第8話 「ご主人様の周囲をうろつく盛った猫共を処分しなくては」

 あくる日の朝。

 リースはノアが眠る寝室の扉をノックすると、返事がないことを確認し入室する。


「失礼致します」


 カーテンは閉め切り、いつも通りの薄暗い部屋。

 主の眠るベッド脇へと進み、穏やかな眠っている愛らしい寝顔を確認し、くすりと笑みを零す。

 そうして、毎朝の楽しみの後、ノアを起こそうとしたところで傍と止まる。布団のふくらみがおかしかった。端的に言えば大き過ぎる。

 この段階で、穏やかだったリースの表情は、氷のように冷たくなっていった。

 主に申し訳ないと思いつつも、勢い良く掛け布団を引っぺがす。

 すると、中から出てきたのはリースの愛するご主人様であるノアと――昨日、リースにとって不本意ながら同僚となった黒百合狂華であった。

 二人は恋人のように寄り添い眠り、銀と黒の調和の取れた色合い故か、見目麗しさも合わさり美しい絵画のようであった。題名は『白銀と黒紫の天使』。

 しかし、リースにとっては許しがたき光景である。主の寝所を汚す不届き者を睨み付ける。


「……プラナリアにも劣る下等生物が、ご主人様と共に眠るなど許しがたき蛮行です。ここで始末するのが、せめてもの情けというものでしょう」

「朝一から、君はとても恐ろしいことを口にするね」


 いつから起きていたのか。狂華は伸びをして起き上がると、リースの言葉に返答した。

 起き上がった彼女の姿は、白いシャツに黒の下着のみ。上は付けていないのか、ボタンの空いた胸元から白いふくらみが覗いている。

 そんなふしだらな格好で主の隣で寝ていたということに、リースの心が一気に凍っていく。ついで、気になるのは彼女の着ているシャツだ。彼女自身の物にしては少々丈が短い。そして、体形的にノアと狂華は近しいのだ。男女の身体的特徴の差異である胸を除いて。

 半ば確信しながらも、リースは冷静に問う。


「貴方の着ているシャツは……」

「ああ、これかい?」


 ふ、と狂華が笑みを零す。


「ノアのだよ。男性のシャツを寝巻にするというのを一度やってみたくてね。少しだぶつくのが可愛らしいと聞いていたが、存外ピッタリで困ったよ。ああ、ただ持ち主の匂いがして安心するというのは理解できたかな。まあ、一緒に眠っていたから着ている物はあまり関係なさそうだけどね」

