938話 落とし穴

 挨拶回りが終わり、今夜はミルの部屋で寝ることになる。

 寝室に入ると、ふたりそろって仰向けにベッドへと倒れ込む。

 さすがに疲れたからな……。


 ミルが俺の手を握って苦笑する。


「さすがに1日歩き通しだと疲れるわ……。

でも今更、馬車には出来ないわね。

それよりアルは大丈夫?

日頃から運動不足でしょ?」


 昔からラヴェンナを、徒歩で歩き回っていた。

 突然、馬車に変更は出来ない。

 安全上のリスクはあるが、市民に距離を感じさせるのは愚策だ。

 なにより祭りの間、馬車の使用は緊急に限るとしている。

 モルガンから苦言を呈されたが、理由を説明すると、あっさり引き下がった。

 あくまで注意喚起と、今後これ以上距離を縮めるなということだろう。


「明日は筋肉痛だな……。

あっちにいっていたときは、安全上から出歩けなかったよ」


 ミルがジト目で、ため息をつく。


「安全でも出歩かないでしょ。

見栄を張らなくてもいいわよ。

明日の筋肉痛より、もうちょっと先のことを教えて」


「例えば?」


「ヴァーナに礼儀作法を教えなくてよかったの?

アルから教育は不要って言われたから……。

なにも教えていないわよ」


 シルヴァーナにはあえて、礼儀作法は教えなかった。

 色々な問題から教えないほうがよい、と判断したからだ。


「礼儀作法はある意味で、文化の基礎だよ。

もしシルヴァーナが貴族なら、ラヴェンナ式を覚えていて当然。

シケリア王国だってそう思う。

ところが平民なのは知れているからね。

そこにラヴェンナ式を持っていくと、シケリア王国が警戒するよ」


「礼儀で警戒?

知らないと怒られるなら分かるけど……。

ラヴェンナ流を決めたでしょ。

それなら覚えるのは難しくないわ。

なんで覚えると警戒されるの?」


 ソフィア・スカッリャ・ペザレジを招聘しょうへいして、ミルたちはアクイタニア流を学んでいた。

 ソフィアはその道の大家で、宰相ティベリオやカルメンの師でもある。

 王宮に出向いたときや、スカラ家の祝い事に出席したときのために必要となるからな。


 それだけにとどまらず、ラヴェンナ流を創設した。

 これは皆に心理的な抵抗があったからだ。


 ソフィアから『基本的な常識が異なるから、ラヴェンナ流を創設したほうがいい』と提案された。

 皆も他所の礼儀より、ラヴェンナ向きの礼儀を歓迎したようだ。

 かくしてラヴェンナ流の基礎が出来た。

 お陰でソフィアは、ラヴェンナ流の大家となってしまい、多忙だと聞く。


『年寄りでも、容赦なく酷使されるのはラヴェンナらしいですね』


 こう言われては笑うしかなかった。


 普通の礼儀作法は複雑であることが、同じ価値観の証しとなる。

 だがラヴェンナ式は違う。

 どの種族でも出来るシンプルなもの。

 しかも貴族や平民の境がないのだ。

 だからこそ問題がある。


「結婚は文化の融合的側面もあるからね。

実家の文化を持ち込む人もいるし、嫁ぎ先の文化に切り替える人もいる。

それは流儀の違いでしかないだろ?

