第2話
宿で一眠りした俺は剣を片手に携え、近くにある空き地へとやって来た。
夜明け前の薄暗い空の下、十数年続けている剣の素振りをおこなう。
剣を横薙ぎに振るい、虚空を斬り裂く。その残像に一糸の乱れもないことを確認。そこから弧を描いて切り返し、斜め下から斬り上げ――重力を味方に付け、最速の上段斬りを放つ!
低いステータスを補うために身に付けた、緩急を付けた連続攻撃の一つだ。
堅い護りを抜けないのなら、急所を的確に狙えばいい。早さが足りないのなら、速度に緩急を付ければいい。それでもダメなら、魔法で補えば良い。
加護を持つ人間は、その加護に応じて身に付けやすい技能がある。けれど、加護を持たない俺にはそれがない。どの技能も成長速度が変わらない。
だから、努力だけであらゆる技術を身に付け、ステータスの低さを補ってきた。
そして――
俺は深く集中して【マインド・アクセル】を発動させる。
視界から色の情報が消え、世界が色あせていく。
極限状態で物事がスローモーションにみえる現象を意図的に引き起こす。あくまで体感速度を変えるだけで実際に早く動ける訳じゃないが、俺が編み出した奥の手の一つ目だ。
その状況を維持しつつ、俺は再び剣技の確認をしていく。
「……ふぅ、これが限界か」
息を吐いて【マインドアクセル】を解除する。
どっと全身から汗が吹き出し、俺は思わず膝をついた。【マインド・アクセル】は奥の手の中では負担の少ない技術だが、それでも連続の使用にはかなりの負担が伴う。
長年の経験で身に付けた呼吸法で、自分の状態を回復させながら空を見上げる。
視界に広がるのは淡いブルーの空。
日の出の前のわずかな時間にだけ見える美しい空に目を奪われる。
「――っ」
直感に従って体を捻り、同時に剣を振るった。
その一撃が、視角外から振り下ろされていた剣を捉える――が、重い。まともに受けるのは不可能だと判断して側面に受け流す。
互いの剣が絡まり合うように滑り落ち、地面を叩くスレスレで止まる。
俺の目前に、闘志を燃やした蒼二の姿があった。
「はああああっ!」
蒼二は気合いの声を上げ、押さえ込まれていた刀身を俺の剣もろともに振り上げる。
俺は自分の剣が弾かれるのを嫌って、とっさに剣を引き戻した。それと同時、蒼二の上段斬りが襲いかかってくる。
「――ちぃっ!」
ただ剣を引き戻す俺と、一度振り上げてから振り下ろす蒼二の速度が変わらない。レベルでは勝っているのに、ここまでステータスで負けているのか!
俺は身体を捻って一撃をかわし、続けざまに放たれる二撃、三撃目をかわした――が、以前見たときよりも、明らかにその鋭さが増している。
続けて四撃目が襲いかかってくる。さっきよりも明らかに速い。俺が教えた緩急によるフェイント。先ほどまでの攻撃は全力じゃなかった。
蒼二はしばらく見ないうちにステータスだけでなく、その剣技も大幅に伸ばしている。その技術は、同レベルの剣士には決して引けをとらないだろう。
低いステータスを補う技術を、高いステータスを持つ蒼二が身に付けた結果。後続に追い抜かれる悔しさと、それが自分の功績である誇らしさを感じる。
このままだと、俺は蒼二に負ける。
だが――俺は【マインド・アクセル】を発動。蒼二の剣のわずかな揺らぎを切り崩し、一瞬の隙に剣を喉元へと突きつけた。
「……えぇっ!?」
なにが起きたのか最初は理解できなかったようで、蒼二は一瞬遅れで息を呑んだ。
奥の手を連続で使った俺は膝をつきそうになるが、気合いで誤魔化した。蒼二はまだまだ強くなる。もう少しだけ蒼二の目標であり続けるために、ここで情けない姿は見せられない。
俺は余裕を装ってニヤリと笑い、剣を引き戻して鞘にしまった。
