第23話 『つまらないわ……。メイド、辞めようかしら』

 MSC本部である屋敷にある一室。

 カーテンは閉め切られ、昼間だというのに夜が如く暗闇に支配された室内。ゼンマイ仕掛けの振り子時計の音だけがチクタクとなり続ける。

 くしゃくしゃに皺の寄ったベッドの上で、メイド服のまま腕で目元を隠すリースが横たわっている。

 誰もいない室内で、一人呟く。その声には後悔と、なにより悔しさが込められていた。


「……なにをしているのでしょうか、私は」


 望み続け、ついに手に入れたモノを自身のせいで手放す。なんと、愚かなことであろうか。

 最愛の主人から離され、いつからこうしていたのか。涙は枯れ落ち、腫れた目元だけが彼女が泣いたことが現実であったと示していた。

 部屋に閉じこもり、リースが思うのは自責であり、過去の幸福な時間であった。そしてそれは、リースが仕えるべき主を定めた時にまで遡る。


 ==


 今より六年前。

 高校卒業後、リースは母親が勤めているMSCに就職していた。別段、母の仕事に憧れたというわけではない。特になりたい職業があったわけではなく、大学に入学したところでなにかが変わると思えず、先人の後を追ったに過ぎない。

 しかし、どのようなことであれ、少し触れれば簡単にこなせてしまうリースは、メイドという職に遣り甲斐を見いだせずにいた。


『……辞めようかしら、メイド』


 与えられた仕事をこなすだけの日々。同じ時期に入社した同期が四苦八苦している中、淡々と仕事をこなすリースは、単調な日々に退屈を覚えていた。

 そんな時であった。メイド長である沢桔梗・A・アグネスに数日間息子の面倒を見てくれないかと頼まれたのは。


 どうして私なのかしら?


 頼まれた理由が分からず、疑問符を浮かべる。

 当時、メイドの中でもっとも下位に当たる雑役女中メイド・オブ・オールワークスであったリース。それも入社したばかりの新人メイドだ。

 いくら出来が良かろうと、MSCには優秀なメイドが他にも数多く在籍している。MSC社長とメイド長の大事なご子息だ。数日間とはいえ、入社したての新人メイドに任せていい仕事ではなかった。

 加えて、アグネスから指示があった。


 ――色々と無茶をする子ですが、どうしようもなくなるまで手を出さないで下さいますようお願い致します。


 分不相応な仕事に、不可思議な指示。

 とはいえ、たかが数日のことだ。未だ育児部門の教育を受けていないとはいえ、ある程度の知識は持っている。どうとでもなるだろうとリースは考えた。



 MSC本部屋敷の一室に通され、面倒を見るべきご子息との顔合わせを行う。

 アグネスに連れられて来たのは、メイド長を幼くしたらこうなるのではないかと思わせるような、愛らしい子供であった。

 少女と見紛う可憐な容姿。くりくりの大きな銀の瞳に、銀食器のように美しく輝く銀髪。

 さして美醜を気に留めないリースですら、目を奪われてしまうような愛らしさがあった。

 小さき子はアグネスの背に隠れ、こっそりとリースを伺う。小動物を想起させるいじらしい仕草だ。


『あなたが、お世話してくれるお姉さん?』

『はい。リース・セシルと申します。本日より数日間、御身のお世話をさせて頂きます。宜しくお願い致します』


 カーテシーをし、メイドとして礼節を尽くす。しかし、なにがいけなかったのか慌てたようにアグネスの背に再び隠れてしまった。

 ちらりと、銀の瞳がリースを捕える。どこか怖がっているような態度に、リースは人見知りなのかと判断したが、苦笑したアグネスによってその考えたは否定された。


『少し、杓子定規過ぎますね。本来であればその礼の尽くし方は正しいですが、子供相手にそのような堅苦しい挨拶は不要でしょう。なにより、表情をぴくりとも動かさないのは、相手に怖い印象を与えてしまいます。まして、子供からすれば自身よりも大きな人です。親しみやすさとは大事なものですよ?』


