第16話 「ご主人様」「ご主人様!」「ご主人様……?」「ご主人様っ!?」「ご主人……様」「ご主じn…………

「ご主人様おはようございます」「ご主人様、朝食のご用意が整いました」「ご主人様、登校には私もお供致します」「ご主人様、お迎えに上がりました」「ご主人様、お風呂が沸いております」「ご主人様、お背中を流させて頂きます」「ご主人様、お手洗いでしょうか?」「ご主人様、夕飯のご準備が出来ております」「ご主人様、歯磨きの時間でございます」「ご主人様、お着替えを手伝わせて頂きます」「お休みなさいませ、ご主人様。このリース、ご主人様がお眠りになられるまで御傍に居させて頂きます」


 ご主人様ご主人様ご主人様…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。

 忠犬のようにご主人様と鳴き続ける声がノアの脳内でガンガンと響き続ける。放課後、疲れた様子で机に倒れ込むノアに、狂華が優しく頭を撫でる。


「大分お疲れのようだね。大丈夫かい?」

「うん……まあ、なにもしてないと言えばしてないから」

「していない……というよりも、させてもらえないと言ったほうが適切だろうね。あれは」

「うぅ」


 ノアが呻き声を上げる。泣きそうである。

 愛の夜這い事件から泊まり込みでのお世話を許可したノアであったが、早々に後悔していた。ご主人様を御守りするためという大義名分の元、リースの構い方は更に過激になったからだ。

 元々、過保護すぎるきらいはあったが、今ではどこに行くにも付いて回る。それこそ、お手洗いで少々席を離れる程度でも「ご一緒致します」と扉の前まで付いてくるのだ。落ち着かないことこの上ない。むしろ、落ち着けと言いたい。

 ただ、それがリースなりにノアを思っての行動だということは理解している。故に、強く拒絶することもできず、お世話されるがままに日々が過ぎて行った。


「知っているかい? 君、学校の呼び名が『お坊ちゃま』になっているらしいよ。あんな美人メイドに送り迎えをしてもらっているんだ。妬み嫉みもあるのだろうが、なかなか的を得たあだ名だと思わないかい?」

「……思わないぃ」


 そのあだ名が広まると同時に、学年問わずノアに告白してくる者が増えた。面白半分の者もいるが、積極的な者も多い。

 大抵は傍に居た狂華が散らす。

 リースだけでも厄介だというのに、流行りに乗れとばかりに告白してくるのは勘弁願いたい。


「告白については、それこそ『お坊ちゃま』だからだろうね。可愛らしい容姿をしていて元々評判は良かったところにメイドが付くようなお金持ちと分かったんだ」

「お金持ちじゃないぃ」

「その否定には、少し自覚を持てと言っておこう。ともあれ、可愛らしい美少年に財産が付いてくるんだ。女性が積極的になるぐらいには魅力的な条件ということさ」

「そんな魅力いやぁ。結局お金じゃーん」

「お金もまたステータスだよ」


 結婚相談所ではないのだから、そんなものをステータスと呼ぶ青春恋愛は嫌だった。

 なにより恐ろしいのはノアと狂華が付き合っていると思っていながら告白してくる女性たちである。


「『セフレでもいいから付き合って!』って告白された時は、日本語かどうか疑った」

「あぁ、あれは傑作だったね。君の身体と財産にしか興味がないと言い切ったものだからね。あの潔さはさしもの私も感心したものさ」

「感心しないでぇ。だいたい、事実はともかく、狂華と付き合ってると思っていながら告白してくるってなんなの? 『私と浮気をして』なんてもう告白じゃないよ。酷白こくはくだよ」

「酷い告白だね」

「よくわかったね」


 発音はなにも変わらないというのに、恐ろしい察し能力である。


「まあまあ。それもまた青春だとも」

「汚い青春だぁ」

「それでも、男よりはマシだろう?」

「……あれは、本当に泣くかと思った」


 というよりも、ノアは泣いた。

 クール系のイケメンが顔を赤らめながら「付き合って下さい!」と右手を付き出してきた時には脳の処理が停止した。ナニヲイッテイルンダコイツハ。

 離れた場所で呼吸困難になるほど、お腹を抱えて狂華が笑っているのがとても印象的であった。あまりにも酷い仕打ちであったため、缶コーヒーを奢ってもらった。甘い。


「くくくっ。いやぁ、あれはノアが男に生まれたのが残念に思うほどの名場面であったね。いや? 性別を超えた恋愛だからこそ燃えるというのもあるのかな?」

「あってったまるか! ……うぅ、ここのところ本当に辛い」


 学校に行っても家に居ても休まる時がない。

 泣きべそをかくノアの背に回り、狂華がノアの髪を手で梳く。


「まあまあ、あまり思い詰めるものではないよ。今は全てから解放された放課後を楽しもうじゃないか」

「うっ、うっ。この瞬間だけが安らぎだよ」

「そうだろう? ……ほら、私に身を任せて」

「狂華ぁ……」


 ノアを抱きすくめるように、狂華が両腕をするりと回す。

 安息に一時。狂華の言葉が嬉しかったノアはそのまま狂華に身を任せる。

 頬が触れ合うほどに近いが故に、ノアからは狂華の顔は見えない。その表情が、どこか悦んでいることに気が付かない。


 振られて傷心しているところを絆すようなものがあるね。これはこれで愉快だ。


 そのことを自覚しつつも慰めているのだから、悪い女である。

 とはいえ、ノアを落とそうとしているかというとそれだけではなく、狂華なりにちょっとは心配していた。


 学内の問題もだが、なによりリースか。


 優秀なだけに指摘する隙を与えず質が悪い。

 リースについては様子を見つつ、ノアの負担を減らすため、学内の問題を解決するために動くことに決める。


 愉しいことは大好きだがね、ノアが辛そうにしているのを見続けるのはとてもだ。二度とこのようなことができないよう、徹底的に潰してやろう。


 狂華が冷酷な笑みを浮かべる。どのように叩き潰そうか、愉悦によって口角が上がる。

 その表情を見た残っていた生徒が青褪めるほどに、恐ろしいものがあった。


「? どうかした?」

「……いいや。ノアには先に帰ってもらおうと思ってね。少しやることがある。それに、お迎えが来たようだ」


 狂華の視線が窓へと向かう。ノアも釣られて視線を向ければ、校門付近に銀髪のメイドが背筋を伸ばし立っているのが見えた。

 ノアは疲れたようにため息を付きつつも、学生鞄を持つ。もう少し癒しの放課後を楽しみたかったが、待たせるのも悪いと良心が働いたのだ。


「ん……じゃあ、帰るよ」

「ああ……」


 とぼとぼと帰っていくノアの背を見て、たまらず声を掛ける。


「ノア」

「……なに?」


 振り返るノアに向けて、狂華は慈愛のこもった笑顔を向ける。


「無理はするものではないよ。時には厳しい言葉も必要だ。それが優しさになることもある」

「……なにそれ。うん、けど、ありがとう」


 狂華の言うことがおかしかったのか、軽く笑って帰って行く。

 ノアを見送った狂華は、窓から校門で待機するメイドに目を向ける。


 ノアと仲が良いからね。今は見逃すが、早々に気が付かねば――私が君を排除するよ?

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