第16話
蒼二が借りている宿の一室。
俺がベッドで眠ったフリをしていると、扉の鍵がカチャリと開いた。そして中の気配を確かめるような沈黙を経て、襲撃者が静かに部屋に入ってくる。
「まだ、もう少し。相手は小柄な体型で、黒塗りの短剣を持っています」
眠ったフリをしている俺の横で、クラウディアが襲撃者の様子を実況する。
まさか、非実体化している精霊に見られているとは思っていないのだろう。すやすやと眠っている蒼二のフリをしていると、襲撃者はベッドサイドにまで歩み寄ってくる。
「――いまです!」
掛け布団を払いのけ、襲撃者にぶつける。その流れで跳ね起き、俺は隠し持っていた短剣を構える。その直後、襲撃者は掛け布団を払いのけた。
光源は窓から差し込むわずかな月明に照らされるのは、全身が黒ずくめなうえ、覆面で顔を覆った小柄な人影だった。
「何者だ、顔を見せろ」
「――っ」
襲撃者が驚くのを気配で感じる。恐らくは俺の声を聞いて、蒼二ではないと気付いたのだろう。襲撃者は素早く踵を返すが――
「あら、ここは通しませんよ」
実体化したクラウディアが退路を断った。
「撤退の判断は速かったが……そもそもここに来たのが間違いだ。決してお前を逃がしはしない。雇い主が誰か……教えてもらうぞ!」
腰を低く落とし、床の上を滑るように襲撃者に詰め寄る。足下を狙った一閃は、軽くジャンプしてかわされた。襲撃者が空中で身体を捻って一回転。そのまま裏拳を放ってくる。俺はそれを紙一重で躱そうとして――とっさに大きく仰け反った。
俺の前髪を、漆黒の刃が斬り裂いた。クラウディアから黒塗りの短剣を持っていると聞いていなかったら、いまのでやられていたかもしれない。
危なかった――と安心するのも束の間、襲撃者が目にも留まらぬ速度で短剣を振るう。
俺はとっさに【マインド・アクセル】を発動させて対応した。
短剣の二刀。クルクルと回り、あるいは飛び跳ね。回し蹴りを放つ。まるで踊っているかのような軽やかさで、必殺の一撃を連続で放ってくる。
――強い。ジークやサイラスがやられたせいで駆り出された間に合わせ。そんな風に思っていたが、こいつは間違いなく本物だ。
だが、俺もここでやられる訳にはいかない。襲撃者に重めの一撃を受けさせて隙を作り、少しだけ距離を取る。
――クラウディア、部屋の外に出て扉を閉めろ。
「……はい?」
封印を解除しれくれ。
「なるほど、分かりました」
クラウディアが俺の指示に従い、襲撃者の退路を物理的に塞ぐ。そして、即座に俺に施されている封印を解除した。
全身から精霊の力が溢れ、右目に熱が宿る。それを見た襲撃者が息を呑んだ。暗闇の中、俺の右目が淡い光を発しているのだから驚くのは当然だ。
だが、その驚き方は少々、普通とは異なっているように見えた。
「知っているのか? これは聖痕。最古の精霊と契約している証だ」
「――最古の精霊!?」
響いたのは女性の声。なにをそんなに動揺しているのかは知らないが、この隙を逃す手はないと俺は一息で距離を詰める。
懐の内へと飛び込み、その身体を投げ飛ばした。俺は素早く腕を捻り上げて短剣を奪い、胸の上に跨がって首に短剣を突きつける。
「さぁ……その正体、見極めさせてもらおう」
油断なくその覆面を剥ぎ取る。覆面の下から出てきたのは、驚くほどに整った少女の顔。金色の髪に、エメラルドの瞳。そして……長いエルフの耳。
「……なぜだ。なぜ、お前が蒼二を狙った!?」
俺は思わず声を荒らげた。なぜなら襲撃者が、俺の良く知っている相手。俺が――刹那が最も信頼していた弟子だったからだ。
「答えろ、アイシャ! なぜお前が蒼二を狙う!」
問いかけるが、やはり答えない。俺はひとまずアイシャを後ろ手で縛り上げ、その両足も拘束。それから封印を元に戻して、アイシャを見下ろす。
「師匠、大丈夫ですか!?」
蒼依、続いて蒼二が部屋に飛び込んできた。二人とも軽装ながら武装している。どうやら、自分達でも襲撃を警戒していたようだ。
「心配するな、俺は無事だ。ただ……」
「アイシャさん? なぜ彼女が……」
俺の視線をたどった蒼依が驚きに目を見開く。
「分からない。それをいまから尋問するつもりだ。すまないが、二人はギルドに行って、ギルドマスターを連れてきてくれ」
「それなら、俺一人で行ってくる」
