第6話 「バスルームに衣服を纏わないのは当然でございます」
お腹を満たしたノアは、シャワーを浴びていた。
熱い湯に打たれ、心地良さで今日の疲れが抜けていくようである。
「料理はおいしかったけど、なー」
朝から夜まで炊事・洗濯・掃除となんでも完璧にこなしてみせるリース。料理は絶品であったし、ノアのいない間に洗濯や掃除をしてくれるのは非常に助かっている。
けれど、出会った日を合わせてもまだ二日目。精神的な緊張は未だに拭えない。
「お母様に言えば、辞めさせることもできるだろうけど……」
ノアに甘い母のことだ。ノアのためと強硬した口振りであったが、本当にノアが嫌がれば無理強いはしない。一言告げれば『では、辞めさせましょう』と簡単に告げるに決まっている。
「ただ、その場合第二、第三のリースが……」
根本的な問題はノアの生活習慣がだらしないからメイドを派遣されたのである。そこを解決しなければ同じことの繰り返し。意味がない。
ならば、生活習慣を見直そうと行動を起こそうとしても、リースの奉仕っぷりは半端ではない。『ご主人様はなにもせずともよいのです。全て私にお任せ下さい』となにもさせはしまい。
このまま彼女の奉仕を受け続けた場合、ダメ人間が一人出来上がる可能性がある。初日でこれだ。日々メイドにお世話をされている人間は一体どうなってしまっているのか、考えるのも恐ろしい。
なにより、リースに悪いよね。
仕事と割り切っているかはノアには分からないが、ここまでお世話をしてくれているリースを解雇するというのも後味が悪い。
結局、至った答えは保留であり、ノアが慣れていくしかないのだ。
「今日はお風呂出たら寝よう。朝は走り込みもできなかったし、明日は早く起きな――」
『ご主人様、失礼致します』
「――はい?」
扉の外から声を掛けられ、ノアが止める間もなく扉が開かれる。
柔らかそうなボディスポンジを持った、一糸纏わぬ美しい裸体を晒したリースが現れたのである。
彼女は自身の裸を見られても、素っ裸のノアを目にしても恥じらうことなく、小さく会釈をする。
「お背中を流しに参りました。どうぞ、椅子に腰掛けて下さいませ」
「……………………? ――――――――――――――――ッ!!?? ――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!??」
絶叫。言葉にもならない悲鳴を上げて、ノアは目を白黒させた。
裸!? なんで!? なんで入って来れるの!? 海外の方はそこまでオープンなの!? ここは日本よ鎖国中ですがっ!?
恥ずかし気もなく晒されたリースの裸が、ノアの脳を汚染する。
陶器のように白く、シミ一つない肌。足は爪先から太腿まで細く、扱いを間違えれば折れてしまいそうな印象を受ける。きゅっと引き締まったくびれ。お腹周りは贅肉という言葉から掛け離れ、無駄など一切なく絞られている。
そこから視線を上げれば、服の上から見ていた以上に豊な胸である。ソフィアほど巨乳というわけではないが、手には収まりきらないほどに大きく、ふよりと揺れる胸にノアは言葉を失う。
ツンと、桜色に色付く小ぶりな先端が目に入った瞬間、ノアの頭はオーバーヒートした。
湯船に浸かる前に身体を洗うとか言っていられない。
大きなしぶきを上げて、ノアは浴槽に飛び込んだ。
お湯の温度が高いせいか、羞恥心のせいか。耳まで真っ赤にしたノアが湯舟に隠れるように沈んでいく。
ぶくぶくと
ノアの行動に少しばかり目を見開いたリースはなにかを納得したように頷いた。
「なるほど」
ノアの恥ずかしさが伝わったのであろうか。
出て行ってくれるのかとノアが安心したのも束の間、リースがはっきりと告げる。
「そこまで恥ずかしいというのであれば、腰にタオルを巻けば宜しいでしょう。少々お待ち下さい。お持ち致します」
そんなわけあるか天然メイドがーっ! そもそも裸で入って来るなっていうんだよー! なによりまず自分の身体にタオルを巻いてっ!!
