453話 パトリックの芸名

 交易が止まると、情報の伝達も止まってしまう。

 それでは困るので、教会に最低限の対処をしてもらう必要がある。

 ただ、そう簡単に教会を誘導できるとも思えない。

 教会にすればオフェリーは完全にこちらの人間扱いなので、オフェリー経由で教会へのアプローチも確実性があるわけではない。

 とはいえ何もしないわけにもいかない。


 執務室で秘書業務をしているオフェリーを見ると、余り忙しくないようだ。


「オフェリー。

ちょっと良いですか?」


 オフェリーは素早く自席から立ち上がって、常設された隣の椅子に座った。

 この椅子は片付けても翌日にはまた置かれている。

 ついには俺が諦めた次第だ。


「はい、何でしょうか?」


 していないと思うが確認をするか。


「前教皇と連絡は取っていますか?」


 オフェリーは小さく首を振った。


「いいえ。

何か前教皇に用件でもあるのでしょうか?」


 オフェリーは自分から教会と連絡を取っていない。

 姉妹だからマリーとだけは連絡を取り合っている程度か。


「ええ。

教会に混乱をある程度収拾してもらわないと、ちょっと困るのですよ」


 オフェリーが首をかしげた。


「良いのですか?

公開質問状を無視しているのに、手を差し伸べて」


「良くはありません。

ですが交易が止まると、世界の情報が入らなくなります。

それでは今後困るのですよ。

それと……ラヴェンナ単独で対処する余裕があるときに、手を打たないとますます余裕がなくなります。

私は全てのカードを持っているわけではありませんからね」


 オフェリーが少しうつむいた。


「そうですね。

ここまで何もできないとは思いませんでした」


「想定外の衝撃がくると、伝統のある組織はかえって身動きができなくなるものです。

特に明確な外敵は不在です。

強いていえば、私が外敵ですけど……」


 一部の原理主義が暴れても建設的な対応はできない。

 それこそ貨幣を使わずに農耕と信仰さえあれば良い……とまで言い出すだろう。

 なので、即物的な首脳陣を動かすしかない。


「それで前教皇に、何を伝えるのでしょうか?」


「まず使徒に、金銀銅などの貨幣の鉱脈を探させます。

そして採掘までは、使徒にやらせましょう。

素早く大量に採掘できるでしょうね。

ただし鋳造はダメです。

信頼がありませんから。

3国の代表に鉱石を分配して、鋳造をさせるのです。

それを損失の穴埋めにすれば良いでしょう。

今後は教会の鋳造認可はしないと宣言することも条件になります。

これはもう……重荷でしかない権利ですから、これ幸いと手放すでしょう。

今回の不始末をこれ以上追求されないならね」


 オフェリーは少し考えていたが、首をかしげた。


「ラヴェンナで鋳造をやらないのですか?

信用もありますし適任だと思いますけど」


「鋳造には燃料が必要です。

世界中の貨幣の鋳造なんてしたら、ラヴェンナの森林がなくなりますよ。

エルフたちも絶対反対するでしょうし、私も同意見です」


 ミルは手を止めて俺たちの話を聞いていたが、俺の言葉にうなずいた。


「そうね、今でも急ピッチでの鋳造は反対してるわ。

森林の回復が追いつかなくなるって」


「ええ、彼らの判断は尊重されるべきですから。

その場をしのいだけど、ラヴェンナが荒廃しては元も子もありません。

過度の森林伐採は……とんでもないしっぺ返しが待っています。

自然の報復なんて直面したくありません。

そもそも世界の問題は……世界で解決すべきですよ」


 キアラも俺のボヤキに苦笑していた。


「でも3国の代表って、どうするのですか?

どの国も内乱でそれどころではないと思いますわ」


 俺は小さく肩をすくめた。


「我こそはといって、今止まっている内乱が急ピッチで解決に進むでしょう。

目の前に極上の餌がぶら下がるのです。

世界の掃除をするにしても……ある程度片付けておいてもらいたいですからね。

そのほうがラヴェンナとしてもやりやすいのです」


「お兄さまは、この国の代表を名乗った継承者をつぶすおつもりですか?

名ばかりでものこすのでしょうか?

以前は形式的にでも……とお考えでしたよね。

今は状況が変わったと思いますが」


「相手次第とだけいっておきましょう。

もちろん代表なんて簡単に決まりません。

かなり激しい戦いになると思いますよ。

ですがゴールが見えていれば頑張るでしょう。

それこそ皆さん……かなり無理をするでしょうねぇ」


「あのぅ……」


 声がしたので、そちらのほうを見た。

 秘書補佐官のタイーシヤ・リーシナが挙手している。


 ドワーフ女性の中から補佐官に任命されていたな。

 ドワーフ女性の特徴として、髭をはやさない。

 代わりではないが、そばかすがほぼ全ての女性についている。

 男とおなじでずんぐりした体形だ。


 髪の奇麗な編み方と適度のそばかすが、ドワーフ内での美人の基準になるらしい。

 ドワーフ女性全般にいえるのだが……酒は底なしに強い。

 出産後の母乳はウオッカだ……といわれるくらい、ウオッカを水のように飲む。


 タイーシヤは灰色の髪、赤い瞳で丸顔、色白だ。

 灰色の髪をねじり編みリボンアップにしている。


「リーシナさん。

どうかしましたか?」


「領主さまは内乱を加速させて弱った勝者を倒すつもりでしょうか?

