671話 閑話 魔王の布告

 ヴァード・リーグレ襲撃の一報を聞いたクリスティアス・リカイオスは無表情だった。

 内心は茫然自失だったが、それを必死に抑えたのだ。

 いつでも攻撃できるように準備だけは進めておけと、指示はしていた。

 だが攻撃の指示を出したわけではない。

 アリスタイオス・アンディーノを詰問したところ、帰ってきた返答は意外なものだった。


「内々の御指示を受けての攻撃です。

巡礼街道方面の防御が固められる前に襲撃せよと、指示を受けました」


 慌てて調査すると、たしかに指示が飛んでいた。

 リカイオス陣営での指示は命令書で行われないのが、裏目に出たのである。


 調べていくと、どこかで指示がねじ曲げられ、攻撃を示唆する内容にすり替わっていた。

 そんなときに、王家から事情の説明を求められる。

 ここで手違いがあった……と認めてしまっては失脚を招く。

 必要な先制攻撃だ、と強弁するしかなかったのである。


 フォブス・ペルサキスが抗議しにきたが、居留守を使って追い払うのが精一杯。


 それでも明るいニュースがあった。

 攻撃に失敗したが、こちら側の損害は少ない。

 それでいて最大の障害だったベルナルド・ガリンドを、戦死に追い込んだのだ。

 あのフォブス・ペルサキスですら『次から楽には勝てない』と断言したほどの人物がいなくなった。

 それは喜ばしいことだ。

 シケリア王国の地理にも精通していただけに、これからの戦いにおいて最有力の将を倒した。


 この知らせにリカイオス邸で歓声があがる。

 それでもクリスティアスは、まだ油断する気にはなれない。

 勢力圏はなんら変わっていないからだ。


 さらにペルサキスは攻撃には消極的なので、アンディーノを重用せざる得ない。

 アンディーノにリカイオス陣営の兵力の5分の1を預けている。

 今やペルサキスを抜いて、最有力の将軍のようになった。

 アンディーノはその待遇に、傲慢ごうまんになりつつある。

 それでも仕方なく大目に見ている。

 アンディーノを粛正してしまっては、成果に嫉妬しての行為だと噂されるだろう。

 それはクリスティアスにとって我慢がならないのだ。

 

