769話 真理

 パーティーの最中、クリームヒルトが俺の袖を引いた。


「どうしましたか?」


「なんか睨んでいるような人がいます」


 クリームヒルトの視線の先には……。

 質素な僧服を着た男がいる。

 目はギョロリとしているが、眼光が鋭い。

 鉤鼻が特徴的だ。

 痩せすぎな体型より、その風貌がとくに目立つ。

 異相だな。


 その人物と視線が合う。

 そいつが、俺たちの前に歩いてきて一礼した。

 礼儀上、こちらから声を掛ける必要がある。


「おや。

私になにか御用ですか?」


「ラヴェンナ卿。

お初にお目に掛かります。

拙僧はジャン=クリストフ・ラ・サール。

此度こたびは、教会の代表を拝命いたしました。

以後よしなに」


 聞いたことがない名前だ。

 身なりからして、高位の聖職者ではないな。


「こちらこそお初に、お目に掛かります。

アルフレード・ラヴェンナ・デッラ・スカラと……」


 クリームヒルトが一礼した。


「クリームヒルト・カーラーです」


 ジャン=クリストフがにこりともせずうなずいた。


「拙僧の名をご存じないのも当然でしょう。

司祭ですらなく、輔祭にすぎませんから」


 輔祭が代表だと?

 これはクレシダが、世界主義を通じて仕込んできたな。


「どのような経緯で、教会の代表に?」


「クレシダさまからのご推薦です。

当然ですが……。

ただの輔祭なら推薦されません。

ラヴェンナ卿も、只の輔祭とは思わないでしょう。

拙僧はストルキオ修道会の代表を勤めております」


 ここでストルキオ修道会か。

 原理主義的な組織だったな。

 クレシダがいかにも狙いそうな人選だ。

 こんなところに、原理主義を紛れ込ませるとはな。


「ストルキオ修道会は、厳しい戒律で有名でしたね」


「そればかりではありませんがね。

有名なのは事実です。

当修道会についてご説明したいのはやまやまですが……。

この場で、それは無粋というものでしょう。

ご挨拶させていただいたのは、理由が御座います」


 ジャン=クリストフの大きな目が細くなる。

 教会関係者が俺に挨拶か。

 理由は一つしかないが……。

 惚けておこう。


「どのような理由で?」


 ジャン=クリストフは大袈裟に、天を仰いだ。

 動作がいちいち芝居掛かっている。

 原理主義とはいえ、パフォーマンスは欠かせないと言ったところか。


「嘆かわしいことに……。

スカラ家からの公開質問状に、枢機卿団はなんら答えを出していない。

公式の場でラヴェンナ卿が、教会関係者と顔を合わせたら、どうなりますか?

まず公開質問状の件について問いただすのではないでしょうか」


 予想通りか。

 素直な回答ではないだろうな。


「つまり回答を持参していると?」


 ジャン=クリストフは苦笑した。

 いや。

 苦笑する演技をしたというべきか。


「そう言えれば最善なのですが……。

拙僧は輔祭にすぎません。

なのでストルキオ修道会の回答なら持っている、とお答えします」


 これを機に、教会での主導権を握るつもりか。

 私見でも公の場で発言したことが大きい。

 しかも教会は無回答。

 これでは、ジャン=クリストフの回答に引きずられるだろう。

 教会の権力闘争のダシにされてはかなわない。


「残念ですが……。

それではお伺いしても、公式の回答と異なる可能性があります。

意味はないかと」


 ジャン=クリストフは、不機嫌な素振りを一切見せない。

 想定内の回答だろう。


「では拙僧の個人的見解としてお伝えしてもよろしいでしょうか?

もちろん意味は御座います」


「どのような意味で?」


「拙僧は、教会の代表として出席を許されました。

それなら拙僧がどのような為人か、それをお知りいただけることです。

ラヴェンナ卿は、為人をよく観察されると伺っておりますから」


 別の理由を持ち出したか。

 突っぱねてもいいが……。

 今は、そのコストを払うべきではないだろう。

 ここで俺が突っぱねれば、クレシダは嬉々として俺の狭量さを宣伝するからな。


「そう言われては断れませんね。

あくまでストルキオ修道会としての見解として伺いましょう」


 ジャン=クリストフは満足気にうなずく。


「まず……。

『使徒は、正しく、皆を守ってくれる存在である』です。

これについては、そのとおりとお答えします」


 周囲は俺たちの問答に聞き耳を立てている。

 それが一斉に動揺しはじめた。

 その中でクレシダの姿がちらりと見える。

 実に楽しそうだ。

 クリームヒルトの顔が強ばる。

 使徒の襲撃は俺より、ミルたちにとってトラウマになっている。

 なんにせよ……。

 理由を聞かなくては対応しようがないな。


「私に相応の非があったと?」


 ジャン=クリストフは、即座に首をふった。


「いいえ。

ニキアス・ラリスは、使徒を僭称したからです」


 そうきたか。

 ユウとすら呼ばない。

 偽物と明言か。

 ある意味現実的な回答だが、一般人には出来ない。

 当然ながら……。

 動揺がさらに大きくなる。

 クレシダは口の端をつり上げていた。実に嬉しそうな顔だ。


「それは大胆な発言ですね。

なぜそう断言できるのですか?」


「事半ばで死んだからです」


 だから偽物か。

 説得力はあるが……。

 それだけなのか?

