第1章 アフターストーリー

第39話 酒宴

 俺たちを乗せた馬車は大都市ローランを抜けた後、しばらく走り続けた。

 そしてついに夕方となり、馬車はとある街の城門をくぐった。


「馬車を止めてください」

「は、はい! かしこまりました!」


 レティシアさんの要請に従い、馬車の運転手はゆっくりと馬車を停止させる。

 俺たちは馬車から降りた。


「クロード、エレーヌ。今日はパブで夕食にしましょうか」

「え、パブですか? 公爵令嬢なら、もう少し良い場所があると思うのですが……」


 パブとは『パブリック・ハウス』のことで、要するに大衆酒場のことである。

 本来であれば、公爵令嬢が居ていい場所ではない。


 公爵家が用意した運転手の男が、慌てた様子で駆け寄ってきた。


「お嬢様、それは困ります! お食事はホテルのレストランでしていただきませんと──」

「平民の生活を視察したいのです。許していただけませんか……?」


 レティシアさんは申し訳無さそうに、運転手に頼み込む。

 運転手は「まいったな……」と、後頭部をポリポリとかいていた。


「かしこまりました。どうかお気をつけて」

「ありがとうございます。いってきます」

「クロードさん、エレーヌさん。お嬢様をよろしく頼みます」

「分かりました。責任を持って守ります」

「だ、大丈夫かな……でも、本人が行きたがってるのならしょうがないよね……」


 俺たちは運転手と別れ、街を歩き始める。


 夕方の街は、仕事帰りと思われる冒険者でいっぱいだった。

 彼らの中には、これからパブで飲み食いしようと思っている者がいるのかもしれない。


 俺は初めての街並みを眺める。

 俺たちが今朝までいた都市ローランと比べれば華やかではないが、それでも田舎よりはよほど栄えていた。


 エレーヌは慣れない環境にオロオロしている節があり、キョロキョロと見回している。

 しかも俺の服の袖を、必死になって掴みながら。

 手を繋がれているときとは違った感覚があり、少し恥ずかしい。


 レティシアさんからは、戸惑いなどは一切感じられない。

 ここはローラン公爵領に属する街であり、君主の令嬢として訪れることもあったのだろう。


 しばらく歩くと、そこには1軒のパブがあった。


「あそこにしましょう」

「はい」


 俺たちは意気揚々と、そのパブに入った。



◇ ◇ ◇



 店内はとてもにぎやかだ。

 屈強な男たちが酒を飲み交わしており、大声や笑い声が響き渡っている。


 たった今、注文した料理と酒がテーブルに届いた。


「乾杯!」

「乾杯……うふふ」

「か、かんぱい……えへへ」


 俺たちはグラスをぶつけ合う。

 そして俺はビールジョッキを傾け、一気に煽った。


 たまにはこういうのもいいな。

 普段はパブに立ち寄らない俺は、そんなことを思っていた。


 エレーヌはロゼワインをこくこくと飲んでいる。

 淡いピンク色をした液体は、なかなかに可愛らしい。


 一方のレティシアさんは、赤ワインを優雅に飲んでいた。

 彼女は普段、どんな高級ワインを飲んでいるのだろうか。


 彼女は唇からグラスを離し、こう切り出した。


「ここ、にぎやかでいいですね」

「そうですね。日頃の疲れを吹き飛ばそうとする人たちでいっぱいですから」


 酒と料理、そしてコミュニケーション。

 客たちはそれを通じて英気を養っていく。

 それが酒場というものだ。


「貴族の宴はやや静かなので、それと比べればとても楽しいです」

「そうですか……わたし、実はこういう雰囲気はちょっと怖かったりするんですけど……でも、楽しいのは確かですね!」


 レティシアさんとエレーヌが酒場の楽しさについて語った後、彼女たちは料理に手をつけ始めた。



◇ ◇ ◇



「あれ……なんか酔っちゃったみたい……」


 しばらく飲み食いをしながら歓談していた俺たち。

 エレーヌが潤んだ瞳で、俺にそう言ってきた。


「大丈夫か? もしなんだったら、解毒魔術を使おうか?」

「──えっ!? う、ううん! 別にそんなことしなくていいよ!」


 酒の席では基本的に、解毒魔術を使うのはマナー違反とされている。

 なぜなら、酔うために酒を飲んでいるのに、その酔いを覚ますのは本末転倒だからだ。

 もっとも、急性アルコール中毒になってしまえば手遅れなので、さじ加減は必要だが……


 エレーヌは椅子をわざわざ俺の隣に持っていき、そして俺の右腕に抱きついてきた。

 柔らかい感触と甘い香りが感じられ、なんだか恥ずかしい気持ちでいっぱいになる。

 それにエレーヌは胸が小さいので、身体のほとんどが密着しており、体温がとてもよく感じられる。


「はあ……こうしてれば落ち着くかも……えへへ」

「それはなによりだな」

「クロード、顔が赤いですね……うふふ」

「違います。これは酒を飲んだからです」


 まったく、レティシアさんはサラッと失礼なことを言うなあ。

 ニヤニヤしている彼女を見て、俺はそう思った。


 一方のエレーヌは、上目遣いをしながら俺に問う。


「クロードくん……もしよかったら、わたしのワイン飲まない……? おいしいよ……?」

「あ、ああ……いただこうかな」


 エレーヌに差し出されたワイングラスを手に取り、俺は一口飲む。


「間接キス、しちゃったね……ふふ」


 頬を赤らめたエレーヌは、潤んだ目つきで呟いた。

 ちなみに俺は、間接キスなど気にしない男だ。


 だが、今日のエレーヌはとても破壊力がある。

 酒の力というものは、非常に恐ろしい。


「どう……? おいしい……?」

「ああ、おいしいよ」

「えへへ……わたしの味、するかな……?」

「それはどういうことだ? 普通のロゼワインだと思うんだが……」

「なんでもないよ……」


 エレーヌは一体、何を言っているんだ?

