618話 大バカものたち

 アラン王国の情報を、ゾエに再度調べてもらう指示をだした。

 今度は、表の権力構造ではない。

 芸事に関する勢力分布や影響度だ。


 これは上流階級に一目置かれているから容易だろう。

 名目上は『アラン王国で重要視されている芸術について無知なので教えてほしい』といっただけ。

 真意を明かすと危険だろう。

 相手だってバカではないからな。


 ゾエの返事をもらってから、アラン王国について考えよう。


 今のところ、主に考えているのは三つ。

 経済圏の構築。

 シケリア王国との関係。

 アラン王国との関係。


 部屋で考えているとどうも憂鬱になる。

 外は、小雨が降っているな……。

 ま、いいか。

 出掛けることにしよう。


 むしろこんな日なら外を出歩く人が少ない。

 静かに考え事ができるというものである。


 傘をさして、いつもの場所に向かう。

 いつものようについてくる親衛隊はあきらめ顔。

 俺は雨が降ろうとも出掛ける、と言ったら出掛けるからだ。


 普段から人が少ない戦没者慰霊碑前は、雨が降れば余計人が少ない。

 

 幸いベンチに、いつの間にか屋根もできている。

 俺がちょくちょく足を運ぶからというのもあるだろうが……。


 慰霊碑と言っても、公園に近い。

 碑文と広場があり、隣は墓地のエリアだ。

 碑文のところに向かうと、小雨にかかわらず誰か人がいる。

 傘もささずに、なにか踊っているように見えたが……。


 イポリートだった。

 真剣な顔で踊っているので、声をかけるのもはばかられる。

 素人目にも洗練されて美しい動きだ。

 そこまでしかわからないが。

 俺はベンチに座って、大人しくそれを見物することにした。


 一通り踊り終わったイポリートが、小さく息を吐き出す。

 そこで俺に気がついて、軽く一礼した。

 服が濡れ、髪も垂れている。

 それは気にしていないようだ。


「あら、ラヴェンナ卿。

そういえばミルヴァさまから、ここによく来るって聞いたわ」


「イポリート師範はなぜここに?」


 イポリートは科をつくってウインクしてくる。


「ラヴェンナ卿がひとりで、考え事をするくらいですもの。

静かな場所でしょ。

練習にはいいかと思ったのよ」


「しかし小雨が降っていて、足場は悪いと思いますよ」


 イポリートは胸を張って、チッチッと指を振る。


「雨を意識した踊りだから、ちょうどいいのよ。

想像だけだと限界があるの。

だから実際に体験するのが手っ取り早いでしょ?」


 相変わらず徹底している……。

 まさに求道者だな。


「それではお邪魔してしまったかもしれませんね」


「いいのよ。

一番大事な部分の練習は済んでいるの。

一休みしようとしていたから、ちょうどいいわ」


「それは良かったです。

やはり普段から、稽古を欠かしませんか」


 イポリートは苦笑しつつ、なぜか優雅に一回転する。


「教えるアタクシがなまっていては、格好付かないもの。

だから練習は欠かせないのよ。

それでこんな雨の日に、ラヴェンナ卿がここにきたのは考え事?」


「まあ、そんなところです」


 イポリートは珍しく渋い顔で、頭をかいた。


「アタクシこそお邪魔だったかしら」


 本当にひとりで考えたいときは、また別の機会にするさ。

 俺は軽く手を振って笑いかける。


「いえ、気にしないでください。

ちょっとした気分転換ですからね」


 イポリートは納得した顔でうなずいた。

 そして俺の隣に、少し距離をあけて座る。

 汗の匂いを気にするのだろう。

 そのあたりかなり神経を使うタイプだからなぁ。


「わかったわ。

それにしても権力者がここにくるなんて、式典のときくらいじゃないの?」


 皆そう思うよな。

 遺族だって頻繁にこない。

 俺は記念碑をぼんやり眺め、肩をすくめる。


「普通はそうでしょうね」


「興味本位で聞いていいかしら?」


「構いませんよ」


「ここに来ると、過去の失敗や思い出したくないことが浮かんでこない?