 かくしてクリスティアスの気分は晴れないままであった。


 そこにラヴェンナから、シケリア国王に書状が届いたとの情報が入る。

 その書状の写しを見て、クリスティアスの顔がゆがむ。


の突然の不意打ちは、ラヴェンナとして看過できない。

誤りであれば謝罪と責任者の処罰を、正式にラヴェンナとして求める。

そうでなければ、この報いは必ず受けさせると宣言しよう。

さらにリカイオス陣営に与する者は、すべて敵と認定する。

そしては以後、裏でコソコソと陰謀を企むことは止めるべきだ。

すべての人が無知とは限らない。

の実態が、白日の下にさらされては困る。

それではが、シケリア王国の民に倒されてしまう。

我々が罪を問えなくなるからだ』


 とは、あまりに礼儀を失する内容だった。

 怒りのあまりクリスティアスは、書状を床に叩きつけたのである。


 この文章はいつしかと呼ばれるようになった。

 かくしてアルフレードのまったく預かり知らないところで、話は膨れ上がるのである。


                   ◆◇◆◇◆


 フォブス・ペルサキスはベルナルド・ガリンドの死に喜ばなかった少数派である。

 むしろその死を悼んだ。

 戦場でしのぎを削ったもの同士、通じ合うものがあったようだ。

 後ろでコソコソしている連中より遙かに信頼に足る、とまでゼウクシスに漏らしている。

 いささか傍若無人なところのあるフォブスでも、ベルナルドの人格力量に敬意を払っていた。


 そして後顧の憂いがなくなったベルナルドとの再戦を、ひそかに楽しみにしていたのだが……。

 それは叶わぬ夢となる。

 本来であれば、哀悼の意を表明してラヴェンナに伝えたかった。

 今は時期的に不可能だ。


 それでも、自室でワインを掲げて暫くひとり黙祷したのである。

 そして数日間、大好きなワインを絶った。

 それがフォブスにできる哀悼の意なのだろう。


 そんなフォブスとゼウクシス・ガヴラスにも、魔王の布告が届く。

 フォブスは腕組みをして、不思議そうな顔をする。


「あの魔王さま。

オッサンを挑発したのか……。

落とし所すら匂わせていないぞ。

ちょっと予想外だな」


 ゼウクシスは書状の写しを、じっと見ている。


「ラヴェンナ卿がそんな、単純な挑発をするとは思えないですね。

なにか意図が隠されていると思います。

どんな意図か……わかりませんがね」


 フォブスは腕組みをして、アゴに手を当てる。


「それは私も引っかかっている。

随分と乱暴な挑発だなぁ。

オッサンを貴族として認めないのは、ちょっとムリがあるだろう。

怒りに我を忘れたのなら、まだわかる。

だがな……。

あの魔王は、腸が煮えくり返っていても、笑顔で殴りつけるタイミングを探るヤツだぞ。

つまりは……なにかを企んでいるってことだ」


 ゼウクシスは、渋い顔で首をかしげる。


「言葉通りに受け取れば、リカイオス卿の一族を指し示していますね。

一族の誰かが今回の戦いを仕組んだ、と睨んでいるのかもしれません」


 フォブスは渋い顔で頭をかく。


「そんなヤツいたかなぁ……。

一族の不和を狙ったのか?