「それが末期まつごの言葉で宜しいでしょうか?」


 リースはとても怒っていた。彼女が銃を保持していたなら、即座に頭をぶち抜く程に。

 当然、こうなることを予期していた狂華は、リースが凍えるような怒気を発していたとて気にはしない。むしろ、その反応こそ待っていたかのように笑う。


「末期だなんて恐ろしいね。残念ながら私は死なないがね」

「安心して下さい。ご主人様に纏わり付く盛った猫の処理など、私にとっては簡単なことでございます」

「やれやれ。君はノア以外の者に対して、少々辛辣に過ぎないか? ノアに向ける優しさの十分の一程度でも周囲に向けてみてはどうかな?」

「お断り致します」


 取り付く島もない。

 リースは本気で狂華を排除しようと考えたが、狂華も相手の出方など予想済みだ。対処法とて考えている。

 リースが動き出す前に、狂華はそっとノアへと寄り添うと起こしに掛かる。

 その行動にリースの眉間に皺が寄る。


「狂華……っ」

「射殺さんばかりの目で睨まないでくれ。……ノア。朝だ。起きたまえ」

「ん……」


 普段ならこの程度では起きなかったであろう。ノアは寝起きが悪いのだ。

 ただ、起きる前から騒がしかった故か、寝惚け眼ながらも狂華の言葉に従い身体を起こす。目をこすり、ふわっと欠伸をする。

 彼はぽけぽけした頭で周囲を見ると、二人と目が合い朝の挨拶を口にする。


「おはよう……」

「おはよう、ノア」

「おはようございます、ご主人様」


 一瞬、直前までの殺伐とした空気が嘘のように弛緩したが、ノアが寄り添ってくる狂華の格好に気が付きぎょっと目を丸くする。


「な、ななな……! なんて格好をしているの!?」

「これかい? 君のシャツを借りたのさ。どうだい、似合うかい?」

「似合うもなにもない! は、早く着替えて!」

「ノアは大胆だね。仕方ない。君の要望なら従おう」


 そう口にすると、かろうじて留めてあったシャツのボタンすら外し、狂華は脱ごうとする。

 顔を真っ赤にしてノアが絶叫する。


「そうじゃないー! 自分の部屋で着替えてー! リース連れてって!」

「かしこまりました」


 狂華への怒りと、珍しくノアが命令してくれたことに高揚するリースは、狂華に有無を言わさず部屋の外へと連れ出す。

 掛け布団を被ったノアは「失礼致しました」というリースの言葉を聞き、ベッドへと倒れ込む。その頬は未だに赤く、白い肌や黒い下着が記憶に張り付き離れない。


「本当、こんなんで大丈夫なのかな……」


 これからのことを思い、ノアは熱のこもったため息を吐き出す。


 ――


 結論から述べると、リース・狂華・ソフィアの三名はノアのレンタルメイドとなった。

 ソフィアに関してはマンションコンシェルジュとの兼任だが、ノアのメイドも兼ねるという。

 それは二つの雇用主に雇われているのでは? というノアの疑問に、


「大丈夫ですわぁ。なにも問題ありません」


 と、緩く答えていた。なんの説明にもなっていない。

 また、なぜメイドが更に増えたのかと言えば、ノアの母・アグネスが追加で雇ったのこと。そうでなければ増える理由もないため、納得はできるのであるが、なぜアグネスが更なるメイドを派遣したのかは分からないままだ。

 ソフィアに事情を聞いていたリースは「あの恥知らずの米国の売女が……」となにやら恐ろしいことを呟いていたが。

 そうした騒動を乗り越えどうにか迎えた朝。起きる前から問題が起きていて、ノアの気持ちはややブルー。しかし、頬は未だに朱が抜けない。

 とりあえず顔を洗おうとパウダールームに向かうと、ちょっとばかし驚いた声に出迎えられた。


「あら」

「……? ソフィ、アッッッ!?」


 先に使っていたのだろうという認識で顔を上げれば、濡れた身体をバスタオルで拭うソフィアの姿が目に飛び込んできたのだ。

 濡れた金色の髪から水滴が滴り落ち、深い谷間へと吸い込まれる。

 肉感的な身体は水滴を纏ったことによって、より艶やかであり、暴力的なまでに性的だ。

 つまるところ、ソフィアはシャワーを浴びたばかりで裸であったのだ。


「~~~~っ!?」

「あらあらまあまあ! 大胆ですわねぇ、ノア君は。淑女のあられもない姿を覗くだなんて。うふふ。ああ、突撃してきたのだもの、覗くだと意味が違いますわねぇ?」


 ソフィアは恥ずかしがることもなく、身体にバスタオルを巻き隠す。

 とはいえ、豊満な肉体を隠しきれるものではなく、ふくよかな胸の谷間や臀部は見えてしまっている。

 ノアには刺激が強過ぎる光景に、今にも倒れてしまいそうであったが、騒ぎを聞きつけたリースがパウダールームに突入してくる。


「いかがしましたかご主人様! なにやら悲鳴、が…………」


 半裸の濡れたソフィアに、蹲って耳まで真っ赤にしているご主人様。

 異常な光景を目にしたリースは、一周回って満面の笑顔だ。その笑顔を受けて、ソフィアは冷や汗をたらり。

 いつも以上の怒りを感じて後退るも、リースが一歩近付いて距離が詰められる。


「ソフィア」

「な、なんでしょうかぁ、リース。私はただシャワーを浴びていただけすわよぉ?」

「ええ、そうでしょうとも。ただし、ここはご主人様のご自宅であり、なによりも優先されるのはご主人様です。我々メイドの身嗜みは、ご主人様が起きるよりもっと前に行われるべきだと思いませんか?」

「そうかもしれないですけどぉ。朝は得意じゃありませんの」

「そうですか。なら、私が毎朝寝坊しないよう起こして上げましょう。徹底的に。一秒のズレもなく」

「遠慮しますわぁ」

「問答無用です。なにより、これ以上ご主人様の前でそのような恥ずかし気もない恰好を晒さないで下さい!」

「別に裸ぐらい……ってリース! まだ身体を拭いてませんわぁ!? せめて、バスルームへ!」


 バスタオルを巻いたままの状態で、ソフィアはリースに腕を掴まれパウダールームを連れ出される。残されたノアはしゃがんで俯いたまま、ぼそりとぼやく。


「……恥ずかしくて死んじゃいそう」


 思春期真っ盛りの少年にとって、メイド三人との生活は刺激が強過ぎるようだ。

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