805話 理による統治

 ボアネルジェス・ペトラキスから面会の打診があった。

 大方針を変えるには、俺の許可が必要だと悟ったようだ。

 そこで手順を守って、此方こちらの役人に面会要請をしてきた。


 その報告を持ってきたキアラは困惑顔だ。


「どうしますか? 断っても、問題ないと思いますけど。

大方針の変更なんて、する気はないのでしょう?」


 一役人が他家の領主と面会など普通は有り得ない。

 ただこのケースは普通じゃないからなぁ……。


「変えませんよ。

でもクレシダ嬢からも、許可を取っているのです。

断るのは非礼でしょう」


 キアラは小さなため息をついた。


「仕方ありませんわね。

クレシダは礼儀なんて、どうでもいいと思っているのに……。

お兄さまは配慮しないといけないのが理不尽ですわ」


 理不尽なのは、最初の前提からだ。

 破壊のための破壊を企てる側と……。

 維持しながら発展させる側ではな。


「短期的視点と長期的視点の差ですからね。

まあ……会ってみてもいいでしょう。

どんな人か知って損はありませんから」


「説得して仲間にするつもりですの?」


 そんな宗旨変えをするタイプに思えないな。

 話を聞いた限りだが……。


「それは不可能だと思いますよ。

ペトラキス殿にすれば、私のやりかたは保守的すぎるでしょう」


 かくして受諾の返事をしつつ、幾つか可能な日を指定した。

 返事はすぐに帰ってきて、翌日面会と決まる。

 実に早いな。


 違うか。

 俺の面会は、今後多くなる。

 そうするとそのうち会えなくなるだろう。

 だから無理にでも、此方こちらに合わせたのだろう。

 ボアネルジェスは多忙だと聞いているからな。


 次の日になって、ボアネルジェスがやってきた。


 前日の返事にかこつけて、サシで話をしたいと希望してきたが……。

 全員に反対される。


 まあそうだよな。

 周囲が俺に影響を及ぼすと危惧したか。

 そんなことはないが……。

 ボアネルジェスは俺のことを知らないだろうからな。


 仕方ないのでモデストに、同席を依頼した。

 モデストは政治的な動きをしないことは知られているからな。

 ボアネルジェスはそれで納得したようだ。


 かくしてモデストと応接室に向かう。

 部屋にはボアネルジェスひとりだけ。

 非の打ち所のない所作で、俺に一礼した。

 お互いに短い挨拶を済ませると、ボアネルジェスが頭を下げる。


「この度は、身分をわきまえないお願いにもかかわらず……。

お目通りをお許しいただけたこと。

感謝の念に堪えません」


 尊大と聞くが、身分はわきまえるタイプだな。


「構いませんよ。

それで大方針の変更を希望しているそうですね」


 ボアネルジェスは、小さくうなずいた。


「左様です。

今が大きく変わる好機でしょう。

曖昧な慣習や遺恨だけではありません。

バカらしいメンツなど……。

とにかく不条理が、この世を決めています。

この不条理のツケを払わされるのは、力なき民ばかり。

今がそれを変える好機なのです。

情緒ではなくことわりによって、世を治めるべきでしょう」


 予想通り、理詰めで来たな。

 ただ情緒を軽視するのは、頭のいい人間にありがちだが……。

 違うか。

 俺を説得するなら、ここまで徹底した態度でなければダメだ、と考えたのだろうな。

 正攻法なら此方こちらも、正攻法で返すしかない。


「それが可能なら、正しい認識ですね。

まだその段階にまで、社会は到達していませんよ。

どんなに正しくても出来なければ、意味はありません」


「それは目指していないからでしょう。

目指さなければ、到達などしません。

ラヴェンナ卿は、それを押しとどめているのではありませんか?」


 これも正論だな。

 歯にきぬ着せぬとは噂通りだ。

 押しとどめているのは、正しい認識だからな。

 そう認めては、話にならない。

 だから認めないけどな。


「押しとどめてなどいませんがね」


 ボアネルジェスは、小さく首をふった。


「人類連合の権限を、極限まで制約することをお考えでしょう。

つまりは従来の制度を変えないこと。

これが大前提だと見受けられます。

そうでないなら、変革が必要とお考えですか?」


「実現可能で必要であれば……ですね」


「今の不合理で雁字搦めになった世界を変えるとなれば……。

抵抗は凄まじいのです。

この機を逃せば、この先二度と機会は訪れないかもしれません」


 抵抗が激しいのは正しい。

 ただ、二度とこないのは大袈裟だが。

 それより……。

 随分踏み込んできたな。

 危険な発言だと知りつつもだ。


「それは人類連合が、国家の上に立つ。

つまりは……この世界を統治するべきだと?

