954話 キアラはご機嫌斜め

 珍しくキアラが、早足で執務室にやって来た。

 変事でも起こったのだろうか。


 キアラは、書状を俺に差しだす。


「スカラ家から知らせです。

アミルカレお兄さまの結婚式は、延期になりましたわ。

今回の支援で、各家にとっては予定外の出費です。

そこに元々の予定とはいえ……。

結婚祝いの負担は重い……と判断したようですの。

もしかしたら陛下から内々に話があったのかもしれませんわ」


 キアラから書状を受け取って一読する。


「まあ……仕方ないでしょうね。

結婚で他家からの恨みを買うのは得策ではありませんから。

キアラのいうように……陛下と相談した結果でしょう。

ここで他家に恩を売っておいて損はない。

延期することでアッリェッタ家への嫉妬は幾分軽減されますから。

あとは陛下がだされる祝い金は多額と聞きます。

その祝いが『支援で集めた金を流用したのでは?』と疑われては、面白くありません」


 隣で仕事をしていたミルに書状を手渡す。

 ミルは読み終えてから、小さなため息をつく。


「お義兄にいさんは大変ね。

折角結婚目前まできたのに」


 未だにミルは純粋だな。

 俺のように捻くれると、別のことを考えてしまう。


「どうせ私に、嫌味を言ってきますよ。

まあ……その程度なら甘んじて受け入れましょう」


 ミルは穏やかにほほ笑んだ。

 キアラは不機嫌な顔でミルを睨む。

 原因が分からない。


 ふたりは本音でぶつかり合って、喧嘩もする。

 それが嬉しくもあった。

 シルヴァーナが結婚して、この地を去ったのだ。

 ミルが喧嘩出来るのはキアラだけ。


 ミルには他にも友人がいる。

 それでも地位の差から、遠慮があるからな。


 ミルは補佐役として得がたい才能を発揮している。

 それでも元々は一庶民にすぎない。

 かなり無理をさせている自覚がある。


 ミルは『自分がそうしたいから』というが……。

 だからと無視出来ない。

 ミルには、ストレス発散も兼ねた喧嘩出来る相手が必要だと思っている。


 ミルとキアラは顔を見合わせて笑い合う。

 喧嘩にまでは至らなかったようだ。


 そこに商務大臣のパヴラ・レイハ・ヴェドラルが、執務室にやって来た。

 珍しいな。

 経済圏の会合に出席していたはずだ。

戻ってくるのはもう少しあとだと思っていたが……。


「ヴェドラルさん。

なにか問題でも?」


 パヴラは深刻な顔をしている。


「はい。

経済圏の会合で少々問題が……」


「ヴェドラルさんが予定より早く戻ってくるとは、大きな問題なのでしょう。

聞かせてください」


「アラン王国の支援で、各家は予定外の出費に困っています。

そこで王家の代表が『一時的に小麦市の手数料を下げることは出来ないか?』と発言されたのです。

さすがに私の権限で決められないので、回答を保留しました。

閣議でも報告しますけど……。

その前に、アルフレードさまに報告すべきと判断しました」


 王家の代表が存在感を示そうと受けのよい発言をした……と考えるべきか?

 その可能性は低い。


 人類連合の新代表が独断で暴挙に及んだ。

 その新代表は現在療養中とのことだ。

 半強制的に軟禁されているのだろう。


 陛下は暴走に対して厳しく目を光らせているはずだ。


 だからこそニコデモ陛下の意向があると考えるべきか……。

 もしくは他家から要請があったのか?

