801話 防御反応

 俺たちは会議を終えて帰途に就いている。

 馬車の中で、マウリツィオが上機嫌で笑いだす。


「ラヴェンナ卿。

なかなか楽しい茶番でありましたな」


 してやったりと上機嫌だな。

 俺に、感慨はないけど。


「まあ……そうですね」


 マウリツィオは怪訝な顔をする。


「なにかご不満でも?」


 不満などないさ。

 ただ俺の認識が、皆と違うだけだ。


「いえ。

それよりまだ終わっていません」


 マウリツィオの目が鋭くなった。

 さっきの上機嫌は、一気に吹き飛んだようだ。


「終わっていないとは?」


 文字通り終わりではないってことだ。


「消えない恨みを買ったなら、きっちりトドメを刺すべきでしょう。

それか再起不能なほどに叩きのめす。

どちらかですね。

これで勝ったと思いこんで終わったことにしては……。

どこかでしっぺ返しを食らいますよ」


 一時的な勝者になるも、敗者に逆転を食らったケースなんて腐るほどある。

 それでもトドメを刺すまでなかなか至らないのが、世の中の難しいところだな。


「つまり連中は、必ず復讐ふくしゅうしてくると」


「逆に質問しますが、ここで攻撃の手を緩めるとしましょう。

命拾いしたと喜んで……。

以後大人しくすると思いますか?」


 マウリツィオは、渋い顔で腕組みをする。


「ううむ。

一時はそうなるでしょうが……。

絶対に大人しくしませんなぁ。

つまりは……。

消してしまうのが最善とお考えなのですか」


 ところがそれすら最善でないケースがある。

 最後の敵であれば、それでいいだろう。

 そうでない場合、話がかわってくる。


「一見すると楽に思えますがね。

そうなると逆に、窮鼠きゅうそとなってかみついてきます。

彼らを団結させるのは得策ではありません。

恐怖はあらゆる不和より強い感情ですからね。

それに簡単に殺してしまうのは軽率です。

敵にしなくていい人たちまで、敵に回してしまいますからね。

加減が難しいですけど……。

これ以上失敗したら終わりだ、と思う程度には突き落としたいですね」


 モデストが声をたてずに笑った。

 俺の考えが面白かったのだろう。


「ある程度は安心させる必要があると」


 保身本能を刺激する必要があるからな。

 さらに転落する恐怖が、怒りや恨みに勝る程度には。


「そうなりますね。

彼らを見て、よくわかりましたが……。

ハシゴを外すタイプは、自棄にならない限り、勝負に打って出ません。

自棄になると、計算もなく突っ込んできますからね。

それを無傷で倒すのは難しい。

手負いの獣は手練れでも警戒するでしょう?」


 マウリツィオが大きなため息をついた。


「なんとも気苦労の絶えない話ですねぇ。

勝ったと安心できないだけでなく、加減まで考慮するとは」


 勝って終わりとしたいのは、仕方がない。

 一見すると楽だからな。

 あとは自制心が働く。

 自制心と聞けばいい響きだが……。

 主観的な自制心だからな。

 すべてがいいとは限らない。


「そのほうが、最終的に楽だからです。

我々は勝ちつつありますが……。

勝ったわけではありませんからね。

一時的に勝利したときのほうが、概して難しいものです。

負けると選択肢が減ってしまう反面……。

気力があれば建て直すことは可能です」


 マウリツィオは苦笑して、頭をかいた。


「小生のように安心してしまうからですかな」


 それを咎めたわけではない。

 弛緩しかんしきるのがマズイだけだからな。


「それ自体がダメというわけではありません。

ずっと緊張しつづけては、かえって注意力が散漫になります。

問題は勝ったことで選択肢が増えたこと。


これがすべていい選択肢だ、とは限りません」


「将来の破滅につながる選択も含まれているわけですな」


「そうなります。

それと勝者は、その後の処遇で……。

周囲への影響を考慮してしまいますからね」


 マウリツィオは苦笑して、肩をすくめた。


「ああ……。

そのあたりで止めておけという話ですな」


 さすがに、よくわかっているな。

 これを完全に無視することは出来ないが、ただ従うのは危険だ。


「これがなかなか厄介な圧力でしてね。

死体蹴りはやめろと、さらなる追撃を制止するでしょう。

本当に死体ならそれは正しいのですが……。

実際は生きています。

それで見逃したとして……。

蘇った敗者に逆襲を食らったとき……どうなりますか?

