第7話 「愉快なことに首を突っ込みたくなるのは、人間の性分だろう?」

 リースがレンタルメイドとしてノアに仕えてから一週間以上の時が流れた。

 少しずつではあるが、ノアもお世話されることに慣れ始めだしている。バスルーム乱入は未だに慣れないが。

 朝食の片付けを終えたリースがノアに問う。


「本日は休日でございますが、ご予定はいかが致しますか?」

「とりあえず、学校の宿題を終わらせようかな、と」

「それが宜しいかと。ご迷惑でなければ勉強をお教えすることもできますが、いかが致しましょう?」

「……頭も良いんだ」

「メイドたるもの、ご主人様のあらゆるご要望にお応えするため、様々な技能を習得する必要がございます」

「メイドさんすごー」


 リースのメイド像と、僕のメイド像には大きな溝があるなぁ。普通、メイドって給仕とかするだけじゃないの?


 食後のティータイムを楽しみながら、呑気にそんなことを考えていると呼び鈴が鳴る。

 直接玄関に訪れた来訪者。ソフィアからの事前連絡は一切ない。


「ソフィアさん、席を外してるのかな?」

「ソフィア……後で教育が必要ですね」

「ん? なにか言った?」

「いえ。お客様は私がご対応致しますので、ご主人様はそのままティータイムをお楽しみ下さいませ」


 小さくなにかを呟き、一瞬不穏な空気をリースが孕んだ気がしたが、ノアに向けた表情は普段通りにこやかなものだ。

 気のせいかな? と気になりつつも、足音を立てずにリビングから離れるリースを見送る。

 紅茶を飲みつつリースの帰りを待つが、しばらく経つも戻ってくることはない。なにやら、玄関から会話が漏れ聞こえる。内容まで聞き取れないが、リースが揉めているのかもしれない。


「勧誘? このマンションに住んでから、そんなこと一度もなかったんだけど」


 なにより、リースがその程度のことで時間を使うとはノアには思えなかった。

 紅茶も飲み干し、待っているだけ時間の無駄だと考えたノアは、確認しに行くことにした。

 玄関に通じる廊下に足を踏み入れると、リースの背中が目に入る。

 玄関の扉は開けっ放しとなっており、誰かと話しているようだ。ただし、リースの声音はこれまで一度も聞いたことがないほどに冷たい。一瞬、ノアが別人だと判断してしまうほどに。

 リースに隠れて見えないが、別の女性の声も聞こえる。ただ、こちらは聞き慣れた、低音が良く似合う女性の声。


 あれ? もしかして……。


 足音で気が付いたのか。ノアが来てしまったのを察したリースが、身体を振り向かせると謝罪をする。


「申し訳ありません。自身をご主人様のメイドと名乗る不審な輩でしたので追い返そうとしたのですが、諦めが悪く……。ただちにお帰り願いますので、ご心配にならずお戻り下さいませ」

「それ、よく口にできましたね?」


 リースも僕のメイドを名乗る不審な輩だったよ?


 鋭利なブーメランを投げるなぁとノアが呆れつつも感心していると、リースの背からひょっこりと顔を出す女性。声から想像していた通りの人物であったが、見慣れぬ格好にびっくりする。