「ダメだ。襲撃者が他にいたら、間違いなくお前達が狙われる。二人一緒に周囲を警戒しながら行ってこい」
「分かった。それじゃ蒼ねぇ、ギルドまで走るぞ」
「ええ、大丈夫よ」
蒼二と蒼依が部屋を飛び出していく。それを見届け、俺はアイシャへと視線を戻した。
「さて……黒幕は誰だ?」
「黒幕? そんな者はいません」
アイシャはきっぱりと断言した。
なぜそんなことを聞くのかと言いたげな視線に、俺はわずかに混乱する。
「……なら、なぜ蒼二の命を狙うんだ」
「あの二人が、ローゼンベルク家の子供が許せないからです」
「許せない? どういうことだ」
「……いまからおよそ三十年前、エルフの里の付近にフィールドボスが発生しました。そいつはヒュドラの亜種で、非常に危険な相手だったんです。だから、私達エルフは、当時の領主に援軍を求めた。なのに、領主は援軍を出し渋った」
「だから、ローゼンベルク家を恨んでいるのか?」
「ええ。結局、助けてくれたのは一人の冒険者だけだった。その人のおかげで全滅は免れたけど、私達エルフは多くの犠牲を払った。私のお父さんやお母さんも死にました」
俺はその事実を良く知っている。だけど、だからこそ、アイシャがそんな風に思っているとは夢にも思っていなかった。
それに――
「蒼依や蒼二に罪はないだろ。当時はまだ産まれてすらいなかった」
「分かっています。そもそも、私は貴方から聞かされるまで、二人がローゼンベルク家の子供だなんて知りませんでしたから」
「……知ったから、許せなくなったというのか?」
「それは正確じゃありません。知ったから、あの二人が悪人だって確信したんです」
「あの二人が悪人? そんなことはありえない」
信じていた弟子に立て続けに裏切られた俺だが、それでもこれだけは断言できる。蒼二や蒼依が悪人なんてことは、天地がひっくり返ったとしてもありえない。
「いいえ、それはセツナが知らないだけです。あの二人は面倒見の良い冒険者のフリをして、裏でいくつもの冒険者を殺している。そして、それを親の権力で揉み消しているんです」
「ありえない」
「いいえ。事実として、貴方と同じ名前の冒険者が一年ほど前に殺されています」
「……彼を殺したのは、ジークという冒険者だ」
「彼らはそう主張していますね」
「事実だからだ」
それは殺された本人である俺が、誰よりも知っている。そう教えてやりたいが、いきなりそんな荒唐無稽な話は出来ない。逆に俺まで正気を疑われる。
「では質問を変えましょう。セツナという冒険者を殺したのがジークだというのなら、ジェイクと名乗っていたジークを殺したのは、蒼二や蒼依による復讐、ですか?」
俺はピクリと眉を動かしたが、それ以上の反応は表に出さなかった。暗闇の中では分からなかったはずだが、アイシャは確信しているかのように続ける。
「……なぜ、ジークが死んだことを知っている?」
「貴方が訪ねた後に、大家さんから話を聞きました。貴方は、ジェイクがフィールドボスに殺されたと言ったそうですね。一体どういうことですか?」
「ジークは蒼二を殺そうとした。だから返り討ちにした。ギルドに黙っていたのは、蒼依が人質になっていたから、教えられなかったんだ」
「では、なぜ大家さんにはフィールドボスに殺されたと嘘を吐いたんですか?」
「分かるだろ。彼の名誉を守るためだ」
「こじつけですね。ジークが悪人だというのなら、嘘をついてまで名誉を守る理由がありません。殺した事実を隠すために、あの二人がそんな嘘を吐かせたんでしょ?」
「……なぜだ。なぜそこまで蒼依や蒼二を疑う?」
蒼依達は最初からジークが犯人だと宣言し、捜索をギルドに依頼していた。双方が疑われるのならともかく、蒼二達を一方的に疑われる理由にはならないはずだ。
「彼らが悪事を隠蔽しているという情報が入ったからです」
「それを信じたって言うのか?」
「私も最初はまさかと思いました。でも、調べれば調べるほど疑惑が浮き彫りになる。極めつけは、彼らがローゼンベルク家の子供だという事実」
ようやく合点がいった。
理由は分からないが、アイシャは蒼二達が悪事を働いて隠蔽しているとの情報を得たが、隠蔽するだけの力がないはずだと疑問視していた。
だが、ローゼンベルク家の子供だと知り、悪事を隠蔽する力があると思い込んだ。
「……お前は誤解している。蒼二や蒼依が権力を振りかざすなんてありえない」
