874話 リスク回避

 マンリオから続報が届いた。

 1か月程度の時間差で、ここにも届くが……。

 書状を読んで、思わず舌打ちしてしまった。


 当然皆は驚くが……。

 俺は苦笑するしかなかった。


「これを押しとどめるのは無理ですね」


 書状は聖ひつに関する噂のことだ。


『聖ひつは1日1万人の食糧となるマナを生みだす。

それだけの力を持つからこそ、人が立ち入れない地に隠された。

だがその地の危険が薄れる条件は存在する。

悪魔の地に掛かっている霧だ

夏でも寒くなると、霧は一時的に晴れる。

そのときのみ立ち入ることが出来るであろう』


 書状を読ませてとアピールをしてくるカルメンに渡す。

 ここから皆で回し読みだな。

 全員が読み終えて、ため息をつく。

 ひとりキアラは皮肉な笑みを浮かべる。


「食糧の誘惑と、今しかない好機の抱き合わせですわね。

1日1万人の食なんて実現可能でしょうか?」


 具体的な数値に、意味はないと思う。

 実現可能かどうかではなく、信じるための動機付けだからな。


「現実的に考えればありません。

手にしたら世界の王になれる話自体が、そもそも荒唐無稽です。

そこにもうひとつ願望が積み重なっても、違和感などないでしょう。

むしろ1日1000人でもあり得ませんが……。

そのような表現だと、幻想が醒めてしまいますよ」


 キアラも数値自体に意味のないことは、薄々察していただろう。

 大きな嘘に着せる服のサイズは、自然と大きくなる。

 それだけの話だ。


「大きな幻想だからこそ、大きな願望が必要なのですわね」


「ええ。

ただ問題として……。

マナなる食糧が生みだせるとなれば、ある根源的欲求を刺激しますよ。

それは利益を追求したい欲求です。

これではランゴバルド王国でも、手をだす人たちが現れますよ。

止めることは出来ません」


 タダで食を生みだせるなら、利益はどれほどになるか。

 権力に興味のない商人でさえ刺激してしまう。

 冷静な商人であれば、手をださない。

 だが冷静さを失っている商人がいれば、どうなるか……。


 プリュタニスが天を仰いで嘆息する。

 どう考えても理性的ではないが、衝動的に動く人間を多く見てきたからな。


「これで魔物の攻撃が激しければ違うのでしょうけど……」


 そこがまたクレシダの仕掛けた罠の一環だ。


「きっと小康状態になるでしょうね。

この機を逃すと、また大量に押し寄せるかわからない。

そうなっては探すことすら不可能になる。

焦りが僅かに残っていた慎重さに、トドメを刺すでしょう。

ここまで餌をぶら下げられると、商人も参加しますよ。

どこかが口火を切れば……ですが。

武力としての傭兵は、まだ生きていますからね」


 キアラは不思議そうに、首をかしげる。

 可能性としてはあるだろうが


「どこかの商会が動きますの?

そのようなことをしたら睨まれて、商売が出来なくなりますわよ」


 商会自ら動けばそうだろう。

 だがどこかの領主を隠れ蓑にすれば、幾らでも動ける。

 成功するかは別問題だが。


「前にリッツァットさんから相談された件があったでしょう?」


 キアラは眉をひそめる。

 記憶を探っているようだ。

 なにせ、キアラには、膨大な情報が、日々集まってくる。

 優先度が低いものは忘れがちだ。


「ティエポロ商会でしたわね。

たしか代替わりして、若い当主になりましたけど……。

その新当主エルヴェツィオを不安視して、リッツァットがお兄さまに相談してきましたよね」


 ティエポロ商会はアッビアーティ商会とも、付き合いが深い。

 そして先代のときから落ち目だったが、内乱時にも上手く対応出来ずにいた。

 心労で倒れた先代に代わって、息子エルヴェツィオに代替わりしたのだが……。

 アッビアーティ商会はエルヴェツィオの方針に、違和感があったらしい。


 リッカルダも同じ感想だったらしく、俺の見解を知りたかったようだ。


「彼に関して私は、厳しい見解を述べました。

リッツァットさんが違和感を持つのは正しい。

その理由も述べました」


 ティエポロ商会は代替わりをして、方針を大転換した。

 家族主義的な経営から徹底した合理化をすすめるものだ。

 コストカットと称し、なじみの取引先や、反対する従業員を切り捨てる。

 お陰で収益は大幅に改善し、と持て囃されていた。

 