「なにやってるの? 狂華」

「やあ。昨日ぶりだね。それともこう名乗ったほうがいいのかな? メイドサーヴァント階級番外・日雇い雑役婦チャーウーマンの黒百合狂華とね」


 黒と灰色のメイド服を纏った狂華が、気軽に手を振る。


 ――


「助かったよ。そちらのメイドさんが中々通してくれないものでね、立ち往生していたのさ」


 リビングの椅子に座った狂華は、気にした素振りもなく先の騒動を笑い飛ばす。

 紅茶の準備を進めるリースは、ノアの前で振りまく笑顔を消し去り、人形にように表情が消えていた。


 笑顔を浮かべるのが仕事じゃないんだろうけど、なにか凄く怖い。


 普段が優しい雰囲気なだけに、現状との差が激しくより一層ノアは恐怖を感じる。

 ノア、狂華の順でリースは紅茶を振舞っていく。


「申し訳ございません。まさか、ご主人様のご学友だとは思いもせず、失礼な態度を取ってしまいました」

「はっはっは。気にしていないとも。例え、私がノアの友人だと名乗っていても、ねえ?」

「寛大なお心に感謝の念が堪えません」


 なんか寒いんだけど。局地的に冬でも到来したのかな? もう春なんだけどなー。


 互いに両者を立て、笑顔で和解したように見えるのだが、笑顔の仮面の裏で激しく火花を散らしているように見えるのは、ノアの勘違いなのか。


 うぅ、この空気は精神衛生上良くない。早く話題を変えよう。


「それで、なんでメイド服なんて着てるの?」

「これかい? 良く似合うだろう?」


 ノアが見やすいように狂華は立ち上がると、スカートを摘まみひらひらと揺らす。

 普通のメイド服とは違い、白色ではなく黒と灰色の二色の布で構成されたメイド服。元々、狂華の私服は黒をメインとすることが多く、彼女のイメージとマッチしていて良く似合う。

 両腕や絶対領域に垣間見える白い肌が際立ち、艶やかさまである。


「うん、良く似合ってるよ」

「そうか。君に褒めてもらうのは、とても嬉しいね」


 照れることもなく、素直にノアの賛辞を受け止め笑顔になる。

 ただ、背後から一瞬妙な寒気を感じ、ノアは暖かい紅茶を一気に飲み込んだ。


「メイド服については先程名乗った通り、私がMSCの日雇い雑役婦チャーウーマンとして雇われたから着ているのさ。そして、レンタルメイドとして君に派遣された一人。そこのリースと同じだね」

「……掻き回すなって釘を刺しておいたのに」

「仲間外れだなんて寂しいじゃないか」


 嘘付き。愉快なことに首を突っ込みたかったって、はっきり顔に書いてあるじゃないかー。


 ニヤニヤと笑みを浮かべる狂華に、むすっと唇をへの字に曲げてテーブルに顎を乗せる。


「そもそもチャーウーマンってなに? 家政婦ハウスキーパーじゃないの?」

日雇い雑役婦チャーウーマンとは、MSCにおける役職であり階級になります。日雇い雑役婦と呼び、つまるところアルバイトでございます。正規雇用ではないため、階級は番外となりますが、将来MSCにメイドとして勤めたい者が雇われることの多い役職となります」


 控えていたリースが説明をする。


「アルバイト……というか、メイドに階級なんてあるんだ」

「メイド……つまり使用人には様々な役職があります。特にメイド文化の起源とされているヴィクトリア朝時代には両手では数えきれないほどの役職がございました。ただ、機械技術の発展に伴い廃れてしまった役職も多く、MSCではそうした役職を独自の階級システムの名称として扱っているのです。基本的には役職が示す通りの仕事をこなしますので、あまりお気になさらずとも宜しいかと」

「そうなんですね。けど、階級にする意味ってあるんですか?」

「目に見える目標を持たせ、向上心を高めるためでございます。日本で言うところの漢字検定のようなものだと思って頂ければわかりやすいかと思います。あちらも階級式でございましょう?」

「確かに」


 納得するノアに、含みを持たせた笑みを張り付ける狂華。余計なことを口にするなと、狂華に向けるリースの目が鋭くなる。

 実は階級にはリースがあえて語らなかったもう一つの理由が存在する。ただ、それはノアには関わりのないことであり、伝える必要もない。


「社会に出れば、能力や性格ではなく卒業した学校や資格で人物評価をされるのは当然だろうに。そこまで気にする必要はないだろう? 君は少々過保護に過ぎる」

「黙りなさい」


 主の前だというのに、つい冷えた声が出てしまう。

 驚いたのであろう。ノアは怯えを宿した瞳でリースを見つめる。


 ご主人様を怯えさせるなど、メイド失格です。


 だが、それでもリースには了承しかねることがある。


「そもそも、ご主人様の面倒を見るのは私一人であったはず。ご主人様のご学友なのでしょうが、雇われたばかりの日雇い雑役婦チャーウーマンがご主人様の専属になれるはずがありません」


