第9話 「ああ、慈母のようにお優しいご主人様。生涯お仕えさせて頂きます」


「全く。貴方たちはご主人様のメイドたる自覚をもう少し持って下さい」


 朝食の準備を進めるリースは、狂華とソフィアに苦言を呈する。

 ノアとしては、三人揃って慎みを持ってほしいと思わなくもないが、藪蛇になりかねないため口を噤んでいた。


「なに。あの程度別段構わないだろう」

「そうね。見られて困る身体はしていませんしぃ」

「そういう問題ではありません。……申し訳ございません、ご主人様。私から厳しく指導させて頂きますので、どうかご容赦を」

「気を付けてくれればね、いいからね、うん」


 反省の色が欠片も見られない二人に、リースの機嫌が一層悪くなる。とはいえ、ご主人様の手前、あまり叱り過ぎるのも空気を悪くする。ノアに謝罪することで収めることにした。……のだが、即座に収めたはずの怒りに燃料が投下される。リースの頬が引き攣った。


「狂華……。どうしてご主人様と同じ卓に着くのですか?」

「? ノアと朝食を食べるからだ」

「メイドがご主人様とご一緒に朝食を取るなど無礼です。加えて、ご主人様をファーストネームでお呼びするものではありません。ご主人様、もしくは沢桔梗様とお呼びしなさい」

「やれやら。君は少々型に嵌り過ぎではないかい? ノアが朝食を一緒に取るな、苗字で呼べと言うのであれば従うが……どうだろう?」


 問われたノアは必至に首を左右に振る。それはもう気持ちのこもった否定であった。


「一緒に食べよう、名前で呼んで。むしろそんな他人行儀なのは悲しい」

「だ、そうだが?」


 挑発的な狂華の態度に、リースの心が冷え切っていく。

 ただ、あるじであるノアの言葉を無碍にするわけにもいかない。狂華への教育は後回しにし、申し訳なさそうにノアに聞く。


「宜しいのですか? 我々メイドが食卓を共にするなど、恥ずべき行いです」

「いい、いいから。むしろ、リースもソフィアさんも一緒に食べよう。そのほうが気が楽ですよ」

「そういうことならぁ」


 言うが早いかソフィアが椅子に座る。瞬間、リースは鋭い視線をソフィアに向けるが、彼女は目を逸らす。


 ここで流されてしまうのは宜しくないのですが。


 メイド二人が主と同じテーブルに着いている。本来であれば罰則ものであるが、ノアが期待の眼差しで見上げてくる。


「ねえ? 一緒に食べよ?」

「……っ」


 その破壊力たるや。絶対零度のメイドなどと呼ばれるリースですら、抗うことはできようもない。

 頬を赤らめ、リースは俯く。


「…………かしこまりました。無礼を承知でご主人様と朝食を取らせて頂きます。ご主人様のご厚意に感謝致します」

「一緒にご飯を食べるだけなんだけどなー」


 なんでもないことであるのに大仰な態度を取られ、ノアは困ったように頬を掻く。

 しかし、リースにとっては御使いのお告げを受けたかのような気持ちであった。


 ああ、ご主人様はとてもお優しい。そのお気持ちに感謝をし、より一層身を粉にして尽くさねば。


 内心を笑顔で隠しつつも、リースは歓喜に打ち震えていた。この方こそ生涯仕えるべき主だと改めて誓う。

 本人は抑えているつもりなのだろうが、見るからに幸せそうなリースと、その態度に困った表情を浮かべるノア、二人の温度差を感じ取った狂華はソフィアに耳打ちをする。


「……なあ。明らかに歯車が噛み合っていないというか、リースの一人相撲のように見えるのは気のせいかい?」

「……察して下さいませ。ようやくノア君にお仕えすることができましたのよぉ。少々、やり過ぎたとしても目を瞑って差し上げましょうぉ?」

「……ほお。面白いことを言うね。彼女は以前からノアの――」

「私語は謹んでくださいませ。ご主人様のご厚意に甘え過ぎないよう、身を引き締めて下さい」


 リースから刃物染みた叱咤が飛び、二人は顔を見合わせて肩をすくめる。

 一方、やっと自身の要望が通ったことに、ノアは少しばかり嬉しくなっており、始めてリースたちと囲んだ朝食を存分に楽しんだ。


 ――


「買い物?」

「はい。少々、買い出しに行って参ります。ご主人様の傍から離れてしまうことは、大変心苦しいのですが、その間、なにかございましたらフロントにいるソフィアにお申し付けくださいませ」