そのように受け取られますよ」


 ボアネルジェスは一切の動揺を見せない。

 やはり意図的か……。


「ラヴェンナ卿に大方針の転換を迫るのです。

誤魔化しなどしては、説得など覚束ないでしょう。

危険な発言なのは、百も承知。

必要なら告発していただいて構いません。

この世界は統一すべきだと考えています。

それはことわりによる統治をするため。

情緒で統治する時代は終わらせるべきなのです。

その礎となるなら、死んでも構いません。

生を受けた意味すらわからず、憂悶しながら朽ちていくよりは……。

ずっとよいと考えております」


 この手の保身を考えないタイプは、結構厄介なんだよなぁ。

 大事を成すために必要な要素を、しっかりもっている。

 損得勘定で動かないからなぁ……。


 破滅願望をもつクレシダの尖兵が、理想に燃える憂国の士。

 なんとも厄介な取り合わせだよ。


 少しアプローチを変えるか。


「その程度の話で、告発などする気はありません。

それにしても……。

なぜそこまでくのですか?

3国併存は1000年以上続いているでしょう。

慣習などの細かな違いは多い。

無理に統一を急げば、大きな歪みが生まれるでしょう。

それを解消しようと動けば……。

より細かな分裂となりますよ」


 ボアネルジェスは嘆息する。


「統一が崩れれば、そうなるでしょうね。

そうさせないことが肝心です」


 心意気だけではどうにもならないよ。

 もしそうなったら……どうするのだ。


「させない思いだけで、統一は維持出来ません。

それはただの思考停止でしょう。

維持出来ない可能性があるなら、絶対に考えるべきです。

分裂した結果……。

10や20の国になりかねません」


 ボアネルジェスは小さくうなずく。

 異論なしか……。


 仮に分裂すれば、もっと細かな国々になると知っているな。

 統一していく段階で、国の力を削ぐだろう。

 それは国としてまとまることを阻害することになる。

 そしてある程度のグループが国として立ち上がるだろうな。


「一度統一して崩壊すればそのようになりますね。

ただ……。

一度統一を知れば再統一しようと考えるでしょう。

すでに併存という縛りは消えたのです。

食うか食われるか。

つまり敵国をすべて滅ぼさない限り、安寧は来ないのですから。

そして統一を維持したければ、ことわりで統治するのが最も賢明でしょう。

異なる慣習の地域を、情緒で統治するなど能わないのですからね」


 それも織り込み済みか。

 だが……甘いな。

 民のことを本気で案じているはずだ。

 建前ではないと思う。


「再統一出来ればいいのですがね。

必然的に争いが小規模になります。

それは争いが手軽になるのと同義でしょう。

手軽であれば、気軽に戦争が出来るようになりますよ。

そのうち勝つために味方を増やそうとする。

そんな多国間戦争になれば……。

落とし所が難しくなって、戦争が泥沼化します。

そうなれば、民が被害に遭いますよ。

再統一出来ても、世界が荒廃しては元も子もないと思いますね」


 ボアネルジェスは、身を乗りだした。

 静かな熱意を感じるな。


「そうならないために、知恵を尽くすべきかと。

ラヴェンナ卿ならば可能でしょう。

だからこそ我が真意を打ち明けたのです。

それとく理由ですが……。

外の世界との接触がはじまりましたよね。

ならばこの世界が分裂していては、どうなりますか?

外の世界から接触してくるのであれば、それは弱くはないでしょう。

そのような強国は、未知の世界が弱ければ……。

支配しようと考えませんか?

そう思わせないためにも、強力な統一国家が必要だと思います」


 ハンノたちの話が他国に漏れたか……。

 ラヴェンナから漏れたとは考えにくいな。

 この話は情報統制をしている。


 そうなれば……。

 ニコデモ陛下の近辺からか。

 当然、家臣に下問したろうからな。

 それは仕方ない。


 それにしても……。

 なかなか説得力のある話を持ってくる。

 これでは皆手を焼くのは当然か。


「耳ざといですね。

たしかに外の世界が接触してきました。

外の世界が此方こちらを支配するには……。

圧倒的な力が必要でしょう。

ここまで圧倒的な力を及ぼせますかね?

