシアやルイーズも一緒だったようだ。
「心配させないでください……と言いたいところですが、あなたの行動のおかげで《聖女》シャルロット様が負傷せずに済みました。ご英断だったと私は思います」
「もしシャルロット様に万が一のことがあったら、戦争になりかねないものね……でも、一体どうして自動回復魔術が効かなかったのかしら……」
レティシアとルイーズの表情は重いのは当然だ。
ルイーズの言う通り、下手をすれば戦争に発展してしまうところだったのだから。
俺が袈裟斬りを力づくで止めなければ、シャルロットさんは手傷を負うことになっていただろう。
万が一そうなってしまえば、たとえ回復魔術で全治させたとしてもそれで済む問題ではない。
俺がシャルロットさんを負傷させた事実に変わりなく、下手をすれば教皇によって処刑されていたところだろう。
「ルイーズ、国王陛下に今回の件について報告したいんだが、今は大丈夫か?」
「いいえ、父上なら今は不在よ。事故が起こった直後に教皇聖下のもとへ抗議に向かったわ。教国が管理する闘技場で、クロードが意図しない傷を負ってしまったもの。当然の対応だわ」
確かにルイーズの言う通りだろう。
闘技場で安全に決闘ができるのは、《自動回復魔術のアーティファクト》があるおかげ。
アーティファクトの効果は、精神力を代償として対象者が受けた傷を瞬時に癒すというもの。
回復魔術のおかげで痛みが長引くことはないが、あまり多用しすぎると失神してしまうので試合はちゃんと成立する。
そのアーティファクトが保管されている区画は完全に秘匿されており、警備体制も万全だという。
だからあのような事故が起きてしまったのは闘技場の責任でもあり、教国の責任でもあるのだ。
国王陛下は教国側に、説明を求めているのだろう。
陛下とは会えそうにないと判断した俺は、エレーヌたちとともに自席へ戻ることにした。
ルイーズが言うには「指示があるまで闘技場に留まるように」との命令が国王陛下からなされたようだ。
その国王陛下の帰還を待っている間、俺たちは雑談をして時間を潰す。
そしてしばらく時間が経ったあと──
『──選手のお呼び出しを申し上げます。王国代表・《回復術師》クロード選手、教皇聖下・国王陛下・《聖女》シャルロット様がお呼びです。至急、教皇聖下専用室までお越しくださいませ』
突如、闘技場内にアナウンスが鳴り響いた。
恐らく事故の件について、俺から事情を聞きたいのだろう。
国王陛下もいるようだし、丁度いいタイミングだ。
「呼び出されたから、ちょっと行ってくる」
不安げな表情で送り出された俺は、闘技場内にあるという教皇聖下専用室へ向かった。
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