 パヴラが、回答を保留してくれたのは有り難い。


「それは有り難いですね。

ヴェドラルさんはどう思いますか?」


「取引は一時的に活性化しますけど……。

期間が終われば、取引は冷え込みます。

需要を前借りするだけですし……。

徒に市場を混乱させるだけだと思います。

しかも大量の売りが発生すると、小麦価格が下落しますし……。

結局負担軽減にはつながらないと思います。

だからと売却量を制限することなど不可能でしょう」


 制限しても裏道は存在する。

 裏道を潰したとしても、実際に監視しきることは不可能だ。

 無理に監視を強めすぎると、流通の利便性を阻害して、小麦市は自滅する。

 小麦市が繁栄しているのは、利便性に優れるからだ。

 それを満たさなければ、ただ金の無駄遣いに終わってしまう。


 だからこそ、各領主が抜け道を濫用すれば自滅するようにした。

 ケースバイケースで考えた結果だ。

 使徒教徒にお馴染みの『目に余ればペナルティーを与える』方法なら、違和感なく小麦市に参加出来る。

 実際そうなった。


 ラヴェンナ式なら、制限を破った者は一律アウトなのだが……。

 使徒教徒を巻き込む以上、なんらかの妥協は必要だろう。

 小麦市は小麦の監視統制が目的ではないからな。


 それにしても……パヴラの回答は申し分ない。

 地位が人を作るとは、よく言ったものだよ。

 当然、地位に見合うように、パヴラが努力した結果でもある。

 これだけの結果をだしているのだ。

『怪しげな薄い本の布教程度、大目に見てしかるべきだ』と考えてしまう。


「見事な見識です。

私の考えも同じですよ。

供給と価格の安定化を考えての小麦市が、却って不安定を招きます。

小麦の値段が下がったら買い占めて値上がりを待つ人も現れるでしょう。

そもそも市場を政治で完璧に統制すること自体が不可能です。

100努力しても、5の成果も得られません。

ただし混乱は200位になるでしょう。

故に手数料の変更は慎重になるべきです」


 パヴラはすぐに厳しい顔になる。

 俺の言わんとすることを理解してくれたようだ。


「では断りますか?」


 その場凌ぎで手数料の軽減を受け入れると、後々面倒なことになる。

 一時的に負担は減るが……心理的解決にすぎない。

 使徒教徒はどうも心理的解決に囚われて、それが唯一の手段であるかのように誤認する。

 現実的解決は弱腰と非難しがちだ。


 だからと使徒教徒が愚かなのではない。

 むしろ程遠いだろう。

 だからこそ……この問題を自覚する人たちがいる。


 ところがそのような人たちが陥るのは、真逆の解決方法を肯定してしまうことだ。

 つまりは本当の弱腰やその場凌ぎを、理性的な判断と信じてしまう。

 結局心理的解決にすぎない。

 本質ではなく、強気か弱気かだけで物事を判断したらどうなる?

 間違った前提を元に、条件反射で物事を判断しては……余程運がよくなければ正しい解決にならない。


 正解となるお手本がなければ、極端から極端に偏ってしまう。

 なまじ対症療法が天才的だから自覚することは稀だ。

 天才的な解決で、問題を先送りするので……将来にツケを回すだけなのだが。


「受け入れるには、影響が大きすぎます。

気休めのため、大きな混乱を受け入れる義理はありません。

そもそも手数料は、厳密な計算で決めてもらいましたよね?」


「はい。

消費が冷え込まずに、取引は過熱しすぎないこと。

あとは小麦市を運営して利益が得られる。

これらを皆で必死に計算しましたから」


「当然ながら、手数料は前提となる環境が変われば変えるべきです。

でも今は違う。

恐らく各領主は、これを機会に、手数料を下げさせたい……と考えたのでしょう。

一時的と言っても、手数料を戻そうとしたとき大反対しますよ。

時限的な増税が、半永久的になるようにね。

元に戻すことを強行すれば……。

対立が深まり、陛下の介入を招きます。

結果として手数料は下がったまま。

ラヴェンナの負担ばかり大きくなり、円滑な運用を目指すと赤字になります。

そうなったとき小麦市は各方面に悪影響を与えるでしょう。

そもそも……アラン王国の支援は、領主が贅沢を我慢すればいい程度です。

一時的なものに過ぎません」


 パヴラは生真面目な顔でうなずいた。


「承知いたしました。

そのような方針で、回答を考えます」



                  ◆◇◆◇◆


 翌日、キアラが執務室にやって来た。

 最近忙しいな。

 それとも余程暇なのか?


 俺の考えが読めたのか、キアラは軽く俺を睨んだ。

 ミルまで呆れたように、ため息をつく。

 秘書業務をしているオフェリーは、不機嫌そうに頰を膨らませる。


 自分だけ、蚊帳の外だと感じたらしい。

 オフェリーは『皆一緒に』が大好きだ。

 自分だけ蚊帳の外に置かれるのも、誰かを蚊帳の外に置くのも嫌う。


 昔は過剰反応気味だったが、今は改善されている。

 ちょっと不機嫌になる程度で済むのだから。

 自信もついて来たし、認められている実感もあるのだろう。


 それでも俺が絡んだ蚊帳の外は反応が強い。

 しかもその日の夜オフェリーと一緒になると、睡眠時間を極限まで削られる。

 どうフォローしたものか……。

 


