668話 閑話 冷たい秋雨

 ときは若干さかのぼり、ヴァード・リーグレ近辺が襲撃を受ける直前のことだ。

 ベルナルド・ガリンドは街道方面からの襲撃に備え、砦の建築を視察している。


 ようやくピンナ家との交渉を終えたが、当初の計画から大幅に遅れてしまった。

 そんな工事開始の遅れより、ベルナルドには懸念がある。

 作業員たちの緊張感のなさだ。

 

 戦闘はまったく起こっていない。

 だから作業員たちは、安全だと錯覚している。


 今までは敵が攻めてこなかった。

 だから安全だっただけなのだ。

 そう口を酸っぱくして注意しても、作業員たちは誰も真に受けない。


 ベルナルドは長年の経験から、そんなときこそ不幸の女神はやってくると知っていた。


 緊張感を欠いているのは作業員たちだけではない。

 騎士たちにも及んでいる。

 むしろ騎士たちの間に流れる弛緩しかんした空気が、作業員に伝染したというべきか。


 騎士たちに緊張感がないのは、皮肉な原因があった。

 主君アルフレードへの絶対の信頼。

 その長い腕で敵の動きを止めてくれる。

 そう信じていたのだ。

 そんな空気は他家の騎士にも伝染してしまう。


 ベルナルドはアルフレードに仕えるとき、最初に言われた言葉を思い出していた。


 アルフレードは皆のもろさを心配していたのだ。

 そのもろさは、負けたときだけに露呈しない。

 安全だと思い込むことももろさであった。


 そのもろさは、普段の行動にも現れる。

 秋になって多少涼しくなったとはいえ、プレートアーマーは暑いし疲れると言い出した。

 鎖帷子くさりかたびらにサーコートを羽織るだけの者たちが続出したのだ。

 何度か指摘して、ようやくプレートアーマーに戻せたのだが……。


 それ以外にも、心配事がある。

 巡回の騎士たちは、何もないと決め付け、警戒がおざなりになっていた。

 直属のラヴェンナ騎士団であれば指導できる。

 他家の騎士団には要請できても、指示は出来ない。

 ならばラヴェンナ騎士団を巡回に回せるか、と言えばそうもいかない。

 ラヴェンナ騎士団は手元に置いて、臨機応変に動かしたい。

 巡回は他家の騎士たちに任せていた。


 油断しないようにと説得をしても、その場では納得してくれる。

 だが今まで、ひとりの賊すら現れていない。

 緊張感を持続するのは難事なのだ。

 

 それでも今までは3000人程の戦力がいたので、巡回を多くして対処していた。

 ところが1000を切った現状では、巡回ばかりを多く出来ない。


 取り越し苦労ならいいのだが……。

 そう頭を悩ませるベルナルドであった。


 悪い予感ほど、よくあたる。

 長年のカンとでもいうものか。


 ベルナルドは胸騒ぎを感じた。

 使徒街道方面を眺めると、なにやら黒い影が動いている。

 結構な集団だ。

 敵襲以外考えられない。

 平地なので、遠くまで見渡せるのが不幸中の幸いだ。

 敵影は3-4キロ先。

 だが騎馬ならすぐここにくる。


 咄嗟にベルナルドは、作業員に撤収を命じた。

 そしてヴァード・リーグレのセヴラン・ジュベールに伝令をだす。


 急ぎラッパを鳴らし、散らばっている騎士たちを呼び寄せた。


 騎士たちはすぐに集まったが、肝心の作業員の動きが遅い。

 作業道具を片付けはじめたのだ。


 ベルナルドは内心歯がみする。


 騎士を数名送り出し、作業道具など放置してすぐに引き上げろと指示した。

 ところが作業員たちは、自分の道具を置いていくことに抵抗する。

 悠長に片付けをはじめようとするのを、ムリにでも帰らせなくてはいけない。

 かす騎士と作業員の間で、軽い言い争いまで起こり出す始末だ。


 そうやってグズグズしているうちに、敵影がはっきり映る。

 やっと作業員は道具を捨てて逃げはじめた。

 

 このままでは間に合わない。

 時間を稼がないと、作業員が追いつかれて殺されてしまう。


 敵は近くまで迫ったが、なぜか突撃してこない。

 ベルナルドは危険を感じて、全員を散会させる。


 そこに矢の嵐が突然襲いかかった。


 馬に矢が刺さり、落馬するものもでた。

 フルプレートでない従卒は、数十名地面に倒れ込む。


 騎士のひとりが、ベルナルドの元に駆け寄る。


「ガリンド卿! 一度下がりましょう!

