847話 怒りの正当性

 放送当日になった。

 連日の抗議行動は、過激になって投石一歩手前。

 ギリギリで、なんとか踏みとどまっていたようだ。


 不意打ちのつもりなのだろうが……。

 予測していた事態が発生する。

 俺の放送前に、メディアが俺への非難放送をはじめたようだ。

 新たな亜人トラブルを持ち出してきた。

 なにも驚くには値しない。

 やると思っていたからだ。


 だが周囲は異なる感想を持ってしまう。

 それを見たキアラの表情は消える。

 カルメンとアイコンタクトをした。

 これはヤバイ。

 慌てて、ふたりを制止した。


 本気で殺るつもりだったからだ。

 

 ここで動かれると、これからやることに問題が発生すると説得。

 なんとか中止してもらったが……。

 満足するレベルが上がったことは確かだ。


 これはよほどハードな仕返しをしないと納得しないな。


 親衛隊がついてこようとしたが、それは断った。

 

 モデストに護衛を頼む。

 放送会場での俺の安全は確保されていることを説明。


 もしかしたら屋敷が危うくなるかもしれないのだ。

 その点を説明して、なんとか納得してもらった。


 出発前でこれだ。

 俺は平気だが、皆の忍耐力を計算に入れないとダメだな。

 次回への教訓としよう。


 馬車の中から放送は見えるが、さして気にならない。

 モデストは冷ややかに、放送を一瞥した。


「こうやって、事前に新たな情報を流すことで、ラヴェンナ卿の反論を潰すつもりでしょうね」


 だろうな。

 情報を突然増やすことで対処を困難にするつもりなのだろう。

 それにしても……ご苦労なことだ。

 自分たちは汚い手を使うけど、相手は正々堂々戦うと確信している。

 生憎そんな連中の妄想に付き合う気などない。


「だと思いますよ。

私がどのような反撃をするか……。

彼らなりに考えたのでしょう」


 モデストの目が細くなる。


「ほう。

それを想定した上で、どのような反撃をするおつもりで?」


 想定しているからこそ、やるべきことは変わらない。


「それは見てからのお楽しみ。

正直好ましい手段ではありませんが……。

この際仕方ありませんね」


 モデストが意外そうに、眉をひそめる。


「そこまで追い詰められていたのですか?」


「いいえ。

食器に汚物が付くと捨てざるを得ないでしょう。

好ましくはないが仕方ない。

そんなところです」


「なるほど。

最初から余裕で潰せたと」


 実態としての権力を持っていれば潰すのは容易だ。

 だが実態としての権力を持っていない。

 しかも俺は、一般社会では異邦人だ。

 だからもしメディアが、自分の役目に徹していると潰せなかったろう。


 だが……。

 自分の役目に徹するのではなく、地位を利用して俺を攻撃してきた。

 だからこそ機会がやって来たわけだ。


「実のところ、彼らは圧倒的に有利だったのですよ。

あと半年我慢すれば勝てた。

ただ勝負にこだわって、本分を忘れたのです。

詳しい話は終わってからで」


「では楽しみにするとしましょう」


                  ◆◇◆◇◆


