第17話 「ちょぉっと、リースのお世話は行き過ぎていますわねぇ」
エントランスの受付で、ソフィアがティータイムを楽しんでいる時であった。
ノアがいない間に買い出しに行くのであろう。
リースが受付を横切ろうとする際、ソフィアは声を掛ける。
彼女は「なんですか?」と返すと、冷たい表情でソフィアに近付く。ノアに向ける慈母のような笑顔など欠片もなく、その表情は『忙しいから早く用件を済ませろ』と語っている。
本当に、ノア君以外には愛想がありませんわねぇ。
ノアに対する愛想を一割でも他人にも向ければ、人間関係ももう少し良好になるはずだ。
愛想に関しても問題ですが、もっと大きな問題が別にありますものねぇ。
階級はリースが上だが、MSCの勤続年数はソフィアのほうが長い。先輩として、なによりノアのためにも忠告しておかなければならないことがあった。
こういった役割は苦手なんですけどねぇ。恨みますわぁ、先生。
この地にソフィアを配属した先生に恨み言を零しながら、リースに自身の考えを伝える。
「少々、ノアに対するお世話が過剰ではないですかぁ?」
「過剰? どこがですが?」
問われ、訝しむように目が細くなる。
その反応は、本当になにも理解していないようで、自覚のなさにソフィアは辟易する。
「全部ですわぁ。朝から晩まで付きっ切りでお世話する必要はありません。時には敢えてお一人にすることも大事です。お世話される側も疲れてしまいますわぁ」
「なにを言い出すかと思えば、そのようなことですか」
くだらないとばかりに、リースは背を向ける。
「ご主人様は、どれだけ忠誠を尽くしても足りない御方です。常に御傍に仕え、どのようなご要望にもお応えするのが、メイドとしての務めでしょう。本来であれば、学校にも付いて行きたいのです。お世話し過ぎではありません。まだ、足りないのです」
そう断言して、リースは去って行ってしまう。
彼女の発した言葉に迷いはなく、事実そう信じているのだろう。
周囲の意見を取り入れず、頑なな姿にソフィアはため息を吐く。
主に忠義を尽くすメイド……。見るだけならばとても綺麗な関係なのでしょうけど。
ソフィアの忠告を受け入れないリースに、どうしたものかとソフィアは悩む。
――
それから数日。休日にリースが買い出しに出たタイミングでソフィアは動いた。
この時間は、唯一リースがノアから離れる瞬間であった。ノアと一対一で話すにはこの時しかない。
ノアに声を掛け、リビングの椅子に座ってもらう。紅茶を淹れ、話す準備は万全である。
狂華には事情を説明し席を外してもらっていた。彼女もリースの件について思うところがあったのだろう。特に追及することはなく、納得してくれている。
自身の楽しみ優先という印象でしたけどぉ、意外と周りのことを良く見ていますわよねぇ。
特にノアに対しては気を使っているように見られる。ノアをおもちゃにしている時もあるが、本当に嫌がることはしない。狂華なりにノアを大事にしているのは見て取れた。
現状でこそ日雇い
「お話って、どうかしたんですか?」
カップを手に持ったノアが質問してくる。
顔色自体はお世話の甲斐が合ってか悪くない。ただ、その表情はどこか疲れたような印象を受ける。
リースが帰って来るまでそこまで時間はありませんわぁ。直球勝負と行きましょうぉ。
余程ノアと離れるのが嫌なのだろう。リースの買い出しは無駄がなく、早い。だからといって、手を抜いているかというとそうではなく、いつだってリースの買ってきた食材は味、質ともに良好だ。優秀な能力を遺憾なく発揮している。
通常であれば良いことなのだろうが、時間が欲しい今は恨めしい。ソフィアは時間を気にしつつ話を切り出す。
「リースの件ですわぁ」
「…………リースが、なに?」
リースの名を聞いた瞬間、ノアの表情が固まる。
先程まで疲れた印象だった表情は、誰が見ても疲労を感じさせるものへと変化した。その態度が、ソフィアの懸念が当たっていると語っているようなものであった。
ソフィアはなるだけ語調を柔らかくし、諭すように話す。
「先日の件もあって、最近のリースは少々ノア君のお世話に力が入り過ぎていますわぁ。本来、
「まあ、そうかも……」
ノアは紅茶を飲み、視線をカップに落としたまま上げない。
ノアとしても、ソフィアの言っていることに覚えがあるのだろう。反論はない。
ならばと、ソフィアは続ける。
「私から注意を促したところで、リースは耳を傾けませんわぁ。狂華から言ったところで同じでしょう。ですがぁ、ノア君からであれば別です。ノア君からの言葉であれば、リースは絶対に受け入れますわぁ」
リースが暴走してしまっている一因には、ノアが咎めないというのもあった。
リースの忠誠心は本物だ。それこそ、ノアから死ねと命じられれば喜んで短剣を心臓に刺すという時代錯誤なまでの忠誠心だ。故に、ノアに命じられればどんなことでも言うことを聞く。