その人たちは、なにもしてくれません。

よくて逆襲してきた相手を非難するだけです。

普通は見て見ぬフリでしょうか」


 マウリツィオは大きなため息をついた。


「なんとも大きなお世話と言いますか……。

それが多数派なのは面倒な現実ですなぁ」


 これは周囲だけの問題じゃないのだよなぁ。

 戦っているときは、一種の高揚状態だからな。

 どこかで一休みしたい心理が働く。


「そもそも勝者は楽になりたい一心で同調しやすいのです。

周囲の反発を避けたい心情も働くでしょう。

折角勝ったのに、その後に困難が待ち構えていたら馬鹿らしい、と思いますからね」


「そうですなぁ。

勝者は意外と、周囲の反応を気にするものですからね」


「手打ちにしていいケースもありますけどね。

すべてがそうとは限りません。

相手によっては、徹底的にやらないといけないでしょう。

そこで追撃を選択することは、結構な難事だったりします。

周囲には弱い者虐めと映りますからね」


「それでもラヴェンナ卿は、その難事に挑まれると」


 挑むしか、道がないからな。

 今更踏み止まることなど出来ない。


「そうなりますね。

私にとってあの場は、通過点でしかありません。

そもそもですがね。

リーダーとは簡単なことを決断するための存在じゃありません。

難事を決断して、責任を背負うための存在ですよ。

それが不要なのは、不変の世界でしょう。

余計なことをせずに、調整だけすればいいのですから」


 マウリツィオは、感慨深そうな顔でうなずいた。

 なにか感じ入るものがあったのだろうか。


「誰もが知っていて、簡単に実行できない言葉ですなぁ。

それではどのように突き落とすのですか?」


「簡単ですよ。

旧ギルドが、世情に疎いラ・サール殿を唆して、破門状を手配させた。

この噂を流すだけです。

あとは静観しつつ……。

疲れてきたところで、適度に燃料を投下してあげるだけです」


 マウリツィオは、肩を震わせて笑いだす。


「なるほど。

共食いをさせるわけですか。

ラヴェンナ卿が流した、と疑うものもいるでしょうが……」


「それより飛びつきやすい話があります。

ラ・サール殿が旧ギルドを切り捨てにかかったと。

そのほうが、彼らにも理解しやすいでしょう」


 マウリツィオが唇の端を歪める。


「自分たちも日頃からやっているので理解できると」


 それもあるがな。

 大事なのは、連中の心理状態だ。


「それだけではなく、今回の敗北は彼らにとって想定外です。

一種のパニックになっているでしょうね。

そうなると人は、平時の行動を無自覚に選択するものです。

これは防御反応というヤツですよ」


 モデストが、目を細めてうなずいた。

 そんなケースは、沢山見てきたろう。


「パニックとは暴れるだけではありませんからね。

冷静に見えて、理性が働かない場合もパニックなのでしょう。

思わぬ事件を起こしたあとの行動が奇妙な事例は多いですね。

それが防御反応だと?」


「おそらくシャロン卿なら、幾度も見たことがあると思いますよ。

失敗したときに、咄嗟に噓をつく……。

あとは誤魔化すとか恫喝して黙らせるなどね。

余計事態を悪化させる、と皆知っているはずなのにです。

そんな人は、普段からそうしているでしょう?