激しくズレたド天然メイドに向けて、ノアは心の内で叫んだ。
~~
「ご主人様。痒いところはありませんか?」
「…………(放心して言葉も出ない)」
「痛いところがございましたら仰って下さい」
最初こそ激しく抵抗をして見せたが、湯舟と羞恥の熱にやられ、肉体的にも精神的にも上せたノアは、思考能力が低下し言われるがままに洗われている。腰に巻かれたタオルは最後の抵抗であり、リースの優しさである。ただし、リースはタオルを巻かず、裸のまま。
正面の鏡に反射した白い肌がちらちらとノアの視界に映る。
ゴシゴシ、と。身体を洗うスポンジの感触が心地良い。指先まで丁寧に、余すところなく洗われていく。時折掠める、スポンジともまた違う柔らかな感触に、ノアは羞恥心を通り越して心を閉ざした。あまりに負荷が強過ぎた。
「それでは、シャワーで流させて頂きます」
「…………(ぽかーん)」
この後、バスルームから出たノアは、身体の汚れと共にこの時の記憶も綺麗に流され落ちていった。ただし、翌日、今日と同じように羞恥心を忘れ去ったメイドがバスルームに強襲し、全てを思い出して女の子のようなか弱い悲鳴を上げることとなる。
――
「――……はっ!? ほほはほほ? あじゃばばばばばばばっ!?(はっ!? ここはどこ? あばばばばばばばばっ!?)」
「喋ると飲み込んでしまうので、静かにお願い致します」
気が付くと、ノアは寝室の床に転がされ、頭の天辺をリースのお腹に付ける形で膝枕をされていた。そして、口の中に歯ブラシを突っ込まれ、シャカシャカシャカと歯の一本一本を丁寧に磨かれていた。
なにこれどういう状況!? なんでリースに歯磨きされてるの!? というか、僕はお風呂に入って……うっ、頭が。
喋ることもできず、頭を固定されて歯を磨かれる。
自分で磨くよりも丁寧なのでは? と思わせる仕事ぶり。それでいて手際が良いのだから、歯磨きは文句の付けようがない。この状況には文句を付けたいが。
ノアの口内を覗いて歯を磨くため、リースの整った顔が近い。
金色の瞳に見つめられていると、ノアは気恥ずかしさが湧いてきて視線を外してしまう。
子供扱い……。死にたい…………。
どうしてこんな状況になったかわからないけど、意識があったら絶対拒否したのに。
数十分前、リースの裸を見て驚き過ぎて拒否することもできなかったお子様がそんなことを思っていると、どうやら歯磨きは終わったらしい。
「はい。口をゆすいできて下さい」
「ふぁい」
瞬時に起き上がり、ノアはパウダールームに逃げ込む。
ぐちゅぐちゅぺっ! と、うがいを繰り返す。
「はあ……終わった」
ぐったりと、肩を落として脱力したノアは、もう眠ってしまおうと幽鬼のような足取りで寝室へと歩いていく。
寝室の扉を開けて、部屋に入ったノアは半分閉じた眼でベッドを見つけ出し倒れ込む。
「なんか、妙に疲れた……………………ふに?」
頭に当たる柔らかい触感に疑問符を浮かべる。
「……こんな気持ち良い枕なんてあったっけ?」
「お褒め頂き光栄でございます」
つい先程まで頭に敷いていたものと同じ感触にノアが疑問を感じていると、嬉しさをにじませた声が降り注ぐ。
気が付いた時にはベッドの上で再びリースに膝枕をされており、見上げた彼女の手にはふさふさの付いた小さな匙のようななにかが握られていた。
「お次は耳かきでございます」
「もう……好きにして」
ノアは諦めの境地に達し、ダメ人間製造メイドに身も心も任せきった。
――
夜も遅く、そろそろ就寝の時間である。
レンタルメイドとして派遣されているリースは、通いという契約だ。そのため、そろそろ帰らなければならないはずなのだが、彼女はノアをベッドに寝かせ付けると、ベッドの脇の椅子に座り、文庫本を開いていた。
「帰らなくていいの?」
「ご主人様がお眠りになられましたら、帰宅させて頂きます」
「その本は?」
「寝物語に童話の朗読はいかがでございますか?」
「好きにしてー」
「はい。好きにさせて頂きます」
全てを受け止める境地に至ったノアは、抗うことを止めていた。
優し気な瞳でノアを見つめるリースは、文庫本に目を落とすと静かな声音で物語を語り出す。
「むかしむかしアリスというおんなのこがいてね、とってもへんてこなゆめをみたんだ――」
心地良い声が鼓膜を優しく揺らし、ゆっくり、ゆっくりとノアを夢の世界へと誘っていく。
うつらうつらと船を漕ぎ、リースの声が聞こえなくなった頃には、微かな寝息のみが室内に残る音となった。
穏やかに眠るノアを目にしたリースは、音を立てないようゆっくりと本を閉じ立ち上がる。
「おやすみなさいませ、ご主人様。良い夢をお楽しみ下さいませ」
――
「おはようございます、ご主人様。本日も良い天気でございますね」
「……おはよう、ございましゅ」
ぽけぽけと、寝惚け眼で見つめるのは窓から注ぐ陽光で照らされたリースである。
起床早々眩しい笑顔に出迎えられるも、頭は起きず掛け布団を抱えてこてんっと大きなぬいぐるみのように倒れ込む。
再び落ちかける意識の中、一瞬浮かんだのは『このメイド、本当に帰っているの?』という疑問であった。
いずれ、サンタの正体を暴こうと眠らない子供のように、確かめようとノアは心に誓う。正体を見破られてお別れということもあるまいし。
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