 放送をする会議場に入ると、これまた予想された事態が待っていた。

 議場に民衆が詰めかけているのだ。

 普段であれば、警備上の都合などで、庶民の立ち入りは出来ない。

 メディアが俺をさらし上げるために呼んだのだろう。

 民衆は俺の小難しい理屈に反発するから、反撃を封じ込めることが出来る。

 そう考えたのだろう。


 俺の姿を見ると、一斉にブーイングの嵐が巻き起こる。


 普通の人なら気後れするだろう。

 だが……。

 俺は、他人の評価が気にならない。

 だから悪意にも気後れすることはなかった。


 そしてこの悪意は、確固たるものではない。

 空気に流された悪意だ。

 だから悪意そのものが、目的と化す。

 これをどうにかするなど、ムダなことだ。


 そう考えていると……。

 クレシダに率いられたメディアの一団がやってくる。


 サロモン殿下もいるが……うつむいている。

 このようなさらし上げは不本意だろう。

 だがクレシダに反対する力もない。

 そんなところか。

 悪いが、今回も相手にするつもりはない。


 かたやクレシダは興味津々。

 メディアは勝ち誇った顔だな。

 普段は競い合うが、俺への攻撃に関しては一致団結するようだ。

 なんともわかりやすい協力関係だな。

 まぁ……。

 このほうが、処理の手間が省ける。


 メディアの中にイルデフォンソはいない。

 イルデフォンソには、今回出席しないよう通達していた。

 だからこの場にはいない。


 メディアの連中はそれを敵前逃亡だ、と解釈したようだ。


 クレシダが一歩前にでてきた。

 わざとらしく、愁いに満ちた顔をしている。


「ラヴェンナ卿。

約束通り来ていただいて感謝しますわ。

このたけり狂った群衆が落ち着くといいのですが……」


 俺にこれをどうするのか聞いているのだろう。


「それについては保証出来ません。

約束の内に入っていませんし、彼らがいるとは聞いていませんでしたよ」


 メディアの連中は、ニヤニヤ笑う。


『なにか手違いがあったようですね。

この件は、前日に伝えていたはずでは?』


 聞いてもいないし、手違いと言えば無罪放免になる……とでも思ったのか。

 思うのは勝手だがな。

 とことん紳士協定を悪用する連中だ。

 クレシダが芝居かがった仕草で、扇子を口に当てる。


「どうやらなにか齟齬そごがあったようですわね。

ですが……今更、中止は出来ませんわ。

そこはご理解いただけますか?」


「仕方ないでしょうね。

ところで……。

私からの条件はお忘れではないでしょうね」


 クレシダは目を細めた。


「ええ。

決してラヴェンナ卿の話を中断させないこと。

そして放送を止めない。

杞憂きゆうかと思いますが……。

万が一にも無粋な真似はさせませんわ。

もし無粋なことを考える不届き者は……。

この世に存在しなくなります」


 クレシダがメディアを一瞥する。

 メディアの人間は、一斉に冷や汗をかいて頭を下げる。

 クレシダは側に控えていたメイドに振り返った。


「アルファ。

装置を止めに来るような不届き者がいたら、処置をお願いね。

後始末が面倒だから……。

消すだけでいいわ」

 

