第19話 「報告したくないですわぁ。ああ、けれど報告しなかったらしなったで先生は……(蒼白)」


 ライナが去った後、リースはソフィアと狂華に頭を下げてお願いをする。


「ご主人様の看病は私にさせて下さい。お願い致します」


 普段、ノア以外に見せる冷たい態度は鳴りを潜め、誠心誠意二人に頼み込む。

 そのお願いに対して、狂華は思案するように頬に手を添える。


「ふむ。なぜ君に任せなくてはいけないのかな? 私やソフィアが看病しても変わらないだろう」

「今回の件は私が原因です。せめて、ご主人様が治るまでお世話をさせて下さい」

「させないことこそが、君の罰になりそうだけどね? リース」


 冷ややかな狂華の言葉を受け、リースは手が白くなるほど強く握る。

 ライナに指摘された通り、ノアが倒れてしまった全ての責任は自身にあるとリースは考える。完璧なお世話をすることにばかり拘り、ノアの気持ちをなに一つ考えはしなかった。これでは、メイド失格と言われてもしかたがない。

 ノアの看病をするというのも、自身の我儘であるということをリースは理解している。沙汰を待つ身だ。自粛こそが正しいのだろう。

 それでも、なにもせずにいるのはあまりにも辛過ぎた。例え、この時を最後にノアの専属メイドから外されても、看病をしたかった。

 頭を下げ続けるリースに、ソフィアが声を掛ける。


「頭を上げて下さいねぇ。先日、私が言ったことは理解しておりますかぁ?」

「お世話が過剰ということでしょうか?」

「そうですぅ。何事においてもやり過ぎは毒ですわぁ。結果、ノア君を追い込んでしまいましたぁ。どうしてこのようなことになってしまったか、ちゃんとわかっておりますかぁ?」

「はい……。私は、あまりにも自分のことしか考えておりませんでした」


 ソフィアに問われ、自身の口から答えを発する度、心臓に締め付けるような痛みが走る。


 どうして、私はこのようなことになる前に行動を改めることができなかったのでしょうか……。


 自問し、答えは直ぐに出る。ずっと願っていたノアのメイドという立場になれたことで、浮かれていたのだ。視野は狭くなり、相手のことが見えていなかった。周囲の助言にすら耳を貸さない。最低だ。

 考えれば考えるほどに、自責ばかりが募る。

 顔を上げると、ソフィアの視線とぶつかる。彼女は真っ直ぐにリースを見つめくる。まるで、責められているように感じて、リースは顔を伏せたくなった。

 けれど、そのような弱い心を必死に抑えつけ、懇願するように見つめ返す。すると、ソフィアがそっと息を吐き出した。


「わかりましたわぁ」

「それではっ!?」

「落ち着いて下さい」


 身を乗り出すリースに手をかざし、ソフィアは押し留める。


「ノア君の看病はリースにお任せしますわぁ。ただし、看病だけですぅ。それ以外の業務には当たらぬようにして下さいねぇ?」

「かしこまりました。寛大なお心に感謝致します」


 深く頭を上げて、リースがお礼を述べる。

 他の業務に当たれぬのは当然の処置。むしろ、ノアのお世話を任せてくれただけでも恩情であろう。

 直ぐ様、看病の準備に取り掛かったリースを見守るソフィアに、狂華が質問する。


「少々、甘過ぎるのではないかい?」

「不服ですかぁ?」

「多少ね。ノアが倒れて思うところが私にもあるのさ」


 狂華にとってノアは大切な存在だ。彼女が人生を愉快に生きる上で欠かせないピース。それを、倒れるまで追い込んだのがリースなのだ。普段のように笑えるわけがない。

 不満気に唇を結ぶ狂華を見て、ソフィアは笑う。


「ふふ。快楽主義者かと思えば、意外と普通なのですわねぇ、貴方は」

「なにを言い出すかと思えば。確かに、私は常人とはズレた感性を持っていると自覚しているがね、全てにおいて狂っているかと言われれば違うと返すさ。……大切な人が傷付けられれば、怒る程度には、ね」

「それは重畳。メイドとして良い傾向ですわぁ」

「私にメイドは向いていないさ。ノアが絡まなければ、お世話なんてつまらないこと直ぐに投げ出す自信があるからね」


 はぐらかそうとしていると感じた狂華が、眼光を強くする。逃げることは許さないと。

 その表情を見て、思わずソフィアは苦笑する。


 常人とは感性がズレていると仰いますが、理知的であり、周囲のことも良く見えてますわぁ。気の使い方も含めて、メイドの適正は高いでしょうねぇ。


 確かに、ノアのお世話をするというよりも、一緒に遊ぶといった印象が強い。自身の楽しみを優先しているというのも正しいのだろう。そのことで、都度リースに小言を言われていた。