 アグネスが指で自身の頬をくいっと上げ、笑顔を作る。

 そこで初めてリースは、自身が笑みすら浮かべていないことに気が付いた。メイドは笑顔を振りまく仕事ではない。能面であろうとも仕事さえこなせばそれで良い。

 しかし、怯えた様子で顔を覗かせる子をこれ以上怖がらせてはいけないと、リースは彼の前で膝を付いた。

 腰を屈め、視線の高さを合わせる。そして、笑顔を浮かべて、改めて挨拶を試みる。


『リース・セシルと申します。貴方様のお名前を、お伺いしても宜しいでしょうか?』

『……沢桔梗・アリス・ノア、です。これから、宜しくお願いします』

『ノア様……素敵なお名前ですね』


 意識して優しく告げると、緊張で強張っていた頬が緩まり、木漏れ日のように暖かな笑顔を浮かべてくれた。

 慈しむべき笑みに、リースは作った笑顔ではなく、自然と頬を緩めた。 



 ノアとリースの初めての出会い。邂逅。二人の始まりであった。


 ――


『はぁ……はぁ…………』

『…………』


 庭園の周りを走っているノアを、リースは屋敷の入り口にある段差に腰掛け見守っていた。

 身体が弱く、運動には向かない。やり過ぎれば倒れることもある。止めるべきなのだろうが、アグネスから手を出さないようにと釘を刺されている。

 のろのろと、リースの目の前までゆっくりと足を進めたノアがばたりと倒れた。


『そうなるわよね』

『きゅ~……』


 目を回して倒れてしまったノアを、リースは抱えて屋敷に運び込む。


 ――


『あまり無茶をなさらないで下さい』

『……ごめんなさい』


 ベッドの上で顔を半分隠し、ノアは謝る。

 けれど、リースのお世話が終わるその日まで、毎日走っては倒れることを繰り返すのであった。



 お世話をしていると、ノアはリースのやることになんでも興味を示した。

 じっと作業中のリースを見つめ続けるノア。


『紅茶を淹れてるの?』

『はい。直ぐにお出ししますので、少々お待ち下さいませ』

『……僕にも教えてくれる?』


 なにを、とは問わない。もちろん、紅茶の淹れ方だ。

 大人のすることを真似したくなる年頃なのだろう。しかし、リースとしては困ってしまう。


『これは私の仕事なのですが……』

『だめ?』


 潤む瞳で首を傾げられ、うっと言葉が詰まる。愛らしい仕草にずるいと思ってしまう。


 天性の人たらしかもしれないわね。将来は、老若男女問わずさぞおモテになるでしょうね。


 幼子の将来に一抹の不安を覚えながらも、リースはノアと一緒に紅茶を淹れることにした。


 私が見ていれば問題もないでしょう。


 リースは腰を屈め、笑顔を浮かべる。ノアと過ごすようになってから、彼女が意識して行っている行動の一つだ。


『かしこまりました。それでは、美味しい紅茶の淹れ方をレクチャーしましょう』

『ありがとう』


 嬉しそうに笑うノア。それが見れただけで、リースは断らずによかったと安堵するのであった。


 紅茶以外にも、ノアはリースに付いて回り、色々なことに興味を示した。

 ただ、時折顔色が悪くなるのを見ては気が気ではなくなる。毎日、医者女医ドクターメイドのライナに診せているが、だからといって気掛かりがなくなるわけではない。

 ある意味でメイドとしてお世話のし甲斐があるお方だ。なにより、何事においても一生懸命であり、楽しそうにしているノアの面倒を見るのがリースは嫌いではなかった。


 楽しいと思い始めていたからだろうか。時の流れは早く、いつの間にか別れの日を迎えていた。

 今日も今日とて、庭園を走り続けるノア。結局、どれだけ注意をしても改めてくれることはなかった。

 いつものように屋敷の入り口前で見守っていたリースであったが、ノアが前を通る際、ここ数日で初めて声を掛けた。


『どうして、そこまで無理をしてまで頑張るのですか?』

『っ? 無理なんてぇ……してないけどぉ…………』

『……倒れるまで頑張るのを、無理しているというのです。ご自覚下さいませ』