 そう考えていると、本棚の上で昼寝をしていたエテルニタが欠伸をした。

 扉の音で、目が覚めたらしい。

 訪問者が見慣れたキアラなので安心したのか……昼寝に戻った。

 最近はいびきまでいくようになっている。

 子猫だったときの愛くるしさはなく、ただただ不貞不貞しい。

 それでも可愛いのは不思議だ……。


 エテルニタは育児から解放されて、出産前の日常に戻っていた。

 エテルニタ母子は、その日の朝、誰についていくかを自分たちで決める。


 母はオフェリーについていくと決めたようだ。

 子猫たちは、カルメンの研究室か、キアラの執務室だろう。


 オフェリーが執務室で仕事をするときに限り、エテルニタがついてくる。

 エテルニタは、不思議とオフェリーは今日どこで仕事をするのか察しているらしい。

 

 執務室でのエテルニタは本棚の上で昼寝か、窓の外を眺める。

 時折、本棚から降りてきて、オフェリーに『モフれ』と要求するのだ。

 オフェリーは幸せそうにエテルニタをモフる。

 平和そのものだ。


 入室時のキアラは、やや不機嫌だったが……。

 エテルニタの欠伸に表情が緩くなる。


「お兄さま。

一大事ですわ。

アッリェッタ家の長女リディア嬢が、お兄さまへの面会を求めてきています」


 アッリェッタ家の次女ナタリアは、アミルカレ兄さんの婚約者だ。

 その姉が、俺に面会?


 しかもニコデモ陛下の私設親衛隊に所属し、未来の王妃だと予想されている。

 移動すら安全ではない。


 格下の家と思っていた女性が王妃になる。

プライドを傷つけられた連中が、陰謀を巡らせる可能性は高いのだ。


 それでも敢えてラヴェンナに来るか……。

 リディア嬢の独断ではないだろう。

 背後に陛下がいると考えていい。


 書状を一読して、隣のミルに手渡す。


「『この度の結婚に尽力したラヴェンナ卿に、結婚式延期のお詫びをすべきと考えたので、直接お伺いしたい』ときましたか。

しかもスカラ家で返事を持つので、王宮ではなくスカラ家に返事が欲しい。

急いでいるように見えますが……。

安全のためかもしれません」


 キアラが微妙な顔で、別の書状を差しだしてきた。


「陛下からの副状そえじょうまでセットですわ。

こうなっては断れません」

 

 キアラから、副状そえじょうを受け取る。

 なぜリディア嬢が訪ねてくるのかは記されていない。

 ただハッキリしていることがある。


 『突然の訪問は迷惑かと思うが、リディアに会ってほしい』


 こう記されていた。


「陛下直筆の副状そえじょうですか。

どんな無理難題を吹っかけられるやら」


 ミルが大きなため息を漏らす。


「手数料の話を、アルが断ることを見越してじゃない?」


 陛下の手引きなら有り得る話だな。


「可能性は高いですね。

誰が来ようと、返事は変わりません。

それも織り込み済みだとしたら?」


「別の目的があるの?」


「さすがに分かりませんよ。

我々の持っている王都の情報は、まだまだ断片的ですからね」


「王都の周辺に集まった外民げみんの話すらハッキリしないのよね」


 モデストとマンリオですら手こずるのだ。

 それだけ、外民げみんと王都民の隔たりは大きい。

 

 難しい顔で、腕組みをしていたオフェリーが、パンと両手を合わせた。


「もしかしてアッリェッタ家は、独自の人脈作りをしたいのかもしれません。

たしか当主は誠実だけど、アルさまと話せる人ではないと聞きました。

リディア嬢のほうがずっと優秀かもしれませんよ」


 キアラは小さく肩をすくめる。


「有り得る話ですけど……。

それだけのために、未来の王妃をラヴェンナに送りますか?」


 オフェリーが小さく肩を落とす。

 ミルが苦笑した。


「オフェリーの話に、疑問を呈する前に……可能性を考えたら?

