29章 前座の公演

959話 反省

 魔物との共存を主張する領地の情報が入ってきた。

 キアラではなく、キアラの部下からの報告だ。

 キアラは忙しいようだな。


 民衆レベルでは、自分たちが楽になると思い込んでいるらしい。

 下手に手をだしても厄介だ。

 干渉が解けるまで放置しよう。

 

 ラヴェンナは平和だが、外は大変だな。

 そういえば……モルガンは、珍しく私用で席を外している。

 執務室はなんとなく緩い空気が漂っていた。

 たまにはいいだろう。

 常に緊張していたら、皆の寿命が縮む。


 そう思っていると、キアラが書状を持ってきた。

 微妙な顔をしているな。


「お兄さま。

宰相からサモリの件での釈明が届きましたわ。

もしかしたら……。

シャロン卿から、追い込みがかかったのかもしれませんわ」

 

 有り得るな。

 モデストが陛下に報告して、陛下から追及された……と考えるべきだろう。

 陛下としては宰相を切り捨てるための手続きにすぎない。

 状況が悪化すれば……だが。


「マンリオ殿が嗅ぎつけたのなら、シャロン卿の知るところとなるでしょう。

つまり陛下にも伝わっている。

はてさて……どのような釈明なのか……」


 キアラから書状を受け取って一読する。

 思ったより状況は複雑だな……。

 ミルに書状を手渡す。

 ミルは読み進めるほど不機嫌になる。


「ええと……。

サモリに監視をつけているが、怪しい動きは見せていない。

万病に効く薬が完成したとも聞いていないって……。

じゃあマンリオの噂は、ただの噂ってこと?

怪しいわね……。

こんなことでアルの心配事を増やさないでほしいわ」


 俺のことを考えて腹が立ったらしい。

 有り難い話だよ。

 キアラが、皮肉な笑みを浮かべる。


「ただの言い逃れかもしれませんわ」


 言い逃れか……便利な武器だ。


「まだなんとも言えませんね。

これだけでは情報が足りませんから。

シャロン卿が裏を取るために動いていると思います。

それを待ちましょうか」


「お兄さまは慎重ですわね」


 便利な武器の弊害について注意喚起しておくか。


「そうですかね。

『言い逃れ』という言葉がでるとき、大抵は自分の想定と違った答えだったときですよ。

想定に十分な根拠があればいいのですが……。

大抵は第一印象や自分にとって都合のよいものにすぎません」


 キアラが目に見えて肩を落とす。

 キアラにとって、俺から注意されるのは痛恨事なのだ。


「ぅぅ……まだまだ、お兄さま学の頂が見えませんわ」


 ミルが不思議そうに首をかしげる。


「言い逃れってよく聞くけど……。

よくない言葉なの?」


 それもまたズレている。

 これは丁寧に説明する必要があるな。


「善悪ではなく便利で強いカードだからです。

なにも知らない人が、アイツは言い逃れをしていると聞いたら?