そんなことをしても、憂さ晴らし程度にしかならないだろう。

それより本当に、一族に策士が潜んでいたとしたら……。

実に不愉快な話だと思わないか?」


 ゼウクシスは不思議そうな顔になる。

 フォブスがこんな消化不良な表情になるのが珍しいからだ。


「不愉快ですか?」


「遠くにいる魔王が見通せて、近くの我々は気がつかないのだぞ。

つまり我々が無能だ、と烙印らくいんを押されているようなものだ。

実に不愉快じゃないか」


 ゼウクシスはフォブスが、人から勝手に評価されることを嫌っているのは知っている。

 ラヴェンナ卿に、そんな意図はないだろう。

 英雄と称されるフォブスですら、ラヴェンナ卿からの評価は気になっているようだ。

 たまらず苦笑してしまった。


「そこに対抗心を燃やすのですか……。

ペルサキスさまは諜報が得意分野ではないのです。

下手に首をつっこまないほうがいいですよ」


 フォブスは渋い顔で肩をすくめる。


「それはそうだが……。

ゼウクシスだって得意ではないだろう。

それにしてもなぁ……。

私たちは自分たちの国のことを知らなすぎたのかもしれない。

魔王の示唆が真実ならばだが」


「一族の動向だけは注意しておきましょう。

やはり諜報機関は欲しいですね……。

ラヴェンナの諜報機関は、質量ともに世界最高峰ですからね。

その点は、実に羨ましいですよ。

我が国で独自でもっていそうなのは……。

ミツォタキス卿くらいでしょうか」


 フォブスは椅子にもたれかかって、ため息をつく。


「今や死んだふりだからなぁ。

この手紙でこれ幸いと動き出したら、オッサンに消されるだろうよ。

ともかくこの話は、ここまでにしておこう。

それより厄介な話があるだろ?」


 ゼウクシスは腕組みをして、記憶を探るような顔になる


「ああ……。

ひとつはアンディーノ将軍の噂ですね。

今回の戦いは、実はリカイオス卿の指示ではない。

手違いの命令が下されてしまったと。

戦いが不利になったときに、責任を押しつけられるだろう。

将軍はそれを避けるため、ラヴェンナに心を寄せている。

リカイオス卿の首を手土産に赦免を願うつもりだ。

でしたね」


 フォブスは皮肉な笑みを浮かべる。


「なんともありそうな話だな。

オッサンとアンディーノは、根も葉もない噂だと笑い合ったようだな。

仮にラヴェンナが流した噂なら……見え透いた離間の策だと。

魔王さまの知略の井戸も枯れてしまった、とせせら笑っていたな。

ゼウクシスはどう思う?」


「私には判断しかねます。

ただラヴェンナ卿の仕掛けなら、絶対に第2幕以降があるでしょう。

そんな単発で仕掛けないと思いますよ」


 フォブスは笑ってうなずいた。


「同感だな。

私が注意を喚起しようとしても、居留守を使われる。

それどころか……。

私がアンディーノごときに嫉妬している、とか馬鹿げたことを言われるからな。

勝手にしろといった気分だよ。

それと残りのひとつだ」


 ゼウクシスはアンディーノ程度では、フォブスのライバルたり得ないと思っている。

 モノが違うのだ。

 それを嫉妬しているなどと言われては、フォブスが匙を投げるのは明白だった。

 むしろフォブスを遠ざけるために、あえて言ったのかもしれないが……。

 ゼウクシスにとっても、この話題を突き詰めても仕方ないと思うのは同じだった。


「残るひとつは、アラン王国の話ですね」


 ゼウクシスは唇の端をゆがめる。


「そう。

穀物を高値で売りつけようとしたが失敗したろう。

あまりに高値すぎて、誰も買わない。

商売がわからないのに、口を出すのだから笑えない。

そういえば……。

あの狂王ロマンは、大量の作物をひとつの倉庫に集めたそうだな」


 その珍事は、噂になっていた。

 巨大な倉庫を建設して、厳重に管理している。

 本来食糧をただ一カ所に固めるのは危険なのだが……。

 ロマン王はそんな危惧を、鼻で笑ったらしい。


『これからも豊作は続くから、各地に同じような倉庫が必要になる』


 と断言したようだ。

 何故か、ロマン王は倉庫のデザインまでしたとのこと。

 必要だから建設したのではない。

 ロマン王の思いつきを実現するために建設したらしい。

 倉庫なのに妙に主張の激しい建物になったと、噂で聞いている。


「それで自分が、神に祝福された王だとアピールしたかったようですね。

倉庫で大量の作物をバックに、歌を披露したそうですが……。

正直言って……私には理解不可能な人ですよ」


 遠い国の王としてなら、笑いのネタにはなる。

 近い国なら、絶対に関わりたくない。

 自分の国なら殺すしかないとは、ゼウクシスの感想であった。


 フォブスは皮肉な笑みを深める。


「それが急に『肥料を売ってもいい』と言いはじめた。

あまりにあからさまで、皆が疑っている。

肥料を売れば、金になると踏んだのか……」


「肥料はまがい物かもしれませんね。

ロマン王ならやりかねないでしょう。

それでもまがい物なら、可愛いものです。

勘ぐりすぎかもしれませんが……」


 ゼウクシスが言い淀んだのを見て、フォブスは眉をひそめる。


「なんだ? 言って見ろよ」


 ゼウクシスは一瞬躊躇ためらったあと、小さくため息をついた。


「肥料ではなく土地を殺すような毒物です。

それを肥料と称して売りつける。

その結果、こちらが高値の食糧でも買わざる得ないようにする。

作物の収穫を増やせるなら、逆も可能ではないかと。

そんな可能性も考えられます。

あまりに突飛すぎて……笑われても仕方ありませんがね」


 フォブスは笑いこそしなかったが、首をかしげる。


「そんなことをしたら……。

商売どころか戦争だぞ」


「ですが、現時点でラヴェンナと衝突してしまっています。

アラン王国まで敵に回すことは不可能でしょう」