人を執拗に攻撃していた人に限って……意地でも謝らないとかね。

圧力に負けて謝ったとして、なんに対して謝っているのか……。

まるでわからない。

そんなことはザラでしょう?」


 モデストは珍しく笑いだした。


おっしゃるとおりです。

『謝罪に誠意が感じられない』と、執拗に攻撃する輩ほど、噓や誤魔化しを重ねますな。

お前の誠意とは何処に行ったのだ、と言われますがね。

それも防御反応ですか」


「ええ。

普段攻撃ばかりする人は、自分の都合が悪くなれば、その場凌ぎばかりをしてきたのでしょう。

もしくは逆ギレして相手を攻撃するかね。

これは咄嗟の反応です。

自分にとって慣れない行動を咄嗟にはしないでしょう?」


 モデストは腕組みして、アゴに手を当てる。


「ふむ……。

咄嗟の反応なので、いつもやっている行動の延長線でしかないと。

それはじつにわかりやすい。

ですが、今回の仕掛けは咄嗟と違うのでは?」


 期間が空いたとしても……。

 その問題に目を背けていれば、時間が経過していないのと同じだ。

 だから咄嗟の反応をする。


「そもそも今回の失敗を、直視などしないでしょう。

せいぜい出来るのは……。

私の悪口を言い合って、平常心を取り戻すくらいです。

そこに刺激が飛んでくると、どうなりますかね。

咄嗟の反応になりませんか?」


「なるほど。

どれだけ時間がたっていようと……。

目を背けていれば関係ないわけですか」


「そんなところです。

もし失敗を直視しているなら、此方こちらが黙って見過ごすなど……。

決して考えないでしょうからね」


 モデストは妙に感心した顔でうなずく。


「言われてみるとそうですね。

そういえば、カルメンが驚いていました。

犯人の不可解な行動を、ラヴェンナ卿に話したら……。

見事な回答が来たと。

俄には信じがたかったけど、過去の事例を調べなおすと合致したそうですね。

なんか悔しいので答えられない事例を探す、と言っていました」


 そんな闘争心はいらないって。

 マウリツィオが皮肉な笑みを浮かべた。


「彼らは、常に保身や足の引っ張り合いをしているのでしょう。

今回は思いもよらぬ失敗で、冷静に物事を見られなくなったと。

そこに予想外の攻撃を受けると、さぞ慌てるでしょう。

しかもあの会議で、両者の間に亀裂が走りましたからな。

あれは見事なハシゴの外しあいでした」


 たまたま、利害が一致しただけだろうからな。

 しかも仮にかばっても、メリットなどない。

 そんな同盟関係だ。


「もしかしたら、私がやらなくても勝手にはじめるかも知れませんが……。

ショックが大きすぎて立ち竦むだけ……なんてこともあります。

やらないときが面倒ですからね。

内心は疑いたくて仕方ないのです。

ここはひとつ、親切心を発揮しようではありませんか。

きっと気持ちは軽くなると思いますよ。

まあ醜い争いがはじまるでしょうけどね。

一種の暴露合戦になりますよ」


 マウリツィオは、ニヤリと笑った。


「これはすごいことになりそうですね。

我に返ったときは……。

争いすぎて、もう引き返せないでしょう。

それだけなら周囲から制止されることはない、と思いますがね」


 俺は表向き関与しないからな。

 もしこんな噂で両者の離間を企図すると漏らせば、絶対に止められるだろうが。


「その後ですよ。

どちらかが劣勢になると、此方に媚びを売ってくるでしょう。

期待だけ持たせて、ひたすら戦わせますけどね。

当然タイミングを見計らって蹴落とします。

そのときに、普通の人ならやりすぎだ……と思うでしょうね」


「なるほど。

そのときでも、容赦なく蹴落とす必要があるわけですか」


 そのときは、誰がなんと言おうとも蹴落とす。

 そこで情けをかけても、いいことなどない。

 その時の悪評より、将来の仕返しの方が傷は大きいからな。


「そのとおりです。

だからこそ今のリーダーに、最も必要な能力は気力でしょうね。

勢いだけでは……。

やらなくていいことまでやってしまいますから」


 マウリツィオは、難しい顔で腕組みをする。

 新ギルドのことを考えたのかもしれないな。


「つまりは気力のない指導者は害悪というわけですか」


 その認識で、間違いないだろう。

 ただ偉くなりたいという力は気力ではない。

 欲望であって別種の力だ。


「その典型がポンピドゥ殿でしょうね。

この手のタイプは、やるべきことはやらず……。

やらなくていいことだけをやります」


「それが気力に由来するわけですか。

たしかに気力とは無縁の男ですなぁ……」


 気力とはただ、前に進む力ではない。

 いざとなれば、自分を止める力でもあるからな。


「やるべきこととは、基本的に難事なのですよ。

周囲からの反対なり、自身の怠惰や怯懦きょうだと戦う気力が必要になります。

やらなくてもいいことは、周囲の希望なり、本人の性向に合致していてやりやすい。

下り坂を転がり落ちるのに、力なんて不要でしょう?

そこで踏みとどまるだけでも、気力を使うわけです」


「たしかに自分の性格にあったことは、疲れにくいものです。

摩擦を避けて保身に走るのも、ひたすら他人を攻撃するのも同じわけですか」


 結果的に、自分のやりやすいことをしているだけだからな。

 個人なら転がる角度も浅いし、重さも軽い。

 さほど、大きな問題にはならないがなぁ。


「そのとおりですよ。

行動しているから気力があるわけではないのです。

困ったことに、このような下り坂を転がることに慣れてしまうと……。

足腰が弱くなりますよ。

いざ踏みとどまろうとしても、より多くの気力が必要になります。

このリーダーに率いられた組織は、破滅するまで転がりつづけるでしょう」


 マウリツィオは苦笑して、肩をすくめた。


「小生は人並み以上の経験を積んできたと自負しておりますが……。

ラヴェンナ卿の見識には太刀打ちできなさそうです。

しかしシャロン卿も大変ですねぇ。

これほどの器量が主人にないと使いこなしてもらえないとは。

時代が違えば、随分と不本意な人生を送ったと思いますよ」


 モデストは涼しい顔で手をふる。


「そのときは、よりよい味を知らずに死ぬだけのことですよ。

決して不本意だとは思いません。

知ったあとでなら……。

大変不本意だと思いますがね。

人間、より美味を知ると……。

今までの味が、凡庸に思えてならない。

逆に知らなければ、並の味以下でも満足できるでしょう。

今の環境で、最善の味を求めるのが私の流儀ですから」

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