119話 痛し痒し

 小さな嵐の後日。

 といっても1ヶ月ほどたったある日のことだ。


 喪女シルヴァーナに呼ばれて、学校となっている家屋に向かった。

 内密の話だそうだ。

 今日の授業は終わっているので、他は誰もいないはず。

 女の切り出す内密の話は、大体ロクなことがない。

 でも領主なので、無視するわけにいかない。

 教室に入ると、シルヴァーナが駆け寄ってきた。


「何事ですか?」


 喪女シルヴァーナが、地獄に仏といった顔をしている。


「ああ! 来た! 来た! 話はデルのことでさ。

ちょっと聞いてあげてほしいのよ」


 意味が分からない。


「なぜ私なのですかね」


 喪女シルヴァーナが、腰に手を当ててない胸を張った。


「そりゃアルみたいなのが、女性の悩みを聞くのにちょうどいいのよ」


「普通、女性同士では?」


「いやね、女同士だと愚痴の垂れ流し合いになるのよ。

それでさ……デルの方が、圧倒的に質量に勝る。

あとは分かるよね」


「つまり押し流される一方だった……と」


 喪女シルヴァーナが、俺を何とか言いくるめようと必死らしい。


「ま、まあね。

それにアルは領主でしょ。

領民の悩みは解決してあげないと!」


「いや、ラヴェンナの領主は領民の私生活にまで踏み込む権利なんてないですがね……」


 そんなことしていたらキリがない。

 第一、俺が死ぬわ!

