669話 欠けているもの

 ヴァード・リーグレの防衛に成功したと、報告を受けた。

 そのわりにキアラの表情は、とても暗い。

 俺が無言で報告を促すと、キアラは大きなため息をつく。


「ベルナルド・ガリンド卿が亡くなりました……」


 思考がその言葉を認識したがらない。


「誤報ではありませんか?

負傷したが指揮を執っているとの報告でしたよね?」


 意識しないうちに、語尾が震えてしまった。

 キアラは、目をつむって首をふる。


 思わず、椅子にもたれかかってしまう。

 なにかいうべきかと考えたが、言葉が出ない。


 突然、肩に誰かが触れた。

 そちらを向くと、ミルが心配そうな顔をしている。


「アル……。

大丈夫?」


「見てのとおり大丈夫です。

亡くなったガリンド卿に比べればね」


 口にだして、思わず顔をしかめてしまう。

 こんな八つ当たりのようなことをすべきではない。

 

 ミルは悲しそうな顔をすると思ったが……違った。

 とても優しい眼差しなのが、余計に辛い。


「アルはまた自分を責めるんでしょ。

お願いだからそれはやめて。

今は前を向くべきよ」


 思わず、視線をそらしてしまう。


「どこをどう考えても、私の甘さが招いたことです。

ともかくこれからのことを考えましょう。

ガリンド卿の遺体は?」


 キアラは書類に目を落とす。


「他の戦死者とともに、こちらに向かっています。

ジュベール卿がこちらにくると聞いていますわ。

ヴァード・リーグレの防衛は一度スカラ家に委ねたそうですの」


「これを公表してください。

葬儀が終わり次第、喪に服しましょう。

それと……。

少しだけひとりにさせてください」


 席を立って部屋を出ようとすると、足になにかの感触があった。

 エテルニタが体をスリスリさせている。


 俺の視線に気がつくと、なにか言いたげな顔をする。


『みゃ~』


 慰めてくれるのか。

 俺はエテルニタを抱きかかえると、テラスに向かう。

 テラスに座って、膝の上のエテルニタをなでつつ考え込む。


 正確には考えることすら出来ない。

 ただ悔いだけが、次から次へと浮かんでくる。


 気のせいか、まぶたが重たくなってくる。

 気がつくと……あの広場にいた。

 円形のテーブルがあって俺は椅子に座っている。

 テーブルの向かいには先客がふたりいた。

 女神ラヴェンナと、アイテールだ。


 俺の膝の上には、またエテルニタがキョトンとした顔で丸くなっている。

 エテルニタはキョロキョロと辺りを見渡すが、はじめて会ったアイテールに、興味津々といった様子だ。


「またお呼ばれしたようですね」


 女神ラヴェンナは小さく、ため息をついた。


「ちょっと強引に呼んだのよ。

パパの精神状態が、とっても良くないから」


 アイテールは静かにうなずいた。


ともがらが心配だと、娘御から聞いてな。

それこそ周囲を気遣うあまり、ひとりで解決できないと頼まれた。

その猫も、ともがらを気遣っているようだな」


 エテルニタは耳を、ピンと立てる。

 自分が呼ばれたと理解しているようだ。


『みゃお~う』


 ラヴェンナは薄情にも吹き出した。

 ニヤニヤ笑うと、いつの間にか手に猫じゃらしを持っている。

 猫じゃらしをエテルニタの前でプラプラさせはじめた。

 エテルニタは猫じゃらしと遊びはじめる。


「面白い猫ちゃんね。

魔王ってしゃべるんだもの。

それより……パパに一つ言っておきたいの」


「なんですか?」


 ラヴェンナは猫じゃらしを揺らして、ジト目になる。


「記憶が失われていなくても、この結末は避けられなかったわ。

パパの危機感を、全員が持てるわけないもの。

それが原因よ」


 思わず深いため息がもれる。

 避けられないなど……言いわけでしかない。


「どうあれ、私が命令して派遣したのです。

結果と責任を受け入れるべきでしょう」


 ラヴェンナはジト目のまま、猫じゃらしをふり続ける。


「それはいいわ。

これからどうするの?」


「どうにもこうにも……。

やることは決まっているでしょう」


 猫じゃらしを、興味深そうに見ていたアイテールが、軽くせき払いをした。


ともがらは今……自身に欠けているものに気がついておるかぇ?

