第21話 「ノアに不埒な真似をする者を許すわけにはまいりません」

 メイドサーヴァントカンパニー本部。

 カンパニーの本部というと高層ビルをイメージしがちだが、MSCの本部はヨーロッパ風のお屋敷だ。広大な土地に色鮮やかな庭園が広がり、とても日本とは思えない光景。この屋敷が会社のオフィスなどと誰も思うまい。

 屋敷なのは社長の趣味という側面もあるが、メイドたちの教育の場という面もある。かつて貴人たちに仕えた使用人と同じような環境下でこそ、磨かれる物があると社長は考えているのだ。社員であるメイドたちにも好評である。


 そんな屋敷内にある一室。会議室にて、メイド服をまとった女性たちが一堂に会していた。

 見るからに高価なシャンデリアや絵画など、格式ある調度品類が飾られた会議室には、白いクロスを掛けられた縦長のテーブルが部屋の中央を占めている。

 テーブルに整然と並べられた名のある職人が手掛けたアンティークの椅子に座るのは、MSC内でも上位に位置するメイドたちだ。もっとも位の高い者が座るべき上座は空席となっており、メイドたちの間では通例となっている。この場にいなくとも、常に主のために席を空けておくのは、メイドとして当然である。

 長テーブルの端、議長席に立つのは黒髪を白いリボンで二つにまとめた育児部門第二位・女教師カヴァネスのアーニャ・スミルノーヴァだ。

 彼女は、全員が集まったことを確認すると、会議開始の合図を告げる。


「本日、議長を務めさせて頂きます、女家庭教師カヴァネスのアーニャ・スミルノーヴァです。宜しくお願い致します」


 愛想の欠片もなく、淡々と進行を務める。

 司会としてのアーニャの技量が高いのか、紛然とする議題がないためか、特に揉めることなく会議は進んでいく。

 言葉を交わすというよりも、互いの仕事についての報告会といった体となっていた。ただ、それは時間のかかりそうな議題を後に回したからという理由もある。


「――ありがとうございます。それでは……」


 次の議題の資料を確認し、アーニャの言葉が一瞬途切れる。

 アーニャの立つ議長席から見て左手、集まったメイドたちの中でもっとも立場が上の女性へと一瞬視線を送った後、アーニャは本日最後となる、本命の議題を皆に提示する。


「それでは、本日最後の議題に移らせて頂きます。沢桔梗・A・ノア様が倒れてしまった件についてです」


 発表された議題内容に、会議室が一瞬ざわつく。しかし、ここに集まるのは出来たメイドばかりだ。注意されることなく、室内は静けさを取り戻す。騒がしくしてしまった己を恥じる者までいる。

 そのことを確認したアーニャは、並んで席に着く議題の中心人物三人に視線を向ける。


「本来であれば、ご主人様が風邪を引いたとて、ここまで問題視されることはありません。しかし、今回の件につきましてはノア様のお世話を任されているメイドたちに不手際があった故、このような事態を起こしてしまったと報告を受けております。これは事実でしょうか?」

「はい。私の失態でございます。ご主人様のお気持ちを理解せず、過度なストレスを与えてしまっておりました」


 問われたリースは、うろたえることなく粛々と返答する。一切の動揺を見せない、堂々とした佇まいに一部のメイドは感嘆の吐息を漏らす。

 しかし、その内心は表明上とは違う。膝の上に置いた力の籠った拳が、彼女の心境を雄弁に語ってた。

 アーニャはリースの返答を聞くと、ついでノアの診察を行ったライナに質問する。


「ライナ様。彼女の述べたことは間違いないでしょうか?」

「診察したからといって、必ずしも風邪の原因を特定できるものではありませんが……その可能性はある、とだけ言っておきます」

「ありがとうございます」


 お礼を口にすると、必要な情報は出揃ったと判断し、アーニャは一歩下がる。あくまで彼女は進行役であり、決定を下す仕事ではない。

 アーニャに替わり、リースたちに沙汰を下すのはMSC内におけるメイドたちの長であり、MSC社長の妻でもある沢桔梗・A・アグネスだ。

 ノアの髪を長くし、女性的特徴を足したような容姿のアグネスは、息子であるノアのお世話で不手際のあった三人に沙汰を下す。


「リース様、ソフィア様、狂華様の三名は、ノアの担当から外れて頂きます。この件に関して異論は認めません」


 反論を許さぬ言葉に、リースは口を噤む。

 だが、それも仕方ない。メイド長という立場だけではない。アグネスはノアの母親なのだ。彼に対する事柄で、アグネス以上に発言権を持つ者は父親である社長以外には存在しない。

 ついで、アグネスが告げるのはリースたちの代わりとなるメイドだ。


「代わりの者を選定する間、ノアのお世話はクロエ様にお願い致します。クロエ様、宜しいでしょうか?」

「は~い。もっちろんで~す! さいかわクロエちゃんにお任せく~ださ~いな♪」


 礼儀なんぞ母の子宮に置いてきたと言わんばりに、会議であろうともきゃぷきゃぴした口調を崩さないクロエ。

 しかし、その内心は、


 よっしゃー! 計画通り! くふふふー。このまま代わりの文字を消しゴムでごしごし消しちゃって、あんの機械女からご主人様を奪ってやるんだから!


