第15話 「休みなく働かせるって、メイドというより奴隷では? ドス黒いブラックなのでは?」


「住み込み?」

「はい」


 朝食を食べ終え、コーヒーを淹れてくれたリースがノアに提案する。

 テーブルにはソフィア、狂華もおり、ノアたちの話に耳を傾けていた。

 ノアに愛を語り、夜這いを掛けてきた深海愛ふかみまなのこともあり、あまり寝付けずにいた。普段以上に寝惚けた頭で、リースの話を聞いている。


「昨夜のこともあります。夜とはいえご主人様をお一人にするわけには参りません。常にご主人様を御護りできるよう、傍に侍らせて頂けませんか?」

「一緒に居たいだけだろう?」

「当然でございます。メイドとは、ご主人様に付き従う者であれば。傍に居たいと願うのは、メイドとして自明の理でございます」


 狂華の揶揄にも動じず返す。

 いかがでしょうかとノアに向ける顔には、期待が込められていた。

 ノアとしては、これ以上プライベートな時間がなくなるのは困る。夜寝た時から朝起きるまでの寝ている時間とはいえ、一人きりの時間は残しておきたい。


 ――愛しておりますわ……主様


 ただ、その瞬間思い出されるのはまなの狂気的な笑顔だ。肉食動物に食べられる獲物の感覚が呼び起こされ、背筋に冷たい物が流れる。


 あの時、リースが来なければ僕は……。


 先の展開を予想し、血の気が引く。

 そうした理由から安易に拒否できないノアであったが、ふと気になることがありリースに問う。


「そういえば、リースはどうしてあの時来れたの? 深夜だったし、普段なら帰っていない?」


 疑問にも思っていなかったが、通常の業務内容であればリースは帰っている時間であった。

 居てもおかしくはないが、気にはなる。

 リースを見上げると、言いづらそうに口籠っている。珍しい光景だ。


「んと、言いづらいなら話さなくてもいいけど」

「いえ……ご主人様に隠し事などございません。少々、不穏な噂話を耳にしていたため、昨夜は客間をお借りしておりました。ご主人様の許可も取らず、勝手なことをしてしまい申し訳ございません」


 深く頭を下げ、リースは謝罪する。

 勝手というが、それもノアの身を護るためであり、実際に危ない状況だったのだから怒る理由にはならない。なにより、時折メイドたちは客間に泊ることがあった。許しを得なかったとはいえ、今更と言えば今更だ。

 ただ、生真面目なリースは気にしているようだ。落ち込んだように顔を伏せるリースにノアは微笑む。


「僕が不安がらないように気を使ってくれたんでしょう? 謝る必要はないし、気にする必要もないよ。むしろ、来てくれてありがとう、リース」

「ご主人様……」


 感極まったようにリースは瞳を潤ませる。

 反応が大げさ過ぎるが、水を差すのも悪いと思い内に留めた。

 これまで紅茶を飲んで静かにしていたソフィアが声を掛けてくる。


「それで、泊り込みについてはどうするのですかぁ?」

「ああ……」


 問われ、一瞬悩むも、ノアは一つ頷く。


「リースたちが問題ないのであれば、お願いします。ただ、休みなく働いてくれているのに、泊ってまでお世話してもらうのも気が引けるけど……」


 そもそも、ノアは彼女たちがどういった契約でお世話してくれているのか知らない。土日関係なく働いてくれているが、規律的にも肉体的にも問題ないのかと思ってしまう。しかも、狂華は日雇い雑役婦チャーウーマン、つまりアルバイトである。

 ノアのプライベートよりも、重要な課題であろう。

 ひとりごとのように小さな声であった呟きを、リースは大仰に否定する。


「お休みなど……! 私共メイドはご主人様に仕えることこそが喜びでございます。奉仕している時こそが至福なのです。ご主人様の気遣いはとても嬉しく思いますが、どうか私共のことはお気になさらず、ご命令下さいませ」

「それもどうかと……」


 前時代的というか、行き過ぎた使用人根性というか、下手をすれば奴隷とすら受け取られかねない。

 尽くしてくれるのは嬉しく思うが、リースのお世話は行き過ぎている。時に重いとすら感じるほどに。まなのように狂気染みていないが、それはベクトルの違いでしかなく、ノアに対する重さはどっこいどっこいではなかろうか。

 とはいえ、これは全てリースが意見である。彼女が良かろうとも、残り二人が了承するとは限らない。


 というか、了承してほしくないんだけど。


 むしろ、労働規則の改善すら進言して欲しい。ノアが雇っているわけではないが、仕事とはホワイトであるべきだ。

 少しばかりの期待を込めつつ、ノアは二人に伺ってみることにした。


「狂華とソフィアはどう? 泊り込みとか辛くない?」


 ていうか、現状の休みなし辛くない?