 止める素振りを見せただけで殺す、と言っているわけだ。

 アルファは一礼して、どこかに向かっていった。


 とても物騒な話だが、メディアの連中は、妨害出来ないだろう。

 クレシダ相手に言い逃れなど無意味だ。

 少なくともアルカディア難民から構成されるメディアは、骨身に染みている。

 世界主義側も、ここでクレシダの不興を買うような真似はしないだろう。

 そもそも勝利を確信しているのだ。

 考えているのは、勝利をしゃぶり尽くす方法だけだ。


 そもそも俺は、唯々諾々と提案を受け入れたわけではない。

 条件をだした。

 それも受け入れて、当然な要求だ。

 これを拒否しようものなら、離脱宣言をするつもりだった。

 だからこそクレシダは受け入れたのだろう。


 そもそも俺に離脱されると、最悪なプランしか残らない。

 だからクレシダにとって、ここで俺を勝たせるのは、計画の内のはずだ。

 助力はしてこない。

 妨害させないだけだ。


 クレシダは俺に向き直って、せき払いをする。


「ではラヴェンナ卿も、お約束はお忘れなく。

公正で客観的なメディアを攻撃しないこと。

だからこそメディアは、ラヴェンナ卿が釈明の機会を持つことに同意したのです。

彼らが反対しては、その機会を持てませんでしたから」


 実に馬鹿馬鹿しい話だが、これを受け入れた。

 メディアは論理で、俺に負け続けている。

 だから攻撃させると危険と考えたのだろう。


 これで自分たちの安全を確保しつつ、手足を縛ったつもりなのだ。

 もし俺が正攻法に固執するなら、それが正解。

 だが正攻法にこだわるのは、そのほうが有効なときに限る。

 陰に隠れての陰謀でなら、正攻法にこだわらないと知っているだろう。

 このような人前にさらされた場面では、正攻法以外の手があるとは思わないようだ。

 それもムリはない。

 今まで一度も使ってこなかった手段だからな。


「約束は守ります」


 メディアの連中は、醜悪な笑みを浮かべる。


 強い汚れを落とすなら、強く掃除しないといけない。

 気は進まないが……仕方がないか。

 やるべきことをやろう。

 そうでないとラヴェンナが、世界から孤立してしまう。

 今はそれでもいいが、将来的に戦争しか道はなくなる。

 それを未来に残すよりはマシだろう。

 当然、次世代以降が、戦争を選択したなら仕方がない。

 次世代にバトンを渡すとは、俺が道を決めることではないのだ。

 

 そう思いながら中央の演台に立つ。

 ブーイングはさらに高まった。


 人は怒りをぶつけるのに、本当は理由など不要。

 だからこそ怒りの対象を探して怒るのだろう。


 俺は黙ってブーイングをやり過ごす。

 ブーイングの中身に、意味などない。

 これも赤子が泣いているのと同じ程度の認識なのだ。

 俺が怒らずに平然としているので、群衆は一瞬戸惑ったように見える。

 ここに扇動者がいれば、さらに煽って暴動にするだろう。

 だが議場に連れ込んだことが、裏目にでる。

 

 雇われたとしても、この場で主体的に動くことは躊躇ためらうはずだ。

 暴動を起こせと雇われているだろう。

 それが可能になるのは条件必要だ。

 ここの群衆が、俺に対する怒りで統一される。

 つまり集団心理に陥ったときだ。

 今は怒り7割。

 様子見3割だな。


 匿名性が確保されるからこそ、安心して扇動者になれる。

 集団心理に支配された状態では、隣の人の個性などどうでもよくなるからな。


 一瞬騒ぎは大きくなるが、徐々に静かになる。

 ある意味で根比べだ。

 10分程度俺が黙っていると……。

 すっかり議場は、静寂に包まれた。

 ようやくだな。


「諸君。

どうか耳を貸してほしい。

皆さんの懸念は知っている。

だからまず断っておく。

私がここにいるのは、亜人たちを弁護するためではない」


 あえて丁寧な言葉を使わないことで、皆は戸惑ったようだ。

 その理由を考えてしまうだろう。

 僅かな時間しか効果はないが、その時間が欲しかった。


 それでもメディアの連中は、勝ち誇った顔をする。

 苦し紛れの弁明で、丁寧な言葉を使う余裕がないからだ……と考えたのだろうな。

 そう思うのは自由だ。


 そもそも……いきなり報道を否定しては反発される。

 根拠なき怒りだが、拠り所を直接攻撃されると、群衆は怒り狂うからだ。

 まずは怒りと拠り所の関係を弱める必要がある。


「人が悪事をなせば、それは糾弾される。

不当に守られるべきではない。

それは亜人たちも同じだ」


 群衆はヤジを飛ばす内容ではないので黙っているようだ。

 ただ俺が失言しないかと待ち構えている。

 