「マジかぁ。いまのは一本取れたと思ったんだけどな」
「俺に奥の手を使わせたんだから上出来だ」
「それな。何度見てもすげぇよ。気付いたら形勢が逆転してるんだからさ」
「今後も努力を続けていたら、そのうち教えてやる」
「え、マジで!?」
「ああ、お前が今後も努力を続けたら、だぞ?」
「続けるに決まってるだろっ! 俺は師匠の弟子なんだからなっ!」
「ふっ、そうか」
二人の母親に託されて以来、立派に育つように気に掛けている。蒼二と蒼依は俺にとって可愛い弟子だから、こんな風に慕われて悪い気はしない。
「蒼依にもいつか教えてやるから、そんな拗ねた顔をするな」
「ふぇっ!? ど、どうして分かったんですか!?」
木陰から驚いた様子の蒼依が姿を現した。
「隠れていたつもりのようだが、気配が隠しきれていない。まだまだだな」
「そ、そうじゃなくて、拗ねた顔って」
「あぁ、それは……秘密だ」
蒼依は世話焼きのお姉ちゃんタイプだが、年相応に子供っぽいところがあるから予想したという事実は、蒼依の名誉を守るために黙っておくとしよう。
「さて、朝飯までもう少し時間があるが……」
「じゃあ、次は私と戦ってください!」
「俺も、もう一回戦ってくれ!」
「良いだろう。まずは蒼依、成長した姿を俺に見せてみろ!」
精霊の加護を得るための施設は、とあるダンジョンの隠し部屋にあるらしい。
一度訪れたことのある階層へは各階にある祭壇で飛ぶことが出来るのだが、目的の層は九層で、俺は八層までしか行ったことがない。
九層のクリアに適性なレベルは四人PTで45以上。
通常のレベル60ならソロも不可能ではないが、ステータスの低い俺には無理だ。むしろ、三人でもキツいという判断により、知り合いに協力を仰ぐことにした。
協力を求めたのはジークという青年。彼が新人として行き詰まっているころ、蒼二や蒼依と同じように面倒を見ていた俺の弟子。
最近はベテランになっているので、ときどき顔を合わせる程度。今回は蒼二達が連絡済みで、協力を取り付けたとのことだが――と来た。ダンジョンの入り口で待っていると、ずいぶんとたくましい姿になった青年、ジークがやって来た。
「ジーク、久しぶりだな。元気にしていたか?」
「まぁまぁだ。そういう師匠はどうなんだ?」
「俺の方も似たようなものだな」
拳を軽く打ち合わせ、久しぶりの再会を懐かしむ。
「それで、今日は四人でこのダンジョンに挑むのか?」
「蒼依達がこのダンジョンの文献を見つけてな。九層のボス部屋の奥、祭壇の横に隠し部屋があって、精霊の加護を再習得することの出来る祭壇があるらしい」
「――なっ。それは本当なのか!?」
ジークが目の色を変える。俺はジェスチャーで声を抑えるように伝えた。
「確証はないが、信憑性はありそうだ。少なくとも、行ってみる価値はあると思う」
「加護を習得するため、か。しかし、師匠は既に55レベルを超えてたんじゃないか?」
「いまは60になってるな」
「マジか。さすが師匠――と言いたいところだが、そこまでレベルが高いと、加護を得ても意味がないだろう?」
「――おい、なんてことを言うんだ」
「そうです。師匠がいままでどんな思いをしていたか、貴方だって知っているでしょう?」
蒼二と蒼依が食って掛かる。
その気持ちはありがたいが……と、二人を手振りで落ち着かせる。
「たしかに、あまり意味はない。だが、今後も努力でなんとか出来る可能性を得られるのなら、チャレンジしてみたいんだ。頼む、ジーク。俺に力を貸してくれ」
深々と頭を下げる。
相手が弟子だからとか、十歳以上年下だからなんて関係ない。可能性があるのなら、諦めたくない。その切実な想いをぶつけた。
「頭を上げてくれ、師匠。俺で良ければ協力するからよ」