ともがらの変化に少々驚いておる」


 欠けている……か。

 あまりに多すぎて思いつかない。


「欠けているものだらけですよ……」


 アイテールは、小さく首をふる。


「否とよ。

たった一つぞ」


 記憶が欠けていることか?

 ラヴェンナがアイテールに話したのかな。

 別に、アイテールには知られても構わないが……。


「たった一つですか?

ラヴェンナはアイテールに、私の話をしましたか?」


 ラヴェンナは不服そうな顔で、口をとがらせる。


「しないわよ。

私は勝手にパパの秘密を話すほど……おしゃべりじゃないわ」


 だとしたら……お手上げだ。

 一つだけと言われてもなぁ。


「ますますわかりませんね」


 アイテールは口に、手を当てて苦笑する。


「自信が欠けておる。

以前は確固たる自信が感じ取れた。

故に計算外のことがあっても、その道を信じ進むことがあたうのであろう。

今、ともがらの足元は揺らいでおる。

否……。

ともがらが言いそうな言葉で伝えようか。

勝手に足場が泥濘でいねいだ、と思い込んでおるな」


「思い込みですか……」


 アイテールは、俺より猫じゃらしと格闘するエテルニタに注意が向いているようだ……。

 そのお陰か、俺は自分を責める気が薄れていた。

 不思議なものだ。

 真顔で言われると、さらに自分を責めてしまう。

 ふざけていると逆に腹が立つ。

 奇妙なバランスだなぁ。


ともがらより、長きを生きておる。

いにしえより多くの人の子らを見てきたものよ。

竜だから、と人のことがわからぬわけではない。

当然……わからぬことはあるが、心の有りようはわかる。

ただ感じ取るだけだからのぅ」


 ラヴェンナは頬杖をついて、頰を膨らませる。


「そうなのよ。

パパって自分の失敗を、すごく怖がるのよね。

他人の失敗は、なんとも思わないのに……。

自分の失敗は、どんな理由があっても忌避したいものだ、と思っているわ」


 アイテールは俺に指を突きつける。


が断言しよう。

ともがらの力は、なんら変わっておらぬ。

力とは知のことぞ。

と言っても、ともがらのことだ。

これだけでは、自信を持つことあたわず……であろう」


「返す言葉もありませんよ」


 アイテールは、小さく首をふる。

 俺の回答が、お気に召さなかったようだ……。


「では、こう言おうかのぅ。

迷い続けることで、さらに多くの人を傷つけるぞえ。

立ち止まれば……傷つけずに済むかもしれぬ。

だがともがらは、立ち止まることなど許されない。

かような立場にいることは知っておろう。

それでも踏み出すことあたわぬのであれば、いにしえに人の子から聞いた話をともがらに伝えよう。

『長が決意した結果の死であれば、あとに続く者たちのために喜んで死のう。

長が迷った結果で死ぬのは、犬死になりかねない。

それは戦士を侮辱することになる』

とある戦士の言葉ぞ」


 犬死にか……。

 命を落とした人にすれば……そうなのかもしれない。


「そういう意味では、多くの人たちを犬死させてしまいましたね」


 アイテールの目が、少し鋭くなる。

 だがエテルニタがいるせいか、圧はかけてきていない。


「否とよ。

それが切っ掛けで、ともがらが迷いを脱したのであれば……。

決して犬死にではあるまい。

つまりはもう迷っている暇などないのだ。

いにしえを崇めていた民がいたことは覚えておろう。

争いが起こったとき、民長が迷っておったのよ。

先ほどの戦士が、民長にこう言ったのだ。

『立ち止まっても解決などしない。

腹をくくって前に出ろ』

あのときは、なぜそのような言葉をかけたのか、わからなんだ

だが…今ならにもわかる」


 こうやって、色々心配して助言してくれることに……ただ感謝したい思いだった。

 戦死した者たちは、二度と帰ってこない。

