第22話 「あ~はいはい分かってましたよこうなることは。クロエちゃんが世界一可愛いHit horseだってことは。けっ」


「真打ち登場~! 世界で一番可愛い貴方だけのメイド、クロエちゃんで~す! 本日から宜しくお願いしますね、ご主人様♪」


 風邪が治り、ようやく学校にも登校できるようになった日。

 朝、リビングで出迎えたのはリースではなく、やたらとハートを振りまくせかいいちかわいいめいどのクロエだった。

 予想外の光景にノアはきょとんとし、目をしばたかせる。


「……なんでクロエさんがここに?」

「やだ~、ご主人様て痴呆? それとも記憶喪失? クロエさんじゃなくてクロエちゃんじゃないですか~。クロエちゃん。Repeat after me?」

「……クロエちゃん」

「は~い。よくできました~」


 起きたばかりでこのテンションの高さは疲れるんだけど……。


 朝一からいつの間にか家に侵入し、無駄にハイテンションなクロエにさっそく疲れを見せるノア。


「それで、リースやソフィアさん、狂華は?」

「リース先輩たちですか? 残念ですけど~、今日からご主人様のメイドは私一人です。あれ? 超絶可愛いクロエちゃんを独占とか、むしろ幸せ?」

「え、なんで?」


 リースを先輩呼びしたことから、先輩後輩の間柄だったんだと今更ながらに知ったノアだったが、三人が来ないということに驚いてそれどころではない。

 クロエは可愛らしい小さな唇に人差し指を添えると、上を向いて考える仕草を見せる。可愛い自分を魅せるということ意識しており、本当に思考しているかは謎。


「そうですね~。端的に言っちゃえば異動? 新たな職場に転勤? 夢を追いかけGo my way的な?」

「なんで全部疑問形なの?」


 疑わしそうな半眼で見つめるノアを誤魔化すように、あはっ! と眩しい笑顔を浮かべる。


「気にしてもしょうがないですよ~。私たちはあくまでレンタルメイド。しかも、企業に勤めてる会社員ですよ~? 会社の意向によってはそういうこともありますって~」

「そう、だけど……」


 もとより望んで雇ったわけではない。

 新しくクロエがお世話係となったが、本来は一人暮らしなのだ。メイドの数が減ったからといって問題があるわけではない。


 だけど、お別れの挨拶もなしっていうのは、なんか変ていうか。


 中でもリースはノアに傾倒していた。仕事だったから忠誠を尽くしていたとは、ノアには到底思えなかった。それなのに、別れの言葉もなく突然いなくなるというのは不自然だった。


「ん~。クロエちゃんからはなんとも言えないですけど~。どーしても気になるなら、本人に聞いてみるのが一番じゃないですか~?」

「本人にって、え、でもいなくなったんじゃ……」


 いない人にどうやって訊けというのか。

 困惑するノアに、クロエは指を立てリズミカルに左右に振る。


「ちっちっち。考え方が甘いですよ、ご主人様。クロエちゃんは"ご主人様のメイドは私一人"としか言ってません。リース先輩はともかく、ご主人様はメイドを雇う前から日常的に二人と接触していませんでしたか?」

「あ……そういうこと」


 納得する。

 ソフィアはこのマンションのコンシェルジュであり、狂華に至っては学友だ。元よりメイドですらなかったのだ。契約が解除されても会えなくなるわけがない。


「YES! 流石、クロエちゃん! 教えるのも世界一! やだ~、教師としての才能も開花しちゃいました? クロエちゃんってなんでもできちゃう天才ですから、しょうがないですよね」


 自分を褒め称えるクロエを放置し、寝巻のまま外へ飛び出そうとしたノアだが、がっしりと肩を掴まれ止められる。

 思いの外強い力で抑え込まれ、振り解くことはできそうにない。


「だーめーです~。クロエちゃんの目が可憐な内は、朝の準備も済ませずお出かけなんてさせませんから」

「む~。じゃあ、可愛いクロエちゃんの可愛いおめめを隠せば、行ってもいい?」

「やだも~ご主人様ったら正直者め♪ けど~、おめめ隠してもクロエちゃんは超絶可愛いので、答えはNO~。というわけで、ちゃっちゃとか顔を洗って、お着替えしましょうね~」


