第18話 「私にとって、ノア様はいつまで経っても子供のままです」
「風邪ですね」
往診に来た医師、ライナ・アールツトは、一通りノアのの診察を終えると診断結果を告げた。
寝室のベッドで横になるノアは、虚ろな瞳でフリルで飾られた可愛らしいナース服を着るライナを見て小さく笑う。
「あっはっは。風邪なんて久々」
「笑い事ではありません。風邪は万病のもとなのですから。特に、ノア様は昔から身体が弱く、体調を崩しやすいのですから、気を付けなくてはいけませんよ?」
「……ごめんなさい」
めっ! と注意され、ノアは隠れるように布団を被る。
幼い頃は身体が弱く、体調を崩しやすかったノアは良く医者に掛かっていた。ライナは小さな時からノアのことを診てくれている専門医であり、今でも定期的に往診をしてくれている。
熱に浮かされた時ばかり顔を合わせるため頭が上がらず、幼少の時から面倒を見てくれている年上のお姉さんとして甘えがちだ。
医療道具を鞄に詰め、ライナは立ち上がる。
「熱が下がっても、しばらくは安静にしていて下さい。言っておきますが、倒れたからといって体力つけなきゃとジョギングなんてしてはいけませんよ?」
「…………やんないやい」
「ノア様?」
ぷいっと顔を背けたノアに、ライナは笑顔を向ける。しかし、瞳の奥は笑っておらず、秘めたる迫力にノアは降参する。
「はい。分かりました。安静にしています」
「早く治そうと熱いお風呂に入ってはいけませんよ? ご飯もやたら食べればいいというものではありません。お腹まで壊して大変な目にあったことを忘れないで下さいね? それから――」
「止めてこれ以上昔の失態を掘り返さないで! もう子供じゃないんだからそんなことしないよ!」
熱とは違う理由で顔を赤らめ、ノアは慌てて起き上がる。
幼少の頃から知っているだけあって、良きにしろ悪きにしろノアの過去を良く知っている。恥ずかしい過去を暴露され、頭から煙が出そうであった。
起き上がってしまったノアを寝かしつけるライナ。その瞳は穏やかであり、可愛い弟を見守る姉そのものだ。
「なにを言いますか。私にとっては、いつまでもたっても目の離せない子供ですよ。ですから、安静にして、私を安心させて下さいね?」
「……むぅ」
子供扱いに唇を尖らせるノアを見て、くすりと笑みを零す。
「では、失礼致します」
寝室を出たライナは、リビングで診察結果を待っているメイド三人の元へ向かった。
ライナの姿を見たリースは、詰め寄るようにライナに迫る。
「ご主人様の容態はっ!?」
「声が大きい。ノア様にまで聞こえたらどうするのですか?」
指摘され、リースは口を噤む。
リースを躱し、ソフィアが引いた椅子に座る。
ライナがちらりとメイド三人の表情を見渡せば、それぞれ表情こそ違えどノアの容態を気にしているのが見て取れた。
「ただの風邪ですよ。数日安静にしていれば熱も下がるでしょう」
「そう……ですか。ようございました」
胸をなでおろすリースに、ライナは厳しく釘を刺しておく。
「よくありません。ここしばらくノア様は病気や怪我もなく、健康状態は良かったのです。ただ、ソフィアさんの報告や定期的な往診で食生活や生活習慣が悪いと判断され、リースさんや狂華さん、ソフィアさんがお世話係として派遣されました」
ノアは知らぬことであったが、ライナはMSCに所属するメイドの一人であり、医療部門階級第一位・
MSCに所属しているため、リースやソフィアとは顔見知りであり、彼女たちがメイドとして派遣されている経緯も把握していた。
知っているが故に、その言葉は厳しい。
「貴方たちはノア様の健康管理をするために派遣されています。だというのに、派遣されてから一か月も立たずに主が倒れるなどどういうことですか。しかも、話を伺う限り、今回体調を崩したのはストレスが原因です。特にリース。貴方のお世話はやり過ぎです」
「っ……」
ノアが倒れた原因は自身にあると告げられ、リースは唇を噛む。
顔を蒼白にし、口から付いたのは言い訳のような言葉であった。
「わ、私は……ご主人様のために…………」
「主の代わりに全てをこなすことをお世話とは言いません。それはただのエゴです。二十三という若さでメイド階級トップである
「…………っ」
心臓を刺すような手厳しい言葉に、リースは言葉も出ない。
エプロンドレスを強く握り、小さく身体を振るわせて俯いてしまう。
少し言い過ぎたでしょうか?
ライナにとってもノアは大切な人だ。ご主人様というよりは、年の離れた弟のように思っている。そんなノアを倒れるまで追い詰めたのだから、接し方も厳しくなるというもの。
動かなくなったリースから視線を外し、ライナは帰宅するために玄関へと向かう。
後を追ってきたソフィアが声を掛けてくる。
「手厳しいですわねぇ」
「誰かが言わねばならないことです。……言っておきますが、本来ならソフィアさんが指摘しなければならなかったのですよ?」
面倒な役を押し付けてと、恨めしくソフィアを睨む。
あらぁ? とソフィアは惚けたように顔を背ける。
「私もできるだけ頑張ったんですよぉ? ただ、リースは張り切っていて耳を貸しませんでしたしぃ」
「全く。貴方にも再教育が必要でしょうか?」
再教育という言葉に、ソフィアの頬が引き攣る。笑顔で地獄のような鍛錬を強要してくる先生を思い出し、身震いが止まらない。
「嫌ですわぁ。先生の教育なんてもう二度と受けたくありません。ライナさんも知っているでしょうぉ? 先生の辞書に容赦なんてありませんわぁ」
「主のためなら鬼にも悪魔にもなるお方ですからね」
二人の脳裏に『うふふ』と優雅に微笑む銀髪のメイドが思い描かれる。主にとっては心優しき完璧なメイドであろうが、教育を受けたメイドたちにとっては恐怖の対象でしかない。
ライナは靴を履き、玄関扉を開ける。
「ノア様のことはお任せします。ただ、今回の件で上がどのように判断するかは分かりません。それに、ノア様の専属メイドになろうと動いている者もいます」
「そうですわねぇ」
きゃわわと横ピースする金髪メイドをソフィアは思い出す。
「そのうち招集が掛かると思いますので、ある程度の処罰は覚悟しておいて下さい」
「怖いですわぁ」
とても怖がっていそうには思えない声音に、ライナは呆れたような目を向ける。
「後、いい加減ソフィアさんも
若い世代でもっとも優秀であったリース・セシル。今回、失態を演じてしまったがメイドとしての能力は一級品だ。今回の件を経て成長すればノアに相応しいメイドとなることだろう。
しかし、そのリースに勝るとも劣らないのがソフィアだ。階級こそ家政部門第二位・
ただ、本人にやる気が乏しく、階級を上げることに熱意がないのがネックであった。
当然、階級を上げろと言われたソフィアは嫌そうに顔を歪める。
「嫌ですわぁ。階級を上げたら面倒事が増えるだけですものぉ。今ぐらいが、私には丁度良いのですわぁ」
「わかりました。ソフィアさん自身の問題ですから、これ以上口には致しません」
そうして、ライナが去ると扉が音を立てて閉まる。
玄関に残されたソフィアは、ライナに言われたことと現状を頭に思い描き、深いため息を吐く。
「……これから、面倒なことになりそうですわねぇ」
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