第20話 「メイドとは本来、雇い主の目の届かぬところで仕事をすべきなのですわぁ」
ソフィアはげっそりとした顔でリビングのテーブルに倒れ込んでいた。
日は暮れたが、夜になっても蒸し暑い。夏の訪れを感じさせる気候は、室内であっても感じられる。クーラーの電源を付けたくなってくる。
あれからリースの姿は見ていない。すれ違っているのだろうが、ほとんどノアの寝室から出てこないせいもある。
少しばかり気にはなるが、顔を青褪めさせるほど落ち込んでいたのだ。同じ轍を踏むことはないだろう。繰り返すというのであれば、ソフィアの見込み違いである。
ソフィア自身で指示を出したとはいえ、リースはノアの看病だ。であれば、他の家事全般はソフィアがしなくてはならない。つい先程まで精神力をごっそり削られる対応をしていた身にはなかなか厳しい。
とはいえ、そろそろ夕食を準備しなければ間に合わず、入浴の準備もしなくてはならない。
重くなった腰を持ち上げようとすると、キッチンで湯を沸かしていた狂華がコーヒーを淹れてくれた。
「……珍しいですわねぇ。貴方がこんなことをして下さるだなんてぇ」
「お疲れのようだからね。一度休憩を取るべきだよ。君まで倒れてしまったら、私一人でメイド業務をしなくてはならない。それはそれで、ノアを独占できて楽しそうではあるが」
「そうなったら、今度こそ殺されますわぁ」
誰にとは言わず、カップにコーヒーを付ける。
ソフィアは紅茶派であるが、コーヒーも嫌いではない。ブラックコーヒーであったが、疲れた身体を起こすには丁度良いと気にせず飲む。
ふうっと息を付き、ぐったりと再びテーブルに倒れ込む。
「それにしても、まさかリースがこのような事態を起こすとは思いませんでしたわぁ」
「そうなのかい? 私から見ると、当然の結果に見えるが……」
「そんなことはありません。あれでも歴代最速でメイドサーヴァント階級一位・
他の追随も許さぬほどの昇級の速さ。
笑顔すら浮かべず、完璧にメイド業務をこなす様は、さながら血の通わぬ機械のようであった。また、下の者の教育には容赦がなく、その厳しさから絶対零度の
「美しい容姿も相まって、メイド内でもファンがおりますのよぉ? 今回の件はMSC内の誰もが訊いても、まさかと驚きますわぁ」
「ふむ。ただソフィアは、口でこそまかさと言っているが、私には驚いているように聞こえないがね」
「…………まあ、可能性の一つとしてはありましたからねぇ」
クルクルとコーヒーカップを回しながらソフィアが語るのは、メイドの在り方についてだ。
元来、使用人とは雇用主を顔を合わせないことが当然とされていた。
雑用を任せているだけの赤の他人。しかも、身分は雇い主よりも下だ。
親睦を深める必要はないのだから、わざわざ顔を合わせることもない。
それこそ、使用人の雇っている人数がイコールステータスとなるほどであった使用人全盛期は、使用人と顔を合わせないような屋敷の構造になっていることもあった。
雇用主と労働者という関係だけであり、信頼関係などありはしない。当然、忠誠心なんて生まれようもなかった。
現代では、メイドと言えば主人に絶対の忠誠を誓い、お世話をする存在として語られることが多い。しかし、それは娯楽作品などから広まったものであり、事実とは異なる。
ただ、MSCではそうした綺麗な主従関係を夢見る者が多く、常に御傍に仕え、主に忠義を尽くすことこそメイドとして至高であるという考えが広まっていた。
無論、同じような考えを持つ雇い主もいる。主人もメイドも人間であるが故に千差万別。物語のような、夢のような関係を築く者もいるだろう。
しかし、それは極少数であり、大抵の人間はプライベートな場所に他人が入ることを嫌う。親しくもない者の視線が常にあるというのは、ストレスでしかないのだ。
このことを理解していないメイドは多い。そのせいで、雇い主との間で問題を起こすメイドも少なからずいた。それこそ、余計な口出しをして即刻クビということすらある。本人からすれば善意であり、メイドとしての義務だとでも思っているのであろうが、雇った側からすれば、使用人として雇っただけの他人が家庭に口を出してきたのだ。怒りたくもなる。
ノアの件も、メイドとして適切な距離感を計り間違えたがために起こったことだ。
話している内に少なくなったコーヒーを飲み干し、ソフィアは締めとして告げる。
「能力の高い優秀なメイドほど、奉仕と忠誠を同じものとして捉えてやらかすのですわぁ。求められている以上のことをこなそうとして、結果、雇い主と軋轢を生む」
「それは経験談かい?」
面白がって狂華が問い掛ける。
半ば冗談ではあるが、ソフィアの語り口調に真剣みと自身を揶揄するような感情を感じたのだ。
音を立て、カップをソーサーに置くソフィア。一瞬、静寂が流れたが、ソフィアはまさかと笑みを零す。
「ありえませんわぁ。私、仕事はできるだけサボりたいタイプですものぉ。自らから仕事を増やす真似なんてしませんわぁ」
「はっは。確かに、君はそんな感じだね」
「そうですともぉ。とはいえ、機械のように何事も仕事として割り切っていると思っていたリースが、夢見がちなメイドたちと同じ過ちを起こすと思わなったのは本当ですわよぉ?」
「ふふ。人は見かけによらないと、そういうことだね?」
にやりと、狂華が口の端を吊り上げる。
明らかにからかっている狂華を無視し、カップを流し台に持っていくと、手早く洗い冷蔵庫の中身をチェックする。
「実のない話もここまでにしてぇ、メイドとして働きましょうかぁ。しょうがありませんけどぉ」
「とてもメイドとは思えない発言だが、私は君のそういった愉快な部分は好きだよ?」
「さらりとそんなことを言えてしまう狂華が、私は恐ろしいですわぁ」
きっと、学内では女性にモテるのだろうと思いつつ、ソフィアは冷蔵庫の中身から夕食のメニューを検討するのであった。
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