「……ジーク、恩に着る」
「おいおい、ダンジョンに挑むのはこれからだぜ?」
ジークが笑い、釣られて俺も笑う。
「……そうだったな。それじゃ――行くぞっ!」
九層攻略の適性レベルは45以上。
弟子達のレベルでは少々厳しいはずだが……さすがによく鍛えている。俺達は激戦を繰り返しながらも、九層のボス部屋へとやって来た。
「隠し部屋は、ボス部屋の奥にあるらしい。だから、それを探すにはボスを撃破する必要がある。だが……このメンバーでボスに挑むのは相当に危険だ。もし、不安なら――」
その続きは口に出来なかった。
蒼依と蒼二に腕を掴まれたからだ。
「師匠、俺はたくさん師匠に助けてもらった。だから、恩返しがしたいんだ」
「私も同じです。それに、負けるつもりはありません」
「そう、か……ありがとう。だが、ジークはどうだ?」
蒼依や蒼二と比べれば、俺との繋がりは薄い。
ジークには無茶をする義理もないはずだ。
「乗りかかった船だ。それに、俺も今回の件には興味がある。最後まで付き合うぜ」
「そうか……なら、ボスに挑もう」
俺はボス部屋を見る。そこにはデスナイトがたたずんでいる。熟練した剣技、それによって繰り出す範囲攻撃を得意とする、黒の鎧を纏った恐るべき魔物だ。
実際に見るのは初めてだが、非常に厄介な敵だと聞いている。
重鎧を纏うデスナイトに有効なダメージを与えるには、聖属性の魔法か、鎧を抜けるほど威力の高い物理ダメージ。もしくは鎧の隙間を貫く技術が必要になる。
だが、熟練の剣技を持つデスナイトに対して剣技で圧倒するのは難しい。
「俺が正面で注意を引きつけるから、蒼二とジークは隙を見て重い一撃を叩き込んでくれ。デスナイトは剣技を得意としている。決して無理をするな」
俺の指示に、ジークと蒼二が頷く。
「師匠、私はどうすれば良いですか? 聖属性の攻撃魔法は使えますが……」
「聖属性の攻撃魔法は有効だが、全力で攻撃すると狙われる可能性がある。それに、倒しきるまで魔力も持たないだろうしな。デスナイトの範囲攻撃を魔法で潰してくれ」
「分かりました。私は援護を優先します。それと、強化魔法を掛けますね」
蒼依が支援魔法を使って、俺達全員のステータスを上昇させる。娘ほど年の離れた少女だが、その姿は実に頼もしい。
「掛けました。これで、ステータスがすべて一割ほど上がったはずです」
「助かる。それじゃ……始めるぞ。俺が戦い始めたら、加勢してくれ」
俺は深呼吸を一つ。剣を抜いて、デスナイトに向かって歩み寄っていく。
魔物や魔獣には、反応範囲という概念がある。
飛び道具などで攻撃をすれば範囲外でも襲いかかってくるが、反応範囲の外を彷徨く分には襲いかかってくることはない。
俺はゆっくりと歩みを進め、二十メートルほどにまで距離を詰めた。そこから更に一歩を踏み出した瞬間、デスナイトが怪しく輝かせた瞳でギロリと睨みつけてくる。
刹那、二十メートルという距離を一瞬で詰めたデスナイトが剣を振り下ろす。
――速い。
俺はもちろん、恐らくは蒼二よりも速い。その一撃をとっさに受け流す。逸らしきれなかった剣が肩をかすり、袖口をわずかに斬り裂いた。
いくら相手の攻撃を見切れても、自分の速度が遅ければ間に合わないし、筋力の差が大きければ攻撃を反らすこともままならない。
もし蒼依の強化魔法がなければ、さっきの一撃で肩をやられていただろう。
……まさか、ここまで差があるとはな。
レベルでいえば俺よりも低い。一般的なステータスを持っていれば、一人でもなんとか渡り合えるはずの敵が、加護を持たないという理由だけで遥か高みの敵となる。
だが、そんな理不尽を打ち破るためにも、ここで引き下がる訳には行かない。俺は即座に【マインド・アクセル】を発動させ、デスナイトに牽制の一撃を放つ。
