476話 Back to the Future

「太古の王は、力を競いました。

次代では知を。

その次は気力を。

最近までは、何も競いませんでした。

競っても意味がありませんでしたから。

次は形では無いかと愚考致す次第です」


 殿下が珍しく慌てた顔をした。

 いつもの余裕のある表情では無い。


「待て待て。

私の理解が追いつかない。

順を追って説明してくれ」


 初めて人間らしいところが見えた気がする。

 つまり……自分が理解できるところだと、余裕を持って韜晦する。

 そこから離れた途端に、余裕が無くなるわけか。


「太古はむき出しの力の争いでした。

正当性や信じる神は、補助的に過ぎません。

勝負を決めるのは力です」


「ずっと昔の話だな。

確かにそうだ」


「時代が下ると……知恵を持つものが、力を有効活用するでしょう。

ですので……知力に勝る者が、勝者になります」


 殿下は初めて見る、真剣な顔をしてうなずいていた。


「そうだな。

力一辺倒の敵は脅威ではあるが、知恵と力を兼ね備えた者に敗れるな」


「さらに時代が下ります。

統治範囲が広がり、従える人数も増えるでしょう。

統治機構も整備されてくるのです。

家臣に力と知恵のあるものを登用すれば……代用可能です。

王に求められる資質は気力になります。

最低限の能力は必要ですが……気力が無くては、家臣を統制できないでしょう。

明敏で無気力な王と、平凡ですが気力に満ちた王との戦いが起こるとします。

長期戦となれば……部下の質にもよりますが、気力が勝るほうが勝つでしょう。

無気力側が仮に勝っても、統治範囲の拡大は負担の増大につながります。

やる気を無くして、部下に丸投げして遊興にふければ……待っているのは簒奪か王国の破滅です」


 殿下は腕組みしつつ苦笑した。

 これは容易に想像できたからだろう。


「ふぅむ。

道理だな」


「難しい話ではありません。

人が成長するのと同じようなことですから」


 殿下は腕組みをしてうなずいた。


「そう言われると腑に落ちる。

小さい頃は腕力。

成長すれば頭脳。

大人になって家臣が増えれば気力か。

やれやれ……とんでもない賢者を、前にしている気分だ。

続きを聞こうか」


 賢者では無い。

 ただズル転生をして有効活用しているだけだ。

 だから褒められても……嬉しい気分より落ち着かない気分が勝る。


「使徒の世界によって、世界が固定化されました。

なので争いは、意味を無くしたのです。

争うだけ無意味なのですから」


「卿はその後の未来を予測しているわけだ。

未来は未だ来たらずだ。

目に見えるものではあるまい。

どうやって見ているのだ?」


 滅茶苦茶……真剣だな。

 これが本性なのか演技なのかは分からないが……。


「人は後ろを向いて、前に進むものでした。

人は歴史を下り坂のようなものと……認識していたと思います。

ところが……前を向いて歩けることに気づきそうなタイミングで、異変が起きます。

使徒の世界がやってきて、動きを止められてしまいましたから。

使徒がくる未来だけを見るようになってしまいました」


 殿下が慌てて、俺を手で制した


「待て待て。

後ろを向いて前に進むとは……何だ? 後ずさりしながら進むと言うことか?」


「そんなところです」


「そう判断する根拠は何だ?」


「過去の出来事は、目に見えています。

未来は見えない。

そう考えていますよね」


 殿下はアゴに手を当てて、眉をひそめている。


「そうだな……」


「だからこそです。

その考えは、言葉に表れるのです。

使徒言語を教会が制定したとき、教会でかなり迷った言葉があったそうです」


 巡礼の最中、先生に聞いた。

 気になったのだ。

 幾ら日本語が柔構造だとしても……元々の言語を日本語に置き換えるのだ。

 旧来に無い表現には苦労したのでは無いかと。


「いきなり話が飛ぶな……。

卿が賢者から、深淵の存在に見えてきたぞ……」


 ここでも俺の呼び名がエスカレートするのかよ……。


「『後』と『先』です。

『後』は未来を指す意味にされました。

『先』は過去です。

つまり後ろは背後で、先は前です。

言葉は基本的な表現から発達するものですから」


 殿下は、頭を抱えつつも俺に視線を向ける。


「では、もう一つの下り坂とは?」


「先ほど話したではありませんか。

時代が『下る』と。

過去に対しては『上がり』ますよね。

だから軽々しく進むと転んでしまうのです。

進むこと自体は……下り坂なので自然な流れですけど」


「あああああああああ!

合わせて考えると、確かに坂道だ!

どうして、そんな発想になるのだ……。

と……ともかくだ。

続きを聞かなくては、夜も眠れない」


「ところがです。

使徒が先と後を、逆にも使うケースが出てきました。

『その後で……』は過去です。

『先のことを考えると……』は未来です。

つまり、使い方次第でひっくり返るのです。

使徒がいた世界では、未来をある程度は予測することができるような世界だろうと。

だから同じ言葉で、逆の意味を持つ……。

つまり人は、前を向いて未来に進むこともできる。

そんな解釈になったそうです。

ちなみにこの解釈に落ち着くには、100年くらい論争があったそうですね」


 日本の中世までは、後と先は一つの意味しか無かったらしい。

 古代ギリシャでも、そんな概念があったそうだな。

 だから教養のある欧米人には、未来にはゴーでは無くバックする話が通じるとか。

 まさに、Back to the Futureだ。


「後でゆっくり考える……。

つまり卿は前を向いて、未来に進んでいるわけだな」


「ええ。

未来とは過去の積み重ねの先にあるのです。

やっていることは単純ですよ。

今まで起きたことから、どうなるか……と考えるに過ぎません。

そして……過去と断絶した未来に進むことは、坂道を飛び跳ねるようなものです。

人が増えると、体重が増えるのと同義だと思います。

つまり……安定性が落ちます。

いきなり斬新な未来に飛ぼうとする……そんな思想は危険だと思っています」


「正直想像もつかないがな……。

それで前を向いて、坂を下った先が形か」


「いきなり秩序が壊れてしまいました。

秩序を知らない世界なら、人々は手探りで秩序の形を探すでしょう。

ところが、秩序を知ってしまいました。

だからこそ、安定した形を渇望するでしょう。

もう少し血が流れて、熱狂が冷めた後ですが」


 殿下は疲れた顔でうなずいた。


「それで王家が使えると考えるわけか。

以前に卿の言っていた王家を永続させる手段と合致するわけだ。

どうだね……宰相をやってみないかね?」


 いきなりスカウトかよ。


「大変有り難い話ですが……。

ラヴェンナの統治だけで精いっぱいですよ」


 殿下は、少し余裕を取り戻した表情で苦笑した。


「まあ、卿に権力欲はなさそうだからな。

その程度ではダメか。

まあ……どんな未来図を描くのかは楽しみだな。

王国が安定しなければ、ラヴェンナにも影響するからな。

そこは手を抜くことはあるまい。

それにしても……卿と話すと、知恵熱が出てきた……。

失礼するよ」


 殿下はフラフラと、部屋を出て行った。

 しばらくは寄ってこないだろう。

 目の前に迫っている騒動の対処を急がなくてはなぁ。

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