574話 閑話 絶望だけの歌

 ラヴェンナは祭りの喧噪に包まれている。

 その喧噪が届くか届かないかの場所に、小さな屋敷がある。

 屋敷に私服のベルナルド・ガリンドが訪ねていた。


 屋敷の主はマガリ・プランケット。

 使用人は全員が出払っている。

 祭りなので楽しんでこいと、マガリが送り出したのだ。


 なぜかベルナルドが、マガリに促されて給仕をしていた。

 客人に給仕をさせて悪びれない表情のマガリ。

 ベルナルド自身も嫌な顔一つせずに、マガリと自分の茶をだして向かいの席に座った。

 

 ベルナルドは昔を思い出したのか、目を細めている。


「昔を思い出しますな。

見習いの頃は、よくレディに給仕をさせられたものです」


 マガリは声をださずに、肩をふるわせて笑った。


「懐かしいかい。

お互い年をとったものさ。

ところで部下を率いての内乱収拾はどうだったかね」


 ベルナルドは、嬉しそうに目を細める。


「最高でしたな。

任務を全うできたこともそうですが……。

中途参加の身分で、ラヴェンナでの実績がない私に、ご主君が命を預けてくださったこと。

讒言の書かれた紙を、くず箱に放り込まれたなど……。

きりがありません」


「放り込んだら外れたそうじゃないか。

格好の良いことが、つくづく似合わない坊やだね」


「入ろうが入らまいが……些細なことですよ」


「んなことは分かってるよ。

ま、アンタが幸せになったんだ。

呼んだかいがあったってモンさ。

アタシが前の主に、見切りをつけたときも、アンタだけは息子の遺志を継いで残ると言ってくれたからね。

あのまま終わらせたら、死んでも死にきれないってモンさ」


 ベルナルドは渋面になって、首を振る。


「私の意思でやったことです。

彼を救えなかったことは、私の生涯でも1番の痛恨事でしたから。

そんな私を気にかけていただけたのは、有り難い限りです」


 マガリはニヤリと笑いつつ、茶を口にし、満足げにうなずく。

 茶の味はお気に召したようだ。


「ま、いいさね。

給仕の腕は衰えていないようだね。

アンタの茶は、なかなかの味だ。

キアラ嬢ちゃんといい勝負できるよ。

で……最高以外に、アンタはあの坊やをどう見ているね」


 ベルナルドは困惑顔で、腕組みをする。

 しばし考えて、小さく息を吐く。


「難しいですな。

人物評価はしませんが……。

成功している人には有り得ないほど、失敗を高く評価します。

それだけでなく挫折したか……しかかっている人を見いだすのがお好きなようですな。

格好つけのためにやりたがる人はいますが、大概うまくいきません。

痛みを知らない人の憐憫は、たやすく他人を傷つけます。

あれは苦しい人生経験を積まないとできないでしょう。

あの若さで、人の心に寄り添えるのは不思議に思っています。

天才の輝きはありませんが、不思議な深みがありますな」


 マガリは、ニヤリと笑いかけた。

 アーデルヘイト以外には見せない、少し優しさのあるまなざしだ。


「言葉を選んだねぇ。

あの坊やの精神には、不本意な人生を歩みつづけて刻まれる……深淵があるさね。

山がない人生の谷を歩き続けると、谷は深くなり続けるだろ。

じきに日の光も届かない深淵に変わるよ。

普通の人には耐えられるものじゃない。

深淵に囚われて怪物になるさ。

耐えきれずに不本意な人生を、ただ人のせいにしていたら……決して深くはならない。

ただ平地に、幻の谷が見えるだけさ。

アタシがそうだったからね。

深淵が見え始めたとき、怖じ気づいて逃げちまったよ」


 ベルナルドは同意のうなずきをしつつ苦笑する。

 周囲に揶揄われる光景は、戸惑いながら見てきた。

 すっかりその光景を見慣れてしまった自分にたいしても、その笑いは向けられている。


「普通なら気味悪がられますな。

あのような立場なら、敬して遠ざけられるものですがね。

ご自身が一切偉ぶろうとしていないからかもしれませんな」


「21歳だろ。

大貴族のボンボンだ。

挫折したことはない年齢さ。

あっても大した挫折じゃない。

ところが挫折を繰り返してきたようなしぶとさがあるんだよ。

知ってるかい?