いくらプレートアーマーでも、的になれば危険です!」


 ベルナルドは大きく首をふる。


「ダメだ! 作業員たちが追いつかれてしまう。

彼らが逃げるまで、時間を稼ぐぞ!

建築中の砦を盾にして、矢をしのげ!」


「はっ!」


 幸い矢はプレートアーマーを貫通できない。

 それでも衝撃は、相当なものがある。


 騎士たちは各自建築途中の砦や、建築資材の山に身を隠す。


 ロングボウ兵を揃えてきたとは、ベルナルドにとって予想外だった。

 恐らく巡回にでたものは、既に捕らえられたか殺されているだろう。


 物陰から様子を探るが、指揮官はわからない。

 遠すぎて目視は不可能なのだ。

 高台に登っては矢の的でしかない。

 

 その間も、絶え間なく矢は飛んでくる。

 400-500メートル先から、この頻度で発射できるとなれば……。

 かなりの熟練したロングボウ兵だ。


 敵に積極的な意図があれば、矢の嵐が収まったとき、騎兵が突撃してくるだろう。


 今、この場にいる戦力では、到底勝ち目はない。

 まずは作業員を、安全圏まで逃がすことが最優先だ。

 戦う者としては、非戦闘員を守らなくてはならない。

 彼らに文句をいうのは、あとからでもいいのだ。


 後ろを見るが、逃げている作業員たちはまだ距離を稼げていない。

 

 この矢の嵐を耐えるのは、かなりのプレッシャーだ。

 ただ縮こまっては、相手に突撃のチャンスだと思わせてしまう。


 逆撃を加えると見せかけて、相手を足止めし続ける必要がある。

 さらには一カ所に固まらず散会し続けなくてはいけない。

 ベルナルドは周囲を見渡すが、それぞれうまい具合に散会してくれている。

 一カ所を除いては……。


 その一カ所は、他家の従卒たちが固まっている所だ。


 遮蔽しゃへい物も少なく、今にも逃げたそうな顔をしている。

 そこで逃げられるとマズい。

 敵の追撃を誘発してしまう。

 混成騎士団なので、おとりを使うことも出来ない。


 突然、矢の嵐がやんだ。

 他家の従卒たちは、必死の形相でベルナルドのほうに逃げてこようとした。


 ベルナルドは咄嗟に、手でそれを押しとどめようとする。


「罠だ! 動いてはならん!」


 従卒たちはそれを聞かずに走り込んでくる。

 そこに、矢の嵐が襲いかかった。


 バタバタと倒れる従卒たち。

 それでも助けようがない。


 だが咄嗟にベルナルドは飛び出し、倒れ込んだ従卒を引っ張ってくる。

 それを見た騎士たちも、同様に従卒たちの救出を行う。


 矢の衝撃はきついが、なんとか耐えられる。

 なんとか全員を救出したが、そのときベルナルドは脚の付け根に、鋭い痛みを感じた。


 プレートアーマーにも隙間はある。

 またの部分が隙間の一つ。

 そこの鎖帷子くさりかたびらを貫通して、脚の付け根に矢が刺さっていたのだ。


 騎士が慌てて駆け寄る。


「ガリンド卿! ご無事ですか!」


「大事ない! 今は耐えるのだ!」


 慌てて矢を抜いては、出血が酷くなる。

 痛みを堪えつつ、ときを待つしかないのだ。


 ベルナルドは現状で、相手の情報を探ろうと頭をフル回転させる。

 ここまで矢の攻撃を続ける必要があるのだろうか。

 

 クリスティアス・リカイオスその人であれば、もっと早くに仕掛けてくる。

 フォブス・ペルサキスであれば、こことヴァード・リーグレの連絡を絶つ。

 もしくは救援にでてくるセヴランを撃破しようとするだろう。

 そもそも非戦闘員を狙って、攻撃を仕掛けるタイプではない。


 それ以外で考えると……。

 アリスタイオス・アンディーノ将軍しかいない。


 前に一度戦ったとき、撃破した経験がある。

 撃破直後にフォブス・ペルサキスが、アンディーノの救援に駆けつけてきた。

 最終的にはこちらが敗北を喫したのだ。


 アンディーノは攻勢を得意とする。

 だが慎重さがその長所を消すタイプだ。

 野心家だが、危ない橋は渡らないタイプ。

 