仮に必要な流血だとしてもよ。

ラヴェンナ卿はそれを当然、と思わない人じゃないかしら?」


 イポリートを見ると、興味本位と言いつつ結構真顔だな。

 どうやら茶化した回答は望んでいないようだ。


「そうですね。

全体から考えて、必要な流血だとしても……。

命を落とした立場になれば納得できないでしょう」


「そこまで知っていて、なんでくるのかしら?」


 胸を張って言える話ではない。

 慰霊碑に顔を向ける。

 だがそれを見るわけでもない。

 ただ顔を向けただけ。


「自分の判断が正しいか。

過去に亡くなった人に、堂々と言える内容か。

ここでなら冷静に考えられます。

それと……」


「なに? なんか思わせぶりねぇ」


 自嘲の笑いが浮かんで、思わず肩をすくめてしまった。


「少なくとも死者として忘れられた存在ではないと伝えたい。

そんなところでしょうか。

死んでしまった人には伝わらない。

そんなこと伝えるくらいなら、死なせないでくれというでしょう。

つまりは……ただの自己満足ですよ」


 イポリートは、小さくため息をついたようだ。

 顔を向けていないので、音だけが聞こえた。


「たしかに死んだ人は、親族にすら忘れられることも多いわね。

それが悪いわけじゃないけどねぇ。

人が忘れるのは生きていくため、なんて偉そうに言った詩人もいたわね。

皆が知っていることを偉そうに……と思ったわ」


 俺と大差ないな。

 俺も当たり前のことを偉そうにいっているだけだ。


「知っているからこそ、あらためて言葉にされると納得するのかもしれませんね」


 隣からフーンと聞こえたが、バカにするでもなく感心するでもない。

 ただ俺の言葉に反応したように聞こえる。

 実際大したことを言っていないからな。


「なるほどねぇ。

こんな話でも、ラヴェンナ卿は頭から否定しないのね。

普通の人は、取捨選択をしながら生きていくわ。

そうでないと重さに耐えきれないもの。

それをしないなんて……よほどの変わり種よ」


 それは、否定しようがない。

 本当にそれができているかは、俺自身……わからないがな


「否定するとは自分の目と耳を塞ぐことになりますからね。

個人だったら嫌なことは無視しますが……。

領主ですからね。

目と耳を塞ぐと、領民にツケを回します。

私は人のせいで不幸になるのが大嫌いなんです。

そして自分のせいで他人を不幸にするのは、もっと嫌ですね。

だから動機は、ただの好き嫌いですよ」


 隣から苦笑交じりのため息が聞こえる。


「それでも報われると限らないものね。

稽古も同じよ。

しても成果が得られるとは限らない。

しなければ、確実に腕前は落ちるわ。

だからやめられない。

お互い損な性分をしているわね」


「そこは否定のしようがありませんよ。

個人的な損得を考えたら、どう考えてもマイナスですからね。

それでもこの生き方を変えられません」


 少し含み笑いが聞こえた。


「大バカ野郎ね」


 余りにストレートな物言いにおかしくなった。

 俺は肩をすくめ、イポリートに苦笑を返す。


「否定しようがありませんよ。

たしかに大バカです。

他人が同じことをしようとしたら、バカなことはやめておけと言いますね。

それくらい大バカですよ」


 イポリートは妙に優しいまなざしで笑っていた。


「アタクシもそうだけどね。

でもただのバカよりは、大バカがいいわ。

半端なところでとどまりたくないのよ。

おっと……。

あまりバカバカ言っても仕方ないわね。

それでなにを、考えに来たの?」


「いっぱいありますね。

当面はアラン王国でしょうけど。

この前教えてもらったことを参考にして、ラペルトリさんに情報収集を頼みました。

なんとか先手を打てないかと」


 イポリートは、難しい顔で腕組みをする。


「ああ……。

伝えかたがマズかったかもしれないわね。

ラヴェンナ卿は、きっと誰が仕切っているとか……。

そんな政治的な権力構造を推測しようとしていない?」


「そのつもりですが……。

ダメなのですか?」


