396話 喧嘩両成敗

 バルダッサーレ兄さんとの面会を終えて、執務室に戻る。

 ミルは終始何かを考えていたが、声をかけても上の空だった。

 やがて諦めた様に、ため息をついた。


「やっぱり考えても分からないわ……。

アル、どうしてこんな急に争いがおこるの? 使徒が怖くて動けなかったのは分かるのよ。

確かに信用は揺らいだけど、いきなり0になったわけじゃないでしょ?」


 そこの説明をすっ飛ばしていたか。

 貴族でないと教わらないからなぁ……。


「ああ……、ちゃんと説明すべきでしたね。

そうですね……一言で言えば、秩序維持が難しくなったからです。

そして、貴族同士が争う気がなくても、それぞれの配下が、争いを起こしてそれが連鎖するのです」


「秩序維持が難しいって?」


 はしょりすぎたか……俺の悪い癖だな。


「秩序って、強制力がないと維持はできないのですよ。

やった者勝ちの世界で、悪さをしない人なんて少ないでしょう。

むしろ食い物にされて没落します」


「そこは分かるわ。

その強制力って、領主が持っているでしょ。

領地の決まりを守らせるのは、領主の仕事よね」


「ところがですね、その仕事は領主だけがしていないのですよ」


 俺の言葉に、ミルが首をかしげる。


「ええと……、もしかして教会?」


「御名答。

先生から聞いた話ですけどね。

昔とある領主の家臣が領民の娘を誘拐して、強引に自分の愛人にしてしまったのです。

その領民は訴え出ましたが、領主はその家臣がお気に入りだったので、無罪としました。

それどころか領民を、虚偽告訴罪で処罰したのです」


 ミルが露骨に嫌な顔をした。


「え……そんなことが通るの?」


「その領民は、当然我慢できずに教会の司祭に相談を持ちかけたのです。

領民が熱心な信徒だったのもあって、司祭が領主に掛け合いましたが無視されました。

これを放置していては、信徒たちが離れてしまう。

人の生き方も教えるのが教会ですし、その領民に善意から同情したのでしょう。

そこで教皇庁に、このことを訴えたのです」

 