距離の暴力は軍事力を弱めますよ」


 ボアネルジェスは、小さく首をふった。


「それはわかりません。

ですが備えるべきではありませんか?

機会がないなら、詮無きことです。

ですが今ならば、機会がありましょう」


 実に正直な受け答えだ。

 ややかみ合わないが……。

 理想に対抗するには、現実しかないな。


「そもそも今の技術では、統一など不可能です。

国王が領主を封土する。

領主は封土を統治。

それが統治の限界範囲ですよ」


 ボアネルジェスは気持ち身を乗りだした。

 ひとつずつ、俺の論拠を崩していくつもりらしいな。

 つまり正攻法か。

 俺になら、それが通用すると。

 メンツや好き嫌いで、物事を決めないと信じているのだろう。


「それこそ有能なものたちを配置すれば、統治は能いましょう。

今の私の配下は100名程度ですが、埋もれていた人材を掘り起こしたものです。

それを世界規模で行えば、範囲の問題も解決出来ましょう」


「その優秀な人材は、各村に最低ひとりは埋もれていると思いますか?」


 ボアネルジェスは意外そうな顔をする。


「民は学がありません。

それは無理でしょう。

もしかして……。

ラヴェンナ卿は村にまで、有能な士がいなければ不可能、とお考えなのですか?」


 根底からの変革を望んでいるのだろう。

 上辺だけの変革なら、貴族階級を変えれば事足りる。

 根底からでは、世界の根底たる民衆を変える必要があるだろう。


「そのとおりです。

中流から上流階級は平民より遙かに少ないでしょう。

そこからどれだけ、有能な人を集めても足りませんよ。

ことわりによる統治であれば、今より人手が必要になりますからね。

人手が足りなくて、失態を重ねれば……。

統治への不信が積み上がりますよ」


「人材が足りないことは認識しています。

それが悪いことだとは思っていません。

足りないとわかれば、学ある民は立身出世を望んで馳せ参じるでしょう。

これは自然に解決出来る問題だと思います。

あと不信感が積み上がるとおっしゃいましたが……。

現在の統治階級がどれだけ信頼されているとお思いですか?

民は上が変わっても意に介しません。

その程度の信頼でしょう」


 馳せ参じるのは報酬次第だろう。

 だからと報酬を上げると別の問題もでてくるが……。

 その学のある民は全体のどれだけを占めているのだ?

 

 それに民は上が変わっても意に介さないのは、生活が変わらない場合だ。

 ただの権力闘争なら、それで合っているだろう。

 