 アンディーノ相手なら、ヴァード・リーグレに引き上げれば守り切れる。

 セヴラン・ジュベールが救援に駆けつければ、アンディーノはムリをせずに引き上げるだろう。


 よほどの好機でない限り、突撃はしてこない。

 少しでもここの兵力を削っておいて、ヴァード・リーグレ攻略に臨むと見ている。

 自分がいることを巡回の騎士を捕らえ、聞き出したのかもしれない。

 だからこそ深入りせず、矢の攻撃に終始しているのか。

 ここで自分が負傷すれば、指揮が執れないと考えているのかもしれないな。

 だからこそ従卒をつり出し、救援するように仕向けたか。

 アンディーノは、今のところ計画通りだ、と思い込んでいるかもしれない。

 そこに勝機がありそうだ。


 ベルナルドは、僅かな好材料に胸を撫で下ろす。

 同時に太ももに、鋭い痛みを感じる。

 脂汗をかきながらも周囲に注意を払っていると、どこかから視線を感じた。

 従卒たちが逃げてきた方角からだ。


 ひとりだけ走り出し損ねた従卒が、青い顔で震えていた。

 20にもならない若者だ。

 再び矢の嵐がやんだときに、その従卒が走り出した。


 それを嘲笑うかのように、矢の嵐が襲いかかる。

 倒れ込んだ従卒を、ベルナルドは必死に救い出した。


 ベルナルド自身、なぜそんなことをしたのか……わからなかった。

 若くして亡くなった息子に、どことなく似ていたからだろうか。


 その従卒を救い出すと、ベルナルドは力なく壁に寄りかかる。

 下半身が寒くて、力が入らないのだ。

 ここで騎兵に突撃されたら終わりだ、と覚悟を決めた。

 そのときにヴァード・リーグレ方面から、砂埃すなぼこりが見える。


 必死に耐えていた騎士たちが、歓声をあげた。

 騎士のひとりが興奮気味に、ベルナルドに駆け寄る。


「ガリンド卿! 敵が引いていきました!」


 ベルナルドは力なくうなずくのが精一杯であった。


 増援を率いてきたセヴラン・ジュベールが、ベルナルドの元に駆け寄る。


「ガリンド卿! ご無事ですか!」


「……ジュベール卿。

作業員たちは無事に逃げられたか?」


 息も絶え絶えに言葉を絞り出すベルナルドに、セヴランの顔が青くなる。


「はい。

全員保護しました。

死傷者を収容して、ヴァード・リーグレに戻りましょう」


 ベルナルドはうなずくと、静かに目を閉じた。


                  ◆◇◆◇◆


 ベルナルドが次に目を覚ましたのは、ヴァード・リーグレの病室だった。

 太ももには包帯が巻かれており、矢は引き抜かれている。


 ベルナルドの意識が戻ったことに気がついた医師は、助手になにか指示をした。

 助手は慌ただしく病室から駆け出す。


 医師がベルナルドの枕元にやってきた。


「ガリンド卿。

お加減は如何ですか?

あまりに出血が多かったので、治癒魔法をかけることも出来ませんでした。

申し訳ありません。

最低限の治療しか……」


 ベルナルドは力を振り絞って、首をふる。


「そうか。

率直に答えてくれ。

私はどれくらいもちそうだ?」


 医師は驚いた顔になった。


「絶対安静にしていれば、なんとか回復できると思います。

動いた場合……程度に寄りますが、1週間もたないでしょう」


 医師の言葉が終わると同時に、セヴランが病室に駆け込んできた。


「ガリンド卿!

お加減は如何ですか?」


「よくはないな。

ところで敵は攻め寄せてきているか?」


 セヴランは視線をそらしてしまう。


「その……」


「どうなのだ?

あまり余計な体力を使わせないでくれ。

喋るのも億劫なのだ」


「敵はこちらを包囲して、攻撃準備に取りかかっています」


 それならば、攻撃に対処せねばならない。

 主君であるアルフレードは、自分を送り出したとき申し訳なさそうにしていた。

 自分が命と引き換えにここを死守しても、決して喜ばないだろう。

 だが自分の命を惜んだらどうなる?