どのような印象を持つか明白でしょう」


 ミルは驚いた顔をする。

 すぐに真顔になって首をかしげた。


「言われてみればそうね……。

ええと……私は使っていない……と思う。

自信ないなぁ……」


 俺の知る限り使っていない。

 部下に対して感情を爆発させることがないからな。

 ストレスがたまってきたら、俺がデートに誘っている。

 それで機嫌を直してくれるからな。


「そこまで大袈裟に悩む必要はありません。

これから注意すればよいのです。

もし口にだそうとしたら、怒りが強すぎないかとね。

なにより誰かが追求されているときにこそ注意すべきでしょう。

自己の願望ありきの攻撃を、疑惑の追及と勘違いしている人は多いのです」


「多用している人には要注意なのね」


 メディアの連中に、多く見られる。

 なぜか特権意識が骨の髄まで染みこんでいた。

 実績もないし、ただ必要だからと使徒に言われただけ。

 神から授かったなどの正当性は欠片もない。


 なのに常に自分は追求する立場と勘違いしている。

 私設異端審問官にしか思えない。


 自分たちは常に人の不正を暴く。

 だからこそ道徳的な優位を占めている……と勘違いしている。

 その経過が違法であろうとも、正しい行いをしているから問題ない。

 平民とは違うと。

 言葉を換えれば、異端審問官とまったく同じだ。


 一応異端審問官には厳しい規律がある。

 私腹を肥やせば一発アウト。

 教会の統制も厳しい。

 厳しいのは、野放しにすれば極めて危険だからだ。


 私設異端審問官は、規律などない。

 これほど容易に人を堕落させる職業はないだろう。

 俺個人としては死んでもなりたくない職業だ。

 彼らばかり見ていると……人というものがより嫌いになる。

 記憶はないが、転生前から大嫌いだったのだろう。


 そういえば……。

 先生から、古の正典カノンは『人が知りすぎること』を禁じていた……と聞いた。


 『人の身でなんでも知ろうとすれば傲慢(ごうまん)になり、悪魔の手先になる。

 知識を独占して、人々を惑わせるからだ』


 最初聞いたときは鼻で笑ったが……。

 今思えばメディアのような存在は悪魔の手先と大差ない。

 見た目が人間だからよりタチが悪いな。


 それを予期して禁じているのか……と思えてきた。

 もしそうなら正典カノンには一種の合理性があると認めざるを得ない。

 実情は神を知ることが不遜だから。

 奇跡的な一致なのだろうか。


 『坊主は立派な悪魔の手先だよ』なんて言われたなぁ……。

 今や悪魔の手先どころか魔王呼ばわりだよ。 

 どうしてくれるんだ。

 思わず苦笑してしまう。


「連呼すればするほど、その人への評価は下がりますね。

ストレス発散か金や虚栄心のためかはさておきね」


 ミルが引きった笑みを浮かべる。


「ち……注意するわ。

やっぱりアルって怖いわね。

いつどこで、評価を下げられているか分からないもの」


 キアラも、力強くうなずいた。

 怖がらせてしまったか……。

 好かれすぎるのも、良し悪しだな。


「あくまで私的な評価ですよ。

それにミルとキアラの評価は、この程度で下がりません。

心配されても困りますよ。

宰相の話に戻しましょう。

当然シャロン卿とマンリオ殿が、裏を取ってくれるはずです。

ただの嘘で、本当は薬などないのか……。

もしくはサモリ殿が身を守るために嘘を言っているのか」


 現時点で結論はでない。

 ティベリオの言い逃れと断じれば楽なのだが……。

 楽な道では許されない。

 俺の発言は、酒場での与太よた話と比べて、影響度が違いすぎる。


 キアラは微妙な顔で、俺の様子を窺っている。

 深刻に捉えすぎるのも困りものだなぁ……。

 だからとフォローしても逆効果だろう。

 ここは普段通りに接するしかないか。


 俺がウィンクすると、キアラは少し安堵あんどしたようだ。


「続報待ちでしょうが、宰相にはどう返信しますの?」


「宰相の弁明を信じたフリでもしておいてください」


 キアラは意外そうな顔で口に手を当てる。


「あら……お兄さまも疑っていますの?」


 キアラは、無意識に俺以外をどこか軽く見ている。

 人の差などトータルで考えれば大きな違いがない。

 ある面において、俺はティベリオを上回る。

 だが別の面で、俺はティベリオの足元に及ばない。


 油断は禁物さ。

 つまり情報が揃わないうちに、軽々な判断は危険ってことだ。


 時間的猶予がなければ判断せざるを得ないが……。

 この問題は、俺が直接関与していない。

 つまり時間的猶予があるのだ。


「いえ。

判断を保留しているだけですよ」


「分かりましたわ。

どちらに転んでも、損をしませんわね」


「ただ……なにもしないのも危険だと思います。

王都にいる石版の民の力を借りましょう」


 キアラは納得顔でうなずいた。

 俺の指示を予測したらしい。


「噂の件についての調査ですわね」


 マンリオの仕事に期待する以上、やる気を削ぐような行動は厳禁だ。

 指示した以上の成果を期待する以上、相応の配慮は欠かせない。

 マンリオにも感情があるのだ。

 プライドもあるが、自分の取り分が減ると思ったら? 臍を曲げかねない。


「それはマンリオ殿と被ります。

やる気をなくされては困りますからね」


 キアラが突然天使のような笑顔になる。


「あら……それなら心配ありませんわ」


「なにか聞いているのですか?」


 キアラはフンスと胸を張る。

 意味が分からん。


「アッリェッタ家が関係しているのです。

当主の暴走もありますけど……。

今の執事では対応しきれないのですわ。

家格があがれば常識も変わりますから。

家格に見合う力量のある執事が必要になりましたの」


 もしや……?