ところがラヴェンナの価値観は、他所と大きく異なるからね。

一般的な概念で考えれば、騎士の流派と、傭兵の戦い方程度に差が大きいよ」


 複雑化により特殊性と同質性を高めるのが、一般的な礼儀作法だ。

 だからこそ有職ゆうそく故実の大家が存在する。

 存在自体に意義があるものが貴族の礼儀作法。

 そこに合理性を持ち込めば嘲笑される。

 変わらないことに意味があるからだ。


 実用的であることが最優先のラヴェンナ式。

 合理性を持ち込むと検討される。

 時代と共に変わるのだ。


 しかも平民にまで門戸を開くなど、決して受け入れられないだろう。


「あ~。

そうなるとアクイタニア流がいいけど……。

『向こうに合わせるなら覚えても無意味』って、ヴァーナが言っていたわねぇ。

簡単なラヴェンナ流なら覚えられるけど……。

それだとヴァーナにその気がなくても警戒されちゃうかぁ」


 シルヴァーナは元冒険者だけあって、極めて現実的だ。

 礼儀作法は虚礼と思っているだろう。

 必要なら覚えるが、すぐ捨てるものに多大な労力を割きたがらない。

 本人にその気がないなら教えても無駄だ。

 周囲のために、必死に覚えたとしても……。

 ペルサキスには、付け焼き刃の滑稽な礼儀と映るだろう。

 モテただけに、相手が自分に合わせることに慣れきっている。

 シルヴァーナと相性がよかったのは、ペルサキスに合わせないからこそだ。


 つまりシルヴァーナ最大の魅力を殺すことになる。

 ただ礼儀作法が未熟な貴族モドキとしか思われない。

 これではシルヴァーナを不幸にさせるだけだろう。


 諸々の条件を考えて、いっそ教えないを選択した。


「そうそう。

ただ事前合意は必要さ。

軽視されていると感じ、相手が怒るからね。

なのでガヴラス卿からは合意をもらっている。

『そっちで必要な作法は教えてくれ』ってね」


 ゼウクシスも、この問題を心配していたのだろう。

 俺の打診は渡りに船だったようだ。


「それで納得したの?」


「もっともらしく渋っていたけど……。

シルヴァーナに礼儀を教えるほうが、国内の反発に対処するよりマシだ……と思っているはずだよ。

『ラヴェンナ流とシケリア流が融合してもいいのか?』と言ったら降参したからね。

あとはガヴラス卿が頑張ってくれるさ。

まあ……ご苦労なことだよ」


 思わず笑いが漏れる。

 ゼウクシスが苦労する様は想像するだけで面白い。


「そっか。

なんだろう……アルは、ガヴラス卿に当たりが強いわね。

なにかあったの?」


 別に、遺恨なんてないぞ。

 いじり甲斐がある……とでも言うべきか。


「別になにも?

強いて言うなら……なんとなく」


 ミルは大きなため息をつく。

 心底呆れたらしい……。


「いいけど……程々にね」


 そう言われてもなぁ……。

 ゼウクシスが勝手に身構えるだけだよ。


「善処するよ。

なんかこう……イケメンで、非の打ち所がない。

性格も真面目で責任感が強いタイプ?

つい揶揄いたくなるなぁ……」


「国際問題になっても知らないわよ。

あ……国際問題で思いだした!

ひつがあった場所の話は知っているでしょ?」


 突然だな。

 今調査の結果待ちだが……。

 なにか知っているのか?