 どうあっても逃がす気はないのだと悟ったノアは、早く出掛けるためにも手早く準備を済ませようとするのであった。


 ――


「ソフィアさん、なんで?」

「どうして私はいきなり問い詰められてるのかしらぁ?」


 受付台の内側へ身を乗り出し、ノアはむすっとした表情でソフィアを問い詰める。

 紅茶を飲み、読書をするという就業態度とは思えないリラックスした体勢のソフィアは、疑問を投げ掛けながらも表情に困惑は見られない。本に視線を落としたまま、至ってマイペースにページを捲っている。


「急にいなくなったら問い詰めたくもなるでしょう?」

「所詮雇われなんだからぁ、気にしてくていいわよぉ?」

「僕の視点からすると、勝手にお世話係になって勝手にいなくなった酷く身勝手な人達なんだけど?」

「人間、皆我儘なものよぉ」


 ノアの圧力にも堪えず、ソフィアはページを捲る。ソフィアの読んでいるタイトルは『人間失格』。

 紅茶を飲み、ノアに目を向けることはない。まるで話すことはなにもないといった態度に、ますますノアの機嫌が悪くなる。


「話す気はないの?」

「話すもなにもぉ、クロエが言っていた通り人事異動よぉ。ノア君が気に掛けるほどのことではないわぁ」

「本当に?」

「酷いですわぁ。私がノア君に嘘を付くと思われているなんてぇ、私とても悲しくてぇ、泣いてしまいますわぁ」


 しくしく。

 両手指の甲で目元を押さえ、ソフィアは瞳を潤ませる。当然、嘘泣きだ。

 どれだけ問い詰めても答えることはないと分かったノアは、受付から離れる。


「……分かった。納得いってるならいい」


 そういってマンションから飛び出していった。

 泣き真似を止めたソフィアは、台に身体を預け、ノアが去っていく姿を目で追う。


「納得いってるわけ、ないじゃありませんのぉ」


 憂いを帯びた表情のソフィアから、本音が零れ落ちる。


 ――


「そうか。ソフィアたちはそのように君に語ったのか」


 通常の登校時間よりも早くノアは教室に到着した。

 一人狂華が来るのを待つつもりであったが、教室内には既に狂華が自分の席に座っていた。

 狂華もノアと話したかったのだと考え、ノアも椅子に座りさっそく話し合う。

 ノアの話を訊いた狂華は、納得するように一つ頷いてみせた。


「やっぱりなにか理由があったの?」

「ふむ。彼女たちが隠しているというのに、それを私の口から打ち明けるというのも間違っていると思うが……」


 ちらりと、伏せていた顔を上げ、ノアを見る。

 真っ直ぐで、真剣な瞳を向けられ、くすりと狂華は笑みを零す。


「ふふ。まあ、いいだろう。元より、私はメイドに執着などないし、話した方が面白そうだ」


 ソフィアや新しいメイドがどうして話さなかったかも検討は付くがね。やれやれ、本当に皆、ノアに甘いな。


 ノアに、自身のせいだと責めて欲しくないのだろう。

 実際その通りだし、ノアが責められる謂れはない。けれど、ノアは心優しい故にそう思わないかもしれなかった。だから、はぐらかしたのだろう。

 狂華からすれば甘い対応だ。ノアを護るべき対象としか考えていない。


 護るだけが奉仕ではないだろうに。


 そう考え、狂華は異動の経緯についてノアに話す。


「僕が風邪を引いたから?」

「掻い摘んで説明するとそうなるね」


 その答えにノアは驚く。まさかそんなことで、と思ってしまう。

 しかし、狂華が嘘を付いているわけもなく、全て真実なのだろう。

 ノアは悔しそうに歯噛みする。


「けど、それは僕のせいで……っ」

「ただ、周囲はそう思わなかったというだけさ。私も含めてね。あの時のリースは、明らかにノアに過干渉であり、余計なストレスを与えていた。それは、君も自覚はあるだろう?」

「それは、そうだけど……」


 ノアからすれば、それこそリースを止められなかった自身の責任ではないかと思うのだ。

 気落ちし、俯いてしまうノア。言葉も出ない。

 狂華はノアの前髪を指先で丁寧に払い、下から覗き込む。


「そう気落ちするものではないよ? 人生愉快に、楽しまなくてはいけない。君がなにを思っているかは私に分かりかねるが、そのように俯いていてもなんら良いことがないというのは断言できる」