「彼らが善人ぶっているのは表面上だけです」
「あいつらはまっすぐな人間だ。だが、それが理由じゃない。あいつらはローゼンベルク家の子供だが、なんの権力も持っていない。二人に悪事を隠蔽する力なんてない」
「貴族の子供ですよ? 隠蔽くらい、簡単にできるでしょう」
「あいつらの親は悪事に手を貸したりしない。それに、母親は我が子が権力争いに巻き込まれないように継承権を奪い、冒険者に託したんだ。だから、いまの二人はただの平民だ」
「え、そんな……う、嘘です。貴方の出任せでしょ?」
「信じられないか? なら、別の話をしてやる」
いまのアイシャは目が曇っている。どうしてこんなことになってしまったのかは分からないが、せめてその目だけは覚まさせてやらなくちゃいけない。
「さっき、ローゼンベルク家が援軍を送ってくれなかったと言ったな?」
「ええ、その通りです。そのせいで、私達エルフは壊滅的な打撃を受けました」
「違う。ローゼンベルク家は援軍を送らなかったんじゃない。送れなかったんだ。エルフの森は治外法権で、兵士を送るにはエルフ族の許しが必要だった」
「なにを言っているんですか? 私達は援軍を求めたんですよ?」
「ならアイシャは、平民に援軍を求められたという理由で隣国に兵士を送れると思うか?」
「出来るはずがありません。そんなことをしたら戦争に……まさか!?」
「そうだ。エルフの族長は、ローゼンベルク家の力を借りることを良しとしなかった」
「嘘です。出任せです。三十年近く前のことを、貴方が知るはずがない」
「いいや、良く知っている。ローゼンベルク家は兵士を送ることが出来なかった。だから、不遇の聖者……いや、当時は聖者セツナと呼ばれていた冒険者を援軍として送り込んだんだ」
「――刹那の、彼のことまで嘘に利用するつもりですか!? 名前の響きが同じだからって、彼の名誉を穢すことは許しません!」
ふっ、刹那の名前を出した途端、この反応……か。
「……なにがおかしいんですか?」
「悪気はない。ただ、変わってないと思ったんだ」
「なにを……」
「身寄りを失ったアイシャは、刹那と旅をすることにした。最初は肉料理を嫌っていたな。夜は一人で寝られなくて、よく刹那の布団に潜り込んできた」
「な、なななっ、なぜそのことを!? ……え? 嘘でしょ。貴方は、まさかっ」
「そうだ。俺は刹那の生まれ変わりだ」
「……本当に、本当に刹那、なんですか?」
「呪いじみた病気を患って、転生の祭壇にすべてを懸けることにした。レベルが足りなかったから、アイシャに手伝ってもらっただろ?」
「あ、あぁ……刹那、生きて、生きていたんですね。でも……どうして? それならどうして、すぐに会いに来てくれなかったんですか?」
「前世の俺は強引に転生したせいで記憶がなくてな。記憶を取り戻したのはつい最近。二度目の転生を終えた先日のことだ」
むろん、二度目の転生の後には、アイシャのことを認識していた。
だが、転生して間もない頃は、刹那としての記憶を持つセツナでしかなかった。だからアイシャは刹那にとっての愛弟子であって、俺には関係のない相手のように感じていたのだ。
いまは、もっと早くに打ち明けていればと後悔している。
「……待ってください。二度目の転生? なら、蒼二や蒼依の師匠、セツナが殺されたというのは、まさか……貴方のこと、ですか?」
「前世の俺だ。そして俺を殺したのはジークだ。母親のために焦っていたみたいだな」
「それじゃ、全部誤解、だったんですか?」
「アイシャがどんな話を聞いたのかは知らないが、少なくとも俺を殺したのはジークだし、ローゼンベルク家が援軍を送れなかったのはエルフ側の意思が統一されていなかったからだ」
「あぁ、なんてこと。私は刹那を遣わせてくれたローゼンベルク家を逆恨みして、私を育ててくれた刹那を襲って、刹那の大切な弟子達を殺そうとしたんですね。私……最低です」
アイシャは力なく頭を垂れた。
「私は刹那がいつか戻ってくるって、信じていました。だから、刹那が戻ってきたときに、胸を張って貴方の前に立てるようにって。なのに……こんな……っ」
その身を震わせ、嗚咽を洩らし始める。
アイシャにどんな言葉を掛ければ良いのか、いまの俺には分からなかった。
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