第14話 「主様……わたくしとの初めての逢瀬を、どうかお楽しみ下さいませ」


「深海……愛、さん?」

「ああ、貴方様にお呼び頂けるなんて、光栄の至りで達してしまいそうですわ」


 頬を赤らめ、恍惚とした表情の愛。

 その姿は艶やかであり、男ならば生唾を飲み込む光景であろうが、深夜に寝込みを襲われている状況では恐怖しか感じない。

 引き攣る頬。しかし、ノアの心境などお構いなしに愛は状況を進ませる。


「うふふふふ。それでは、主様、わたくしと生涯の契りを交わしましょう?」

「へ? いや、なにを……なななななんで脱ぐのっ!?」

「契りを交わすためですわ」


 ゴシックロリータのドレスに似たメイド服を躊躇なく脱いでいく。羞恥心などなく、あっさりと纏っていたメイド服をベッド脇に放り捨てると、黒い上下の下着姿を暗闇に晒す。

 見てしまっているノアの方が、羞恥心で顔を赤くなる。そんな反応すらも、愛にとっては劣情を催す刺激にしかならない。


「はあ……。主様がわたくしの身体を見て興奮して下さるだなんて……主様もわたくしを求めて下さっているのですね」

「求めてない! 恥ずかしいだけ! 美少女の脱衣シーンなんて見たら恥ずかしいに決まってるよ!」

「美少女だなんんて、照れてしまいますわ」

「話を聞いて!?」


 都合の良い部分しか聞き取らず、嬉しそうに身体をくねらせる愛に恐れを抱く。

 夜、半裸の女性がベッドの上で押し倒してくる。どう考えても彼女の目的は夜這いであり、ノアの貞操を狙ったものであった。

 自身にそのような魅力があるのかはこの際置いておく。逃げ出さなければ、辿り着く道は唯一つしかないのだから。

 ノアとて思春期の高校生だ。そういった行為に興味がないわけではない。ただし、それは好きな女の子が出来て、自然な流れで至る行為であり、こんな襲われて奪われてよいものではない。

 目尻に涙を浮かべ、ノアは泣き叫ぶ。


「やーっ!? 初めては好きな人とって決めてるの! わけわかんない形で初めてを奪われるなんて絶対にヤダ!」

「ええ。当然でございましょう。わたくしも、惚れた殿方としかこのようなこと致しません。両想いの男女だからこその秘め事です。良き初めてに致しましょう? ご主人様?」

「誰が両想いだー!」


 淀んだ瞳を向け、愛は顔を近付けてくる。

 ことここに至っては男も女もないと、恥じも外聞もかなぐり捨ててノアは力任せに愛を落とそうとした。しかし、暴れる両腕をあっさりと掴まれ、取り押さえられてしまう。無駄な肉のない細腕でだというのに、振り払うこともできない。ノアの腕力がないにしても、愛の力は異常だ。

 じたばたとしても、ほとんど効果は得られなかった。


「初めてが怖いというのは理解できます。ただ、ご安心して下さいませ。主様の傷とならないよう、優しくしてあげますわ」


 ノアの抵抗を、初めてが怖いという意味で受け取る愛。どれだけの都合の良い脳内変換をされているのか、考えるのも恐ろしい。


 なんで、メイドと名乗る人達はこうも無駄にスペックが高いの?