 フォブスの表情が鋭くなる。


「そんな視点も考えられるか。

あの狂王ロマンならやりかねんなぁ……。

だめだな。

色々な要素が絡まって、全体像が見えない」


                   ◆◇◆◇◆

 季節は秋だが、夜は冬のように肌寒い。

 暖炉の前に座っているクレシダ・リカイオスは、殊の外上機嫌だった。

 片手でラヴェンナからの書状の写しを見ながら、もう片手は空のワイングラスを回している。

 いつものように、アルファが空のグラスにワインを注ぐ。


「やっと愛しい人アルフレードからの恋文がきたわ。

今回は明確に私に向けてのものよ。

これでうかつに動いたら、叔父さまでなく私のことを示していると気がつくようにね。

避けられない縛りをかけてくるなんて素敵だわぁ。

今までは相手に退路を残して、落とし所を探るのがやり方だったけど……。

変えたようね。

素敵な思い切りの良さよ」


「アイオーンの子の噂にしてもそうですが……。

じわじわと締め上げてきますね。

ディミトゥラ王女への牽制も不十分に終わってしまいました。

こちらにとっての不安要素が増えています」


 クレシダは上機嫌で、ワインを口にする。


「ディミトゥラは仕方ないわね。転生仲間だとしても……。

たぶん私たちの仲間にはならないわ。

それにしても、デュカキスの叔父さまが強かったのは予想外ね。

まあ……今はムリに叔父さまを排除してもメリットがないでしょ。

むしろデメリットしかなくなるわ」


 アルファとヴァイロン・デュカキスの死闘は噂になった。

 もちろん賊の侵入という噂でしかない。

 その続報はないままで、ヴァード・リーグレ襲撃の話題に押し流される。

 今や多くの者たちから忘れられた話題となっていた。


 王城の警護はクリスティアスの責任となっている。

 この不始末を隠蔽いんぺいするために戦いを仕掛けたのでは、という噂まで流れていた。


 クレシダとしては、ディミトゥラに軽い脅しをかける程度の意識だった。

 使用人たちが死んでいれば、下手な動きは慎むだろう。

 そしてクリスティアスはディミトゥラに懸想している。

 さらに焦って操縦しやすくなるとの目論見だった。

 それもヴァイロンに阻止されたが、クリスティアスの動揺は激しく、警備担当の処罰に及んだ。

 クレシダはこれで満足して、アンディーノを唆す計画に着手したのが実情である。


「それより、この手紙は本当に嬉しいわよ。

最近ちょっと心配だったけどね。

ここから本腰をいれてくると思うわ。

それでこそアンディーノ将軍をけしかけた甲斐があったというものよ」


 アルファは表情を変えないまま、首をかしげる。


「そのためだけに……けしかけたのですか?

ラヴェンナ卿に本気を出させるためだけと?」


 クレシダは悪戯っぽく笑って、写しを暖炉に捨てる。


「当然じゃない。

この暖炉の炎以上に熱い……魂の交感がしたいのよ。

世界を燃やすほどの熱さなんて、他の人とはムリだもの。

その交感の終わりは、言葉にならないほどのゾクゾクする感情を呼び起こすわ。

熱くなればなるほど、高みに登るのよ」


「それは一体どんな感情なのでしょう。

私でも感じ取れるほどのすごさなのでしょうか?」


 クレシダは艶やかにほほ笑んでウインクする。


「想像しないことにしているわ。

正直にいうとね。

今は世界を壊せても壊せなくてもどっちでもいいのよ。

愛しい人アルフレードを知ってからね。

唯一私と魂の交感するに足る人がいたのよ。

そのために世界を壊すの。

そこまでやらないと愛しい人アルフレードは魂を燃やしてくれないわ。

燃えるような交感の終わりは、まばゆい光につつまれるでしょう。

それはとても甘美なものだと思うわ。

でも甘美な未来を、具体的に想像しても仕方ないと思っているのよ」


「楽しいことは色々想像したくなると思いますが」


 クレシダは優しく諭すような顔でアルファにほほ笑みかける。


「それは程々の温い楽しみね。

人が扱える凡百の楽しみなら、想像して楽しめるわ。

私が待ち望んでいるのは、魂を焼き尽くすほどの楽しみなの。

一生に一度のね。

少しでも想像すると体験したときに不純物が混じるわ。

だからその歓喜を少しも漏らすことなく、本能のままに味わいたいのよ。

ただ感じるときに、想像や理性は邪魔でしかないもの。

だからこの話はこれでオシマイよ。

それより汚物ロマンの掃除は順調かしら?」


「作物の取れない土地が出はじめました。

慌てて肥料を売りつけようと画策しています。

崩壊はもうすぐかと」


 クレシダは一転して、冷たい顔で笑う。


「それはいいことね。

あとエレボスはどうかしら?」


「そちらも順調です。

奴隷階級の一斉蜂起は、もうじきでしょう。

この件は、ボドワンがいい働きをしてくれています」


 クレシダは鼻で笑って煙管を取り出し、口につける。


「元々彼らが企図していたことだからよ。

その程度のこともできないようじゃ、駒にすらならないわ」


「話はアラン王国に戻りますが……。

あれはいつやりましょうか?」


 クレシダは煙を、ふっと吹き出す。


「そろそろいいわよ。

あまり欲張っても仕方ないわ。

それに数値にこだわるより、民衆に与えるインパクトのほうが大事だからね」


 アルファは深々と一礼する。


「承知致しました。

ではすぐに実行させましょう」


 クレシダは楽しそうに外を眺める。


「はてさて、カールラは溺れずに済むかしらねぇ。

フフッ。

楽しみだわ。

汚物ロマンと深く関わるほど……沈む汚物ロマンが足に絡まるもの」


 返事など期待していないことを知っているアルファは、自分の見解を述べなかった。

 黙ってグラスにワインを注いだだけである。

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