 おいおい。

 あのマンリオだぞ?


「マンリオ殿に白羽の矢が立ったのですか?」


「スカラ家が心配して、別の執事をつけようと考えたのですわ。

当然今の執事を教育する……といった面もありますけど。

それで相談されたマリオが伝手をあたりましたけど……対象なし。

内乱で腕のいい執事の数が減りましたから。

それでマリオが仕方なくマンリオを推挙したのですわ。

ああ見えて執事としては有能だそうです。

能力だけならマンリオが上と言っていました。

性格的なものが災いして、才能が無用の長物になっているとも。

身なりさえ整えれば、今でも通用するそうですわ」


 幾ら能力はあっても、もうあの生活に戻りたくはないだろう。

 釈放された罪人が、また牢屋ろうやにぶち込まれるようなものだ。

 普通は逆で有り難がる。

 給料が高く、社会的地位も高いからな。

 だが……マンリオだからなぁ……。

 覗きの衝動をどうやって抑え込むのだ?


「はぁ……。

マンリオ殿が受け入れるとは思えませんよ」


「それでシャロン卿を通じて打診したらしいのですわ。

マンリオは、かつて見たことがないほど怯えた顔をしていたそうですの。

それでどもりながら『お兄さまからの仕事を受けているから、絶対に無理』と言ったそうですわ。

それなら仕方がない……とシャロン卿も納得しましたわ。

だから仕事で手を抜いたら執事刑に処されますの。

ちょっと見て見たいですけど」


「ああ……。

それでマンリオ殿が急に報告してきたのですか」


 キアラがクスクスと笑いだす。


「マリオも一応、私に知らせてきました。

流石に今の任務のほうが重要です。

私の一存で断りましたの」


 なるほど……。

 でもマンリオが仕事を放棄しないとしても……得策ではない。

 あくまで俺とマンリオは、人格上において対等なのだ。

 足を引っ張っては、失策を咎めることが出来ない。

 駄目だな。


「だとしても……。

無用に機嫌を損ねるのは良策ではありません。

マンリオ殿にも感情はあるのですからね。

それで執事問題は、どうなったのですか?」


「マリオが弟子を派遣して、アッリェッタ家の執事を補佐することに。

実質スカラ家とアッリェッタ家の執事を兼任ですわ」


「マリオ殿がまた痩せるのでは?」


「最近太ってきたと聞いていますもの。

ダイエットにはいいと思いますわ。

それにマリオが優秀な分、後継が育っていませんでしたもの。

他人に仕事を任せるしかない状態にして……部下を成長させたほうがいいのではありませんこと?