 ため息を吐く。これが無理でなければ、どうすれば彼にとっては無理であり無茶なのか。訊くのも恐ろしい。

 呆れるリースをノアは不思議そうに見ていた。


『……走ってるのは、体力を付けたいから。直ぐ、熱を出して倒れちゃうと、お母様にも迷惑を掛けちゃうし』


 それで倒れては本末転倒でしょうに。


 子供の考え方は突拍子もないなと思いつつも、母親を心配させまいと努力していることには好感が持てた。


『それに、お父様から言われてるから。"好きなことをしろ"って』

『好きなこと、ですか?』


 こくりと頷く。

 その言葉に、リースは少しばかり心臓がドキリと跳ねた。まるで自身に向けられたかのように感じたからだ。


『けど、そんなこと言われても分からない……』

『そうでしょうね』


 高校を卒業し、社会に出たリースにすら分からないのだ。

 今年でようやく十歳になったノアにただ"好きなことをしろ"と言ってなにをしろというのか。それこそ、遊び惚けるのが関の山だ。それは享楽に耽っているだけで、父親の言う好きなことは意味が異なるであろう。


 このような幼子に難しい課題を出す。


 サッカー選手やアイドルなど、最初から夢を持っているならそれを目指せばいい。けれど、夢がない者にとって好きなことをしろというのは、なによりも難題だ。なにせ、取り組むべきことがないのだから。

 哀れむリースであったが、ノアは顔を上げてまた歩を進める。その顔に憂いはない。


『だから、体力を付けて、色んなことに挑戦して、好きなことを見つけたいなって』

『好きなことを見つけるために頑張るのですか?』

『うん』


 これまで思いもしなかった考え方に、リースは取り繕うこともできず、目を丸くする。


『お父様の言う好きなことは、まだ分からないけど、見つけられたらいいなって、思うから』

『……そうですか。それは、素晴らしいお考えですね』

『ありがとう……』


 リースに褒められて、ノアは照れる。

 きっとノアにとっては当たり前のことなのだろう。自然に自身のすることを見つけて行動している。しかし、リースにとってはあまりにも衝撃的であった。


 好きなことを見つけるために頑張る、か。そうね。私はそんな風に頑張ったことはなかったわね。


 MSCに入社したのは母親が働いていたからという理由だけ。これまでもそうだ。なんでもできたが、言われたことをやっていただけで、自分でなにかを選んだことはない。

 それを漫然と受け止め、つまらないと日々を過ごしていた。

 好きなことのために努力できるのは、好きなことを見つけられた者の特権だとリースは思っていた。けれど、それは間違いであった。

 望むのであれば自身から探しに行かねばならなかったのだ。口を開けて餌を待つだけの雛鳥。巣穴という閉じこもった世界で好きなことなど見つけられるはずもなかった。


 今日も今日とて、倒れてしまった少年を背負い、リースは思うのだ。

 頑張ろう、と。胸を張って好きだと言えるようなモノを見つけるために。願わくばそれが――


 ==


 懐かしくも心温まる、始まりの日。

 ノアと出会った日から、ずっとリースはメイドを続けてきた。遣り甲斐こそ見つけられなかったが、誰よりも優秀なメイドであろうと、これまでのように漫然と過ごすのではなく努力を続けてきた。それもこれも、全ては胸を張って好きだと言える将来仕えるべき主のために……。


「……あの日から、少しは変わったつもりだったけれど、なにも」

「――なんの話?」


 傍から聞こえた、福音に似た声にぎょっとし、咄嗟に身体を起き上がらせる。

 隣を見れば、突然起き上がったリースに驚いている夢に見た少年が目を丸くしていた。


「ご、ご主人様っ!?」

「う、うん。ご主人様ですよ?」


 リースの愛すべきご主人様であるノアはオウムのように言葉を返し、一つ頷くのであった。

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