第3話
俺はゆっくりと目を開いた。視界に広がるのは、魔法陣が描かれた石壁。ここはダンジョンの隠し部屋。それを理解すると同時に、自分が斬られたことを思い出す。
……なんで俺は目が覚めたんだ? どう考えても、致命傷だった。目が覚めるなんてありえない。あの状態からでは、どうやったって助からないはずだ。
なのになぜと起き上がろうとした俺は、身体が思うように動かなくて倒れた。
「痛い、な。死ぬ間際の夢ではなさそうだが……どうなっているんだ?」
しばらく床に伏せっていたかように筋力が衰えている。
一命を取り留めて、何週間もベッドで寝込んでいたのなら理解できなくはないが……どう考えてもここは隠し部屋の中だ。そんなに長い時間が過ぎているとは思えない。
「蒼依、蒼二、いるのか?」
周囲を見回してみるが二人の姿は見当たらない、どころか誰もいない。
だが立ち上がった俺は、目線がいつもより低いことに気がついた。
なんだ、どうなってるんだ? 背が低くなった? ……いや、背が低くなっただけじゃないな。手が以前よりも綺麗になっている。
もしかして……若返ったのか?
そうかもしれない。だが、若返っただけならここまで身体能力が落ちたりしない。恐らくはレベルが下がっている。それも1か、それに近いレベルにまで下がっている。
さっぱり状況が飲み込めないが、レベルが下がったとしても、記憶――つまり、技術や知識は残っている。死なずにすんだのなら、レベルが下がるくらいはなんでもない。
それどころか、精霊の加護を得られるのなら、レベルは下がっていた方が都合がいい。
もしかして、精霊の加護を得る魔法陣が光ってたりは……と期待を込めて壁を見るが、魔法陣はどれも光を失っていた。
たしか蒼依が、誰かに加護を与えたら、再使用はしばらく出来ないと言っていたな。
一度町に帰るべきか?
ここは外へ転移が可能な祭壇と繋がっているから、いまの俺でも安全に外に出られる。状況が飲み込めないし、一度町に帰るべきかもしれない。
だが、レベルが大幅に下がっている以上、一度出たら最後、ここに戻ってくるのは至難の業だろう。少なくとも、レベルを上げなければ戻ってくるのは難しい。
出来れば加護を得てから戻りたいところだ。
……ナ、…………セツナ。……聞こえ、ますか、セツナ。
ん? いま、誰かに呼ばれた、か?
肉声が聞こえた訳じゃない。けれど誰かに呼ばれた。まるで心の中に直接呼びかけてくるような、そんな声が聞こえた。
セツナ、壁の魔法陣の横に隠し扉があります。
意識していたからか、今度は確実に聞こえた。
その声に従って壁を調べると、本当に隠し扉が見つかる。
声の主が味方かどうかは分からない。だが、俺は精霊の加護がないというだけの理由で報われない人生を送ってきた。精霊の加護を手に入れられる可能性があるのに引き返すなんてありえないと、俺は部屋の中へ足を踏み入れた。
そこは、小さな部屋。
祭壇の上に赤い髪の女性が眠っていた。透けるような白い肌に、艶やかで赤い髪。幻想的な容姿の女性がパチリと目を開き、金色の瞳が辺りを見回した。
「ふわぁ……よく寝ました」
うーんと伸びをして胸を反らす。その一瞬で、幻想的な雰囲気が霧散した。
「よく寝た……って、寝てたのか?」
「ええ、寝ていましたよ。セツナが、いつまで経っても迎えに来てくれなかったので」
「俺のことを知ってるのか?」
「そういうセツナは、あたしのことを忘れてしまったようですね」
俺のことを良く知っているような口ぶりだが、俺にこの女性の記憶はない。深紅の髪に金色の瞳。一度見たら、絶対に忘れなさそうな容姿なんだがな。
「分からないんですか? あたしは、貴方の生き別れのお姉さんです。昔みたいに甘えてくれても良いんですよ?」
「生き別れの姉、だと?」
俺の記憶はおよそ十六歳、ダンジョンの入り口で目覚めたところから始まっている。生き別れの姉ということは、それ以前に別れたのか?