 だが政体が変わるとなれば話は別だ。

 過去に戻る……という選択肢がでてくるからな。

 そもそも嫌な記憶とは薄れていくものだ。

 忘れはしないが、そのときの感情は思いだせないだろう。

 ただ嫌なことがあったと認識するだけ。

 まあ、個人差はあるだろうが……。

 だから不信感が及ぼす影響は、従来の統治より遙かに大きい。


 昔の不満が3あって、今の不満1と等価程度だろうか。

 不信感をもち続けた場合、この差は時間と共に広がっていく。

 そのうち、どんな些細な不満でも我慢出来なくなる。

 昔のほうがよかった……となりかねないぞ。

 だから俺はラヴェンナでの統治に細心の注意を払ったのだ。


「学のある限られた人たちだけが頑張っても……。

大多数が理解しなければ不満ばかりが積み重なります。

理とはそれを理解するものにのみ価値があるのですからね。

それでも受け入れさせるなら、力ずくで押しつけるしかないでしょう。

受け入れない者は消す。

あとは密告を奨励しますか。

不満とは集団になるほど膨れ上がりますからね。

こうやって時間を稼ぎ……。

民に理の利点を飲み込ませるしかないでしょう」


 ボアネルジェスは渋面をつくる。


「たしかにその方法なら可能ではありますが……。

ことわりによる統治とはなりません。

力で統治をはじめると、それで地位を得た者たちがしがみつきます。

そもそも民心が荒廃しては、理などが入り込む余裕はありませんから。

ただ……ラヴェンナ卿の見解に承服出来ない点があります。

民は必ず反発するとお考えなのでしょう。

恣意しい的な罰や、気まぐれな課税がなくなるのですよ。

それを知れば、過去がよかった……とはならないでしょう。

明日はよりよい明日になる、と教え諭せば理解するのでは?」


 比較的冷静に現実を見てはいるが……。

 やはり楽観的すぎる。

 情熱が突き動かすからだろう。


 まずはやってみる。

 個人ならそれでいい。

 世界単位でそれをやると……。

 失敗したときの被害は、洒落にならないぞ。


「民衆の教養が十分であれば、現実的な選択肢なのですがね。

よりよい明日を考えるには、そもそも教養が必要です。

それに人は得をしたことより、損をすることに敏感でしょう。

ことわりによる統治であれば、以前は気分次第で見逃されていたことも罪になりますよね。

そのとき昔より悪くなった、と普通なら考えます」


 ボアネルジェスは、苦虫をかみつぶしたような顔になった。

 理屈だと思ったのか……。

 それとも触れずにいた急所だったのか。

 次の言葉でわかるな。


「そこまで民が愚かだとは思えません」 


 心当たりがありつつも認めたくはないのだな。


「愚かではありません。

単に刹那的なだけです。

そもそも統治側の都合で、そうなるように仕向けられていますからね」


 ボアネルジェスは心底意外そうな顔をする。

 この視点はなかったようだ。


「統治側の都合とは……。

なぜそのようにお考えになるのでしょうか?」


「ペトラキス殿が考えているように、情緒がこの世を律しています。

その世界で統治する側になればどうなりますか?

長期的な視野で、統治の矛盾を考えられては面倒でしょう。

その場の損得と勘定に流されてくれたほうがいいのです。

統治する側も情緒的なのですし、なにより頭を使わなくていいのですから。

そんな民にいきなり理を理解させるのは高望みしすぎでしょう」


 ボアネルジェスの顔が一層歪んだ。

 痛いところを突かれたと思っていそうだな。


おっしゃるとおりではありますが……。

限界とは破ろうとしなければ破れないものです。

正しい道を指し示し、啓発し続ければ能うのではありませんか?」


 そこまで楽観視する根拠はなんだ?


「背伸びとは……届くから背伸びなのですよ。

赤子が大男の高さまで背伸びしても届きません。

限界も同じ。

破れそうで破れないから限界なのです」


 ボアネルジェスは怪訝な顔をした。


「ラヴェンナ卿はそれを実現したではありませんか。

ラヴェンナの民だけが優秀とは思えません」


 俺がラヴェンナでやったから可能と考えたのか。

 それはラヴェンナだから、出来たことなのだが……。

 それでも勝って同化してようやくだ。


「その点は同意します。

違いは環境だけ。

その『だけ』がとても大きな差なのですよ。

私でもラヴェンナ以外で同じことをやったら失敗します。

もしやるなら……力ずくですよ。

言葉だけで、社会の変革を成し遂げた人は聞いたことがありません。

ペトラキス殿は最初のひとりになる自信がありますか?」


 ことわりによる統治は、貴族階級の恣意しい的な統治を認めないことにつながる。

 悪い面もあるが、それで回っている面もあるからな。

 彼らを完全に敵に回し、広い世界をどう統治するのだ。


「ラヴェンナ以外での変革は、かくも困難とおっしゃるわけですか」


「そうです。

力での強制なき急激な変革は、元の社会に回帰する力を強くするでしょう。

既得権を侵害される貴族階級は、最も反発しますよ。

そしてペトラキス殿が案ずる民も、強い味方にはならない。

民だって新しいことわりによる恩恵を理解出来ないのですからね」


 ボアネルジェスは大きなため息をついた。


「悔しいですが反論は難しいですね……」


 無理筋の反論をしないのは、理性に重きをおいているからだな。

 こんな人材は、ラヴェンナにこそ欲しかったが……。

 世の中うまくいかないものだ。


「むしろ民は窮屈に感じるのでは?

刹那的に昔を懐古して、既得権益層を応援したり……。

もしくは刹那的に、ことわりによる統治に恩恵を感じて、ペトラキス殿を応援するかもしれない。

結果として、政体を巡る争いは熾烈しれつで、長期間に及びます。

窮余の策で、外部の力を頼る者も現れるでしょう。

そうなれば、外部勢力が野心をもっていなくても……。

もつでしょうね」


 ボアネルジェスは表情を改める。

 この程度では引き下がらないだろうな。

 なかなか難儀な御仁だよ。

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