 お世話してくれるだけならともかく、そうした優秀さをこうした犯罪にまで利用しないで欲しい。

 ノアは内心で文句を言う。

 嫣然とした笑みを浮かべた愛の指先が、ノアの頬を伝う。獲物を喰らおうとする蛇の舌に舐められたかのようで、背筋がぞっとする。


「愛しておりますわ……主様」

「あ、あ……」


 瞳を細め迫る濡れた唇。

 艶めかしく、妖しい魅力。しかし、ノアには涎を垂らした肉食獣にしか見えない。

 ノアの唇に重なろうとした時、ノアは精一杯助けてを求めて叫んだ。


「リースっ!!!!」


 呼応するように、扉が勢い良く開け放たれると、黒い影が疾駆する。

 息遣いすら感じられるほど迫っていた愛へと、月光を反射し光るなにかが走った。

 軽やかにベッドから降りた愛は、突然の侵入者を警戒するように目を細める。

 ノアを守るよう、愛に立ちはだかった人物。エプロンドレスを身に纏う、ノアと同じ銀の髪を煌めかせる女性の出現にノアは泣いた。


「リースぅうううううっ!?」

「ご主人様、ご無事ですかっ!?」


 なによりも真っ先にノアの身を案じてくれるリース。心配そうな表情を浮かべている。

 自身を護ってくれるリースの存在に安心したノアは、だーっと勢い良く涙を流しリースにしがみつく。


「こわっ、怖かったぁっ!? あと、あとちょっとで僕は……っ!」

「……申し訳ありません。恐ろしい目に合わせてしまいました。この責はいかようにも。ただし――」


 メイド服をぎゅっと力の限り握るノアの手に重なるように手を添えると、優しく引き剥がす。

 ノアを安心させようと優しい笑みを浮かべたのも一瞬、ノアへと背を向けた時には冷たい瞳を湛え、あるじを襲った不届き者を睨み付ける。


「――ご主人様を恐ろしい目に合わせた罪人を処罰してからです」


 ~~


 意匠の凝らされた短剣を突き付けられた愛だが、そんなものは恐れるものでもないというように笑う。


「うふふ。まあ、恐ろしいですわ。そのような野蛮な物を突き付けて。わたくし、身体が震えてきてしまいます」

「黙りなさい、変質者。言い残すことはそれだけですか?」

「いえいえ。せっかくの主様との逢瀬でしたが、お邪魔虫が現れては興も冷めるというもの。本日のところはお暇させて頂きますわ」

「それを私が許すとでもお思いですか?」

「許しますとも」


 逃がす気はないと暗に告げているのに、愛は堂々と言い放つ。


「だって、この場でわたくしと貴方が争っては主様に危険が及ぶかもしれませんでしょう? それは、わたくしとしても、貴方としても許されざることではなくって?」

「……」

「無言は肯定と受け取りますわ」


 短剣を向けつつも襲ってこないリース。自身の言葉が真実であると確信した愛は、脱ぎ捨てたメイド服に袖を通すと、ノアに対して優雅に一礼をする。


「本日は邪魔が入ってしましましたので、今宵の続きはまたいずれ。本日はおいとまさせて頂きますわ」


 その気品のある姿はどこかの令嬢のようであり、先程まで見せていた狂気は鳴りを潜めている。

 今日の続きなどノアにとってはたまったものではない。庇い立つリースの背に隠れるノア。

 小動物のような愛しい人の姿に、愛の笑みが深くなる。

 愛がリースの横を通り過ぎる時、あるじを護るメイドがノアに聞こえないよう呟く。


「このような行為が許されると思わないことです」

「うふふ。愛は障害が多ければ多いほど、燃えるものですわ」


 後ろ髪を引かれることもなく、あれだけの執着をみせたノアの前からすんなりと消えていった。

 パタリと、扉が閉まった後もリースは警戒を怠らない。けれども、緊張の糸が切れたノアは、脱力してリースの背に抱き着いてしまう。

 その行動に、さしものリースも驚く。


「ご主人様……?」

「うぅ、なにあれ。ちょーこわいんだけど」

「……ふふ。大丈夫ですよ。このリースが付いておりいます。二度と、あのような不埒者を近付かせは致しません」


 なかなか心から甘えてはくれないあるじが、素直に甘えてくれることがリースは嬉しかった。とはいえ、主を危険に晒したが故の結果だ。その考え自体が不敬である。リースは自身を戒める。

 それよりも、ノアが無意識に口にした軽い口調のほうが気になる。


 ご主人様を狙う不敬者共は本当に悪影響ばかりを与える。同じ空気すら吸っていて欲しくありません。


 リースの頭の中で「超絶可愛いクロエちゃんに影響を受けちゃうのは、世界の常識だからしょうがないですよ~」とほざくクロエが過ったのを、無理矢理追い払う。

 主に抱きしめられ、動くこともままならない。


 困りました。どういたしましょうか。


 その表情には小さな笑みが零れており、とても困ったようには見えない。

 主の温かな体温を感じていると、鼻をすすりながらノアが掠れた声で質問してきた。


「……うぅ。リース…………」

「いかが致しましたか?」

「その短剣なに?」

「…………………………………………………………護身用でございます」


 使い慣れた動作でそそくさと短剣を鞘に納める。嘘ではない。主を今日のような暴漢から護るための武器である。ただ、短剣を抜くということは主に危険が迫った時である。得意げに見せるものではなく、日常的に目につくのもよくない。そのため、普段は太腿に巻いたベルトに納めて取り出すことはない。


「メイドとは、主の傍で奉仕する者であり、もっとも近くにいる者です。故にこそ、真っ先に主を護れるよう、護身術も身に付けているのです」


 とはいえ、メイドの本分は家事全般である。一部の者を除いて護身術など身に付けていない。

 ノアは「そっかー」と口にしてこの件について追及することはなかった。あまり血生臭いことを主に語りたくなかったリースとは、内心ほっとする。

 変わりに、ノアはお礼を口にする。


「ありがとう、リース。助けてくれて」

「っ……いえ。ご主人様を御守りするのは、メイドとして当然の務めでございます」


 主の素直なお礼に歓喜で身体が震える。

 謙虚なことを口にしても、リースは嬉しさを隠しきることはできず、頬が赤くなっているのを自覚し俯くのであった。


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