余計なお世話かもしれませんけど……。

実家ですもの」


 そこまでキアラが考えているなら、俺が付言することはない。


「結構です。

石版の民には、ファルネーゼ家に関して、金回りを探ってもらいましょう。

これならマンリオ殿の職域とかぶりません」


 キアラは意外そうに首をかしげた。


「警察大臣は不機嫌になるでしょうね」


 それは想定内だ。

 必要なリスクとでもいうべきか……。

 味方と計算していいマンリオと去就の怪しいジャン=ポールでは配慮の基準が異なる。


「モロー殿の機嫌を気にして、手遅れになっても困ります。

そもそもこの件に関して、警察大臣が手心を加えている可能性だってありますからね」


「ああ……。

宰相を蹴落とすための陰謀ですのね」


 キアラも、ジャン=ポールの願望をしっかり把握しているな。

 もしティベリオの失点となるなら、ジャン=ポールは喜々として座視するだろう。

 情報を集めながらだ。


「ご名答。

宰相が邪魔であれば、サモリ殿を利用して失脚を狙うでしょう。

でもモロー殿が主体とは考えにくい。

平民から成り上がってきただけのことはあり、保身に抜かりはないでしょう。

誰かの陰謀を察知したら、知らんぷりをするでしょうね。

よほどの重大事でない限りは」


「ファルネーゼ卿の動きも怪しいですわね。

今回の件も、裏でファルネーゼ卿が暗躍しているのでしょうか?」


 随所でイザイア・ファルネーゼの名前を聞く。

 ファルネーゼ家の力を取り戻そうとしていることは分かる。

 しかも地道な方法でなく博打で。

 ただし身の破滅に直結する博打には、手をださない。

 高レートだがリカバリー出来る範囲の賭けを吟味している。


 だから無能とまで断じることが出来ない。

 優秀なのか? どうにも摑み所のないヤツだ。


「それはまだなんとも。

なにを目的にしているのか……。

聞き出すことは出来ないでしょうから、行動を追うしかないですね」


「間接的にクレシダとつながっている可能性はありそうですわね」


 直接関わりを持つことはないだろう。

 イザイアは保身にけている。

 立ち回りも上手い。

 睨まれたら、ほとぼりが冷めるまで待つことも出来る。

 クレシダも利用する相手の性向を把握するはずだ。

 つまりイザイアを利用しようとしても難しい。


「まあ……ファルネーゼ卿が、クレシダ嬢を意識しているかは分かりません。

その程度の関係性かもしれませんね。

没落した貴族や商会が、ファルネーゼ卿を頼っていますから」


 ミルが苦笑する。

 会話に参加する隙を窺っていたらしい。


「没落した人たちは一発逆転を夢見て、多少怪しくしても、レートの高い博打に手をだすのね」


「だからこそ一度転落すると建て直すのが大変なのですよ。

弱ったときの博打は確実に破滅が待っていますから。

それにしても……。

宰相の言葉が、真実だとしたら?」


 ふと気が付いた。

 俺の臆測が当たっていれば、クレシダに一本取られたことになる。

 なかなか面白いじゃないか。


「だとしたら?」


「クレシダ嬢は混乱を招くために、わざとサモリ殿に研究をさせたのかもしれません。

サモリ殿の性格は、カルメンさんから聞きました。

治療に関心を寄せる性格には思えないのですよ」


 毒の効果に関心が強い。

 むしろそれしか関心がないと聞く。

 つまり治療には無関心だと思う。


「つまりサモリは注目させるための罠と?」


 クレシダは新秩序を打ち立てる必要がない。

 壊せばいいのだから、選択肢は無限に存在する。

 通常悪手と思われる選択肢が最良になり得るのだ。


「当然私の注目も、其方そちらに向きます。

その隙に、今回の特効薬騒動を仕込む。

可能性なら考えられるでしょう」


 ミルが大きなため息をつく。

 考えることを諦めたようだ。


「そう言われると、説得力があるわね……。

なんだか分からなくなってきたわ」


 頑張ってくれている分、気負いがでているな。


「現在の断片的な情報で、結論をだそうとするからですよ。

出来ないものは出来ませんからね」


 ミルが微妙な顔でうなずく。

 負けず嫌いだけに出来ないと諦めることが不得手だ。

 長所でもあり、短所にもなり得る。


「そうね……。

それにしても王都は、大変そうね。

避難民の対処もそうだし……難問ばかりよ。

これって宰相の責任が問われない?

サモリの件も関係していたのでしょう?」


「そうですね。

政治は結果責任ですし、混乱の責任を問われるでしょう。

この追求をどうさばくか……。

お手並み拝見といきましょう」


 ミルが微妙な顔で苦笑する。


「なんか結果責任と言われると、モヤモヤするけど……。

仕方ないわね」


 どれだけ頑張っても、結果が悪ければ駄目。

 逆にどれだけ手を抜こうが、結果がよければ評価される。

 真面目に統治していると、モヤモヤするのは当然か。

 よい機会だ。

 俺の考えを伝えておくか。


「結果責任は当然ですよ。

知恵の結晶と言ってもいい。

当然のこととして受け入れるべきですね」


 ミルが驚いた顔をする。


「珍しいわね。

アルがそこまで評価するなんて」


「そうですか?