 喪女シルヴァーナに、両手を合わせて頼み込まれる。


「いや……それは分かるんだけどさ! そこを何とか!」


 喪女シルヴァーナは、感情で動くから理論は通じない。

 実に面倒だ……。

 俺は、深いため息をついた。


「今回だけですよ……」


 さっさと済ませてしまおう……。

 今後はミルかキアラを通させる。

 うん、それが良い。


                  ◆◇◆◇◆


 別室に連行されていくと、デルフィーヌが待っていた。


「領主さま……済みません。

ヴァーナに私の話を、領主さまに聞いてもらえって言われました」


 喪女シルヴァーナは、手をヒラヒラさせてさっさと逃げやがった。


「私が話を聞いても、解決になる保障はありませんよ……」


 デルフィーヌが穏やかにほほ笑んだ。


「ヴァーナが言っていました。

領主さまに話を聞いてもらうと、不思議にスッキリするって。

ヴァーナの勘じみた言い方って不思議と外れたことないのですよ」


 さいでっか……。

 仕方ないので、話を聞くことにする。


 概要は聞いていたとおりだが。

 直接聞くと重たいのなんのって……。


 18歳のときに、受付を始めたときから付き合い始めたらしい。

 将来大成したら一緒になろう……と約束して、その男を物心両面でずっと支援していた。

 23歳になったあたりで、その男の行動範囲が広がる。

 別の都市でも活動するようになり、余り彼女の元に来なくなったと。

 それでもたまには、顔を出したらしい。


 その頃から、将来の結婚資金のための貯金を勧められたらしい。


 無一文で放り出したら、良心が痛むからだろうな。

 良心があるなら、2股なんてするなと言う話だが……。

 あくまで、その男の理論ってやつさ。

 あわよくば時間を稼いでいる間に焦って、他の男に気持ちが向いてくれると助かるとか考えたのだろう。

 雑過ぎて計画にもなっていないが

 煮ても焼いても食えない話だよ。


 そして、手紙だけで別れを告げられたのが半年前。

 茫然自失になったのは当然だろう。

 風の噂で、別の受付嬢と結婚したと聞いたそうだ。

 ギルドは個人の争いに、介入もできずに放置状態。

 それで耐えきれなくなって、ギルドを辞めたわけだ。


 自宅に引きこもっていたときに、ギルドから気を利かせたのか喪女シルヴァーナが読み書きの先生を募集している手紙が回送されてきた。


 ギルド関係の話は見たくもなかった。

 だからいろいろまとめて放置していたが……焼き捨てる気にはならなかったらしい。

 正しくは、そんな気力すら起きなかったようだ。

 そしてそのまま忘れていた。


 少し落ち着いてから放置していたものを思い出し、整理していたらそれを見つけたと。

 あそこにいても、嫌な思い出しかないからこっちに来た。


 ベタと言えばベタなのだけどさ。

 重すぎるわ……。

 面と向かって言われたときの重さって、半端ないのよこれ……。

 しかも俺を、じっと見ながら言うから強烈よ。


 皆も一度経験するといい。

 この拷問を。


 話し終えたデルフィーヌが、深い深いため息をついた。


「馬鹿だと思われますけど……。

復讐までする気にはならなくて……。

ただ逃げたかったんです」


 その間、俺は基本黙ってうなずきつつ話を進めるように言ったくらいだ。

 これは、相当慎重に言葉を選ばないといけないな。

 責めるとか否定するようなニュアンスが混じらないように注意する。


「その判断を、私からは何とも言えないです。

マシアさんがその男と過ごした時間が、どんなものか分からないですからね。

結果としてひどい目に遭ったのは事実でしょう。

付き合いだして数年はどうだったのでしょうか」


 デルフィーヌは大事な思い出を見るような目をした。

 だが……すぐにゆっくり首を振った。


「あのときは、とても幸せでした。

あのときまでは……ですけど」


 俺は静かにうなずいた。

 言葉の綱渡りを続けるから、胃が痛い。


「全てを憎しみに変えられるかは、人それぞれですよ」


 予想外の俺の言葉だったのだろう。

 デルフィーヌは意外そうな顔をした。

 こんなときは、大体慰められる。

 だが人によっては、かえって惨めに感じるものだ。


「そうなのですか?」


「ええ。

一部が汚れたから、全部捨てたい人もいるでしょう。

その部分だけを切り取れるなら、切り取って残したい人もいるでしょう」


 デルフィーヌが自嘲めいた顔をした。


「私はただ逃げただけですよ。

復讐する勇気もなかったのです」


 この発言を肯定してしまっては、かえって傷つけてしまう。

 ロープが一層細くなったように感じてしまう。


「いえ。

そのときの感情まで間違っていたとは思えなかったのでしょう。

だからそれを置いてくることを選んだだけだと思いますよ」


「確かに付き合い始めたときは、とても純粋で幸せでした」


「それまで否定しては、この先何も信じられなくなるでしょう。

人によってはそれが楽ですがね。

人によっては重たくてつらいものです。」


 デルフィーヌが黙ったまま真剣な目で俺を見ていたので、話を続ける。


「ですから、マシアさんは新しく生きるためにです。

それを置いてくることを選んだと、私は思います」


 われながら臭いセリフだが……これ以外思いつかなかった。


 デルフィーヌが意外そうな顔をした。

 もしかしたら、何か否定的なことを言われるのではと恐れつつ。

 言われるのだろうと覚悟している。

 そんな心理状態だったのかもしれない。


「そう見えるのでしょうか?」


「私はそう思います。

そしてここの住民は、世界に居場所のない人たちの集まりですからね。

あなたに同情するか、一緒に怒ってくれる人こそいるでしょう。

でも、否定する人はいませんよ」


 取りあえず、深刻に取られないように笑いかける。


「同情が重荷なら、見た目だけでも元気にしていれば大丈夫ですよ。

私としても、文字の教師が来なくて困り果てていたところです。

来ていただいて本当に有り難いと思っています」


 しばし、デルフィーヌが黙って俺を見ていた。

 そしてほっとしたような、うれしいような顔になった。


「ヴァーナの言ったとおりですね。

だいぶん軽くなりました。

そして領主さまが、とてもすてきな人だと分かりました。

私が10歳若かったらアタックしていましたよ」


 デルフィーヌが最後は冗談めかしていった。

 何とか立ち直れるといいのだけどね。


「マシアさんはまだお若いでしょう。

まだまだ機会なんてありますよ」


 デルフィーヌは俺の言葉にちょっとすねたような顔になった。


「あら。

16歳の領主さまに言われると、嫌みにしか聞こえないですよ」


 口調は軽いが、ちょっと咎めるような感じ。

 しもた、確かにそうだ……。

 転生前だと、25の女性ってお嬢ちゃんだったのよ…。

 俺のバカバカバカ。


 デルフィーヌは俺の慌てた顔を見て、小さく笑った。


「でも16歳に見えないし、純粋な励ましだと思うことにします」


 いや、16歳なのだけどさ。

 でもまあ……助かったからよしとするか。

 痛し痒しだ。


                  ◆◇◆◇◆


 そんなとき、珍しく慌てた様子でロベルトが駆け込んできた。


「ご主君、移民が問題を!」


 ついに来たか。

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