目的が不明瞭なときは、否定はせずとにかく思いつく意見を集める。

アルが教えてくれた方法よ。


 キアラが露骨に舌打ちをする。


「お姉さまに教わるまでもなく知っていますわよ。

いちいち正妻アピールしなくても結構です。


 ミルがキアラを睨みつける。

 それを見たオフェリーが、オロオロしだす。

 秘書たちは誰ひとり顔を上げない。


 思わず苦笑してしまう。

 ここ最近の飛び込む書状の雪崩に、キアラはご機嫌斜めのようだ。


「キアラの不機嫌も分かりますよ。

これだけ好き勝手に問題が飛び込んできたら面白くはないでしょう。

取り次ぎに留まらず、諜報ちょうほうも担っているのですから」


 キアラは微妙な顔をする。

 不機嫌さを自覚してバツが悪いのか?


 突然エテルニタが目を覚ます。

 大きな欠伸と一緒に伸びをした。


『みゃお~う』


 エテルニタの鳴き声で、俺以外が笑いだす。

 この猫は空気を読んで、場をなだめてくれる。

 方法はどうかと思うが……。


 誰かが精神的に参っていると寄り添い、癒やしてくれるらしい。

 不思議と元気になるとか。

 オフェリーが体の傷を癒やすなら、エテルニタは心を癒やすとの評判だ。

 つまり誰も只の猫だとは思っていない。

 まあ場の空気が冷えるのは避けられたので良しとしよう。


「オフェリーの意見は、目的のひとつでしょう。

恐らく宰相や警察大臣が関与しない連絡手段を欲したと思いますよ」


 キアラは真顔になって首をかしげる。


「直接会いに来てお願いされたら、さすがに断れませんわね。

王都はキナ臭い話ばかりですし、サモリの件を含めた宰相たちへの牽制目的でしょうか?」


 やはり腹黒陛下だ。

 目的が読めてきたぞ。


 手数料軽減に最大限努力したポーズを示す。

 ただし俺が断ることは織り込み済みだ。

 だからこそリディア嬢の出番となる。

 公的な使者を派遣した揚げ句に断られては、権威低下と関係悪化を招くからな。


 だがリディア嬢では私的な使者だ。

 王宮では建前上結婚延期の陳謝だが……内実は手数料軽減の要請だ……と考える。

 これは経済圏の領主たちが、陛下に頼み込んだか?

 もしくは陛下が領主たちに要望するよう示唆したか……。


 使者が将来義理の姉になる人物。

 だからこそ『俺がリディア嬢に配慮する』と、周囲に誤解させるだろう。

 仮に俺が断った場合、王妃は自分たちの味方になると考える。

 陛下としては、リディア嬢への反発を抑える政治工作も兼ねるようだ。

 リディア嬢への反発さえ押さえ込めれば時間が稼げる。

 稼いだ時間は、リディア嬢の権威確立に費やすだろう。

 実に食えない陛下だよ。

 俺の臆測を話しておくか。


「現時点での臆測ですが……。

陛下の目的が読めてきました。

ラヴェンナの持つコネを、間接的に使えるようにしたいのでしょう。

あとはリディア嬢の味方を増やすなどね。

だからオフェリーの考えに同意しますよ。

まあ……答え合わせは、リディア嬢が来たときに分かるでしょう」


 ラヴェンナの持つコネは、領主の枠を超える。

 シケリア王国に加えて、教会……冒険者ギルド、石版の民。

 スカラ家は国内に対してのコネが圧倒的だ。

 だが国外とのコネは皆無。


 王家は固有のコネがあるものの……内乱による弱体化が著しい。

 だからこそ実力のあるラヴェンナのコネに乗っかろうとしたのだろうな。

 

