570話 記念貨幣

 湯治も終わり、ラヴェンナに戻ってきた。

 最初は落ち着かなかったが終わってみると、ちょっと残念な気がする。

 人間とは勝手なものだ。


 到着すると、すぐに報告が飛んできた。

 リカイオスからの使者は、出先機関で待っているらしい。

 都合の良い日を連絡してほしいとのこと。


 明後日に面会の予定を、打診だけしてもらった。

 戻ってきてから待たせるのはまずいからな。


 それ以外の仕事は閣議会議への出席だけ。

 引き継ぎがあるからな。

 実際の政務は明日からだ。


 ミルが後事を託したのはエイブラハムだった。

 難しい訴訟などは、今のところない。

 仕事量を考えての人選だったとのこと。


 妥当な人選だろうな。

 古株で元々族長だからな。

 誰からも文句がでない人選だ。

 内々にトウコに打診したら『代行している間は、筋肉強化月間にして良いなら受ける』と言われたらしい。

 早々に断念したわけだ。


 閣議ではいつも座っていた席ではなく、今回はオブザーバー用の席に座る。

 エイブラハムは、苦笑交じりの安堵顔で頭をかいた。


「ここ1カ月ですが……。

この重圧はとんでもないですね。

これをこなしてきた奥方さまにも驚きますが、ご領主の精神的なタフさにも驚きますよ」


「慣れですよ、慣れ」


 エイブラハムは珍しくうれしそうに笑った。


「ともかく今日から、枕を高くして眠れます」


 全員がうなずくが、マガリ性悪婆が、ニヤニヤと笑いだす。


「坊やがいないときに、ミルヴァが代行していたけどさ。

そりゃピリピリしていたもんさ。

毎日が月のモノって感じでねぇ。

はやく坊やに戻ってきてくれと、皆願っていたさ」


「ミル、そんなにピリピリしていたのですか?」


 ミルは、顔を真っ赤にして憤慨する。


「そ、そんなことないわよ! アルの真似をして、笑顔は絶やさなかったわよ!」


 そんな抗議など、何処吹く風のマガリ性悪婆


「そりゃ、顔はそうさ。

でもさぁ……。

話し方は穏やかでも、心の中ではピリピリしてたろ。

そんなもんは、態度にでるもんさ。

アンタたちもそう思っていたろ?」


 そう言ってマガリ性悪婆が、閣議のメンバーを見ると……揃いも揃って下を向いた。

 ミルが目に見えて動揺したのでフォローしておかないとな。


「ミルは頑張ってくれていたのです。

重圧もあったでしょう。

私が不在のときに、問題など起こしたくない一心だったと思いますよ。

なので感謝こそすれ、責める気持ちなどサラサラありませんよ」


 マガリ性悪婆が、フンと鼻で笑った。


「誰も責めちゃいないさ。

むしろ大変で気の毒だ……と思っていたから、皆協力していたんだよ。

文句があるとしたら坊やにだね。

坊やはミルヴァに留守番させて、長いこと出歩くんじゃないよ……ってことさ」


「今回だけですよ。

内乱という緊急事態でしたから、私が出向かないといけませんでした。

ともかく……ミルにはとっても感謝しています」


 1人だけ下を向いていなかったシルヴァーナは、大げさに肩をすくめる。


「それが分かっているなら、ラブレターの一つでもだしなさいよ。

ミルの愚痴を聞いていた身にもなってよね。

デルの愚痴よりヘビーだったわよ。

愚痴ってより嘆きや不安だったからさぁ。

アルが戻ってこないと解決しないのよ。

アタシくらいのイイ女じゃないと、アレには耐えきれないわよ」


 本当にイイ女は自称なんてしねぇよ……。

 この暴露にミルが慌てだした。


「ヴァーナ! ちょ、ちょっと!」


 このままだと、ミルが気の毒すぎる。

 話を終わらせないとなぁ。


「ミルへのお礼は、あとでちゃんとします。

ともかく今日は引き継ぎだけしますので、皆さんで議事進行してください」