あの坊やが、誰も知らない歌をたまに口ずさむのを」


「そんな話も聞きましたな」


 マガリはこころもち身を乗り出す。

 声も、少し小さくなる。

 ベルナルドの目が少し細くなった。


「だからさ……どっか別の世界から来たと思っているさ。

別世界から来たと言われるのは、神が使わしたと言われる使徒だがね。

それとは違うだろうね。

違うどころか……真逆だよ」


「真逆ですか」


 マガリは皮肉めいた顔になる。


「実物を見たから言えるんだがね。

使徒は自分が好きでたまらないのさ。

だから自分が傷つくことは耐えられない。

他人から嫌われることもそうさ。

だから他人のお膳立てがないと、何もできない。

一目見て分かる程度の底の浅ささだったよ」


 ベルナルドは複雑な表情で重いため息をついた。


「レディが実際に見た……と言われない限り、容易に信じられない話ですな」


「1000年続いた常識だからね。

アタシだって使徒は高潔で誠実で慈悲深い……そう思っていたさ。

でも、自分の目と人の噂のどっちを信じるかってねぇ。

今思えば、坊やもミルヴァもキアラも使徒を嫌っているようだったね。

それをミルヴァやキアラの話を坊やが信じたか……。

それとも逆なのか。

単に嫌い同士で集まったかは知らんがね。

おっと……使徒は放置するとしてだ。

あの坊やは、自分が大嫌いなフシが見えるね。

だから平気で、自分を軽く見る言動を繰り返していると思うさ」


 ベルナルドは憂鬱な表情で、自分のカップをのぞき込んだ。

 自身が感じるもどかしさが、そこには映し出されていた。

 主君にたった一つだけ不満を持っている。

 アルフレードが自分自身を軽視しているのが感じ取れることだ。


「それはなんとなく感じますな。

なぜそこまで、自身を嫌うのか分かりませんが。

それ故でしょうかね。

ご主君を嫌う人たちは、大なり小なり自分を愛する人ばかりだと思います。

成功を収めているが故に、その矛盾が憎しみを増幅しているかもしれません。

同類が成功すれば、妬みこそすれ本心から嫌わないでしょう。

正反対の人物が成功すれば、妬みが憎悪を容易に増幅させますな」


「自分が好きで成功してないヤツからすれば、馬鹿にされているようなモンだからね。

坊やにその気がなくても、相手が勝手に思い込むさ。

坊やが自分を卑下するほど、嫌悪が増すだろうよ。

困ったことに、あの坊やは自分を嫌っているが、そんな感情すら嫌いなんじゃないかと思うね。

自己嫌悪を表にだしたら、アーデルヘイトたちが悲しむからね。

そのせいかは知らないけどさ、坊やからは死にたがりの匂いがするよ。

アタシもそうだったから、分かるんだよ。

それは今も変わっていないさ。

全く救いがたい性分だよ」


 特に反論もないのか、ベルナルドは穏やかにうなずいた。

 ベルナルド自身、死に場所を探していた過去があるからだ。

 かすかにそんな匂いをアルフレードから嗅ぎ取っていた。


「だからでしょうかね。

周囲に称賛されると困った顔をされるのは」


「じゃないかと思うよ。

謙遜だったら、内心嬉しいだろう。

あれは本心だろうよ。

おっと……また話がそれたね。

年をとると、どうも話が寄り道だらけになるよ」


「そうですな。

レディは昔だったら、単刀直入な話し方でしたからな。

他人の言葉が横にそれようものなら、容赦ない叱責が飛んできました。

懐かしい限りです」


 マガリは、ちょっと嫌そうな顔をして手を振った。

 過去を知っている相手には、迂闊なことを言えないのは、どの世界でも同じだ。


「アタシのことはいいさ。

ひねくれ者なりに丸くなった……とでも思っておくれ。

たった一度だけ、坊やがアーデルヘイトたちにせがまれて、歌を歌ったのさ」


 ベルナルドの目が丸くなる。

 全く、想像ができなかったからだ。


「驚きましたな。

まるで想像がつきません」


「瀕死の重傷から復帰したあとのことさ。

かなり嫌がっていたがね。

抵抗しきれずに、一度だけと念押しして歌ったんだが……」


 ベルナルドは珍しく、ゴシップを嗅ぎつけたような俗っぽい笑みを浮かべた。

 アルフレードはシルヴァーナ・スマイルと陰で言っている。


「美声だったとか?」


 マガリはフンと鼻をならした。


「いやいや、さしてうまくなかった。

音痴じゃないが、上手くはないってところさ。

歌ったのが、人生の終わりを絶望で嘆く女の歌だったのさ。

勿論誰も聞いたことがない」


「経歴からはまるで似合いませんな」


「アタシくらいでないと、サマにならない歌さ。

不思議とサマになっていたよ。

挫折も知らないヤツが歌えば、悲劇の衣装でしかないさ。

ところが、衣装だとは思えないほどさ。

アタシですらガラにもなくシンミリしてしまったよ。

多分、そんな歌を歌えば、二度とせがまれないと考えたろうさ。

アーデルヘイトたちも言葉に詰まっていたね」


 ベルナルドは、興味深そうな顔でアゴに手を当てた。

 あの主君に明るい歌は似合わない……と思ってしまうベルナルドであった。


「確かにサマになるのは想像できますな。

曲名はあったのですか?