 しかし、お世話をしていないかと言えばそのようなことはなく、むしろ、細かなことには良く気が付いた。ノアの趣味嗜好などについては、誰よりも詳しいと言っていい。

 本人の言う通り、ノア以外の者のお世話は務まらないだろう。直ぐに飽きてしまうから。けれど、ノアに限れば誰よりも優秀なメイドとなりえるだろう。


 だからこそ、先生は狂華がノアのメイドとなることを許したのでしょうけどぉ。


「甘いかもしれませんが、これ以上糾弾することでもありませんわぁ。過程はともかく、結果はノア君が風邪で倒れただけ。過程も、ライナさんがその可能性が高いと仰っただけで、本当にリースが悪いかもわかりませんわぁ。学校など外部と接触する機会は多いです。どこかから貰ってきた、ということも十分にありえますわぁ」

「そうだが……」


 納得いっていないのだろう。微妙な表情を浮かべる狂華。


「なにより、私たちもノア君のメイドですわぁ。ノア君が倒れた責任は私たちにもありますわぁ。リースを止めるであれなんであれ、やれることはありましたぁ。その責任を全てリースに押し付けるなど、それこそ恥知らずではありませんのぉ?」

「……はあ。なんというか、君は私が思っていた以上に真面目だね?」

「うふふぅ。不本意ながらぁ、これでも年長者ですからねぇ。どれだけ面倒でも、やらなければならないことがあるのですわぁ」


 ソフィアの顔に暗い笑みが浮かぶ。

 ソフィアとて、できればこのような面倒事はごめんである。誰かに責任を押し付けて、ソフィア自身に被害が被らないならば喜んでそうする。

 しかし、そもそもマンションコンシェルジュとして派遣された経緯も含めて、そのようなことをすれば、ソフィアは地獄を見ることになる。


 面倒だからと放り出したことが先生にバレたら…………うふふぅ。考えただけでぞっとしますわぁ。


 影の差した顔でソフィアは狂ったようにくすくすと笑いを零す。その頬には冷や汗が伝っている。

 どこか追い詰められたかのような反応に、なにかあるのだろうと察した狂華は、それ以上追及することはなかった。変わりに問うのはリースの処遇についてだ。


「リースに明確な処罰を下さない理由は理解したよ。ただ、ノアの看病を任せる必要はなかったんじゃないかい? それこそ、ノアのお世話以外の家事全般を任せても良かっただろう?」

「その場合、あの子は自責の念で自殺しかねませんわぁ」

「まさか、そこまで…………ない、とは言い切れないか」


 ノアへの執着染みた徹底的な奉仕を思い出し、狂華は否定しきれなかった。

 でしょうぉ? と同意を求めたソフィアは、肩をすくめる。


「私の管轄内で自殺者なんて出したくありませんわぁ」


 そう言って、狂華から離れるソフィアは、寝泊まりをしている客間へと向かう。スマートフォンを取り出し、呼び出した連絡先は『先生』。

 震える指先で、コールボタンに触れるか触れないかしばらく葛藤した。


 ――


 ノアの眠るベッドの横で看病をするリース。

 濡れたタオルを絞り、綺麗に折りたたみノアの額に乗せる。タオルが温くなったら同じことを繰り返す。

 頬が赤く息の荒い主を見続けて、いつの間にかリースの目元も赤く腫れていた。

 頬を濡らす涙を拭うこともせず、ただただノアを見続ける。

 知らず知らず、ノアの頬に触れようと指先を伸ばしていた。恐る恐る、触れれば溶けてしまうような雪細工に触れるように。

 けれど、後少しで触れようとした時、ぴたりとリースの手が止まる。


 今の私に、ご主人様に触れる資格はありません。


 しでかした罪を考えれば、当然の罰である。触れるのも恐れ多い。

 けれども、手を離すことができない。自身の軟弱さに嫌気が差すと、リースは微かに笑みを浮かべて自嘲する。

 近付こうとも触れる気はなかった。だというのに、いつの間にか伸びていたノアの手がするりとリースの手を弱々しく掴んだのだ。

 驚くリースに、ノアは薄めを開けてちらりとリースを見る。


「ああ……居てくれたんだ」

「ご主人様……お加減はいかがでしょうか?」

「んー? 身体は熱いけど、大丈夫。最近はなかったけど、昔はしょっちゅうだったしねー。慣れっこだよ」


 リースを安心させるように笑うノア。そのお心遣いにまた涙が零れそうになる。


「けど、やっぱり風邪の時は寂しくなるね。リースが傍に居てくれてよかった。眠るまで、手、握っててもいい?」

「……っ。はいっ。眠るまでなどと仰らず、いつまでも握っていて下さいませ」

「あははー。それじゃぁどこにも行けないねー」


 熱に浮かされているからだろう。素直に甘えてくれるノアが、リースは嬉しかった。

 瞼を閉じて再び眠るノアの手をぎゅっと両手で握る。痛くないよう加減をしつつ、けれど絶対に離さないように。

 ノアの手から伝わってくる温かさに幸福を覚え、このように熱くなるまで気が付かなった自身の不甲斐なさに心が痛む。

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