「火柱があがった話だな。

それがどうした?」


「アイテールがって言っていたわ。

もしかしたら……火柱ってアイテールのじゃないかな?」


 そんな話をしていたのか。

 ラヴェンナが気を回したな。


「なるほど……。

なんとかすると言ったあとか。

ただ……」


「ただ……どうしたの?」


 タイミングは一致するが、決定打に欠ける。


「それなら片付けたって、話をしにこないか?」


 ラヴェンナは律義だからな。

 報告はしてくるはずだ。


「どうかな……ラヴェンナは忙しいのかも。

それとメッセージらしきものは受け取ったわよ」


 なるほど……。

 そう判断した根拠があるのか。


「どんなメッセージだ?」


「執務室でエテルニタが昼寝していたけど……。

突然ラヴェンナ像に近寄って匂いを嗅いだの。

そのあとで、私のところにきて鳴いたのよ。

尻尾まで立ててね。

私が首をかしげていると、また鳴いて尻尾を立てたの。

『もしかして……用事が済んだってこと?』って聞いたら、満足気に鳴いたわ。

皆驚いていたわよ」


 エテルニタは、ミルに近寄らない。

 嫌っているわけではないが……。

 仕事中は遊んでくれないので寄らない。

 エテルニタが遊びを催促していないなら……その可能性が高いな。


「エテルニタを伝言役にしたのか……」


「そうじゃないかなぁ……。

エテルニタはラヴェンナからのメッセージが受け取れるみたいだし。

だからお礼に、おやつをあげたけどね」


 ミルが突然笑いだす。

 なにかドラマでもあったのだろうか。


「なにかあったんだろ?」


「そう。

おやつをあげたら、子猫たちを呼んで譲ってあげたのよ。

親子の愛情だなぁ……って感動したんだけど……」


 ミルが大声で笑いはじめた。

 子猫同士喧嘩でもしたのか? その程度ならドラマでもないか。


「それで?」


「そしたらエテルニタが、珍しく机に乗って、私の目前で圧をかけはじめたの。

『親子だと足りないから、もっと寄越せ』と言わんばかりよ。

チャッカリしているのが……面白くてね。

エテルニタの分もあげたわ」


 昔のエテルニタは机に乗っていたな。

 だがインクツボをひっくり返して以降は、キアラが乗らないよう躾けた。

 それ以降エテルニタは机に乗らない。

 迷惑を掛けたからではなく……。

 と学習したようだ。


「たしかにチャッカリしているな」


「それで終わりじゃないのよ。

子猫たちは食べかけなのに、エテルニタにあげたおやつを横取りしようとしたの。

エテルニタの食べているほうが気になったと思うわ。

そうしたらエテルニタが『これは、お前たちの分じゃない!』と言わんばかりにパンチして追い払ったのよ。

鮮やかな3連続で。

もう可笑しくって……皆も大笑いよ」


「たしかにそれはすごいな。

伝言役はいいけどさ。

エテルニタの負担は大丈夫かな?

俺たちが呼ばれた翌日はすこし疲れるだろ。

小さい体で大丈夫かな?」


「それは大丈夫じゃない?

エテルニタの負担になることを、ラヴェンナがするとは思えないわ。

なにか力でも与えたんじゃない?」


 いやいや……。

 幾らなんでもそれはないだろう。


「現世には介入出来ないはずだが……」


「そこはアイテールじゃないかしら?

えらくお気に入りみたいよ。

特別な加護を与えていても驚かないわ」


 ああ……。

 たしかにそうだ。

 やりかねない。


「有り得る……。

まあ負担がないならいいさ。

じゃあ炎の柱の件は、結果待ちでいいか。

各地で一斉に起こったからな。

アイテールが同族に頼んで、一斉にやったかもしれない」


 ミルは笑って体を寄せてきた。


「アルが早く戻れるように手伝ってくれたけど……。

それとは無関係に戻ってきちゃったね」


 無駄ではない。

 それどころか……望外の助力だよ。


「いや。

対処の優先順位を下げられるのは大きい。

どこかでお礼をしないといけないな」


「またエテルニタを連れきてくれって言われるわよ」


 頻繁には会えないだろう。

 なにより本当に大丈夫か確認しておく必要がある。

 俺たちの都合に、エテルニタ母子を振り回す気になれない。

 その心配は無用だろうが……。

 一応念のためな。

 なにかあったあとでは遅い。


「本当に大丈夫か……確認は必要だな。

普通なら人より掛かる負担は大きいだろう。

それでも嫌がらないどころか……催促するくらいだ。

疲労はないと思う。

でも確認だけはしておきたい」


 動物だけに本能に正直だろう。

 ミルはほほ笑んだが、すこしだけ眉をひそめる。


「そうね。

それがいいと思うわ。

あ……折角だから、もうひとつ聞きたいことがあるの。

ちょっと踏み込んだ話になるけど……いい?」


 珍しいな。

 遠慮しなくていいと言っているが……。

 それでも、気になるほどのことがあるのだろうか?