 怒りたくて仕方がないのだ。

 怒りたくて怒っていないと、口では言いながら。

 人としての悲しい性だな。


 認めたが最後怒りの正当性がなくなる。

 人は社会的動物だ。

 だからこそ正当性は大事にする。

 自分には無関係なことで怒る人々にとって、正当性は絶対に必要なのだ。

 逆に自分が当事者の怒りは、正当性など無意味なのだが……。


 怒りの中毒症状に陥った人は、支離滅裂な正当性でも気にしない。

 普通の人であれば、矛盾しない正当性を欲するだろう。


「公正で客観的なメディアは、皆さんに語った。

『亜人が人間を殺害した。

亜人は人間に、敵意を持っており、危険な存在である』と。

嘆かわしいことに亜人が、人間を殺害したことは事実である。

そしてその亜人は、対価を支払った」


 報復のため人間を殺害した亜人は、その場で殺されてしまった。

 その報告を受けている。

 そして周囲の反応もだ。


「ここに、メディア関係諸氏の許可を得て……。

と申すのも、メディアは公正で客観的であるが故……。

このような機会を設けることが出来た」


 メディアの連中は、嘲るような笑みを浮かべている。

 俺からこんな言葉が聞けるとは思っていなかったようだ。

 今自分たちの勝利を確信して、天にも登る気持ちなのだろう。


「その亜人は、兄弟を殺されたが故に報復に至ったのだ。

だがメディアはいう。

『亜人は人間に敵意を持っている。

極めて危険な存在だ』

もちろん……メディアは、公正で客観的である。

ただ殺害された人間は、町でも札付きの悪であった。

それは町の人々が証言している。

亜人の行動に憤るどころか、危険な人物が減ったことに安堵あんどするほどだ。

それどころか……。

表だって口にはだせないが『あの報復は当然だ』と言っている」


 群衆の表情に戸惑いが見られる。

 まだ怒りに支配された人は反発してヤジを飛ばす。

 だが多数派ではない。


「そもそも殺された人間は、なぜいきなり亜人を殺害したのだろう。

諸君らも不思議に思うはずだ。

亜人は危険だと信じて、町のために排除しようとしたのか?

札付きの悪が、突然正義に目覚めたのか?

違う。

何者かに指示されて、殺害を引き受けたのだ。

私がなぜそう言ったのか?

彼は死に際にこうつぶやいた。

『亜人が反撃するなんて聞いていないぞ』と。

これはその場に居合わせた者たちが聞いている。

さて諸君。

そのようなことはどうでもいい。

亜人は危険だから、このような話を聞きたくない……と思うか?」


 まだヤジは飛んでくる。

 『ウソをいうな!』と。

 だが……。

 『教えてくれ』という声が多い。

 俺は芝居がかった仕草でうなずく。


「では語るとしよう。

その人間は多数の犯罪に関与する疑惑が持たれていた。

だが捕まっていない。

それはなぜか?

彼は協力者だったからだ。

メディアの人間に協力しており、彼への逮捕をしないようにその町に圧力を掛けていた。

圧力だけではない。

治安を維持する責任者は、最近妙に羽振りがよくなった。

そう町の人々は証言している。

私にはわからないが……。

メディアには、なにか深い意図があったのだろう。

それはメディアが公正で客観的であるからだ」


 メディアの連中の表情が変わった。

 クレシダに駆け寄って、なにかを訴えている。

 止めさせようとしているのだろう。

 それは出来ない。

 クレシダに念押ししたのだ。


「私の言葉はメディアを否定するためのものではない。

ただ自分が知っていることを、諸君に語るのみだ」


 クレシダが首をふると、メディアの連中はすごすごと自分の席に戻った。


「諸君は……かつて亜人たちと共に生きてきた。

それは理由あってのことだ。

それでは現在、いかなる理由があって、諸君は亜人を拒むのか?」


 俺はわざとらしく額に手を当てる。


「ああ……分別よ、お前は野獣の元へ逃げていき、人間は理性を失ってしまった。

どうか許してほしい」


 群衆の間に動揺が見られる。

 俺へのヤジは消えていた。

 今まで群衆が怒っていたのは、が報道されたからだ。

 危険な亜人に、なんら対処をしない俺が問題である。

 そのように誤認させられてしまった。

 

