第57話 あ~んをする側の羞恥心

 槍を握り込みすぎて、重い物が持てなくなったというレティシア。

 俺は彼女に、サンドイッチをあ~んして食べさせるようにお願いされてしまった。


「レ、レティシアちゃん! それなら私が食べさせてあげるよっ!」

「席次は私・クロード・エレーヌでしょう? 少し食べにくいですね」


 エレーヌは焦りながらレティシアに提案する。

 しかしレティシアは冷静に断った。


 俺の左隣にレティシア、右隣にエレーヌが座っている。

 確かにこれでは、エレーヌがレティシアに食べさせるのは無理が生じる。


「じ、じゃあ! 今からそっちに行くから!」

「私の左隣にはすでに人がいます。となると、通路に立って私に食べさせないとダメですね。となると、通行人の邪魔になりますね……ふふ」


 何故かレティシアはしたり顔をしていた。

 そしてエレーヌもまた、焦っている様子だった。


 一体どうして、こんなことになっているのだろうか。


「むー……クロードくん、席交換しよっ!?」

「そうだな。レティシアに食べさせてあげて──」


 俺が席を立とうとすると、突如として俺の左手首が何者かに掴まれ、引っ張られた。

 俺の手首を掴んだ犯人は、握力に異常をきたしているはずのレティシアだった。


 レティシアは満面の笑みを浮かべ、俺に言う。


「クロード、お願いします。食べさせてください──エレーヌ、後でクロードに食べさせてもらいなさい。それでいいでしょう?」

「あ……そ、そうだねっ……そうするっ!」


 レティシアの提案により、エレーヌが大はしゃぎしながら座り直す。

 なぜ俺がエレーヌに食べさせるという話になるんだろうか。

 そしてなぜエレーヌが大喜びしているのだろうか。


 よく分からないが、とりあえずサンドイッチを手に取る。

 そしてレティシアの口元まで持っていったが、しかし彼女は口を開けてくれなかった。


「『あ〜ん』と言いながら食べさせるのがマナーですよ……うふふ」

「そ、そうなのか……分かった──あ、あ〜ん……」


 俺が「あ〜ん」と言うと、レティシアもまた「あ〜ん」と声を出しながら口を開けた。

 彼女の唇がサンドイッチに当たると、その衝撃が俺の指にほんの少し伝わってしまう。

 それはごく当たり前のことだが、なぜかドキドキしてしまった。


 レティシアはサンドイッチを噛み切り、咀嚼する。

 妖しく動く唇から、俺はなぜか目が離せなかった。


 レティシアは一口食べ終った後、唇についたソースを舌で舐め取っていた。

 俺はそれを見て、思わずドキッとしてしまう。


「ふふ……美味しい」

「そ、そうか……」


 レティシアは顔を真っ赤にしながら、うっとりしたような口調で言った。


 俺は何度かレティシアにあ〜んをされたことがある。

 だが実際にやってみて、ここまで恥ずかしいものだとは思わなかった。


「エレーヌ、作っていただきありがとうございます。とても美味しいです」

「うん! こっちこそ、食べてくれてありがとう! えへへ……」


 俺はこの後、レティシアにサンドイッチをいくつか食べさせてあげた。

 そのあいだレティシアはとても嬉しそうにしていたが、観客たちの視線が痛かった。



◇ ◇ ◇



「クロードくん、次はわたしの番だねっ!」


 レティシアにサンドイッチを3個くらい食べさせた後……

 エレーヌが嬉しそうにせがんできた。


 俺はランチボックスに手を伸ばし、サンドイッチを手にする。

 そしてレティシアに食べさせたおかげで無駄に手慣れてしまった手付きで、エレーヌの口元に持っていく。


「あ〜ん」

「えへへ……あ〜ん」


 「手慣れた手付き」というのは、どうやら訂正しなければならないらしい。

 俺は正直、あ〜んという手技を舐めていた。


 エレーヌの食べる姿は、小動物のようにとても可愛らしい。

 それでいて、小さいながらも成熟した女であるがゆえの艶めかしさもある。


 小さなピンク色の唇、潤んだ瞳、赤らめた頬──

 それらは俺をドキドキさせるには、あまりにも十分すぎた。


「おいしい! 味見したときよりも、ずっと……ありがとう、クロードくん!」

「やはり好きな人に食べさせてもらうのが一番ですよね。分かります!」


 エレーヌとレティシアが、俺を挟んで盛り上がっている。


 友達に食べさせてもらうのが、そんなにも嬉しいものだろうか。

 むしろ赤ちゃんみたいで、恥ずかしくなりそうなものだが……


 俺はその後、エレーヌにいくつかのサンドイッチを食べさせる。

 そのあいだエレーヌはとてもおいしそうに食べていたが、観客たちからは「もうお前ら結婚しろ!」などと的外れなことを言われてしまった。



◇ ◇ ◇



「ごちそうさま……えへへ」


 エレーヌは満面の笑みを浮かべ、満足げに俺に言ってきた。

 彼女自身が作ったものなのに、なぜ俺に感謝の気持ちを伝えるのか。


 まあいい、ようやく俺は自由になった。


 次の準々決勝・第1試合で、俺は戦うこととなる。

 まだ試合開始には1時間以上もあるが、手早く食事を済ませなければならない。


 そう思ってランチボックスに手を伸ばそうとしたが、なぜか箱が見当たらない。

 キョロキョロと見渡していると、そこには驚くべき光景があった。


 左隣には、2つのサンドイッチを持ったレティシア。

 そして右隣には、ランチボックスとサンドイッチを持ったエレーヌがいたのだ。


 このままでは、俺は食事ができない。


「クロードくん、あ〜ん……」


 エレーヌが潤んだ瞳をしながら、俺にサンドイッチを差し出してきた。

 手早く食事を済ませるため、俺はなりふり構わず食らいつく。


 エレーヌが食べさせてくれたベーコン・レタス・トマトサンドは、とても甘酸っぱくておいしかった。

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