 始めに答えたのは狂華だ。彼女は愉快そうに笑い、疲れとは縁がなさそうなほど元気だ。


「私は構わないとも。むしろ、ノアと一緒に夜まで居られるというのは愉快そうだ。今度は休みの日にでも、徹夜でゲームをしようじゃないか」

「狂華……」

「おっと。怖いね。この話はいずれ、お局さんがいない時にでもしようか」


 狂華の発言を聞いたリースが目を細める。その瞳には冷たい怒気が宿っている。

 身体の芯から凍り付いてしまうような圧であるが、狂華はけらけらと笑うだけで気にも留めない。精神が強過ぎる。

 このまま放置すれば胃の痛くなる舌戦が勃発してしまう。精神がごりごりと鉄鑢てつやすりで削られるがごとく。

 今にも吹雪そうな気配を背後から感じたノアは、慌ててソフィアへと話題を振る。


「そ、それでソフィアは? やっぱり、泊り込みには反対?」

「そう、ですわねぇ……」


 ソフィアには珍しく言い淀む。

 そもそも、受付の時ですらサボる姿が見られるのだ。朝から夜までどころか、丸一日仕事をするなど断ると思っていた。考えることすらノアにとっては意外である。

 ソフィアが伺うように見つめてくる。

 その瞳には、普段のようにからかう色はなく、どこか心配しているようにも受け取れる。


「ノア君……無理はしていませんかぁ?」

「? 無理なんてしてないけど」

「そう……ですかぁ」


 ソフィアの言葉に首を傾げる。

 ノアからすれば逆である。ソフィアたちが無理をしていないかという話であり、ノアはお世話される側なのだ。無理もなにも、日常生活でやらなければならないことは極端に減っている。

 どういう意味だろうと考えていると、ソフィアが瞼を閉じる。


「私も大丈夫ですわぁ。むしろ、出勤時間がなくなるのですから、こっちからお願いしたいぐらいですわぁ。朝、起こして下さいねぇ、ノア君」

「それは主従逆転では……いや、いいですけど」

「宜しくありません」


 了承したノアの後に、ピシャリとリースが否定する。

 話は終わったとソフィアは膝に乗せていた本を開く。その表情に先程までの憂慮したものはなく、いつもの太々しいソフィアである。

 ノアはそのことに安心を覚えたが、リースは目尻を吊り上げる。


「ソフィア。ご主人様の前で失礼です。直ぐに本を閉じて下さい」

「この程度構わないではありません? ねえ、ノア君?」

「いいけど」

「駄目です、ご主人様。ここで甘やかすとつけあがります。ここは厳しく、罰を下すのもご主人様としての務めでございます」

「あらぁ? ノア君が罰を与えるのかしらぁ? 一体どのような目にあってしまうのかしらぁ? メイドへのお仕置きですからぁ、やっぱりエッチなことでしょうかぁ? うふふ。ノア君はお姉さんにどんなことしたいのかしらぁ?」


 厚く艶めかしく、紅茶で濡れた唇をソフィアはつうっとなぞる。

 意識せず心臓が跳ねる。ふいっと視線を逸らすと、ソフィアはまた嬉しそうに笑う。

 そして、猛吹雪の気配を感じて更に心臓が跳ねた。ばっくばくである。


「ソフィア……。ご主人様に色目を使うなど、良い度胸ですね?」

「あ、あらぁ? ちょっとしたお茶目じゃありませんのぉ? そのように余裕がないとノア君に嫌われしまいますわよぉ?」


 ぷつん、となにかのきれるおとがした。

 やっちまったとソフィアの頬が引き攣る。逆鱗に触れてしまったことに気が付いたのだ。

 助けてという救援の眼差しに、ノアは首を横に振って立ち上がる。増援はなし。貴官の健闘を祈る。

 そそくさと、後から付いてきた狂華と共に寝室へと逃げ込む。

 怒鳴り声こそ聞こえないが、現在リビングは北極にも勝るとも劣らない劣悪な環境となっているだろう。

 両手を合わせてソフィアの冥福を祈る。


「これから愉快になりそうだね」

「……この状況で良くそんなこと言えるよね」


 愉快そうに笑う狂華に、ノアはちょっと呆れた。

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