 オフェリーが突然挙手する。


「あのぅ……。

アッリェッタ家に三女はいるのでしょうか?」


 キアラの目が丸くなった。

 失念していたらしい。


「あ……いました。

でも8歳ですから、お兄さまの側室にねじ込むのは不可能ですわ」


 勘弁してくれ……。

 幼女を抱く趣味なんてないぞ。


「これ以上増えたら、私が対応しきれません。

まあ……その心配はないでしょう」


 ミルは疑いの目で、俺を見ている。


「どうして?」


「ラヴェンナに近づきすぎると、アッリェッタ家にとって危険だからですよ。

国内の反ラヴェンナ派から、狙い撃ちにされます。

それを跳ね返す力もありませんからね」


 ミルは納得顔でうなずいた。


「まあ8歳なら、なにかを抱えてアルに吸い寄せられることもないか。

でも私は同席するわよ。

リディア嬢が護衛を連れているならいいけど、面会のときに、席を外していたら面倒でしょ?」


「助かります。

さすがに未婚女性とふたりきりで面会する気はありません」


「当たり前でしょ。

アルにその気がなくても、相手を惹き付けるんだから。

もし陛下の女をたらし込んだら大問題よ」


 ミルはキアラに目配せする。

 キアラは、力強くうなずく。


「私も同席しますわ」


 どれだけ信用がないのだ。

 話を聞いていたモルガンが、腕組みをする。


「失礼ながら……。

王都の情勢にご留意されたほうがよいかと。

可能ならシャロン卿に、アッリェッタ家を探ってもらうべきでしょう」


 そうだな……。

 今までの話は、アッリェッタ家の意志を考慮に入れていない。

 

「分かりました。

王都にいるシャロン卿に調べてもらいましょう。

サモリ殿の件も、気になりますが……。

優先度においてアッリェッタ家を重視すべきでしょう」


 ひとまずはこれでいいだろう。

 

 一息ついたところで、執務室にキアラの部下がやって来た。

 部下はキアラに報告をしたようだ。

 キアラは無表情にうなずいて、なにか指示をだす。

 部下は慌ただしく俺に一礼して部屋をでていった。

 微妙な表情のキアラが、大きなため息をついた。


「お兄さま……。

山を越えてきたハンノは覚えていますでしょう?」


 別世界からの来訪者だな。

 この時点でこの話題。

 よくもまあ……重なってくるものだ。


「ええ……まさか?」


「そのまさかですわ。

ハンノがやって来て、陛下への取り次ぎを願っていますの。

正式な使節のようで、人数は50名程度。

陛下への贈り物も持参しているようです」


 よりにもよって、このタイミングかよ。


「分かりました。

陛下に連絡をお願いします」

 

 キアラが疲れた顔で、部屋をでていった。

 モルガンが、俺の前にやってくる。


「ラヴェンナ卿。

ハンノとは何者ですか?」


 ああ……モルガンが来る前の話だからな。

 知らないのは当然か。


「そういえば、この件についての情報共有がまだでしたね」


 モルガンには説明していなかったな。


 そこでハンノの情報を教えることにする。

 山を越えてやって来た別世界の住人だ。

 技術レベルは此方こちらと大差はない。

 ただし、山の向こうの世界情勢は分からないのだ。

 手を回す余裕もなかったのだが……。


 俺からの説明を聞いても、モルガンは無表情だ。

 