「ミルなら構わないさ」


 ミルは安心した顔で小さな吐息をつく。


「有り難う。

分かってはいるけど……念のために聞きたかったの。

エテルニタの話と同じよ。

それでね。

アルってとても、自己肯定感が弱いっていうか……。

否定感が強いけど、性分なの?

なんかルルーシュの諫言で調整している感じ。

意図的にやっているの?」


 そこに違和感があったのか。

 性分だと思って諦めていたら、若干でも改善したことが意外だったのだろう。


「性分もあるね。

ただ……怖さが、先に立つかな」


「怖い? 調子に乗って足をすくわれることかしら?」


「結果から見れば同じだろうね。

肯定ばかりで全能感に満たされるのとは違った形だけどさ。

頭がよいと自覚しているタイプこそ……はまる落とし穴があるんだ」


「さすがのアルでも、自分は平凡だと言えないのね」


 ミルは悪戯っぽく笑う。

 あまり口にだしたくはないが、結果から見て、そうなるだろう。

 今のところ求める結果に必要な知性は満たしている。

 しかも過度な謙遜は、過度な自慢と大差ない。


「今更それを言ったら嫌味だろう?」


「そうね。

代わりに運動方面はまるでダメだし……字も汚いわね。

それがアルだからいいと思うわ。

それで……落とし穴は、人の話を聞かないことかしら?」


 フォローになっていないぞ……。

 いいけどさ。


「そう。

周囲の感情に飲まれることなく冷静に、周囲を利用する。

それ自体は問題ないけど……。

見落とすことがある」


「自分が常に正しいと思うこと?」


 自己の頭脳に自信があるタイプは、感情に流されることを蔑視する。

 だからこそ常に自分が正しいと思いたがる感情を忌避し、可能な限り客観的に判断しようとするだろう。

 それ自体は問題ない。

 だが……。


「それも冷静に判断すると思う。

だからこその落とし穴になるけど……。

自分が特別であると思えば思うほど、初歩的なことを忘れる。

自己の判断も、感情に立脚していることをね。

感情に流されるのは普通の人たちであって、特別な自分は違う。

これはある程度の事実があるからこそ……認めるのが難しいと思うよ」


 人は見たいと思う事実しか見ない。

 それは頭の出来など関係ないだろう。

 嗜欲喜怒しよくきどの情は、賢愚皆同じ。

 そう分かっていたとしても……。

 実績が入り込めば、容易く全能感に囚われる。

 より強く囚われるというべきか。


「ああ~。

自分は常に冷静に判断していると思うわけね。

プリュタニスはそれで、アルにへこまされていたっけ。

最近はどうなの?」


 プリュタニスは俺より、地の頭はいいだろう。

 問題は制御に欠けているだけだ。

 それを自覚しはじめた。

 いい傾向だよ。


「素直に他人の意見を聞いていますよ。

大きな成長ですし、今後大きな失敗を犯すことはないでしょう」


「そっか。

アルが人の言葉を頭ごなしに否定しないのは、思い込みを戒めているからかぁ……。

子供の話ですら否定しないのは徹底しているわ。

そのせいで『領主さまと話そう会』が、とても好評よね。

開催希望がとても多いのよ」


 子供に下手な誤魔化しは通じないし、しがらみから忖度そんたくすることがない。

 だからこそ怖い部分もあるんだよなぁ……。

 大人は騙せても子供を騙すのは、難易度が高い。


 動物が罠に掛かっても、詐欺には引っかからないように。

 大人は罠に容易く掛からないが、詐欺には容易く引っかかる。


 皆にもそれを知ってもらいたいところだ。


「俺だけじゃなく、皆も話してくれよ。

俺ばかりが目立っても仕方ないだろ?」


「皆に伝えておくわ。

それにしても……自分の間違いを自覚するのは難しいのね」


「それが分かるとしたら他人だよ。

人の話を聞かず、自分の過ちを正し続けるのは、鏡を見ずに身だしなみを整えるようなものさ。

それは日々積み重なる。

自覚したときは、時既に遅し。

とんでもないズレになっているだろう」


 ミルが小さなため息をつく。

 もしかしたら、俺が不在時の振る舞いを思い返しているのかもしれない。

 ミルに遠慮なく指摘出来るのはシルヴァーナくらいだ。

 手放すのは惜しいが、俺たちの都合で、シルヴァーナの人生を縛る気にはなれない。

 人格上は対等だからな。


「そうね。

私もアルに倣って、もっと人の意見を聞くようにするわ。

皆は私に遠慮して言ってくれないのよね。

アルが隣にいてくれたら、そんな心配はないけど……。

なにかの都合で、一時的に離れることはあるしね」

 