 と、近年稀に見る喜びようだ。有頂天と言っても過言ではない。

 そんなクロエに水を差したのは、妖しい微笑みを浮かべる深海愛ふかみまなであった。彼女は真っ直ぐに手を上げる。


「意義申し立てを致しますわ」

「は?」


 クロエからドスの効いた声が零れる。

 自身がなにを口にしたか気が付いたクロエは誤魔化すように「きゃぴ☆」と横ピースをする。なんも言ってないぞという主張だ。

 クロエのことなど眼中にない愛は、いかに自身がノアに相応しいかを切々と語り出す。


「ノア様のメイドには、わたくしこそが相応しいですわ。主様のことをもっとも愛し、生涯を掛けて忠誠を誓うのはわたくしにおいて他におりません」

「あのようなことをしておきながら、よくそのようなことを口にできましたね」


 愛を咎めるように口を出したのはリースだ。

 会議中は一切感情を見せず、粛々とアグネスの決定にも従っていたリースが、愛には明確な敵意を向けている。彼女にとって愛は、自身の失態に目を瞑ってでも武器を取らなければならない敵だということだ。

 視線で射殺そうとでもするような鋭い視線を受けて尚、愛の態度は変わらない。真正面からリースの敵意を受け止めて、慈母のような微笑みを浮かべる。


「全てはわたくしと主様の愛がため、ですわ」

「――それを私が許すとでもお思いでしたか?」


 自身の夢に陶酔する愛を目覚めさせたのはアグネスであった。

 愛はにこりと笑い、メイド長の言葉とて一歩も退かない意思を示す。 


「もちろんですわ、お義母様。だって、これは社長、つまりお義父様の御意向ですもの。なにをしても構わない、と。まさか、夫であり終生仕えると誓ったご主人様に逆らうなどと、メイドの模範たるお義母様、沢桔梗・A・アグネスがするはずありません」


 確信をもって口にする。

 クロエや愛がノアのメイドになるために好き勝手出来たのはノアの父親でもある社長が、彼女たちの行動を許容したからだ。

 ノアのことを甘やかしているアグネスが、怒りを覚えても口を出せずにいた理由でもある。

 そのような下劣な行為が許されるのかとリースは悔しくなり、唇を噛む。人の目がなければ、血が滲むほどに噛み締めていただろう。

 リースとは対照的に、挑発的な言動を受けたアグネスは落ち着いたものだ。始めからその返答を想定していたかのように、その口調は穏やかだ。


「そうですね。夫が許すのであれば、私が止めることはできません。私は妻として、メイドとして意を唱えることはしないでしょう。……ですが、貴方様は少々私を甘く見過ぎです」

「……どういうことですの?」


 夢現であった愛が初めてしっかりとアグネスを見る。その表情は怪訝そうであり、このような返答が帰って来るなど想定していなかったのだろう。

 アグネスは優雅に微笑む。


「MSC内におけるノアに関する事柄については、全て私が取り仕切る許可をご主人様から頂きました。故に、ノアに不埒な真似を働いた愛様を許すことはありません」

「不埒な真似、ではありませんわ。愛ある行為ですの」

「貴方様の妄言に付き合うつもりはありません」


 表情こそにこやかであるが、言葉は辛辣だ。


「愛様には謹慎処分及び、ノアへの接触を禁止致します。宜しいですね?」


 確認を求めているが、この処罰は拒否できない確定事項だ。

 謹慎処分はまだしも、あいすると語るノアの接触禁止。ノアの話が上がってからというもの狂言の多い愛の反応を、一同が固唾を飲んで見守る。

 暴れ出すのではないかという周囲の予想に反して、愛の反応は素直なものであった。


「……かしこまりましたわ。うふふ。ああ、これもまた愛の試練なのですね。大きな障害を乗り越えてこそ、愛も深まるというもの。深海愛、謹んで処罰をお受けいたしますわ」


 愛の中では、この世界で起こることは全てノアと愛のまつわることであり、処罰とて二人が結ばれるための道程を彩る装飾に過ぎない。

 故に慌てることはなく、全てをあるがままに受け入れる。ノアとのあいがために。

 愛はスカートをつまみ、典雅な動作で一礼をする。それだけを見れば、メイドというよりも貴人のような振る舞いである。ノアに狂気染みた愛を語る姿が嘘かのようだ。

 呆れと疲れを含んだため息を吐き出したアーニャは、帰りたい気持ちをどうにか抑え、議長としての責任として会議を締める。


「それでは、本日の会議はここまでと致します」

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