その一撃があっさり防がれ、反撃の攻撃が飛んでくる。が、俺はギリギリで回避する。
こちらの攻撃は当たっても大したダメージを与えられないが、相手の攻撃は当たれば即死級の一撃。一見すれば絶望的な攻防だが、こちらは一人ではない。
俺の攻撃を弾いた瞬間、デスナイトが大技を放とうと腰だめに剣を構える。
その隙を逃さず、蒼依が聖属性の【ホーリーライト】を放ってデスナイトの攻撃を止め、背後から蒼二とジークが同時に大技を放つ。
デスナイトが獣のような声を上げ、その身をよろめかせる。俺は即座に懐に飛び込み、鎧の隙間に剣を突き込んだ。
たしかな手応えが伝わる――が、九層のボスはこれくらいで終わらない。ダメージを受けながらも反撃を繰り出してくる。その気配を察知した俺は、寸前で攻撃範囲から飛び下がる。
剣の巻き起こした風が俺の頬を撫でた。
「効いているぞ。この調子でダメージを重ねるんだ!」
敵の動きは鈍っていないが、仲間を鼓舞するために叫ぶ。そうして、再びデスナイトの注意を引きつけるために牽制の一撃を放った。
俺はあの手この手でデスナイトの注意を引きつけ、仲間達がダメージを重ねる。
それを何度も続けていると、ようやくデスナイトの動きが鈍り始める。だが、【マインド・アクセル】を発動させっぱなしの俺も限界に達しつつある。
そろそろ決めないと不味い――と、俺ではなく、弟子達が感じ取っていたのだろう。
俺がデスナイトの大技を誘った瞬間、いままでと同じように蒼依が攻撃魔法を撃ったが、デスナイトは怯まなかった。
魔法を喰らいながらも、大技である範囲攻撃を発動させようとしている。にもかかわらず、俺は視界の隅からデスナイトに襲いかかる蒼二とジークの姿を捉えた。
「二人とも下がれっ!」
警告するが、同時にデスナイトが範囲攻撃を放った。どうやっても回避は間に合わない。二人はかろうじて剣で受け止めるが、そのまま大きく吹き飛ばされてしまう。
「蒼依、二人を頼むっ!」
「は、はいっ!」
二人とも剣で受けてはいたが、まともに受けて耐えられるような攻撃じゃない。安否が心配だが、いまは様子をうかがう余裕もない。
デスナイトの意識が三人に向かないように攻撃を加える。
その甲斐あって、デスナイトは俺に意識を向けてくる。だが限界に達していた俺は、攻撃を避け損なって、大きく吹き飛ばされてしまう。
俺は地面を転がりながらも地面に手をついて体制を整え、なんとか足から着地。デスナイトの容赦ない追撃を、ギリギリのところで回避する。
「師匠っ!?」
「大丈夫だっ、それより、そっちは無事か!?」
「すぐには動けそうにありませんが、回復魔法で治せる範囲ですっ」
「そう、か。分かった」
【マインド・アクセル】の連続使用でそろそろ限界だ。
二人の回復を待っていては全滅する。
だが、デスナイトもそろそろ限界のはずだ。こうなったら俺がデスナイトにとどめを刺すしかないだろう――と、デスナイトの攻撃を回避しながら考える。
分の悪い賭けだが、ここでなんとかしなければ弟子達まで死んでしまう。
だから、俺が倒すしかない。問題はどうやって倒すか。わずかな時間なら【マインド・アクセル】の深度を上げることは可能だが、反応速度だけを上げても意味はない。
俺は【マインド・アクセル】を解除して、代わりに奥の手の二つ目を発動させる。その瞬間、デスナイトが剣を振り下ろしてくるが、俺はそれを真っ向から受け止めた。
凄まじい衝撃が腕を通して全身を駆け抜ける。だが、俺はその衝撃すべてを受けきった。
使用したのは【アクセル】。精神ではなく、身体能力を大幅に引き上げる奥の手だが、この技は消耗が凄まじい。
速く片を付けなければ、俺の方が動けなくなる。