 俺にはさっぱり分からない。


 俺が試飲したロゼワインは、まだ半分程度残っている。

 エレーヌはそのワイングラスを取り、ピンク色をした可愛らしい唇に持っていく。

 淡いピンク色の液体は彼女の小さな唇に運ばれ、唇は艶かしく動いていた。


「ぷは……クロードくんと間接キス、しちゃった……おいしいね……」


 エレーヌの表情はとても弛緩しきっており、こっちまで癒される。

 それに、なんだか守ってやりたい感じになってきた。


「これは負けていられませんね……!」


 レティシアさんはわざわざ、椅子を俺の左横に持ってきた。

 そして身体を密着させ、彼女が先程口にしていたワイングラスを俺に近づけてきた。


 レティシアさんはお胸が大きい方なので、柔らかさが半端ない。


「飲ませてあげますから、口を開けてくださ~い……うふふ」

「もしかして、レティシアさんも酔っていますか? 解毒魔術、使いましょうか?」

「それはマナー違反です……ふふ」


 レティシアさんは俺の唇を人差し指で押さえ、満面の笑みで笑いかけた。


 指、とても甘くていい香りだったな……

 それに、指で押さえられた唇も気持ちよかった……


「あ~ん……うふふ」

「まったく、しょうがないですね……──ふむ、やはりワインはうまいな……」

「それは、私に飲ませてもらったからですよね? ふふ……嬉しいです」

「違います。俺、酒は赤ワイン派なんです」


 レティシアさんの言葉を否定するのは心苦しかった。

 しかし誤解を避けるためにも、はっきりと言わなければならなかったのだ。


 だが強く言い過ぎたようで、レティシアさんは悲しそうな表情をしていた。


「そんな……私、そんなに魅力がありませんか……?」

「そんな事ないですよ。レティシアさんは可愛くて美人で、明るくて情熱的です。一緒にいて楽しいです」

「ありがとうございます」


 レティシアさんは満面の笑みで、俺に感謝の意を述べた。

 元気を取り戻してくれて何よりだ。

 顔が林檎のように赤いのは、酔っているせいだろう。


「クロードくん、わたしは?」

「エレーヌは小さくて可愛いし、素直で優しい。守ってやりたくなる感じの女の子だ」

「ありがとう……えへへ」


 エレーヌもまた、顔を赤らめながら笑っていた。

 その笑顔を見ていると、人を褒める行為が気持ちよく感じてくる。


 ふとレティシアさんが、改まった表情で言った。


「クロード、エレーヌ。お願いがあるのですが……私のことは『レティシア』と、呼び捨てで呼んでくださいませんか? タメ口で話してくださいませんか? ──あっ……もちろん正式な場では今まで通り、敬語の方が好ましいのですが……お二人との距離を感じてしまいまして……」


 うーん……俺としては、公爵令嬢に呼び捨てかつタメ口なんて許されないと思うのだが……

 でも本人がそういうのなら、それに従ったほうがいいのかもしれない。


「分かったよ、レティシア」

「レティシアちゃん……って呼んでいい、かな……?」

「はい、エレーヌ。その方が可愛くて、私は好きです」

「うん、分かったよ! えへへ……」


 今回の飲み会で、俺・エレーヌ・レティシアとの絆が多少深まった。

 俺にはそんな気がした。


「さあクロード。気を取り直して、もっと飲みましょうね」

「クロードくんがお酒に強いところ……わたし、見たいな~」


 レティシアとエレーヌはワイングラスを持ち、俺の口元に近づけていった。



◇ ◇ ◇



「ヤバい……」


 あのあと俺は、二人に酒を飲まされ続けた。

 もはや解毒魔術を使えないほど、泥酔状態となっていた。


「まったく、クロードはしょうがないですね……よしよし……」

「お酒に酔っちゃってるクロードくん、かわいい……よしよし……」

「あ、あはは……」


 俺はレティシアやエレーヌに、優しく撫でられる。

 彼女たちは俺に飲ませるばかりであまり飲んでいなかったので、比較的意識がはっきりしているようだ。


「とりあえず今日はこの辺でお開きにして、ホテルに行きましょう」

「そうだね……えへへ」


 俺たちは王都にたどり着くまで、基本的にはホテルを転々とすることになっている。

 レティシアやエレーヌが言った「ホテル」というのは、決してやましい意味ではない。


「クロードくん、行くよ?」

「しっかり掴まっていてくださいね」

「ああ、ありがとう……」


 俺はエレーヌとレティシアに支えられながら席を立つ。

 客の男たちからは「ホテルでがんばってこいよ!」「可愛い女の子二人にお持ち帰りされるなんて、羨ましすぎるだろ!」などと言われたが、静かな夜を過ごすことになるだろう。


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