 ところが……知らない事実を突きつけられて、怒りの正当性が揺らいだのだ。

 しかも分別や理性に欠けていると示唆までされて。


 この場で、即座に反発出来るのは、怒りの中毒患者だけ。

 それも常人には理解されない理屈でだ。

 だから考慮に値しない。

 中毒患者が口を開くほど、その正当性は失われる。

 この場に深刻な中毒患者はいなかったようだ。


 それもそうか。

 匿名性が中毒性を加速させる。

 自身を明らかにする中毒患者など滅多に存在しないからな。

 少し間を取って、群衆に動揺が広がるのを待つ。

 そろそろいいか。


「亜人は人間の社会に割って入ってはこなかった。

冒険者など人間が認めた職への参加をするに留まっていたのだ。

人間の誰しもが、脅威や敵意を持たなかったろう。

それが今では、どのような卑しい者であっても、亜人を蔑視どころか危険視さえする。

もし私が、諸君の精神を扇動し、暴動や逆上の嵐に巻き込むつもりならば……。

メディアを悪し様にいうのだが。

諸君も知っているように、メディアは公正で客観的だ。

私はメディアを悪し様にいうつもりはない。

彼らが名乗る、公正で客観的な社会正義の番人を、不当に辱めるくらいなら……。

私は亜人と自分自身を辱めるだろう」


 クレシダは真面目腐った顔をしているが、楽しんでいるのは明白だ。

 体を小刻みに揺らして、必死に表情を消していた。


 メディアの連中は、目に見えて取り乱しはじめている。

 群衆の一部から問い詰められているが、なんとか追い返していた。

 まだ終わらないよ。


「さて……。

諸君らの亜人たちに対する疑念の発端は、シケリア王国で村から人が消えた事件だろう。

私の知人が、村から人が消えた現場を目撃した。

そのときに、怪しげなとすれ違った。

集団の中に亜人はひとりとしていない。

ならば無関係な集団なのではないか?

そう諸君は問うだろう。

だが……その集団が消えたあとで、その村から人が消えたのだ。

これで無関係なのであれば、亜人たちに疑惑を向けるのはなぜだろう。

亜人だからか? そうではない。

不安だからではないか?」


 群衆は互いの顔を見合わせて、なにか話しはじめている。

 たぶんこんなの初耳だと言い合っているのだろう。


 動揺は明らかだ。

 怒りの正当性を立て直す暇など与えない。

 俺が先回りして、この問題を潰したからな。


「私はこれを、シケリア王国に知らせた。

思い出してほしい。

シケリア王国は亜人たちが関与していると発表したか?

していない。

そもそも亜人の集団がいれば目立つだろう。

シケリア王国の町で、誰もそれを目にしていないのだ。

それでも亜人がこの件に関係していると、メディアは示唆していた。

なぜかは……わからない。

だがメディアは、公正で客観的だ」


 群衆のメディアを見る目が変わってきたな。

 俺がしつこく、連中が主張する立場を繰り返している。

 苛立ちすら感じているだろう。

 だが……まだだ。


「諸君らは亜人たちが、徒党を組みはじめて、人間に害を及ぼすのではないか……と案じたろう。

これも公正で客観的なメディアを、諸君らが信じた故にだ。

誤解しないでほしいのだが、私はメディアを責めているのではない。

公正で客観的と信じるが故の行動だ、と思うからだ。

ただ……ひとつだけ考えてみてほしい。

半魔事件や村人の集団失踪は、紛れもない事実だ。

だからこそ諸君らは不安になり、回答を求めたのだろう。

その答えとして、排除しても問題ない亜人を指名したのではないか?」


 俺はわざとらしく頭をふる。


「私の浅い知恵では、その程度しか思い当たらない。

もしかしたら、深い理由があるのかもしれないのだ。

メディアは、公正で客観的である。

それに相応しい、高尚な知恵と……高潔な人格を持ち合わせているのは自明の理だろう」


 俺への悪意は、ほぼ消えているな。

 明確な主義主張があっての敵意ではないのだ。

 空気をほんの少し変えれば、それは消えてしまう。

 逆に、向きを変えることも出来るわけだ。

 今俺を攻撃すれば、逃げ道を与えようとしている俺への否定となる。

 だから黙って聞くしかない。


「だが人とは人間だけではない。

亜人たちもそうなのだ。

そのような亜人たちが、公正で客観的なメディアから、突然名指しで人間の敵だとされた。

そして諸君は、それを信じたが故に、亜人たちはどうするだろうか?

立ち去るか……。

立ち去れない者たちは、同じ見た目同士で固まる他ない。

そうは思わないか?

諸君らが慣れない土地に移動したとき、同じ出身者で固まるように」


 群衆の中で、下を向く者たちも現れたな。

 今一瞬だけ冷静になったようだ。

 だが落ち込むのは、まだ早い。


「諸君らの中で、今まで声高に叫んできたことに、疑問を持った者がいるかもしれない。

恥じることはないだろう。

不安に押しつぶされそうになっていたとき、誰かが声を上げはじめたのではないか?