 ここが落とされると、解決にはもっと多くの血が必要になるだろう。

 そんな後始末を押しつけたくはなかった。

 なにより死ぬならベッドの上でなく戦場で死にたい。

 長年戦い続けてきた男としての意地だった。


「では、私が指揮を執ろう」


 セヴランは、強く首をふる。


「無茶です。

安静にしていてください」


 ベルナルドは力を振り絞って、厳しい顔をする。


「敵将は私が負傷したことを知っているのだろう。

そうでなくてはこうも早く、攻撃に移るまい。

私が健在と知れば、敵はすぐに引く。

卿も騎士ならば……。

私を案じるより、使命を全うしたまえ」


 ベルナルドの気迫に押されたセヴランは、力なくうなずいた。


「は、はい……」


「卿は先に戻って、守りを固めていてくれ。

私も準備をしたらすぐにいく」


「承知しました」


 セヴランが出て行ったあと、医師は小さく首をふった。


「差し出がましいようですが……。

ジュベール卿に任せられては?

私には患者の命を守る義務があります」


「たしかにジュベール卿なら守り切れるかもしれない。

だが名前で、相手を萎縮させることは出来ないだろう。

そうなれば、敵は力押しでくる。

我が身大事さに、部下たちを死なせるわけにはいかないのだよ。

ここの最高指揮官は私だ。

一つ見逃してくれたまえ。

これは命令だよ」


 医師は戦う男という人種をよく知っている。

 こうなったら絶対に寝ていないのだ。

 小さくため息をつくしか出来なかった。


「では可能な限り動かないでください」


「善処するよ。

それでは従卒を呼んでくれないか。

ひとりで鎧を着る体力が残っていないのだよ」


 医師は項垂うなだれて、従卒を呼ぶことしか出来なかった。


 ヴァード・リーグレでは、可能な限りの防衛体制がとられている。

 適時兵力を投入できるよう、主要な騎士たちは広場に集まっているが、一様に不安そうな顔をしていた。


 そこにフルアーマーを来たベルナルドが現れる。

 足取りはしっかりしているが、鎧の中では脂汗をかいていた。

 騎士たちから歓声があがり、ベルナルドの名前を連呼する。


 その日、敵の攻撃は様子見程度のものであった。

 そして敵の指揮官が判明する。

 敵陣にアリスタイオス・アンディーノ将軍の旗が立ち並んでいた。


 ベルナルドの予想通りである。

 これならしのげると、ベルナルドは内心安堵あんどしたのであった。


                  ◆◇◆◇◆


 翌日から散発的な攻撃は起こる。

 都度ベルナルドの的確な指示により、敵は撃退された。


 敵が陣地に戻ったので、セヴランがベルナルドの部屋を訪ねる。

 容体が心配だったからだ。

 ここ数日は、顔色が悪くなる一方。

 自分で鎧を脱げないほど衰弱していた。

 使命感だけで、死に抗っている。

 セヴランは悲しみとともに、畏敬の念に打たれたのであった。


 セヴランがノックをして部屋に入る。

 ベルナルドは机に向かって手紙を書いていた。

 文字を書くこともやっとのようだ。

 苦労して書き終えてから封をする。


「ジュベール卿。

そろそろ……スカラ家の援軍が到着する頃だ。

なんとか役目を果たせたようだな……」


 ベルナルドの小さな声に、セヴランは沈痛な表情を浮かべる。

 