もしかしたら聞いたことがあるかも知れません。

上流階級のパーティーには、結構出席させられましたから。

そこで歌の披露も、結構ありました。

暢気な人たちほど、悲劇的な歌を好んでいましたな」


「細かい歌詞は忘れたよ。

なんとなく思いついたと言っていたが、ありゃ嘘だね。

若い頃は、希望一杯だったけど、子供も奪われ……愛した男にも去られた。

人生の終わりに、夢は破れたと呟く。

そんな歌だったね」


 ベルナルドは額に、指を当てて記憶を探るが……。

 該当するものはなかった。

 聞いたことがない。


「聞いたことがありませんな。

失恋などの歌はかなりありますが……。

上流階級のパーティーには、そぐわない歌ですな。

そんな絶望だけの歌は場違いですから」


「若い連中は、さすが年齢不詳だと苦笑していたけどね。

アタシは確信を持ったさね」


 ベルナルドはマガリの断言に、ただただ苦笑するだけだった。


「別の世界からきたですか……。

作り話ではありますな。

そんな人は……生まれ変わりでしたか」


「そんなところさ。

使徒が来ているくらいだ。

他からなにか紛れ込んだっておかしくないさ。

それなら、年に似合わない言動や自己嫌悪も合点がいくさ」


「言動は理解できますがね。

自己嫌悪とは?」


 マガリが呆れ顔で、まだまだ甘いな……といった様子で首を振る。


「考えてもみなよ。

人生でズルしているようなモンさ。

それで成功したとか誉められて喜ぶなんて、余程おめでたいヤツさ」


 反論の余地のないベルナルドは、確かにアルフレードらしいと思った。

 ただ、気になったのか、表情が少し厳しくなる。


「なるほど……。

この話は、周知の事実なのですか?」


「いや、アタシの胸の内だけさ。

これを言うのはアンタが最初で最後だよ」


 ベルナルドは安堵しつつも、首をかしげる。

 マガリは他人に、秘密や思ったことを話タイプではないからだ。


「そんな話を、なぜ私に?」


 マガリは、カラカラと力なく笑った。


「さあねぇ。

少なくともアンタは、アタシより長生きするさ。

騎士を引退しても、坊やは、アンタを尊重し続けるだろう。

嫌がらない限りはね。

その前提があれば、あの坊やを諫める言葉選びも楽だろ」


「レディは諫言されないのですか?」


 マガリは、軽い調子で手を振った。


「基本、諫言が必要ないヤツだよ。

それに、坊やとは昔ちょっとあってね。

内心嫌われているのさ。

断言してもいいが、坊やはかなり根に持つタイプだからね。

やられたことは、一生覚えているようなタイプだよ

その点、アンタはアタシと違う。

好感と敬意を持たれているからね」


 ベルナルドは苦笑しつつ、照れ隠しのように、カップに口をつける。


「それは身に余る評価です。

寛大で淡泊な方に見えますけどね。

陰湿さとは無縁に思えます」


「そりゃ失敗を恐れるなと言っているヤツの本性が、それだったら誰も失敗したがらないよ。

統治上のポーズだよ。

ともかく見ていて危なっかしいからね。

アンタにも、坊やを支えてもらおうって腹さ」


 ベルナルドは、厳しい表情で眉をひそめた。

 こんな言い方は、危険な兆候だと思ったからだ。


「もしかしてレディは、お体が優れないのですか?」


 予想外だったのかマガリは、目を丸くした。

 すぐに、大声で笑い始めた。


「いやピンピンしているさ。

健康そのものだよ。

アーデルヘイトの子供が見られるまでは、死んでも死にきれないさ。

だから長生きするために、アンタにも手伝わせようってことさ。

黙っていたら、軍事のことしか意見をしないだろうからね」


「それなら結構です。

レディはまだまだ、ラヴェンナには必要なお方ですからね。

最低でも20年は生きてほしいものです。


 マガリはさすがに、あきれ顔で手を振った。


「80歳ってアンタねぇ……。

体は順調に、ガタが来ているんだ。

そう思うなら、坊やに酷使しないように言っておくれよ。

敬老精神のかけらもない不届き者なんだからさ」


「善処します」


 ベルナルドは神妙な顔でうなずいた。

 だが……マガリは放置されたら、きっと退屈になるだろう。

 そして勝手に、あちこちに首を突っ込むと確信していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る