「出来るだけそうならないようにしたいよ。

ミルに任せれば安心だけど、ミルの負担が心配だ」


「有り難う。

私はアルの負担が心配よ。

あ……また繰り返しになっちゃうね」


 思わずふたりで笑ってしまった。


「そうだな」


「それで頭の言い人は、自分の過ちを自分で正すのが難しいのね」


「自分が特別で優秀だと思えばこそ、他人からの指摘など聞き入れない。

他人とは自分の思惑通りに動かす存在でしかないからね。

他人は舞台での観客とでも言えばいいかな……。

人格上も対等とは見なさないよ」


 ミルが一瞬厳しい表情になって、大きなため息をつく。


「うーん。

なんか傲慢ごうまんよね」


「他人からそう見えるのは当然だろうね。

でも大きなことをするには、人格円満では無理だよ。

傲慢ごうまんなくらい性格がとがっていないと出来ない。

それと頭がいいからこそ、物事を単純化して労力を注ぐ場所を見分ける。

虚栄心から見下すのではなく、必要性から分類する感じかな。

もしやっていることが公の利益に資するなら、熱心な観客も増える。

それで謙虚なんて無理筋だと思うし、謙虚さを求めるのも違うだろう」


「それもそうか。

アルもかなりとがった性格だものね。

人には見せないから分かりにくいけど。

だからアルは、結果だけを求めて……とがった人には寛容よね」


「そもそも謙虚さは単純化の時点で捨てているからね。

対等に見てほしければ、相応の能力を示せと思うだろう。

筋が通っているからこそ、傲慢ごうまんだと指摘しても鼻で笑われるよ。

それが熱心な観客に、より好まれる。

ただ……そうでもない観客は内心反発すると思うけどね。

『皆さんのお陰です』というのが使徒教徒の常識さ。

『俺の実力』と言ったら嫌われるだろ?」


「そうね。

実際に実力が飛び抜けていても、謙虚さが求められるわね。

それも理詰めなら不要かぁ……。

そこまで理詰めで差別化しているなら、人の話なんて聞かないわね」


 優秀さの自覚は必要だが、危険と隣り合わせだ。

 頭のいい者が必ず成功するとは限らない要因だな。

 運の占める要素が、必然的に大きくなる。


「個人内で完結してしまっているからね。

それも単純化の結末だから、どうしようもない。

仲間がいても、限りなく価値観と視野は同質化している。

そうでないと仲間とは認めない。

だから指摘は難しいだろうね」


「自分が優れているから、同じでないと認めないかぁ……。

異なる優秀さは単純化する段階で省かれるのね」


「そう。

だから些末な誤りは認めるだろうけど……。

大きな誤りは認めることが出来ないよ。

それを誰かが指摘しようものなら、熱心な観客から袋叩きにされるだろうし」


 ミルが不思議そうな顔をする。


「小さい誤りだけ? それって……逆じゃないの?」


「いや。

過ちを頑なに認めないのは愚かだ……と思っている。

舞台で言えば、セリフの間違いを指摘されたら直す。

ただ脚本の過ちは認められない。

その違いだよ」


「間違う前提はないのかぁ……。

過ちを訂正していると思うからこその落とし穴ね。

セリフ間違えは、自分の脚本からズレたことだから認めるけど……。

判断基準はすべて自分なのね」


 ミルは俺の思考法を理解しきっているだけある。