考えてみてください。

結果を問わなければ、実行者の意図がよければいいとなります。

では……意図の正しさは、誰が判断するのですか?」


 キアラは抜け目なくメモを取っている。

 ホントよくやるよ……。


 ミルは難しい顔で考え込む。


「世間かな……?」


「そうですね。

では……世間が認めれば正しいとなりますか?」


 ミルは怪訝な顔で首をかしげる。


「『民衆は具体的で、直近の問題であれば、概ね正しい判断を下す』って言っていなかった?

もしかして……。

例外的に間違うから駄目ってこと?」


 よく覚えているな。

 ただしそれには、前提がある。

 客観的な問題……、つまりは他人事であればだ。

 感情に直結した問題では、感情的に正しいと思う判断を下す。

 

 それよりも大きな問題がある。


「小さな失敗ならいいですがね。

取り返しのつかない失敗すら、失敗と認識しない。

これは大問題ですよ。

丁度最近の例があります。

亜人差別がね。

あれは民衆が、差別を是としたために広まりました。

差別だけならまだしも……。

追放や皆殺しにしろとなったら?

それも世間が認めたならどうですかね」


 ミルが驚いた顔で口に手を当てる


「あ……」


「そもそもの意図は、亜人に対する憎しみではなく、社会の安定を目指したものです。

意図自体はよきものでしょう?

亜人にとっては、とんでもない話ですが」


 ミルの目が鋭くなる。

 なにか俺の言葉に引っかかりを感じたようだ。


「そうね。

でも待って。

アルは差別が駄目だから否定しているわけではないの?」


 思わず頭をかいてしまう。

 流石だな。

 すぐ見抜かれた。


「幻滅されるでしょうが……。

ミルに嘘は通じませんからね。

私が否定しているのは、結局、社会の荒廃と不信感を加速させるから。

つまり政策として失敗だからにすぎません。

もし差別や追放、それどころか皆殺しをした結果……社会の益となるなら認める。

私の良心なんてその程度ですよ」


 ミルは慌てた様子で首をふる。


幻滅なんてしないわよ。

アルがずっと反対していたのは事実でしょ?

しかも矢面に立ってくれたじゃない。

内心で反対だった……とか言って、ずっと黙っていた人たちとは大違いよ」


「内心で反対していても、表だって反対しない限り、いないに等しいですからね。

それにラヴェンナの統治上、黙っているのは愚策もいいところです。

まあ……私が言いたいのは、意図がよければ失敗しても良しとなれば……。

失敗したとき幾らでも、責任逃れが出来る。

社会のためにやったんだとね。

反省すらしないし、責任転嫁の温床になりかねない。

そうなってしまうと人は前に進みません。

行き当たりばったりでよしとなりますからね。

それを抑制するための結果責任です。

デメリットは、貪婪どんらんで残忍な統治者であろうと、結果がよければ評価されますけどね。

永遠にその場しのぎを続けるよりはマシでしょう。

人々が失敗を繰り返した結果生まれた、経験的な知恵……と思っていますよ」


 ミルは納得したような顔でため息をつく。


「反省かぁ……。

そういえば差別が沈静化したけど『深く反省し、愚かな過去を忘れるな』って声は多いみたいね」


 思わず失笑してしまった。

 ミルが驚いた顔になる。


「ミルを笑ったわけではありません。

過去を忘れるなと声高に叫ぶ。

相変わらず反省という言葉しか知らないのだな、と皮肉な気分になっただけです」


「言葉しか知らないって?」


 使徒教徒は建前と本音の乖離かいりが激しい。

 効率化がもたらした弊害だな。

 まあ……水に流して、和を保つ生き方なので、反省のしようがないのは、仕方がないことではある。


「反省する力がないってことですよ。

もし本当に反省するなら?

起こったことを隠さず、ただ見せればよい。

大したことのない話ならそれまでですし……。

寒気のする失敗であれば、見ただけで分かります。

差別の結果起こった醜悪な所業は、虚構で再構築しているでしょう?