 ありえないのだ。他のメイドが派遣されることそのものが。

 ノアの専属メイドを決める際、多くのメイドが手を上げた。階級の低いメイドから、それこそリースと同じメイド階級のトップ家政婦ハウスキーパーに至るまで。苛烈な競争の中でリースは名誉あるノアの専属を勝ち取ったのである。

 それを雇われたばかりの日雇い雑役婦チャーウーマンが横槍を入れるなどありえない。納得できるものではなかった。

 ノアには見られぬよう、敵意に満ちた眼光を向けるが、狂華は平然とその視線を受け止めて、リースにとって予想外の言葉を発した。


「そうだね。通常ならありえないのだろうけど、たまたま私の面接に立ち合わせた社長夫人が推薦してくれてね、ノアのメイドとなることになったのさ」

「っ! それは……」

「なんなら、直接確認を取ってみたらどうだい?」


 挑発的な狂華の言葉に、リースが唇を噛む。

 社長夫人の鶴の一声。それはノアの専属メイドを決めるということにおいて、社長の奥方という意味以上に大きな力があった。

 頭上で交わされる意味の分からない応酬に、ノアは疑問の声を上げる。


「どういう意味? たまたま狂華が社長の奥さんに気に入られたというだけでしょう?」

「そう、ですが……」

「?」


 不思議そうにするノアに、リースはどう語ったものか言葉が詰まる。

 そんな中、リースの聖域を引っ掻き回した狂華が面白そうに状況を眺めているのを見て、リースは心が冷めていくのを感じた。ただし、感情が消えたわけではない。逆だ。波紋一つない水面のように静かでありながら、冷たい怒りによって急激に熱が冷めっていっているのだ。


「ん? どうかしたのかい? 続けてもらっていいんだよ?」

「…………礼儀のなっていない新人メイドです。少々、教育が必要なようですね」

「ふふふ、これは怖い。お局様に目を付けられてしまったかな?」

「まずは先輩に対する言葉遣いから正していきましょう」

「あのー、二人とも?」


 竜虎相搏りゅうこあいうつ。

 なぜか初対面だというのに、剣呑な空気を醸し出すリースと狂華。もとより怪しかった空気はとうとうちょっとした火種で爆発してしまいそうなほどに危険な濃度が増している。


 一体僕はどこで間違えたのかな? 凄く泣きたい。


 ノアは内心涙を流しながらも、どうにか二人を止めようと立ち上がろうとした。しかし、ノアが行動を起こす前に、予期せぬ第三者が現れ、二人の争いを止める。


「はぁい。そこまでぇ。二人とも落ち着いてくださいねぇ?」

「ソフィアさん……っ!」


 ノア歓喜。竜虎の激突を止めたのは、マンションコンシェルジュであるソフィア・ドリトルであった。

 そもそも狂華の来訪をどうして事前に知らせなかったのとか、無断で部屋に入って来るのはどうなんだと言いたいことは数あれど、ノアとっては女神の宣託を受けて現れた救世主に他ならない。


「ソフィア。邪魔をしないで下さい」

「そうもいきませんわぁ。なにより、あまり問題を起こすとノアの担当から外されてしまいますわよぉ?」

「っ……それは」


 ソフィアの言葉にリースは口を噤んだ。

 二人のやり取りを聞いていたノアは、その会話に気安さを感じる。なにより、リースがソフィアの名を知っており、ソフィアもなにやら内部事情を知っているかのような口ぶり。

 もしかしてと思いソフィアに目を向けると、彼女はいつも通りの緩い口調で告げてきた。


「マンションコンシェルジュ改めメイドサーヴァント家政部門階級第二位・蒸留室女中スティルルームメイド、ソフィア・ドリトルですわぁ。これからも、宜しくお願い致しますわねぇ? ご主人様ぁ」

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