 言葉の裏に隠した真意を、すぐに読み取った。


「そう。

内心で他人を見下しているからね。

下と見ている相手に、大きな過ちを認めるのは屈辱的で、耐えがたい苦痛だと思う。

今まで自分の積み上げてきた自信が揺らいでしまうからね。

それは感情から来るものだよ。

でも自分は、感情で判断を狂わせないという前提がある。

最初の自分を省みて軌道修正するしか、方法はないだろうね。

ミルのいうとおり……。

自分を基準にしか、自分の誤りを訂正出来ない」


「でも失敗しないケースもあるわよね」


 当然、成功例もあれば、失敗例もあるからな。


「そうだね。

短期かつやるべきことを限定すれば、成功率は高い。

長期になるか、手を広げすぎると失敗する率は格段に跳ね上がるよ」


 ミルが微妙な表情でため息をつく。


「頭がいい人は、いい人なりのもろさもあるのかぁ……。

アルはそのもろさを自覚しているから、あそこまで自己肯定感がないのね」


「俺は調子に乗ると、その落とし穴にはまりやすい。

しかもラヴェンナを作ったのだから、戦いは長期。

対応すべき範囲も広い。

幾ら用心してもし過ぎることはないのさ」


「ちょっと悔しいけど、考えのズレを指摘するのは難しいわ。

応援や協力……寄り添うなら、幾らでもするけど」


 ミルが体を密着せてほほ笑む。

 俺は握っていた手を離して、ミルの腰に手を回した。

 手をつないだままだと密着しにくい。


「応援や協力は大きな力になるよ。

それとは別に、自分を映す鏡が欲しかっただけさ」


 ミルが突然、眉をひそめる。

 これは……なにか引っかかる点があったからだな。


「もし敵の頭がよいとき、アルはどう戦うの?」


 それが気になったか。

 クレシダ戦には応用出来ない。

 それでも知っておいて損はないだろう。

 たしかに強敵になるが、手段はある。


「敵の勢いが強いときは、決して正面から戦わない。

十分な対策をしているだろうしね。

姿を隠して、敵の欲するものを与え続ける。

勿論、俺の損にならない……虚栄心や自己肯定感だよ。

それも直接しない。

観客をそう仕向ければいいのさ。

観客は、好ましい話題を喜んで聞くからね。

事実に基づいて敵を称賛すれば、敵の自己肯定感はより強くなるよ」


「そっか……。

勢いのある敵と戦っても大変よね」


 競技と違って、ベストの相手と戦う必要はない。

 正々堂々戦うのは、結果を確認させるときだけだ。

 それ以外は、弱っているときに戦うのが最善だろう。


「そうやって、敵の自尊心と虚栄心を高みに登らせる。

やがて綻びが生まれ、自然と高転びするよ。

とがった性格だけに、高みに登るほど敵も増える。

対処するときは、性格に添った対処法になる。

必然的に行き過ぎが生まれるだろう。

それで問題ないほどに、俺の周囲がお粗末なら……さっさと逃げるかな」


「足を払うの?」


「いや。

より高く……より不安定にさせるだけ。

それだけ高く登ると、敵が増えることになるからね。

内心で反感を持つ観客まで増えるんだ。

こっちが手をださなくても、誰かがよってたかって足を払うだろう。

しかも高くて足元はグラグラだ。

愚者でも賢者を転ばすことは出来る。

地面に立っている大人を子供は倒せない。

だけど積み上げた樽の上で立っている大人は?