 特筆すべきことはない。

 これが、苦労を忍ばせる。

 皆成長したなぁ。


 社会を運営して特筆すべきことがないのは、ものすごい努力が必要なのだ。

 何もしなければ、問題が起こるのが社会というものだ。

 ただ俺が戻るまで、保留にしていた案件が結構ある。

 決めてもらっても構わないのだが……。

 それで皆納得してしまうからなぁ。


 それは、次のステップなのかな。

 翌日にその話を聞くことにしよう。

 引き継ぎ事項は書類にまとめてあるので、翌日に軽く説明するとのことだ。

 閣議の終わりにオニーシムが、ニヤリと俺に笑いかける。


「ご領主よ。

あのトロッコに、大幅な改良を加えた。

今度見に来てくれ。

町でなくてコースなら、奥方たちも文句はないだろう」


「お、それは楽しみですね。

必ず行きますよ」


 背後から冷たい視線を感じたが、気にしないことにした。

 せきばらいも聞こえたような気がする。

 気のせいだな。

 舌打ちも風の音だ。

 うん。


                  ◆◇◆◇◆


 翌日になって、祭りが始まった。

 分家から独立した家になったとしても、市民たちに実感はない。

 俺が帰ってきたことを口実に、祭りを開催するだけだ。


 記念貨幣まで鋳造して、ボーナスのように市民に配られる。

 通常の人員では鋳造が追いつかないので、軍隊がフル回転したらしい……。

 ホントなんでもさせられるよな。

 俺のせいだけど。


 記念貨幣について、湯治中に説明を受けたが、正直感心した。

 成長著しくて、上機嫌になったなぁ。


 戸籍は完璧に把握しているので、世話役や代表にまとめて渡す。

 族長などの既得権益を尊重すると共に、行政コストを下げる目的だ。

 

 世話役などがいない人は、市長や町長の管轄として渡すことにする。

 そんな孤立した人は、全土で500人いるかどうかなので、行政にかかる手間としては小さい。


 配布枚数は、家族の人数で変動する。

 老若男女問わず1人当たり黄銅貨50枚。

 成人と子供で数を変える案も最初はあったのだが……。


 現実的ではないと判断したようだ。

 ラヴェンナの識字率はズバ抜けて高いが、計算となるとそうはいかない。

 単純な算数でも、数が多いのだ。

 労力が果てしないことになる。

 これをやると、計算できる人への作業負荷が増大してしまう。

 結果として行政がマヒする事だってあり得る。

 計算が出来る人の仕事は普段から多いのだから。

 それが滞ってしまうだろう。

 加えて……無理をさせて体を壊しては元も子もない。

 これでは記念貨幣でなくて危険貨幣になってしまう。


 そこまで考えが及ぶか。

 この成長ぶりを実感した俺は、ガラにもなく感動してしまった。


 1人が最低限の生活を送るのに必要な額は、黄銅貨100枚。

 その半分なので、あまり生活に余裕が無い人には恵みの雨だろう。

 軽くない出費だが、本家への支援も終わったので、その程度の余裕はあるとのこと。


 それをどう使おうとも、基本的には自由。

 市民以外への無償譲渡に限って禁止。

 あくまで市民への恩恵だからな。


 身を滅ぼすレベルでの賭博はラヴェンナにはない。

 だから臨時収入を吸い取って、胴元がブクブク太ることもないだろう。

 いたら重税をかけるつもりだが。

 娯楽目的以外での賭博は、今のところ認める気はないのだ。


 購買意欲を促進しての、間接的な商人支援策でもある。

 今は内乱で、商人の体力が落ちてしまっているからな。

 ラヴェンナは商人からの税収に、重きを置いている。

 これにも合致した政策だ。

 

 領民から税を取ることはあっても、金を配るなど前代未聞。

 あくまでよその常識だがな。

 