 この自信満々な様子から、それだけには思えない。


「結果を見て、そう判断したと」


「実はその前から、偽物と確信しておりました。

ラヴェンナ卿への襲撃ではありませんよ」


 原理主義のリーダーと聞いたが、原理原則を声高に押しつけるタイプではないのか。

 結論を出すのは早計だな。

 ただ……。

 かなりの癖者だ。


「政治への介入ですか?」


 ジャン=クリストフは即座に首をふった。


「それも違います。

主たる神にしか出来ないことを、人に要求した。

これに尽きます」


 使徒ユウはやらかしが多すぎて、どれかわからないな。


「そのようなことがありましたか?」


 ジャン=クリストフは、小さく息を吐いた。


「ラヴェンナ卿は教義に、あまりご関心がない模様ですね。

世俗の方ですから、仕方ありませんが……。

簡単なことです。

メディアなる集団に、『公平中立』を求めたこと。

これは不完全な人にとって不可能です。

真に公平中立なのは主のみですから。

人を神に擬すかの如き不遜な宣言でしょう。

神の使徒としては、あまりに不適格と言わざるを得ません」


 そこが引っかかったのか。

 たしかに、実現はムリな宣言だ。

 使徒ユウは深く考えなかったがな。

 これが、原理主義的な組織では飲み下せないものだったらしい。


「たしかに人である以上、公平中立など不可能ですね。

それで偽物であるから、今までの認識と矛盾しないと」


「左様です。

それでは次の点は言わずもがなでしょう」


「誤りであったと」


 ジャン=クリストフは満足気にうなずいた。


「左様です。

これはストルキオ修道会としての見解ですが、真実に勝るものはありません。

いずれは公式な見解になると思われます」


 大胆な発言だ。

 一気に広まるだろう。

 なんのかんのでダシに使われそうだ。

 まあ……その時は、代金を請求するまでだが。


 それにしても危険なカードだな。

 アレクサンドル特別司祭が、当時の教皇だ。

 その責を問うと、教会を完全に敵に回してしまう。

 将来はいざ知らず、今はよろしくない。


「その場合、謝った認定を下した責任が生じます。

これを追及する必要がありますね」


「拙僧は、それについては反対であります」


 これは予想外だ。

 上層部に貸しを作るつもりなのか?


「理由をお伺いしても?」


「ストルキオ修道会のみが、主の真理に到達しているのです。

真理を知りつつ犯した罪であれば、贖罪しょくざいが必要になります。

知らなければ悔い改めればよいかと。

人は不完全な生き物です。

完全なのは主のみ。

公平中立も然り。

それ故に主は、不完全な人の過ちをお許しくださるのです」


 大胆を通り越して、危険な発言だ。

 原理主義の看板に偽りなしか……。


「その発言は、少々危険ではありませんか?

貴方たち以外が真理を知らないと攻撃しては、無用な敵を作るかと思います」


「無知の闇に安住するものたちは、真理の光を恐れるものです。

だれかが声を上げて、光で照らす必要がありましょう。

そして今ようやく……。

光が差し込みつつあるのです。

拙僧が輔祭の身でありながら、代表に選ばれた。

これが証左でありましょう」


 迂闊に答えると危険だな。

 ジャン=クリストフだけならいくらでも、選択肢がある。

 その背後にクレシダがいると、こちらの選択肢は極端に少なくなる。


「私には判断が付かない問題ですね。

真理など考えたこともありませんから」


 ジャン=クリストフはギョロリとした目を、さらに見開く。


「おや。

当代一の頭脳をお持ちのラヴェンナ卿が、真理に興味がないとは。

いささか意外です」


 この演技が胡散臭さを増している。

 挑発のつもりなのか。

 それとも素の反応か。

 まだジャン=クリストフの性向を把握し切れていない。


「買いかぶりすぎですよ。

真理は統治にとって必要ではありませんしね」


 ジャン=クリストフは眉をひそめた。

 今度は自然動作だ。

 真理はジャン=クリストフにとって、大切なものらしい。


「それは首肯しかねます。

真理を知れば、統治も道理に沿ったものになりませんか?」


「先ほどラ・サール殿がおっしゃったではありませんか。

人は不完全であると。

人は合理と不合理を併せ持っています。

それを合理だけに寄せては、不都合が多いのですよ」


 ジャン=クリストフは、目を細めた。

 なんだろうな。

 怒ったわけではないようだ。


「つまり真理のみで、人は生きられないと?」


「ええ。

多くの者が、真理と道理を有り難がるでしょう。

行き過ぎれば迷惑に感じるでしょう」


 ジャン=クリストフは声を立てて笑いだした。

 今までの演技臭さはない。


「これは驚きました。

真理を知る方が、ストルキオ修道会の外にもいらっしゃるとは」


 どうもジャン=クリストフの真意がつかめないな。


「これが真理ですか?」


「正確には『真理は言外にあり。 隠れて行間に潜む』です。

真理を捉えていらっしゃるからこそ、統治に成功されているわけですな。

いわばラヴェンナ卿と我々は、真理を共に知る同志と言えましょう」


 そうはならんだろ。

 クレシダめ……。

 色々な意味で、厄介な人物を推薦してくれたものだ。


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