 イポリートはバツの悪い顔で、頭をかいた。


「誰にも全体像はわからないと思うわ。

裏のアラン王国を仕切っているひとたちにもね。

本人たちにもわからない。

それを外から限られた情報で導き出すのは不可能よ」


「そんなに曖昧な集団なのですか?」


 イポリートは腕組みをして考え込む。

 しばしうなった後で、大きく息を吐き出した。


「芸術には、ジャンルがあるわよね。

その中でなら、ある程度の序列はあるわ。

流派ごとの門下生の数が、一つの指針ね。

ところがねぇ……。

どんなに小さな流派でも、発表した作品が高い評価を得たら変わるわ。

その流派のトップが、大きな影響力をもつの」


 それだけなら難しい話ではない……。

 だがイポリートは、その程度で不可能などと言わないだろう。


「それだとまだ分析できますね。

つまりまだ、なにかあると」


「ええ。

演劇を考えてみて。

あれは演劇というジャンルだけじゃないの。

音楽や、演技、脚本、衣装なんかの小道具とかね。

その演劇が高い評価を得たら、どうなるかしら」


 なんか一気に面倒になってきたな……。

 言わんとすることがわかってきた。


「その中で、どれが最も重要かですか」


「そうそう。

ところがね、人によって変わるのよ。

だからそのときに、最も影響力がある人ははっきりしないのよ。

ある人は、俳優が素晴らしい。

別の人は脚本がとかね。

似たような評価が多数を形成することもあるわ。

ところが芸術家って面倒くさいのよ。

多数には流れない。

自分独自の意見を言わないと、気が済まない人種なのよ」


「人によって評価する部分が異なるわけですね。

その影響力もある人には強いけど、ある人には弱いと。

さらには新しい芸術作品がでてくると、また変わる可能性があると……」


 イポリートは満足気にうなずく。

 そしてすぐに苦笑して、肩をすくめる。


「ええ。

ここからアラン王国まで急いでも、1カ月以上かかるわ。

ラペルトリ嬢が送ってきて判断して指示をだす。

それで2カ月以上ね。

それだけあれば変わることもあり得るのよ。

作品の発表や、批判を受けての修正なんてしょっちゅうなの。

もし中に手を突っ込むつもりなら、その場にいないとダメね。

それでも難事だと思うわ」


「もう少し状況が単純化されないと難しそうですね。

なんとかできないかと考えていましたよ……」


 イポリートは、頭をかいてペロリと舌をだした。


「ゴメンなさいねぇ。

まさかそこまで、一気に考えるとは思っていなかったわ。

ただ表向きの権力構造で考えたら間違うと思ったのよ」


 謝る必要はない。

 俺が勝手に先走っただけなのだから。


「いえ、助かりますよ。

完全にアラン王国独自の社会なのですね」


「そうね。

その上流階級も、形があるようでないのよ。

アタクシが聞いた話だと、なんとなく総意ができるみたいね。

その慣習は、そこで暮らさないと身につかないわ。

ラヴェンナと違って、法律や決まりって明文化されていないのよ」


 話し合いやその場の、雰囲気や流れかぁ。

 これはとてつもなく厄介だぞ。


「つまり空気のようなものが、意思決定をするわけですね……」


「言い得て妙ね。

その空気に逆らったら追放かハブられるわ。

反逆罪ならぬ反空気罪ね。

実体がないからある意味王様より偉いわ。

個人なら直訴できる可能性だってあるけどね。

諫言もできないし、決定は覆らない。

でも、あるとき突然姿を消すのよね。

そしてまた別の空気が君臨するわけ。

それでもまったく空気の読めないロマン王子には通じていないのだけれども」


 それだけでも異物なのだな。

 これは、全力で排除しにかかるだろう。

 ところがロマン王子のバックになにかいる。

 そう簡単には排除できない。


「アラン王国は情報を集めるだけで注視しますかぁ。

ロマン王子に協力している勢力を探るのが精いっぱいですね」


 イポリートは俺の顔を凝視してから、眉をひそめた。


「うーん。

アタクシの気のせいだったらゴメンなさいね。