「狂華ならどうする?」

「私かい?」


 ふっと、狂華は相好を崩す。


「あっはっは。決まっているだろう? 愉快になるように行動するだけさ。それこそ、愉快であればなんだっていい。たとえ、私やリース、ソフィアがノアのメイドとして戻れなくてもね。ただ、それも愉快であれば、だ」


 愉快でなければ意味がないと語る。

 薄く細められ、ノアに向けられた瞳から『今の君は愉快かな?』という言葉が伝わってくるようだ。


「なに。あくまで私の答えだ。君に強制するものではないよ。私はノアの答えを尊重する。そのほうが、愉快だからね」


 狂華の言葉が背を押す。

 俯いていた顔を上げたノアの表情は、先程までと打って変わって落ち込んだ様子など欠片もない。ふんすと気合を込めて、教室を飛び出していった。

 廊下を走る音だけが狂華の耳に響き、聞こえなくなるまで狂華はその音を楽しんだ。


 ――


 クロエは金の髪を弾ませ、鼻歌交じりにパウダールームで乾燥機を回していた。


「ク・ロ・エ・ちゃ・ん・は~、せっかいでいっちばんかっわいいびっしょうじょめいど~♪」

「クロエさん!」

「ちゃん、ですよ~、ご主人様」


 飛び込んできたノアに動じず、敬称を訂正する。

 顔を向ければ、汗だくのご主人様。息も絶え絶えであり、走って帰ってきたのが見て取れる。


「そんなに汗を掻いて、どうしたですか~。まだ、学校も始まってすらいないのに~。はっ! まさかさいかわクロエちゃんが恋しくて……っ。分かりますその気持ち。ふとした瞬間に超絶美少女に会いたくなっちゃうのは人類として当然の本能ですから。よしわかった。その昂る気持ちをクロエちゃんが受け止めましょう! さあこいや!」

「クロエさん!」

「ちゃんです」


 再び否定する。クロエにとってはなによりも大事なことであった。

 不機嫌そうに唇を突き出すクロエにノアは迫ると、がしりと両肩を掴んだ。

 どのような状況でも軽い調子を崩さないクロエであったが、流石にこのノアの行動には目を白黒させた。ついで、なにかを察してぽっと頬を赤らめる。


「え、え? もしかして……そういうことですか? やだぁ、もうそんな熱い眼差しを向けないで下さい。クロエ困っちゃう。クロエちゃんの可愛さはギャラクシーですから求められるのも仕方なしですけど心の準備が……。もう、ちょっとだけですよ?」

「リースたちを雇い直すにはどうしたらいいの!?」

「はんっ」


 途端、一気にしらけるクロエ。沸騰した頭に氷水を掛けられたような気分だ。なえなえである。


「あーはい知ってましたしこの流れ。分かってましたとも会議の流れからも当て馬になることぐらいは。クロエちゃん頭良いですから。ご主人様は優しいですからこの流れはもはや必然。運命と言っても過言ではないですものね。けっ」


 やさぐれたように吐き捨てる。

 ノアとてこの行動がクロエに失礼なのは百も承知であった。これからお世話をしてくれる相手に、前のメイドを呼び戻したいというのは、クロエよりもリースたちが良いと言っているようなものだ。

 それでもと、ノアは掠れる声でクロエにすがる。


「クロエ……」

「うーん、そんな泣きそうな顔で縋るように呼び捨ては乙女的に反則なので、私以外にはしないと約束して下さいね? 胸がときめきマックスで破裂しちゃうので。やだぁ、クロエちゃんってば純粋無垢な可憐な恋する乙女みたい?」


 口調こそ軽いが、ちょっと照れたのだろう。視線をふいっと逸らし、背けて見えた耳はちょっと赤かった。

 とはいえ、それも一瞬だ。きゃぴっと甘ったるい声を出すと、そっと赤い唇をノアの耳元へと近付ける。


「……そ・れ・な・ら~。優秀で可愛いクロエちゃんが~、ご主人様のために~、助言して上げちゃいます♪ あはっ♪」


 二人以外誰もいないのに、ノアの耳を覆うように手を添え、クロエは艶のある声で囁いた。

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