その場合……勝者が予想外に強くなって、対処不可能になることはないでしょうか?」


 俺は当然の質問に笑顔を返す。

 こんな常識的な疑問は大歓迎だ。

 俺が決めたから大丈夫……と思ってほしくはない。


「良いところに、目をつけられましたね。

もちろん座視していれば……そのようになる可能性もありますね。

注視は当然必要です。

ときと場合によっては、直接介入も必要でしょう。

ですがそこまで露骨な介入は必要ないと思います。

この内乱の勝者が強くなるには、かなりのハードルが存在するのですよ」


「ハードルですか?」


「まず王位継承者を擁した貴族が、勝者となるケースです。

今の内乱は、利害が入り組みすぎているのです。

そうなると戦いを適当なところで終結させることが難しくなります」


 タイーシヤは首をかしげている。


「入り組んでいるのですか?」


「ええ。

元々内乱に参加している貴族たちの動機はさまざまです。

つまり目標を達することができない状態で終結されては参加損なのですよ。

喧嘩が2人なら終わらせるのは、当人同士で済みます。

ところが30人対30人の場合どうです?

トップに要請されて協力している形ですが、厳密な命令権はないのですよ。

しかも味方を増やすのに、空手形を乱発しています。

それを果たせないのに、戦いは終わりといって納得しますか?」


「無理ですね。

それでズルズルと、戦いが続くから勝っても弱体化していると……」


 オニーシムはドワーフの女性は、頭が固いといっていたがそんなことないと思う。

 頭がよく飲み込みも早い。


「もう一つのケースの話をしましょう。

現在は笑えるくらい、王族と貴族が醜態をさらしています。

それを見た傭兵隊長が、こんなヤツらが支配できているなら……自分も支配できると思ったときにどうなるか。

王族と貴族が、見た目で分かるほど強ければ思わないでしょう。

ところが……数で騎士を圧倒していますからね。

自分たちのほうが強いと思っているでしょう。

その場合ですが、貴族が反発します。

そして傭兵が勢力を伸ばしても、統治のノウハウがありません。

つまり一時的に勢力を伸ばせますが……あくまで一時的です。

そして貴族はほぼこちらの味方になります。

厳格な命令も受け入れるでしょうね。

傭兵に支配されるよりは……ずっとマシだと思いますから」


 タイーシヤは納得した顔でうなずいた。


「成算があるのですね」


「一点注意が必要になります。

他国の内乱が、早く終結して介入があったときです。

そうなるとちょっと、条件が変わります。

なので確実な手ではありません。

とはいえ確実でないからといって、何もしないと手遅れになりますからね」


 どちらにしても、これで何か動きだすだろう。

 教会は今誰も責任を取りたがらない。

 そこで前教皇からの勧告であれば飛びつく。

 まあ前教皇が握りつぶしたら……。そのときはそのときだな。


             ◆◇◆◇◆


 翌日、シルヴァーナが執務室にやってきた。


「アル、死霊術士のアイタさんからの条件をまとめてきたわよ」


 アイタ? パトリックの芸名みたいなものか。

 俺は、シルヴァーナから差し出された書類に目を通した。


「恩のあるパトリックさんに、ラヴェンナ市民権を与えてほしいと……。

特に問題はありませんね」


 その他は細かいことが載っているが、大した話ではない。

 研究をギルドの仕事と並行してやりたいので、援助の要求だったりする。

 

「ここに来る途中でオニーシムの工房に寄って、準備の進捗を確認してきたわ。

お守りは来週に全部完成するってさ。

当然だけど、作戦が始まったらアタシはしばらく会議に出席できないからヨロシクね」


「ええ、くれぐれも注意してください。

とんでもなく危険な魔物であることは、間違いないのですから」


 シルヴァーナは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに小さく笑った。


「ああ、アルは知らないのね。

アイタさんはギルドで、トップの死霊術士よ。

だから大丈夫。

その名前は、聞いたことがあったのよね~。

ただ……かなり偏屈で、めったに他人と組みたがらないって噂だったのよ」


 他人と組まないのは、素性を隠すためだろうな。


「では言葉通り腕利きなのですね」


 シルヴァーナは、自分が褒められたわけでもないのに胸を張った。


「そうよ。

そうそう……パトリックさんが、アルと討伐の最終確認をしたいってさ。

アルとアタシだけで支部に来てほしいって」


 死霊術がらみの話だな。


「分かりました」


 俺がうなずくと、なぜかシルヴァーナが身震いしていた。


「ちょ……ちょっと、キアラちゃん! 殺気を飛ばすの止めてよ!」


 キアラはシルヴァーナを無表情で見つめている。

 俺は小さくため息をついた。


「キアラ……。

ただの仕事です。

心配無用ですよ」


 キアラは無言で、シルヴァーナに圧を飛ばしているようだ。

 シルヴァーナが冷や汗をかいている。

 キアラの口の端がかすかにつり上がると、シルヴァーナはたまらず震えだした。


「わ……分かったわよ! ついてきて良いから! その殺気苦手なのよ!!」


 キアラはにっこりほほ笑んだ。


「あら、そこまでいわれては……ご一緒しないわけにいきませんわね」


 脅すのは止めようよ……。

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