587話 狼を解き放つ

 増員承諾の返事を確信していたのだろう。

 笑えるくらい早く、クリスティアス・リカイオス陣営から11名が送り込まれてきた。

 俺に挨拶したいとのことなので、会うことにする。

 対外的な話なのでミルとキアラを伴う。


 応接室では、出先機関の代表が俺を待っていた。

 ペイディアス・カラヤンと言ったな。

 50代の、実直な初老男性といった印象だった。


 変に目端が利く人物より、実直な人物のほうが俺には適当だと考えたのだろう。

 それだけで俺のことを、良く調べているのが分かった。

 仮想敵の使節だが、表向きは友好な関係を保っている。

 

 ペイディアスは俺たちが入ると、丁重に一礼した。

 こちらも、軽い挨拶を済ませる。


「カラヤン殿、彼らが新しい職員たちですね」


 顔見せなど始めてだ。

 職員まで紹介など、何かあるのだろうか。


「はい。

大幅に増えましたので、顔を知っていただいたほうがいい……と思った次第であります。

見知らぬ人が増えますと、無用の疑惑を招きかねませんので。

それは我が主も、同様の考えであります」


 一見筋は通っているが……。

 少し、ペイディアスの様子がおかしいな。

 困惑気味でぎこちない。

 初めて見る対応だ。

 かすかに感じる程度だが……。


 増員の中に、暗殺者でも潜んでいるのだろうか。

 違うな。

 それなら赴任時に、クリスティアスから言い含められているだろう。

 想定外の事態が起こらない限りは、気取らせるような態度は見せない。

 自分の命を掛けても、任務を達成することも考えられるが……。

 ペイディアスは、それが自然にできる経歴ではなかった。

 

 キアラはどう考えているか。

 ちらっと顔を向けると、少し不審に思っているようだ。

 困惑気味といったところ。


 警戒ではなく困惑か。

 クリームヒルトを連れてくるべきだったかな。

 ……ダメだな。

 あの力を捨てたがっていた。

 それに頼ることが前提になっては、命を狙われかねない。


 人知の及ぶ範囲で対処すべきだろうな。

 キアラが警戒していないのであれば、その手の陰謀とは無縁なのだろう。

 11名をざっと見渡すが……。

 普通の事務官僚的な面持ちだ。

 ひとりを除いて。


 そのひとりが浮いている。


 地味な服装をしているが、かなりのイケメンだ。

 事務仕事が似つかわしくないほど鍛えた体。

 トウコでなくてもわかる。

 書類を仕事とする人と、戦場を仕事とする人は自然と顔つきが異なる。


 そしてもう一つ。

 地味な男が、急におしゃれな服装をして、おしゃれな集団に入っても浮く。

 悲しいが経験談だ。

 その逆もある。

 おしゃれな人が、おしゃれに無頓着な集団に、その場だけ地味な服装をして潜り込んでも浮く。

 ジミメンのベテランである俺の目で見ると、その男は違和感がありありなのだ。

 計算された無頓着さは、天然の無頓着さとは違う。


 俺の知る限り、そんな偽装を完璧にやってのけるのは……カルメンくらいだろう。

 モデストでさえその方面では、カルメンにはかなわないと言っていた。

 世が世なら、大女優にもなれそうだ。

 ある意味才能のお化けなのだろうな。

 本人は舞台などで、人前に立つのは面倒くさいと言っていたが。


 ともかく目の前の特異な人物についてだ。

 一つの可能性に思い至った。

 狙いはあれか……。

 そうなれば口実はハッキリしている。

 わざわざ面通しをした理由もだ。


「それでラヴェンナを見て回りたいと。

私からその許可をもらいたいのですよね?」


 ペイディアスが驚いた顔になった。

 図星か。


「は、はい。

良くおわかりで……。

ですが全員そうではありません」


 見て回るのに俺の許可があれば、かなり自由に動ける。

 だからこその面通しか。

 ペイディアスの困惑は、後始末を思ってのことだろうな。

 苦労人は、なにかと尻拭いをさせられる。

 相手の思惑通りに付き合う必要もない。

 どうしたものか……。


 …………名案が浮かんだ!