 俺は派手なコストカットに対して否定的だ。

 そもそもコストカットは、新たな利益を生む仕組みではない。

 本当に無駄であれば削るのは当然だが……。

 そうでなければ、組織内の抵抗が大きくなる。

 だからこそ黙らせるため、大きな成果が必要になる。

 結果として無駄ではないものすら削る。

 それなら一時的に大きく収益は改善するだろう。


「ええと……。

『彼のやろうとすることは、一見合理的です。

だが可視化出来ない財産が見えていない。

運がよければ、一時的に成功するけど、長期的には大失敗する』

そうおっしゃっていましたね。

それでお兄さまの予想は的中して、ティエポロ商会は迷走中でしたっけ」


 アーデルヘイトは小さなため息をついた。

 なにか思うところがあるのだろう。


「旦那さまが、公衆衛生を重視するのはとても大事なことだ、とおっしゃっていましたよね。

これは見えない財産だって。

パーティーでよく聞かれましたけど……。

『公衆衛生に大金を投じるほど、ラヴェンナは金が余っているのか?』って。

他所での優先度は低いんだって痛感しましたけど……。

旦那さまの中で、優先度はとても高いですよね」


「極めて高いですよ。

この手のリスク回避は軽視出来ません。

予算を削るなら、よほど慎重に吟味する必要があります。

だからと無尽蔵に、予算をつぎ込めませんけどね」


「旦那さまが唯一怒ったのは、この話でしたね。

疫病の怖さを軽視するなって。

運がよければ、疫病は流行らないですけど……。

なにもせずに疫病が流行れば、壊滅的なダメージを受けますね」


 プリュタニスが腕組みをして考え込む。


「アルフレードさまは、ティエポロ商会がやっていることに否定的でしたね。

『公衆衛生や災害対策と同じリスク回避に掛かるコストを削っている』と指摘していましたから。

当時はピンときませんでしたが、珍しく『あとでわかります』と予言めいたことを言っていたのが印象的でしたよ」


 キアラが、突然フンスと胸を張る。


「お兄さまの予言なので、当然当たると信じていましたわ。

他の話題が大きすぎて聞きそびれましたけど……。

リスク回避に掛かるコストを削っていると、何故わかったのですか?