「技術レベルが大差ない……となれば問題ですね」


 そう。

 無視出来ない問題があるのだ。


「あの放送を見れば、此方こちらのほうが発展していると考える。

しかも自分たちに隠していたと思うでしょう。

我々を脅威と見なして、侵攻を考えるかもしれません。

そこまでいかずとも、此方こちらの情報を、必死に探るでしょう。

今の世界情勢を知ったとすれば? つけ込むチャンスと考えかねません」


 モルガンは満足気にうなずく。

 俺の問題意識に同意見なのだろう。


「山越えがどれだけの難易度だったか。

これが問題ですね。

50名が限度なのか、万単位での移動まで可能なのか……。

我々が魔物の問題を解決したとしても、疲弊は免れ得ません。

万単位で移動可能となあれば軍事侵攻も有り得る。

突如侵略されては、いかなラヴェンナとて窮地に立ちます。

しかも他家は、ラヴェンナを弱体化させる好機と見なすでしょう」


 そこで安全保障としての経済圏が役に立つ。

 敵になることは踏みとどまるだろう。


「心情的にはそうでも、経済圏に属する家は違いますね。

ラヴェンナからの輸出が途絶えたら死活問題ですから。

それにラヴェンナ抜きで、経済圏がなり立つと思わないでしょう。

あとは……陛下がどれだけ国内を押さえられるかですね」


「押さえられないときは、如何しましょうか?」


 普通ならこのような火遊びは起こらない。

 だがモルガンの指摘は、現実味を帯びている。


 一向に平和が訪れず、ダラダラと不安定な情勢が続いている。

 それにともなって、厭戦えんせん感情が蔓延しているからだ。


 厭戦えんせん感情は、情報漏洩や裏切りを招き、非協力的になる。

 どれだけ士気を上げようとしても、空騒ぎにしかならない。

 より過激な戦意高揚をしても、その場しか盛り上がらないだろう。

 滅亡を招くか、よしんば滅ばなくても……人心の荒廃は不可避だ。


 1000年続いた平和の直後の内乱で、人々は戦いにんでいる。

 その後に発生した魔物の大侵攻も直面しない限り他人事だ。

 いや……直面したはずのアラン王国民ですら、どこか他人事だった。

 だからこそ、他国への退避を嫌ったのだ。


 状況を変えられない危機が続くと、人々は投げやりになり、判断もお粗末になる。

 戦いに飽きているようなものだからな。


 極端な希望的観測が跋扈し、冷静な判断は負け犬根性として忌避されるだろう。

 もしくは極端な悲観論が跋扈するか。

 何方どちらにしても、正常な判断が出来ない。


 クレシダもそれを理解して、魔物の侵攻を手加減していた。

 表では人類連合の提唱と危機を訴える。

 だが抜本的な対策を採らせず、敢えて対症療法と善意を振りかざす。

 なにかしているようで状況はよくならない。

 厭戦えんせん感情を刺激していたのだ。

 だからと俺が戦おうとするのは難しい。

 後ろから刺されるのが目に見えているからな。


 んでいても、状況は悪化していない。

 ここまでやってサロモン殿下の魔物化だ。


 サロモン殿下が問答無用で、人類を皆殺しにするのであれば話は違ってくるが……。

 なんとなく共存出来るような雰囲気を醸しだしている。

 人類と魔物の生存競争ではなく、只の権力闘争と思われてはな……。


 この厭戦えんせん気分は支配者層にも広がっているからこそ、火遊びをする連中が絶えない。

 だからこそ別世界からの侵攻に直面しても、火遊び感覚で後ろから刺す連中が現れる可能性はある。


 そうなれば独立に舵を切って徹底抗戦するしかない。

 今までの努力は無駄になっても損切りする。

 たとえ拙速でも、ランゴバルド王国内での存続を諦めるしかない。

 未練を残すような行為は徒に出血を増すばかりになる。


 幸いラヴェンナ領内を納得させることなら容易だ。

 仮に流血を招いても、ラヴェンナ市民が戦いにむことはないだろう。


をせざるを得ませんね。

そうならないことを願いますが」


 モルガンは慇懃無礼に一礼する。


「結構です。

それにしても感心するほど、問題が次々とやって来ますな」


 思わずため息が漏れる。


「さすがに辟易しますよ。

だからと泣き言を言っても始まりません。

為すべきことを為すだけです」


「為すべきこととしてひとつ……。

客人から情報を聞くだけでなく、此方こちらからも使節を送るべきかと。

余裕がないのは承知しておりますが、無理を押してでも、彼方あちらの世界を探るべきでしょう」


 そうだな……。

 先送りしてきたが、ハンノの危機感を煽るような事態が発生しているのだ。

 ただ……ニコデモ陛下と歩調を合わせる必要がある。

 独断で調査しては、対処を丸投げされる恐れもあるのだ。

 ただ……ひとつの問題があるからこそ、今まで保留していた。


「そうですね。

ただ注意すべき点もあります」


 モルガンは怪訝な顔をする。


「なにか探ることが出来ない問題でも?

人的な余裕などではありますまい?」


「宗教ですよ。

彼方あちらにも教会があることは聞いています。

しかも一神教。

対応を間違えると、争いにつながりますよ」


 向こうから宣教士がやってこようものなら厄介だ。

 ラヴェンナを拠点として活動されては、教会との関係を悪化させる。

 しかも宗教なので、理屈や損得で解決出来ない。


 モルガンは妙に感心した顔でうなずく。


「これは……失念しておりました。

一神教でも石版の民のように、内にこもるタイプなら問題ありません。

真逆の場合は厄介ですなぁ……。

慣習や文化の違いを認めることもないでしょう。

もしや客人は、熱心な信徒ではありませんか?

此方こちらにやって来た動機は、布教すべき未開の地を求めて……であれば大問題でしょう」


 ルルーシュは元僧侶だろうに……。

 見事なまでに、信仰は、栄達の道具であることを徹底している。


「宗教の話は、此方こちらが聞かないとしませんでしたね。

より現世的な利益を求めていると思います。

ただ……彼方あちらで、支援を募る建前としているかまでは分かりません」


 頭の痛い話だ。

 宗教戦争では落とし所を探れない。

 これも、陛下に伝えるべきだろうな。

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