不安定なほど積み上がれば、僅かな力で転げ落ちるだろう。

しかも俺は表向き敵対していないから、反撃は別人に向かう。

そのときは敵が一斉に増えて、対処が困難になるだろうね。

かくして俺は無傷で、相手だけが疲弊しきる」


 ミルが呆れたような感心したような、微妙な顔をする。


「それって怖いわね。

対処法を知っているからこそ、アルは高く登らないように、腰を低くしていたのかぁ。

そのために、ルルーシュを顧問にしたのね」


 それは買いかぶりだよ……。


「顧問にしたのは便宜上だったよ。

実権を与えずに監視出来るからね。

ところが予想外にも、いい諫言をしてくれる。

ルルーシュが自分で、顧問の実権をもぎ取ったのさ。

あれだけの見識なら、外交にも使える」


 ミルは驚いた顔をする。

 モルガンは密使として働いていたが、それは世界主義のような隠れた組織だから。

 表の使者としては不向きと思ったか。


「えっ?

あの面の皮の厚さは分かるけど……。

正直すぎない?」


「役目に応じて、適切な働きをしてくれるさ。

正直なのは、元世界主義者としての疑惑を持たれないための側面もあるだろう。

やらせても問題ないと思っている。

密使としての経験しかないからこそ、裏交渉は大丈夫じゃないかな?」


 当然、本人とも話した結果だがな。

 出世するためならやると、無個性なやる気を見せていた。


「裏交渉? 表とは必要な資質が違うのかしら?」


 ミルは外交関係に携わってこなかったからな。

 そのあたりには疎いか。


「基本的に大きな交渉は、裏で話をまとめることが大事だよ。

だから最も大事なのは裏交渉だね」


「商務省がやっている交渉って表ばかりだと思っていたわ」


 そこはパヴラがフロケ商会に出向していたときに、ノウハウを叩き込まれている。


「裏交渉をしっかりしているよ。

それこそ立ち話や、私的な手紙とかを通じてね。

表で決裂すると、それで終わりさ。

別の交渉すら難しくなる。

裏交渉が決裂したら? なかったことにすればいいからね」


「そっかぁ……。

どうしてルルーシュに資質があると思ったの?」


 あくまでモルガンの為人ひととなりを判断するために聞いた話からはじまった。


「密使をしていたとき、どのような心構えでやっていたかを聞いたのさ。

クララックは人として話せばつけあがるから、獣として躾けたそうだ。

それ以外は、四つの心構えで事足りると」


「あのクララックとも交渉していたのね。

私はよく知らないけど、アルからの評価が最悪なのは知っているわ。

それで四つの心構えって?」


 モルガンが非凡だと認識した、見事な回答だった。

 俺の考えとも一致している。


 もし、俺の意向に添うためだけに話したとしてもだ。

 元々モルガンは、傲慢ごうまんな性格だと思っている。

 その性格とは違う回答だ。

 それでも問題ない。

 公言したからには、それに添ってくれるだろう。


「まず相手を理解すること。

そして相手の、恐怖や願望を知る。

加えて相手は、底意地が悪いと覚悟すること。

これらを踏まえて、粘り強く交渉する。

ほぼ満点だね」


 ミルが意外そうな顔になった。

 これだけ聞けば足りない点などないように思える。

 だが一点だけ、当たり前のことが抜け落ちていた。


「あら……ちょっと足りないの?」


「どれだけ交渉相手が冷徹であろうとも、感情に左右される人だよ。

敬意を払えば、話を聞いてもらいやすくなる。

屈辱を与えれば、話を聞いてもらえない。

単純な話さ」


「言われてみれば……いつもの当たり前ね」


「それを指摘すると、当然心得ていると言ったよ。

ただ敬意を払うとつけあがるクララックには逆効果。

あくまで人間にのみ通用するテクニックだと。

そこまで分かっているなら、問題ないだろう」


 どれだけ相いれないような要求も、最初は希望に過ぎない。

 利があるなら、忍耐強く交渉すれば、着地点が見えてくる。

 ただ双方の面目をつぶさないことが大事。

 それだけのことだ。

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