その言葉に、つい同調してしまったのだろう。

人は誰しも、不安と向き合い続けられないのだから。

だから最初に声を上げた人に聞けばいい。

なぜそう考えたのか……と。

もしかしたら顔すら忘れてしまったかもしれない。

覚えていないなら、思い出す方法を教えよう。

働いてもいないのに、突然羽振りがよくなった者はいないだろうか?

当然収入があったからだろう。

そしてもうひとつ……。

この場から密かに退場しようとしている者だ」


 数人がコソコソ逃げだそうとしているのが見えた。

 扇動者は、匿名性が消えることを恐れる。

 俺がその匿名性を引き剝がしたのだ。

 だから咄嗟に逃げようとしたのだろう。

 

 群衆はその人物を捕まえて詰め寄る。

 人は正当化された怒りを欲する生き物だ。


 そして今までの怒りの正当性が薄れた。

 だからと加害者に甘んじることは出来ない。


 今度は自分が糾弾される恐怖。

 そして矛盾を忌避する社会的特性が加わる。


 そうなればどうするのか。

 欲するのは、再び被害者になって正当化された怒りを持つことだ。

 そしてそれは最初の怒りを打ち消すかのように、より激しいものになるだろう。

 転向した者がより過激になって、過去と決別しようとするかのようにだ。


 そんな群衆の心理状態は手に取るようにわかる。

 そうなるように誘導したからな。

 なかったことにしようとするか……。

 騙されたせいだと、被害者ぶるだろう。

 この場にいると出来ることはひとつだけだ。

 なかったことになど出来ないからな。


 だが……今暴発させるわけにはいかない。


「待ってくれ、諸君。

私は諸君を、このような突然の暴動の嵐に巻き込むために扇動するつもりはない。

彼らを雇ったのは、公正で客観的な人たちなのだ。

彼らにどのような苦悩があって、亜人を犠牲の祭壇に差し出したか。

悲しいかな私は知らない。

彼らは高潔で公正で客観的な人たちだ。

社会正義の番人たるに、相応しい人々だろう。

だから相応の理由を持って、諸君らに返答するはずだ」


 群衆は逃げようとした連中を捕まえたまま、メディアに詰め寄る。

 メディアも逃げようとしたが、最初に雇った連中が捕まったので、逃げられずにいた。


「諸君、どうか落ち着いてほしい。

私は諸君らの心を盗むために来たのではない。

私は雄弁家ではなく、自分の考えを、率直に語るしか出来ないのだ。

だからメディアは、私がここで諸君らに弁明することを許したのだろう。

私は人の血を沸き立たせる知恵も言葉も、価値、所作も口調も演説力も持っていない。

それは今までの私の放送を見た者にはわかるだろう。

ただ自分の考えを、率直に語るだけだ。

私は諸君自身が、よく知っていることを告げ、物言えぬ亜人の立場を語っただけである。

もし私がメディアであれば……。

その私は、諸君らの精神をかき乱し、不安と怒りを増長する。

そして罪なき亜人一人ひとりに口を与え、罪を着せた者に、制裁を加えよ……と言わしめるだろう」


 今やメディアの人間には、群衆に囲まれて見えない。

 そろそろ、仕上げの時間だな。

 ひとりだけでしゃべり続けるのは、結構疲れるよ……。

 