少し焦っている?」


 ここでも言われるか。

 オディロンはそれとなく、ヤンはストレートに。

 ここまできたら、気のせいではない。

 端から見てわかるほど、俺は焦っているようだ。


「他の人にも言われましたよ。

自分でも気がつかないうちに焦っているのでしょうね……」


「急ぐ理由を聞いても?」


 記憶が薄れることは口外できない。

 イポリートなら、曖昧でも納得してくれるだろう。


「そうですね……。

師範は体が衰えて自分の思うように動けなくなる前に、理想に到達したいと思いませんか?」


 イポリートはほほ笑みつつうなずいた。


「ああ……。

それでわかったわ。

具体的な衰えじゃないけど、可能なうちになんとかしたいってやつね。

よくわかるわ。

アタクシも昔のように、ひたすら練習し続けられないもの。

それで焦ったことはあったわ」


 考えてみれば、いろいろ苦労していそうだからな。

 そんな過去があって当然か。

 だから焦っていると、気がつけたのだろう。


「過去形なのは、乗り超えたからですか?」


「乗り超えたわけではないわ。

若返るなんてできないから、折り合いをつけたのよ。

後悔しないよう、できる範囲で打ち込むことにしたの。

それで高みに届かないなら、それがアタクシの天命よ。

昔、焦るあまりに……。

練習しすぎて、足をくじいたことがあってねぇ。

そのときにできることには、限りがあるって気づかされたのよ。

いけないところを目指してもダメだってね。

だから自分にできる最高の高みを目指すの」


 折り合いと自嘲気味に言っているが、乗り超えたのだろう。

 だがそう認めたくはないといった、微妙な心境か。

 どちらにしても、せっかくの忠告をむげにするわけにいかない。


「やはり師範も、そんな経験をされていたのですね。

そうですね……。

もう少し分際をわきまえることにしますよ」


「それがいいわ。

それにラヴェンナ卿の周りには、力になってくれるひとたちばかりでしょ。

任せるのは好きだけど、頼るのが嫌いなのよね。

それはなおしたほうがいいわ。

頼ってあげなさいな」


 少々驚いた。

 そこまで見透かされていたのか。

 まったく侮れない人だよ。


「そう見えますか」


「ええ。

アタクシもそんな経験があったからね。

貸しをつくるのは気にしないけど、借りをつくるのは嫌だったわ。

昔のアタクシは、抜き身のナイフのように刺々しかったわよぉ。

ラヴェンナ卿の物腰は温和だけど……。

どことなく相手に踏み込ませない鋭さを感じるのよね」


 ミルは俺を観察して気がつく。

 イポリートは自分の経験からくる嗅覚か。


「今はとてもそう見えません。

なにか切っ掛けがあったのですか?」


 イポリートは遠い目をして、慰霊碑に顔を向ける。


「そうねぇ。

憧れていたラペルトリ嬢に、一度だけダンスを見てもらったの。

そこで言われたのよ。

『そんな抜き身のナイフでは、感心や感嘆させる踊りしかできないわ。

上流階級のウケはいいでしょうけど……。

本来の感動や楽しいと思える感情を呼び起こせないわね。

それはあなたが私の踊りを見て感じてくれたものよ』

他の人に言われたら、鼻で笑ったけどねぇ。

憧れの人に言われたら、否定なんてできなかったわ」


 イポリートにとって、ゾエは特別な存在なのだろうな。

 ゾエもイポリートになにかを感じ、踏み込んだ話をしたのだろう。


「それは説得力がありまくりですね」


「そこからよ。

アタクシのダンスが一皮むけたのは。

それでアラン王国を離れて、頂を目指すことにしたのよ。

あそこでは感心や感嘆させる踊りしか目指せないの。

それ以外を目指すと反空気罪で、即刻追放よ。

そうなる前に逃げ出したわ。

だからここにいるのよ」


 イポリートも、いろいろ経験してきたのだなぁ。

 まあ当然か。

 皆に焦っていると言われる。

 少し落ち着いて考えてみるか。

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