「はい。

出来ればもうお休みください……」


「それはムリだな。

アンディーノはリスクを恐れる男だ。

私が指揮を執らないと、総攻撃を仕掛けてくるかもしれん……。

そうなると耐えきるのは難しいだろう。

皆疲れている。

私がやせ我慢をしているからこそ……持ちこたえているのだよ。

ところで卿に頼みがある」


 セヴランは頼みと言われ、覚悟を決めた顔になる。

 これは遺言だと悟ったからだ。


「なんでしょうか」


 ベルナルドは手紙を震える手で差し出した。

 セヴランはすぐにそれを受け取る。

 ベルナルドの体力を、少しでも消耗させたくはなかったのだ。


「これを妻に渡してくれないか。

最後にご主君にも伝言を。

本来なら私事を優先させるなどけしからんが……。

大目に見てもらおう。

済まないが、代わりに怒られてくれないか?」


「命に代えてもお届けします。

それと喜んで代わりに怒られますよ。

あと……ご主君への伝言とは?」


 ベルナルドに手招きされて、耳元で伝言を聞いたセヴランの目には、涙があふれていた。


 翌日、はじめての大がかりな攻勢がはじまった。

 ベルナルドがムリを押して指揮を執っていることは、味方には知れ渡っている。

 アンディーノも気がついているからこその博打だろう。

 つまり後詰めが、近くに来ているのだ。


 ベルナルドは鎧を身に纏い、部下たちを鼓舞し続ける。

 何度かの波状攻撃も、ベルナルドの的確な指揮と、部下たちの必死の防戦によって撃退した。


 とくに奮闘したのは、ベルナルドに救われた他家の従卒たちだ。

 矢だけでは城門を破れないので、敵は押し寄せる。

 それを死に物狂いで押し返す。

 その気迫に敵はひるんで力攻めを避けたのだ。


 そして秋雨が降り出したとき、敵陣から太鼓が鳴り響く。

 アンディーノは静かに撤収していった。

 ヴァード・リーグレの戦士たちは、誰ひとりとして警戒を解かない。


 それが少し緩んだのは、物見が援軍の姿を見つけたときだ。

 その知らせに、ヴァード・リーグレに歓声が響き渡る。


 セヴランはその報告をすべくベルナルドの元に駆け寄る。

 だがベルナルドの周囲にいる者たちの様子から、すべてを悟った。

 皆が目を赤くして、直立不動でベルナルドを見守っていたのだ。


 ベルナルドは将几しょうぎ に座ったまま、穏やかな顔で目をつむっていた。

 その目が開くことは、二度となかったのである。


                   ◆◇◆◇◆


 ベルナルド負傷の知らせが届いた、翌日のラヴェンナは曇り空。

 雨が降りそうで降らない、そんなジメジメした天気だ。


 マガリ・プランケットは、ベルナルドの妻ゼナ・レヴィディス・ガリンドを訪ねていた。

 心配になって様子を見にきたのだ。

 ゼナはベルナルド負傷の知らせを聞いたとき、気丈に振る舞っていた。

 これなら大丈夫か、とマガリは内心安堵あんどする。

 マガリはゼナと軽い世間話をしたあと、席を立つ。


 ゴトン。


 飾ってあった花瓶が、いきなり軽く跳ねて床に落ちたのだ。

 ゼナの顔が青くなって、その花瓶を急いで拾い上げる。


 マガリはその花瓶に見覚えがあった。


「ゼナ。

その花瓶はもしかして?」


 ゼナは大事そうに、花瓶を元の場所に戻した。


「はい。

主人が私にはじめてプレゼントしてくれたものです」


 マガリはゼナが拾い上げた花瓶を、じっと見つめる。


「ヒビは入っていないようだね……。

大事なものだから、割りたくなかったんだろう。

ベルナルドのヤツ……」


 ゼナは青い顔をしつつ、目に涙を浮かべる。


「こんなことは……はじめてです。

でも、似たような話は何度か聞かされていました……。

騎士の妻として、覚悟はずっと前からしています。

ついにそのときがきたのかもしれません」


 マガリは疲れたようなため息を漏らし、首をふる。


「なにかの偶然かもしれないよ。

ちゃんとした知らせがあるまで……。

ゼナはベルナルドの帰りを待ってあげるんだよ」


 マガリはそう口にしたものの、気休めにもならないと内心思っていた。

 ゼナは気丈にも、笑顔でうなずいた。


「ええ。

今までそうしてきたように……。

これからも、ずっとそうしますよ」


「何か困ったことがあれば遠慮せず、アタシに言っておくれ。

アタシはちょっと野暮用があってね。

逃げ出すようで悪いけど……。

失礼するよ」


 マガリはアルフレードに面会するつもりだった。

 それを口実に逃げたかったわけではない。

 ゼナをひとりにしておくべきだ、と思ったのだ。

 マガリがいては泣くことも出来ないだろう。

 騎士の妻としてそう生きてきたからだ。


 マガリが部屋をでると、かすかに嗚咽が聞こえた。

 力なく頭をふることしか、マガリには出来なかった。 

 

「ベルナルドの馬鹿野郎が。

なんでアタシより先に逝っちまうんだ……。

アイツの力になってくれ、と頼んだばっかりだろうに」


 重い足取りで、マガリはベルナルド邸をあとにする。

 外は冷たい秋雨が降り注いでいた。

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