再構築が激しいほど、反省を強要する言葉は強くなりますよね」


 ミルは引きった笑みを浮かべる。


「あ~。

たしかに『自分たちは騙されていた』とか言っていたわね。

騙されて石を投げていたの? と思ったわよ」


「過去を都合よく再構築しているのです。

ミルがイザボーさんから聞いたでしょう。

どこかの商会で、亜人の支店長が追放された話をね。

その人にはなんの落ち度もないのにです」


「ええと……。

『強制されて仕方なく追放した』と言い訳していたわね。

今は支店の統括として再雇用したんだっけ」


 あの話を聞いただけで、ピンと来た。

 典型的な再構築だ。

 商会の和を保つための知恵とでもいうべきか……。


「あれは商会が主体的になって追いだしたに違いありません。

だから支店長と商会を同化させて、過去を葬り去ったわけです。

支店長と同化すれば、自らも被害者となれますから。

勝手に追放して、勝手に同化する。

揚げ句、自分たちも被害者になりすます。

これが彼らのですよ」


 ミルが辟易した顔でため息をつく。


「そう言われると反省じゃなくて、過去のすり替えね……。

あ……だから、ラヴェンナでは、過去の記録をすべて残して改編させないようにしているのね」


 ラヴェンナでは注釈を認めるが、過去記事の改編は許していない。

 明らかに誤りであった場合は、なぜそのような誤りが起こったのかも注釈させる。

 ものによっては本文より、注釈は多くなってしまうが……。

 折を見て、注釈を含めた新版にする。

 だからと古い版を捨てることはない。

 いつでも誰でも見られるようにしておく。


「そうです。

これだと遠回りに見えるでしょうがね」


「どうして?

ラヴェンナのほうが、確実に進歩出来ると思うけど」


 使徒教徒にとっては、迂遠に感じるからだ。

 しかも過去の記録が、当時のままずっと残るなど窮屈で仕方ない。


「和を保って状況の変化に素早く対応するには、過去を再構築したほうが効率的だからですよ。

再構築された過去は単純化されて善悪も明白になる。

過去はすべて悪かったことにすればいい。

将来の過ちを避けるより、今を効率的に機能させることが大事なのです。

今しか考えなければ、判断も速いでしょう?」


「それはそうだけど……。

その場しのぎすぎない?

いつか破綻するわよ」


 模倣すべき対象がなければ破綻するだろうな。

 ただ……外的要因による一撃がなければ、老衰間近の老人のようにただ存在し続けることは出来る。

 まあ……俺の知ったことではないが。


「世界が固定されていれば、そのような考えは不要です。

変わらないのに、将来や過去を考えても仕方ないでしょう?

環境に特化した進化の結果ですよ」


「その大前提が崩れたのよね……。

それを知っている人は、極わずかだと思うけど」


 ニコデモ陛下と教皇ジャンヌ、アントニス・ミツォタキス、王女ディミトゥラは確実に認識しているだろう。

 ただ……大多数は認識していない。

 一過性の嵐とでも思っているだろう。

 ただ嵐が、とてつもなく大きいだけ。

 その程度の認識だ。


「それも仕方ないでしょう。

1000年以上続いた世界が崩れたのです。

だからこそラヴェンナでは、将来につながる反省力を持たせる。

人によっては二度と思い出したくない失敗があったとしても、再構築は許しません。

このように過去をありのままに見せるからこそ……。

過去に遡って断罪することを認めていないのです。

認めると隠蔽いんぺいに走るのが人情ですからね。

しかも隠せないから、軽率なことは出来ません。

当然私も隠すことは出来ませんよ」


「そうね。

アルは一番見たくないはずの慰霊碑に、よく足を運ぶわよね。

あとはファビオさんたちの銅像にも。

あれも反省の一環なの?」


「そうですね。

そもそも都合のよいセレモニーをするときだけ足を運ぶのは、反省でなく利用です。

私が死者であれば、石のひとつでも投げてやりたくなりますよ」


 ミルとキアラが、顔を見合わせてため息をつく。

 なにを呆れたのだ……。

 抗議しようとすると、モルガンが部屋に入ってきた。

 珍しく険しい表情をしている。

 これはただならぬことがあったな。

 忙しいなぁ……。

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