 それでもこれからの戦死者を減らすことは出来るだろう。


「各方面に心配ばかりかけていますね。

そうですね……。

迷うのは止めることにします。

励ましていただいて……有り難うございます」


 アイテールはほほ笑んでから、ラヴェンナを見て苦笑した。


「なにの。

友であらばこそよ。

ただ座視することはあたわぬ。

それに娘御は、そっと人の背中を押すことはあたう。

だが、歩かせることはあたわぬ。

故にに泣きついてきたわけだが……」


 ラヴェンナは、ムッとした顔で、頰を膨らませた。


「仕方ないじゃない。

パパは迷って、ママたちは悲しむ。

私の気分は憂鬱そのものよ。

3人の気持ちって、私にかなり響いてくるんだから。

ホントいい迷惑よね」


 アイテールは苦笑しつつ肩をすくめた。

 そのあとなぜか熱い視線を猫じゃらしに注いでいる。


「故にここにきたのだ。

ところで……。

娘御が手にしているそれはなんぞ。

猫がえらく食いついているのう」


「ああ……。

猫じゃらしよ」


 ラヴェンナがウインクすると、アイテールの手にも猫じゃらしが現れる。


「ほうほう。

言葉通りか。

ただふるだけで……いいのかのぅ」


 なぜ猫じゃらしが気に入ったのかわからない。

 アイテールが猫じゃらしをふると、エテルニタがじゃれはじめた。

 ドラゴンが猫じゃらしで、猫と遊ぶ……。

 なんかシュールだ。


『みゃぉ~』


 アイテールは目を細め、猫じゃらしに変化をつけてふりはじめた。

 エテルニタの反応は、さらに激しくなる。


「おお……これは、なかなかに楽しいものぞ。

ともがらがここに来るとき、この猫をまた連れてきてたもれ。

猫とはなかなかにいものだのぅ。

この姿でないと、かようにでることあたわぬのが口惜しい……」


 猫の守護竜になったりせんよな……。


「エテルニタ次第ですよ……」


 俺には目もくれずに、アイテールはエテルニタと遊び続けていた。


「エテルニタとな。

意味深な名前よのぅ」


『みゃお~う』


                   ◆◇◆◇◆


 目が覚めると、不思議と心がスッキリしていた。

 気分爽快とはいかないが、迷い続ける気はなくなっている。


 そうでなくてはベルナルドの死は、ムダなものになってしまう。

 執務室に戻ろうとしたが……。

 エテルニタは俺の膝の上で、イビキまでかいて爆睡していた。


 仕方ないので起こさないよう、そっと抱えたまま執務室に戻る。


 部屋に入ると、キアラはまだ残っていた。

 心配をかけてしまったな。


「キアラ。

前にお願いしたシケリア王国にだす書状ですが、文面を変えてください」


 キアラは驚いた顔になったが、すぐにほほ笑んだ。


「わかりましたわ。

どのような文面で?」


 俺がそれを伝えると、キアラは不思議そうな顔をしていた。


「よく意図がわかりませんけど……。

そのとおりにしますわ」


「そうしてください。

それともう一つ、この噂を流してください」


 今度はすぐに納得したようで、力強くうなずいた。


「これ一発で決める気はないのですよね」


「ええ。

そのとおりです」


 戻ってきてからミルはじっと俺を見ていたが、ホッとしたように胸をなで下ろした。


「なんだかうまく言えないけれど……。

アルが元気になってよかったわ」


「済みません。

色々と心配をかけましたね。

もう大丈夫です」


 死んでしまった者たちからすれば、なにを今更と思うだろう。

 それに対して、言い訳など出来ない。

 だがこれ以上、死者を増やすことなど出来ないよ。

 ともかく、今は前に進まなくてはいけない。


 後悔はすべて終わってからにしよう。

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