 三時のティータイムを楽しんでいた時、甲斐甲斐しくノアのお世話をするリースが申し訳なさそうに告げてきた。

 普段であればノアが学校に行っている時間に既に買い物は済んでいた。消耗品などは毎日のように配達(メイドさんが運んでくる)されてくるのだが、食べ物に関してはリース自ら買い出しに出ていた。

 今のご時世、食品ですら配達で賄えるはずだ。ノアの傍から離れるのを嫌い、学校にすら付いていこうとするリースにしては珍しい。つい、余計なことと思いつつもノアは聞いてしまう。


「食べ物も配達じゃダメなんですか? いつも消耗品を届けてくれるメイドさんみたいに」

「可能でございます」


 リースはノアの言葉を肯定する。

 そうであれば、リースがわざわざ買い出しに出掛ける理由もないはずだ。ノアにとっては、一時的とはいえリースが離れることによって羽を伸ばせる。慣れてきているとはいえ、まだまだ窮屈な面もある。心尽くしの奉仕には感謝しているが、一人になりたい時もあるのだ。

 そのため、リースが一時とはいえ傍を離れることを止めはしないが、不思議には思ってしまう。

 ノアが首を傾げていると、リースが答えを口にした。


「ただ、ご主人様が口にする物でございます。私自らの目で一つ一つ吟味しなければなりません。誰かに任せるなどできようはずもなく、配達などもってのほかでございます」

「……そっかー」


 愛が重い。

 力説するリースに、ノアは何度目かの諦めの境地に至った。きっと、なにを言ったところでこのメイドは自身の行動を改めることはないからだ。


「本来であれば、私のいない間のお世話を他の者に任せるのですが、ソフィアはコンシェルジュの仕事もございますので、フロントで待機せざるおえません。狂華に至っては『今日は用事があるからね、メイド業務はお休みだ』などと仰り、顔を見せることすらありませんでした」


 ノアの御前であるためその口調は穏やかであるが、勝手気ままな狂華に苛立ちが募る。

 ただ、休みでなかったからといって、彼女一人にノアのお世話を任せたかというと、絶対にありえないとリースは断言する。


「一時的に他の者を派遣することも考えはしたのですが……」

「? どうかしたの?」

「いえ……」


 リースが口籠る。

 派遣するのであれば、リースが能力・性格共に信頼するメイドでなくてはいけない。だが、そこに横槍が入り、余計な者を呼び寄せる結果になりかねないと危惧していた。


 そもそも、ご主人様のメイドは私だけだったはず。狂華はともかく、ソフィアまでお仕えすることとなったのは、私からご主人様を奪おうとする勢力による攻撃が原因。ここで隙をみせようならば、ご主人様のメイドという立場を乗っ取られる可能性があります。特に、媚を売ることしか能のない売女に。


 脳裏に米国出身の金髪メイドが頭をよぎり、手に力が込もる。


 いえ、それだけではありません。たとえ、私が信頼する者をあてがったとしても、安全とは言えません。ご主人様はあまりにも魅力的に過ぎる。たとえ、私を裏切ろうともご主人様にお仕えしたいと願うのは自明の理でございましょう。


 リースは思考を巡らせ、一人確信する。ノアを誰かに任せるわけにはいかない、と。

 そよ風が吹いただけで嵐を心配するようなものであるが、リースは至って真剣であった。彼女にとって、ノアとはそれだけ魅力的であり、お世話し甲斐のある存在なのである。


 問題があるとすれば、魅力的に過ぎて、ご主人様という篝火に羽虫が集まってきてしまうことでしょう。とはいえ、それもご主人様が人を惹き付けてやまない優れた人物であればこそ。集った羽虫は私が業火の薪にすればよいのです。


 不思議そうな主に向けて、にこりと微笑む。


「なんでもございません。用件は直ぐに済ませて参りますので、少しばかりお待ち下さいませ」

「ん~」

「なにかございますか?」


 なにやら悩む仕草をするノア。

 リースに不手際があったのか。不安になり、リースの心に雲が掛かる。絶対零度のメイドと呼ばれたリースが、ノアの一挙手一投足によって心が乱される。

 激しくなる動悸を鉄の意思で押し隠し、ノアの言葉を待っていると、彼は椅子から立ち上がった。


「うん。僕も付いていきます」

「……ご主人様、も?」


 驚くリースに、ノアはなんでもないように頷いた。事実、ノアにとっては大したことはないのだが、リースにとっては大地を揺るがす大事件であった。

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