俺の姉だというのなら若くとも三十代後半のはずだが、目の前の女性は二十歳前後。幼く見えるのだとしても、二十代半ばにしか見えない。
「ちなみに、冗談ですよ?」
「……なに?」
「パートナーだったのは事実ですけどね」
ふわりと微笑む。どうやら、自称俺のパートナーはおちゃめな女性らしい。
だが、こちらに記憶がないため、姉弟云々はもちろん、パートナー云々も事実かどうか確認のしようがない。一度でも嘘をつかれると、信用できなくなるんだがなぁ。
「そんな顔をしないでください。いまのは本当ですから」
「俺のパートナーだったと? だが……」
見た目年齢から逆算すると、当時は赤ん坊でもおかしくない。
「セツナが想像している数百倍は生きていますよ」
「数百倍だと?」
エルフやヴァンパイアなど、数百年の寿命を持つ生物は存在する。だが、それよりもずっと長い寿命を持つというと……
「まさか、精霊……なのか?」
「ええ、あたしはクラウディア。かつて貴方に加護を与えし最古の精霊です」
胸がどくんと脈打った。
「俺に加護を与えたというのはどういうことだ? いまの俺が精霊の加護を持たないことと、なにか関係あるのか?」
「それを知りたければ……」
クラウディアと名乗った精霊は虚空に手を差し入れると、一振りの剣を引き抜いた。そして無造作に俺に放ってよこす。
俺はそれを空中で掴み取った。
「……どういうつもりだ?」
「貴方のこれまでの生き様を見せてください」
「どういう意味だ? この剣で、丸腰のキミを襲えと?」
「丸腰? いいえ、あたしは存在そのものが魔剣ですから」
クラウディアは微笑んで、自分の胸の谷間に指先を沈めた。それはズブリと沈み込み、やがて手首までが、胸の内に沈んだ。
そして引き抜いたその手には、一振りの魔剣が握られていた。
「さぁ……掛かってきなさい」
「……いや、待て。生き様を見せろって言うのは、剣の腕を見せろと言うことなのか?」
「もちろん魔法を使ってもかまいませんよ?」
「そういう意味ではないんだが……」
「どうせ、戦いに明け暮れていたのでしょう?」
「……なるほど、たしかにキミは俺のパートナーだったようだな。なら、俺もキミのことは剣で聞くとしよう!」
セリフを言い終えるより早く、クラウディアに躍りかかる。
最初は内から外へ、すれ違いざまに横薙ぎの一撃を放つ。それはあっさり受け止められるが、俺は振り返りざまに遠心力を加えた追撃を放った。
その一撃は、俺の身体に隠れて、クラウディアからはギリギリまで見えなかったはずだ。にもかかわらず、クラウディアは最小の動きで受け止める。
まるで、そこに攻撃が来ると分かっていたかのようだ。
精霊との手合わせは初めてだが、対人経験もあるし、死角を持たない魔物と戦闘をした経験もある。俺は落ち着くために距離を取る――と見せかけて【炎槍】を放つ。
攻守の入れ替わった瞬間への心理的なカウンター。だが、その魔法はクラウディアの剣の一振りで掻き消された。
「ふふっ、セツナはいまも変わらず優しいんですね」
「余計な心配だったようだがな」
軽口を叩きつつ、内心で舌を巻く。直撃する可能性を考えて威力を抑えていたのは事実だが、剣で消されるとは夢にも思っていなかった。
筋力や速度はそれほどでもないが、技量は俺と同じかそれ以上ありそうだ。
「もう一度、行くぞっ」
無造作に距離を詰め、袈裟斬り、斬り上げ、上段斬りと続けた三連撃。すべて全力で放ったそれらは、けれど危なげなく捌かれる。
続けて、様々なフェイントを織り交ぜての連撃を放っていく。見た目が華奢なだけあって、身体能力はそれほどでもないのだが、反応速度がとにかく速い。
身体能力が同程度の相手にここまで苦戦したのは久しぶりだが――この身体にもそろそろ慣れてきた。そろそろ、決めるとしよう。
胸の内で覚悟を決めつつも、決してそれを表には出さない。いままでと同じように淡々と、袈裟斬り、斬り上げと放ち――【アクセル】!