当時は無駄なコストを、容赦なく削ったと聞いただけですよね」


「簡単な話ですよ。

コストカットで大きな成果をだしたいなら、利益に直結しない部分に目を向けます。

それはリスク回避しかないのですよ。

誰しもが理解出来るほどの無駄なら、代替わり前に削れます。

でも先代は収益が落ち込んでも、そこは削らなかった。

無駄だと思っていなかったのでしょう

リスク回避の重要性を理解していたと思います。

ではそのリスク回避とは?」


「お兄さまは商務大臣のパヴラに、色々教えていましたけど……。

忘れてしまいましたわ。

なんですの?」


「商品の品質管理、あとは顧客や取引先と関係を悪化させない教育に掛かるコストです。

質を維持したいなら、仕入れの値段もあがります。

逆に利益だけをあげたいなら、質の管理をしない安い仕入れ先に切り替えるでしょう。

もしくは仕入れ先に圧力を掛けて安くさせる。

必然的に、質はなおざりになるでしょう。

切り捨てられた仕入れ先は、質の管理を放棄しなかったからこそ……切り捨てられたと思いますね。

また顧客や仕入れ先の心証を悪くすれば、なにか問題が起こったとき、敵に回ります。

失言な傲慢ごうまんな振る舞いをさせない教育にも、金は掛かるでしょう?」


 キアラは大きなため息をつく。


「ああ……。

それで不用意に敵を作るような言動はするな、と戒めていたわけですね」


「そうです。

ティエポロ商会の収益が劇的に改善したとなれば、そこを削るしかないでしょう。

当主が有頂天になっていると聞いた時点で、私の評価対象外です。

リスク回避が何故必要なのかを理解していませんからね」


「それこそ運任せですわね」


「運にすべてを委ねる生き方は、個人なら構いません。

ですが……組織の長としては論外、と言わざるを得ません。

そしてリスク回避を軽視したツケは、カットしたコスト以上になって返ってきます。

結果的に、収支はマイナスどころか組織の終焉しゅうえんを招きかねないのです」


 キアラが、皮肉な笑みを浮かべる。


「調子がよかったのは一時でしたわね。

大事な商品の質が低下して、その後の対応も火に油を注ぎましたもの。

そこに失言や不祥事の隠蔽いんぺいが露呈して大炎上。

今やは、と称される有様ですもの。

ティエポロ商会の幹部も、責任回避に終始していましたわね」


 それは当然だ。

 強引なコストカットをすすめるなら、側近はイエスマンで固めないといけないからな。


「このような強引なコストカットは、反対派を排除して行われるでしょう。

つまり幹部には、イエスマンしか残らないのです。

そしてイエスマンの行動は、責任転嫁が原則。

モラルも軽視しがちでしょう。

だからこそイエスマンたり得るのですが……。

そのような集団が首脳陣になると、どうなりますか?」


「そうですわね。

トップの意見が絶対ですから……。

『現場の意見は不要。

ただ指示に従え』

となりますわ」


「そのとおりです。

首脳陣の原則が、組織の原則になるのは必然でしょう。

それでも指示する側が結果の責任を取るなら成立しますが……。

指示する側は責任転嫁が原則なのです。

私が常々言っているでしょう。

『指示する側には責任が。

受ける側には義務が発生する』

これが成立しません。

一度問題が起これば、現場の責任だとなるでしょう。

結果として現場の士気とモラルは、最低になりますよ」


 カルメンが苦笑して髪をかきあげる。


「それって現場で良心のある人は大変ですね」


「仮に現場でモラルを維持する人がいたとしても……。

疲弊した結果、潰れていなくなるでしょう。

それを見た人々は、ますますモラルなき指示待ち状態になります。

首脳陣は『風通しのいい組織になった』と自画自賛する。

実際そうなりました。

違法な指示でさえも通るほど……風通しのいい組織ですから」


 キアラが苦笑して肩をすくめる。

 ティエポロ商会が違法な商品まで売っていたと発覚したからな。

 その対応も当然ながら大失敗して、炎上しまくっている。

 風通しがいいだけに、火もよく回るわけだ。


「まさにお兄さまの予言通りの展開ですわね」


 これだけなら、ティエポロ商会の自滅で済む話だ。

 だがそれだけではない。


「それと内乱時に、ティエポロ商会は傭兵を仲介する商売に、手をだしましたよね。

当然ですが傭兵の質は大変悪い。

安い賃金ですから、それなりの質にしかならないわけです。

これも炎上の一因ですが……。

ティエポロ商会はかなり追い詰められています。

もう生きるか死ぬかの瀬戸際でしょう。

願望にすら飛びつくと思いませんか?」


 キアラは呆れ顔でため息をつく。


「食糧が生みだせれば、タダで手に入るものを売るから、利益は大きいですわね。

もしくは傭兵に食事を売りつければ、利益になる。

安直すぎて……ため息しか出ませんわ」


 カルメンが皮肉な笑みを浮かべた。

 エルヴェツィオはカルメンが嫌うタイプの典型だからなぁ。


「たしかにエルヴェツィオは、自分が賢いと思っているでしょうね。

だからこそ現状を受け入れられない。

苦し紛れに飛びつくと思いますよ」


 キアラも皮肉な笑みを浮かべる。


「合理性を売りにしていたエルヴェツィオが、合理性とほど遠い願望に飛びつくわけですのね」


 そもそも合理性を理解しているのだろうか。

 俺には、そう思えない。


「売りにしていたと言っても、あくまで看板ですよ。

本質は違います。

あれはタダの衣装ですよ」


 カルメンが驚いた顔になる。

 変なことを言ったかな……。


「アルフレードさまにしては、辛辣しんらつな批評ですね。

エルヴェツィオなりに必死に生きているのでは?」


 ああ。

 そこに矛盾を感じたのか。

 エルヴェツィオの言動は、リッカルダから聞いている。

 たしかに、必死に生きている。

 だがなぁ……。


「私は自分の責任で努力する人を馬鹿にしないだけです。

人を養分にして、必死に生きる寄生虫に慮る必要性を見いだせません。

矛盾していると思われるでしょうけどね。

私なりの基準に合致すれば慮る。

しなければ遠慮しません。

これでは他人から見れば矛盾している、と思うのは当然でしょうね」


 だから一貫しないところだけは一貫する……と言われるわけだ。

 でも直す気はない。

 無条件に一貫することがいい……とは思えないからな。

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