 俺はミルに耳打ちをする。


(狼を解き放ってください)


 ミルは信じられないといった顔になる。

 俺が笑ってうなずくと、ミルは困惑顔で衛兵に何事か耳打ちした。

 ペイディアスは不思議そうな顔で、眉をひそめる。


「何か不都合でも……」


「違いますよ。

案内役をひとり手配します。

おそらく希望はひとりだけ……ですよね」


 他の職員は、そんなことを考えていないだろう。

 おそらく疑われるような行動は慎むように……と言い含められているはずだ。

 実際の内偵は、俺たちを油断させてから始めるだろう。


 交易の仕事だけで来ているなら、観光もありえる。

 だが今回は違うだろう。

 目的が違うからこそ、すぐには嗅ぎ回らない。


 だれか市民と親しくなってからが、本番になる。

 来てすぐにあちこちをうろつき回っては目立ってしまう。

 市民からも奇異の目で見られるだろうな。


 ペイディアスは絶句する。

 なぜ分かったのか、判断しかねているのだろう。


「……」


 部屋を微妙な空気が支配する。

 俺は内心のニヤニヤ笑いを隠すことにした。

 真面目くさった顔でせきばらいをする。


「案内役が来るまで、少々お待ちください」


 俺とペイディアスの間で実務的な話などしない。

 それは商務省とおこなうものだ。

 顔見せは単なるセレモニーに過ぎない。

 

 困り果てた顔のペイディアスと世間話をしていると、ドタドタと足音が聞こえる。

 そして扉がバンと開いた。


 シルヴァーナだ。

 目が血走っている。


「アル! どこよ! イケメン! どこどこ!」


「すぐにわかると思いますよ。

ラヴェンナを見て回りたいそうでしてね。

案内してあげてほしいのです」


 ミルは天を仰ぐ。

 キアラは我関せずの無表情。


 シルヴァーナはあっけにとられているペイディアスたちを一瞥する。

 すぐに、獲物を見つけた獣のような目をした。

 真っ先にひとりを指さす。


「アル! この人よね!」


 さすが目利きだな。

 ひとりだけ違うからな。

 

「そうだと思いますよ。

カラヤン殿、そうですよね」


 ペイディアスの顔には、『どうにでもしてくれ』といった諦めが浮かんでいた。

 もう、彼の手に余る事態になっていると察したのだろう。


「は、はい……」


 シルヴァーナは上機嫌で、色気のないウインクをする。


「じゃ、アタシが案内してあげるわよ!」


 返事を待たずに、その人物は連行されていった。

 ひとまずはこれでいいだろう。

 

                   ◆◇◆◇◆


 面会を終えて、執務室でキアラのお茶を堪能する。

 いいことをした後は気分がいい。

 それなのにミルとキアラの視線が痛いのは何故だ。


「ふたりとも、そんなに怖い顔をしないでくださいよ」


 ミルはジト目のままだ。


「前にヴァーナを他国の使者に会わせたら、外交問題になるって言っていなかった?」


「言いましたよ。

それは正式な使節に対してです。

身分を偽って、一職員のフリをしている相手には違いますよ」


 キアラまでジト目だ。


「あの人は確実に高い身分の人ですわよ。

そんな人を、品性が胸と同じくらいない……あのシルヴァーナさんに差し出すのは、どんな深謀遠慮なのですか?

私には皆目、見当が付きませんわ」


「問題はあの人が、実はだれかなのです。

カラヤン殿の態度と、ガヴラス卿やミツォタキス卿の話から推測すると……。

ペルサキス卿だと思いますよ」


 ふたりは驚いて顔を見合わせる。


「「ええっ!」」


「カラヤン殿が困惑して断れないほどの高い身分です。

彼ほどの人が、表情に表れるほどでした。

そこそこの身分では突っぱねるでしょう。

そして独断の行動でしょうね。

リカイオス卿は黙認していると思いますが……。

そうなると消去法ですよ。

根拠はありませんが……外れているとも思えません」


 ミルはあきれ顔で、頭を振った。


「それはわかったけど……。

ペルサキス卿に恨まれない?」


 俺は苦笑して手を振った。

 感謝させた場合は、戦場でこちらの出血を増すことが返礼になる。

 恨まれたとしても、出血量は増えない。

 そうなれば一つだ。


「それより自由に歩かせて、弱点を探られるほうが嫌ですね。

天才の目からラヴェンナの地理を見れば、攻め筋など見つかってしまいます。

ともかく好き勝手探らせる義理はありませんよ。

そんな隙を与えないように、飢えたシルヴァーナさんの目の前に極上の肉を転がしたわけです。

他人の結婚話が持ち上がる度に、目が泳いでいましたからね。

さぞかし猛烈にアタックするかと思います。

調べるどころではないでしょう」


 ミルは昔を思い出したのか、遠い目をして外を見る。


「恋愛食いつきモードのヴァーナは、ホントひどいのよ。

アルも知っているでしょ。

ペルサキス卿はきっとひどい目に遭うわよ。

どうなっても知らないからね……」


 そう言いつつも、ミルは難事が起これば真剣に協力してくれる。

 俺にはもったいないくらいのいい女だよ。

 人によっては、うっとうしいとか……重たいなど言われていることは知っている。

 ここで大事なのは、俺にとってどうかだ。

 相性なのだろうな。

 他人にどれだけ良く見られても、俺との相性が悪ければ最悪だろうよ。

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