何度か繰り返して見せた同じ型。上段斬りへ繋ぐと見せかけて腰だめに剣を引き、クラウディアの喉元めがけて突きだした。
そのフェイントにも、クラウディアは即座に反応する。いままでは手加減していたのだろう。驚くべき速度で対応してくるが――俺の方が速い。
剣の切っ先を、クラウディアの喉元に突きつけた。
全身に痛みが走り、俺は急いで【アクセル】を解除する。以前の身体でなら問題なく使えた短期間だが、いまの未熟な身体では負担が大きすぎたようだ。
だが、そんな内心はおくびも出さない。俺は歯を食いしばってニヤリと笑って見せた。
「俺の、勝ちだな?」
驚きに染まっていたクラウディアの顔が、その言葉を切っ掛けに破顔した。
「ふふ、まさか負けてしまうなんて思いませんでした」
「キミが手加減をしてくれたからだ」
最後の速度は【アクセル】を使った俺と同じくらい速かった。恐らくは、それまでの動きを俺のステータスにあわせて抑えていたんだろう。
「気付いていましたか。ですが、手心を加えた訳ではありませんよ。貴方と対等のステータスで戦っただけですから」
「ふっ、そういうことか」
どうりでステータスと技量が釣り合っていないはずだ。俺が言うのもなんだが、あれだけの技量を持っていながら、いまの俺と同じ身体能力なんてありえない。
「誇っても良いですよ。セツナは、ステータスを考慮しなければ世界最強クラスです」
「そう、か」
心が打ち震えた。
いまのステータスを考えれば、俺より強い奴はいくらでもいるだろう。だが、俺の努力の成果は誰にも負けていないと言うこと。
そう聞いて、感動しないはずがない。俺の努力は無駄じゃなかった。
「セツナ。貴方はあたしの加護を得る資格を得ました」
「……資格を? つまり、俺に精霊の加護を与えてくれるのか?」
「貴方が望むのなら。ただ……あたしは魔剣を司る最古の精霊。あたしが与えられるのは負荷成長の、それも最古の加護です」
負荷成長の加護、それはあらゆるステータスが大きく上昇する代わりに、レベルアップに必要な経験値も上がるという特殊な加護だ。
更に言えば、精霊のランクが上がるほど加護の効果が大きくなるのだが……負荷成長の場合は必要な経験値も上昇する。
加護のランクは下級、中級、上級、古代とあるが、最古は更に上。その加護を受けたら、レベルアップに相当な経験値が必要になるだろう。
だが――レベルは上がりにくくなるが、レベルに対するステータスは高くなる。
つまり、加護を持たなかったせいで、レベルを上げるほどに苦しくなったいままでとはまったく逆の現象が起きる。
なにより、いままではどれだけ努力しても報われない日々だった。努力が報われるのなら、必要な努力の量が他人より少し多い程度、なんの問題もない。
「迷うことはなにもない。俺にその加護を授けてくれ」
「セツナなら、そう答えてくれると信じていました」
クラウディアは穏やかに微笑み、俺の目の前にまで歩み寄ってくる。更には俺に腕を回して軽く抱きしめると、コツンとおでこを押し当てた。
右目がズキリと疼き、頭の中に様々な情報が流れ込んでくる。
それは、かつて不遇の聖者と呼ばれた男の記憶だ。
たぐいまれなる才能と、クラウディアの加護を持ちながらも、呪いじみた病に冒されて夢半ばですべてを失い、転生に一縷(いちる)の望みを託した刹那という男の記憶。
その刹那が転生に使ったのが、俺が死んだはずだった場所にある魔法陣だ。
「……いかが、ですか?」
「不遇の聖者と呼ばれる男の記憶を垣間見た。これは俺の前世……なのか?」
「正確には二つ前ですが、貴方自身の記憶です」
「二つ前? そうか、俺が若返ったと思っていたのは、生まれ変わっていたから、か」
同時に様々な事情を理解する。
転生に必要なレベルは60以上だが、刹那はレベルが足りなかった。それを補うために様々な裏技を使ったのだが――その結果が記憶の喪失と、転生場所のズレだったようだ。
そのためクラウディアと再会できず、前世の俺は加護を得ることも出来なかった。
――だが、いまの俺は違う。
若く健康な身体に生まれ変わり、レベルは1に戻っている。にもかかわらず、二度に渡る人生で手に入れた知識は技術はそのまま引き継いでいる。
最高のスタート。最古の精霊から授かった、負荷成長の加護を存分に生かす環境が整っている。今度こそ報われない日々に終止符を打ち、幸せな人生を勝ち取ってやる。
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