「なんか嫌な予感がするけど……。

ここで使徒がでてくるの?」


「ええ、使徒は教皇に頼まれて、その領主と家臣を成敗しました。

ここで領主はあるジレンマを抱え込みます。

自分の裁定が、教会にひっくり返される可能性がある。

これでは誰が領主か分からなくなる。

司法権は統治者の権利みたいなものですからね。

抵抗して、使徒のいる間だけおとなしくした領主もいました。

その領主は没後に元通り振る舞って教会の勧告も無視しましたが……教会は記録を残します。

使徒が降臨したら、記録を元に処罰を依頼。

悪徳領主の退治は使徒の趣味に一致しますからね。

快く引き受けてくれます。

こうなると、領主は教会の意向は無視できません」


「それだと、教会が支配者みたいになるわね」


「ところが教会は、基本的に世俗の支配者になれません。

当時は使徒以外の武力を持たない組織ですからね。

そこで領主と教会は、一つの合意に至ったのです。

領主の裁定には、司祭の助言を求める。

つまり、領主の裁定の根拠に教会の同意が含まれるようになったのです」


 ミルはさらに渋い顔になる。


「あ、だんだん分かってきたわ……」


「それが慣習になってしまいました。

教会は清廉で正しい裁定を下す。

今回の1件で、その根拠が崩れてしまったのです。

勿論……誰から見ても正しい裁定なら文句はでません。

ですが、そんなものはごく少数です。

そうなると、裁定の信頼性が崩れます。

過去の裁定も、疑惑の対象です」


「ああ……想像したくもないわ。

秩序なんてなくなるわね。

それこそ有力者の保護を受けないと生きていけないわよ」


「ですが、それもなかなか難しい。

有力者も下層民のトラブルまで、いちいち構っていられません。

トラブルの数も膨大ですからね。

なので保護を受けられない人たちは、残った選択肢を取るしかなくなります」


 俺の含み笑いに、ミルがひきつった顔になっている。


「ちょっと怖い気がするけど……教えて」


「自力救済……つまり私刑です。

訴えても当てにならないとなれば、村や町などでコミュニティーをつくって、仲間の報復に手を貸すわけです。

やられたらやり返す。

その抑止力が、唯一の命綱です」


「教会の信用が揺らぐと、そうなるのね……」


「世俗の裁定に関わらなければ良かったのですけどね。

なまじ使徒と言う、絶対的な武力を手にしている。

つまり正義の名の下に、世俗を支配できます。

それだけでなく利益も多く得られます。有利な裁定を求めて司祭に賄賂を贈るなんてよくあることです。

教会にとっては良いことずくめだったのですよ。

そして一体化した結果、従来の秩序を巻き込んで共倒れするわけです」


 外を見て、ミルが深いため息をつく。


「抑止力があっても、トラブルはおこるのよね」


「領主の法が当てにならなくなると、その地域に、長くから伝わる慣習法が秩序をつくります。

秩序がないと、コミュニティーが存在できませんからね。

そしてコミュニティーに属さないと自力救済もできない。

結果として人々はコミュニティーに強く依存します。

ですがコミュニティーの秩序は、それぞれで異なります」


「ああ、トラブルがおこる未来しか見えないわ。

アルが最初に皆の慣習を持ち寄って法律にしたのは、その違いを取り除くためだったのね」


 俺はミルの飲み込みの早さに満足してうなずく。


「ええ。

ラヴェンナの外で、自分たちを守るためには、コミュニティーがなめられたらいけません。

コミュニティーの自力救済も、大したことがないと思われると食い物にされますからね。

そうならないために、自力救済はより過激になるのです。

単純に殺すだけでなく、拷問や死体を串刺しにして見せしめにする……などね。

ただ……1000年の慣習による蓄積があります。

ある程度のブレーキはかかるでしょう」


「ある程度って?」


 自然と皮肉な笑みが浮かぶ。


「騒動を止める際の口実ですね。

もうこの辺りで、手打ちにしようと。

強制力はありませんが……ないよりはマシです」


「そうなると、騒動はどこで歯止めがかかるの?」


「双方がある程度、矛を収める条件が満たされることですね。

こうむった損害と同等の報復を行うこと。

そしてこれも、先生から聞きましたが……。

使徒は喧嘩両成敗の理論を持ち込みました。

公権力がこの理論を持ち出す可能性もあります」


 本来は日本独自の風習。

 使徒は日本人だからなぁ。


 ミルが首をかしげる。

 聞いたことがないのかな。

 オフェリーが俺を見てうなずいた。


「争いがおこった場合、内容に関わらず両方を処罰することです」


 ミルがオフェリーの説明に驚いた顔をする。


「ええっ!? 先に攻撃されて、自分を守るために反撃すると同罪なの?」


 本来は最終手段なのだが……、話を聞くと気楽に多用していたようだ。

 ただそのおかげで訴え出たほうが良い、と判断される。

 自己救済より、公権力の判断を仰ぐ切っ掛けにはなったのだけどね。

 驚いたままのミルに俺は肩を竦める。


「それで、容易に反撃しにくくなったといった効果もあります。

つまり、報復が連鎖してエスカレートしにくくなりました。

なので全く悪い話ではないのです。

自力救済だけが頼りだった時代にはね。

反撃せずに訴えると、10対0で相手が悪くなります」


「使徒の信用がなくなったのに、使徒のやったその……喧嘩両成敗だっけ?

それを持ち出すの?」


「長年の慣習と言うヤツです。

つまり皆が、一応は納得できる裁きです。

厳しすぎるという言葉はあれど、表だっては反対しにくいのです」


「待って……そうなると争いがおこるの?

お互いが処罰されるんでしょ。やるだけ損よね」


 オフェリーがミルの言葉に、首を振った。


「その喧嘩両成敗も危険なのです。

とある中流貴族の後継者問題で、別の貴族たちが介入した事件がありました。

その貴族は、2人の大貴族と関係が深くて、家中にもその影響が及んでいました。

当主の若死にが相次いだ結果……介入が相次いで、家中は二分されたのです。

片方の貴族が庶子を当主として送り込むと、もう片方が実力で追い出して、その領地を占拠しました」


「ああ……それはありそうね。

でも喧嘩両成敗ってことは?」


 ミルの疑問に、オフェリーが、珍しく苦笑した。


「そこで使徒が、裁定に入りました。

自分から積極的に介入するのは、珍しくて驚かれたようです。

双方に非があるとして、原因となった中流貴族の家をつぶしました。

大貴族たちは今までの投資が無駄になりましたが、使徒には逆らえません。

裁定を下した後で、使徒はつぶした家の領地を、恋人の親に与えてしまったのです。

教会でもいさめる声が多かったのです。

それでも聞き入れられませんでした」


「それって恋人の親、その家と無関係よね……」


「ええ。

それでそんな悪用方法があるのですよ。

他ならぬ使徒がやってしまいました。

同じことをする人は、絶対にでてきます」


「そんなことをしたら、信用をなくさない?」


 良いところに、目をつけたな。


「そこまで露骨でなくても、自分に忠実なものに利益を分け与えるでしょう。

使徒ほど絶対の力がない分目立たないようにね。

結果的に自己の権力基盤も強化されます。

当事者たちにとってそんな理不尽なら、自力救済で良いと思います。

喧嘩両成敗は中立で、周囲が納得する地位でないと下せない裁定ですからね」


 本来は、王がその立場にある。

 だが王はいない。

 揚げ句、候補者は……。


 他の国はどうなんだろうな。

 探りを入れる必要はあるな。

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