 メディアの連中が、なにかわめいている。


 『そのようなことはしていない!』


 『事実無根の誹謗ひぼう中傷だ!』


 今や空気は完全に変わった。

 メディアが口を開けば開くほど、群衆の怒りは加速する。

 だがそれを知らない。

 常に安全な立場にいると錯覚していたのだから。

 群衆は苛立ち、殺気立ってさえいる。


「諸君。

彼らメディアは公正で客観的な人たちだ。

だからこそ、特権的な地位を享受しているだろう。

そしてその高潔な人格に相応しく、常日頃から説明責任を果たせと言っている。

だからこそ、このような事態であっても、彼らは納得する説明を果たせるだろう。

やっていないことを証明せよと、証明不可能なことを要求するのだ。

公正で客観的な人たちだからこそ……。

自分たちなら出来るのだろう。

自分が出来ないことを、他人にだけ要求するのは品性下劣なのだ。

人の資格すらない。

だが彼らは高潔なのだ。

そのようなことなどない」


 群衆から怒号が湧き上がる。

 俺に対してではなく、メディアと扇動者に対してだ。

 ここまで来てもまだ足りない。

 もうひと押し必要だろう。


「さて……。

私は屋敷を囲まれた。

大変不本意ではあるが……。

諸君らを罪に問う気はない。

公正で客観的なメディアの言葉を信じたが故の義憤……と信じるからだ。

そして公正で客観的な彼らに相応しい回答が得られるだろう。

あとは彼らに直接聞いてくれたまえ」


 堪えきれずにメディアに雇われていた者が、『こいつに雇われたんだ!』と自白した。

 するとメディアはシラを切ろうとするが、民衆は激高する。


 群衆は気が付いたろう。

 俺が屋敷を囲んで抗議活動に及んだ人々を調査すると言ったら?

 無事では済まない。

 もしメディアが、十分な説明を出来れば、言い逃れが出来る。

 出来ないならば……どうなるか。


 騙されていたと、自分たちを正当化するしかない。

 それ以外の道は断ったのだ。


 群衆はメディアの連中を、袋叩きにしている。

 恐らく死人がでるだろうな。


 そのつもりでここまで押しとどめたのだ。

 実態なき権力の持ち主は、剥き出しの力には無力だ。

 それを今、体で覚えるだろう。


 生きていれば……な。

 俺は隣に控えていたモデストに振り返る。


「では帰るとしましょうか」


 モデストは苦笑して肩をすくめる。


「お疲れさまでした。

これしか言葉がでませんね」


 民衆の扇動などやりたくなかったが……。

 相手が扇動してきたなら仕返すだけだ。


 これが、悪しき前例になるかもしれない。

 だがこの状況で、メディアを始末するには自滅させるのがベストだった。

 嫌でも大人しくなるだろう。


 そしてこれを見ていた人々は、どうなるか。


 権力者は警戒する。

 放送を規制する動きに乗り出すだろう。

 魔物の侵攻が落ち着けば確実にそうなる。

 だが……。

 一度手にした技術を捨てられるのか?

 情報を求める民衆との衝突が待っている。

 どうなるかまでは予想しきれない。


 短期的な未来は簡単に見通せる。

 騒ぎが起こっていない町では、メディアは信用を失う。

 メディアが騒ぎを扇動していた町では、メディアがその標的になる。

 自分たちが犯罪者になるくらいなら、被害者になって私的制裁に走るだろう。

 群衆が自分を正当化するには、それしかないからだ。


 ふと議場を見渡した。

 サロモン殿下は呆然と立ち尽くしている。

 人類連合を構成する要素であるメディアがこのように崩壊したのだ。

 どうしていいのかわからないのだろう。


 クレシダはいつのまにか、姿を消していた。

 違うな……安全な特等席に移動していた。

 俺と目が合うと拍手してくる。


 思わず肩をすくめてしまう。


 俺に出来ることは、会場をあとにするだけだ。

 この暴動を止める気などない。


 恐らく会場の外でも、メディアへの襲撃が行われているはずだ。

 外にいる扇動者が身を守るにはそうするしかない。

 メディアが雇った扇動者は、保身のためメディアに牙を剥くわけだ。

 果たして、クレシダは守らせるか。

 しないだろうな。


 この混乱から屋敷を守るために親衛隊を残してきた。

 十分対応出来るだろう。

 関係各所の守りには事足りる。

 しかも亜人であれば、群衆は攻撃を躊躇ためらう。


 そしてイルデフォンソには、亜人に関係した報道はしないように指示した。

 これが今度とても有効になる。

 していたら、絶対に巻き込まれたからな。

 多少、とばっちりはいくだろうが……。

 まぁ……なんとかするだろう。

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