しかし、そのノアが止めないが故に、リースは行動を改めることはない。
リースの主として、ノアの口から『やり過ぎだ』と止めて欲しかったが、ノアの悩むようにカップを回している。
「それは、そうだけど……。リースが僕のためにやってくれているのも分かるんだよねぇ」
この流れはよくない。
ノアは年長者であるリースやソフィアと話す時、敬語で話そうとしている。けれど、感情が昂った時や本音を語る時などは言葉を飾る余裕がなくなる。
これからノアが語ることは本心であろう。ただ、出だしがリースを庇う言葉なのにソフィアは嫌な予感を覚えた。
ノアがなにかを口にする前に、ソフィアは慌てて差し込む。
「リースがノア君のためを思っているのは理解できますわぁ。けれど、それを無理して受け入れる必要はありませんの。嫌ならば嫌と口にしても、誰も咎めませんわぁ」
むしろ、諸手を上げて賛同する。
どうだ、とノアの顔を見ると、困ったように苦笑していた。その表情でなんとなく察してしまう。これはダメだな、と。
ソフィアの予想通り、ノアは首を横に振る。
「リースのお世話はなんというか……熱が入り過ぎて疲れてしまうのは確かだよ。うん、愚痴をこぼしちゃう程度には、気疲れしてる。けど、僕のためを思ってやってくれているのは分かるから、それを止めろとは言えないんだよねー。……というか、ちょっとでも拒絶した瞬間、この世の終わりみたいに絶望してなにも言えなくなる」
「あぁ、もう言った後なのですねぇ」
ソフィアが呆れたように息を吐く。その時のリースの反応が容易に想像できたからだ。
ノアがリースに強く出られるない理由もなんとなく理解する。
優しいというのもあるが、ノアは気を許した相手であれば、自身の意見をちゃんと口にできる。ソフィアに対して『サボるな』というのはその典型であろう。言われたところでサボるが。
けれど、リースには受け身になることが多い。それは、まだ距離感を掴めていない他人であるからだ。どのように接していいか分かっていないのだ。
リースの対応が悪意を持っていたらのなら、ノアとて拒絶できたであろう。けれど、リースの行動は全て善意であり、悪意の一欠けらすらありはしない。
好意的に接してくる相手を拒絶するというのは難しい。特にリースは少し拒絶しただけでこの世の終わりみたいに絶望したというのだ。言い出しにくくなるのも仕方あるまい。
もどかしいですわぁ。互いに相手を気遣っているというに、噛み合わない。
ズレたまま無理矢理回り続けている歯車。動作にこそ支障はないが、その代償は着実に蓄積されていく。そして、いずれ訪れるのは破綻だ。
ソフィアの懸念はノアも理解しているのだろう。深くため息を付いている。
「我慢……お世話されているのにこの表現はどうかと思うけど、もう少し様子を見るよ。どうしようもなくなったら……うん、まあ…………頑張る」
恐らく、リースの反応を想像したのだろう。ノアはとても嫌そうな表情を浮かべた。
そんなノアの姿を見て、ソフィアは頬杖を付く。
メイドを叱ることのできない未熟なご主人様に、傍に仕えお世話することこそ至上として主の気持ちに気が付かない技能だけは優秀な未熟なメイド。
主がメイドを叱りつけることができれば、もしくは、メイドが主の気持ちを察することができれば、こんなことにはなっていない。
よちよち歩きのヒヨコ主従。本当の主従になれるかどうか、今が
「では、頑張って下さいねぇ」
そう言って、呑気な様子で紅茶を飲むソフィアを、ノアは恨めしそうに睨む。
「他人事過ぎない?」
「他人事ですものぉ」
「メイドじゃないの?」
「求められていないのに、手を出すのは越権行為ですわぁ。それこそ、失礼というものではありません?」
「む」
現状を鑑みての言葉に、ノアが黙る。
少々意地の悪い返しだが、心配を掛けているのだからこの程度は許容してほしい。
とはいえ、フォローも忘れない。口元にいやらしい笑みを浮かべ、豊満な胸を強調するように寄せる。
「もちろん、ノア君が求めるというのであればぁ、どのようなご奉仕もさせて頂きますわぁ。ねぇ? ご主人様ぁ?」
「~~っ!? いらないよっ!」
真っ赤になって逃げるように自室へと駆け込むノアを見て、ソフィアはおかしそうにクスクス笑う。
抱きしめたりしてもノアは照れもせず受け入れるのだが、直接的な言動は苦手なようで直ぐに顔を赤らめる。そうした反応を見たくて、ソフィアはついついからかってしまう。
一頻り笑った後、カップを片付ける。
ノア君もあのように言っておりますし、しばらくは様子を見ましょうかぁ。
しかし、その判断を直ぐに後悔する。
ノアが倒れてしまったからだ。
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