 ただ鋳造しても、手に取る人が少ないなら意味がない。

 結果として配布となったらしい。

 宣伝媒体としての効果が薄れるからな。


 滅多にできることではないが、ラヴェンナにとっての大きな節目でもある。

 却下する理由はなかった。


 それとは別に、独立を記念した公園をつくる計画を、今日の閣議でルードヴィゴに指示する予定だ。


 しかし皆はじけているなぁ……。

 筋肉祭りは以前、隔離目的でイベント用の会場をつくらせたので、そこでやっているようだ。

 アーデルヘイトとデルフィーヌは、そこの主催なので常駐している。


 キアラはカルメンに、ラヴェンナの町を案内しにでかけている。

 クリームヒルトは学校の生徒の出し物があるので、それを見学に。

 是非見学しに来てくれと言われたので、あとで見に行くことになる。


 オフェリーはエテルニタの面倒を見るためにお留守番。

 あとでキアラ、カルメン組とバトンタッチするらしい。

 猫は不慣れな場所や音に敏感らしいので、騒がしい祭りには連れ出さないと言っていた。

 ちゃんと世話をしているのが、なんともほほ笑ましい。

 使用人に任せないのが良いな。


 かくして俺はミルと2人で、祭りを見て回る。

 オディロンも祭りの開催に合わせて戻ってきていた。

 さっきすれ違いざまに、挨拶を交わした。


 町の見た目は変わらない。

 だが町全体が広くなっており、水道が1本増えていた。

 1年でこれをやるとは、大したものだな。

 目的が明確なだけに、熱の入りようも違うか。


 あと公共建築物には、建設に携わった人の名前を彫り込むことを認めたらしい。

 手抜き工事などしようものなら、汚名が残るわけだ。


 ふと気がつくと、ミルは俺の横にぴったりいるが、ちょっと遠慮がちだ。

 黙って手を握ると、ミルは驚いたが、すぐにほほ笑んで握り返してきた。

 なんとなく良いムードで、他愛もない話をしながら祭りを見て歩く。


                  ◆◇◆◇◆


 歩いていると、俺たちに元気に手を振っている少女の姿が。

 マノラだった。

 最初に会ったときに比べて、随分大きくなったなぁ。


 笑って手を振り返すと、マノラは一緒にいた友達に何か言ってから、俺の所に駆け寄ってきた。


「やあ、マノラ。

元気そうですね」


 マノラは、笑顔でうなずいた。

 そしてニヤニヤ笑いながら、俺たちが握っている手を見る。


「元気だよー。

ミルヴァさまも元気になったね」


 ミルはびっくりしたが、ちょっと照れたようにほほ笑む。


「え、そうね。

元気だったけど、今はもっと元気よ」


「ウンウン。

いいことだねー」


 おませと言うか……。

 最近の子は進んでいるのか。

 唐突に俺の顔を、ジロジロチェックし始める。


「どうかしましたか?」


「領主さま、お悩みがあるようですなぁ~」


 一体何処でそんな口調を覚えたのだ。

 シルヴァーナか?

 1番ありそうだ。


「どうしてそう思うのですか?」


 マノラはフンスと胸を張った。


「女のカンだよ!」


 絶対シルヴァーナに吹き込まれたな。


「別にそんな悩んでいませんが……」


 マノラは偉そうに、チッチッと指を振る。


「間違いないよ!」


 これは何か言わないと、絶対解放してくれないな。


「まあ、今までできたことができなくなる……それが悩みかもしれませんね」

 

 マノラは俺の言葉に、ピンとこないようで、首をかしげる。


「それって、二度とできなくなるの?」


 素朴な疑問だな。

 二度とできないか……。

 考える切っ掛けをもらったような気がする。

 不本意ではあるが……。


「そうでもないと思いますよ」


「なら、またできるようにすれば良いだけじゃない。

領主さまは頭が良いから、簡単なことを逆に悩むんだね~。

たまには単純な人の話を聞くのが良いよ! シルヴァーナお姉ちゃんとか」


 やっぱりアイツか!


「返す言葉もありませんが……。

誰に吹き込まれたのですか?」


 マノラは悪戯を成功させたような笑みを浮かべる。


「マガリお婆ちゃんだよ。

遊んでいる軽い男には『何か隠し事があるわよね? 私は知っているわ』とかね。

真面目で頭の良い人には『何か悩んでいるのよね? 隠しても分かるわ』と言えば、効果があるって聞いたの。

それで領主さまで試してみようって思ったの! 真面目で頭の良いタイプだからね。

ホントに効果あるんだねー」


 あ、あのババア……。

 満足したようで、笑顔で手を振り、マノラは去って行った。


「ミル。

私はそんなに悩んでいるように見えました?」


 ミルはブンブンと首を振った。


「全然。


言葉に詰まったのは分かるけどね。

やっぱ悩んでいたの?」


「恥ずかしながら、今言われたことで……馬鹿馬鹿しくなりました」


 無くなったからと、全てが駄目になるわけじゃない。

 この世界で経験を積んで、考えを深めていけば良いのだろう。

 ボーナスが無くなるだけで、ゼロやマイナスになるわけじゃない。


 単純なことだが、終わったかのように考えすぎていたか……。


 俺を握る手の力が、やけに強くなる。

 ミルはジト目になっていた。


「また黙っていたのね……。

いいわ。

ちょっと疲れたし、喫茶店で一休みしましょ」


 断れる雰囲気ではない。

 そのまま喫茶店に連行されて、小一時間説教されてしまった。

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