俺は剣を跳ね上げ、よろめいたデスナイトの隙を突いて鎧の隙間に剣を突き込む。デスナイトは即座に反撃してくるが、俺はカウンターで左腕を斬り飛ばした。
デスナイトが怒りの雄叫びを上げ、残った腕で剣を振り回す。俺はそれを回避、あるいは受け流し、続けざまに一撃、鎧の隙間を浅く斬り、更に返す刀で一撃。
三つ、四つと攻撃を重ね――
「これで、終わりだっ!」
仰け反ったデスナイトの首の付け根に剣を差し込む。
その瞬間、限界を迎えた俺は激痛に呻き、がくりと膝をつく。けれど、デスナイトはまだ死んでいなかった。全身ボロボロになりながらも、残った片腕で剣を振り上げる。
その凶刃が振り下ろされる瞬間、デスナイトが身を震わせ――ゆっくりと倒れ伏した。開けた視界の先には、こちらに手を突きつけた姿でたたずむ蒼依の姿。
「はぁ、はぁ……師匠、大丈夫ですか?」
「ああ、助かったよ、蒼依。二人は無事か?」
「ジークはもう大丈夫です。蒼二は……」
「俺も大丈夫だ」
蒼依の視線を受けた蒼二が答える。
それを見た俺はホッと息を吐く。
報われない人生に終止符を打つためなら、どんな苦労だって買って出るつもりだが、可愛い弟子達を犠牲にしていたら、俺は一生悔やみ続けていただろう。
「俺達より、師匠は大丈夫なのか?」
「なんとか、な」
第一段階とはいえ【アクセル】を使用した反動で、全身の筋肉が悲鳴を上げている。だが、弟子の手前、泣き言を洩らすつもりはない。
「――師匠、ここに隠し扉があるぞ!」
奥に進んでいたジークの声を聞いて即座に駆け寄った。
ジークが見つけた隠し扉の奥には大きな部屋が一つあった。中央には巨大な魔法陣が描かれている。
俺達はその部屋の奥へと進んでいく。
「ここで、精霊の加護を得ることが出来るのか?」
「文献によると、奥の壁にある魔法陣に手をかざせば、新たな加護を得られるそうです」
蒼依が文献を片手に答えてくれるが……俺はおやっと首を傾げる。
「中央にある魔法陣じゃなくて、奥の壁にある魔法陣なのか?」
「ええ。奥の壁にある魔法陣が光っているでしょう? あれが光っているときは、手をかざすだけで精霊の加護を得ることが出来ると書いてあります」
「そう、か……」
本当に、加護を得ることが出来るんだな。
俺はずっと、加護がないという理由だけで報われない人生を送ってきた。だけど、そんな日々もこれで終わる。これからは、努力した分だけ報われる人生が待っている。
もちろん、俺は既に高レベルで、いい年をしたおっさんだ。けれど、それでも、努力でなんとか出来るのなら、もう一度――と、俺は前に進む。
………………ナ。……セツ……ナ。
誰かに呼ばれたような気がして足を止めた。
女性の声だった気がしたので、蒼依かと思って振り返る。
「……さぁ、師匠、精霊の加護を得てください」
「そうだぜ、師匠。これは、俺達からのプレゼントだからな!」
二人が誇らしそうな顔をしている。どうやら、俺は弟子達に一生掛かっても返しきれないような恩を受けたらしい。
「――ところで、その加護って、誰でも授かることが出来るのか?」
不意にジークが口を開いた。
「えっと……そうですね。誰でも授かることが可能です。ただ、一度誰かが加護を授かると、当分は授かることが出来ないとも書かれていますね」
蒼依が文献に視線を落としながら答える。蒼二も、釣られて文献に視線を落としていた。
だから、二人はジークの様子がおかしいことに気付かない。
だが、俺は嫌な予感を覚える。
「へぇ……その当分っていうのは、どれくらいの期間なんだ?」
「詳しくは分かりませんが……少なくとも一年か、それ以上は……」
「そうかぁ……なら、仕方ねぇ――なっ!」
「二人とも、避けろっ!」
ジークが剣を振り上げるが、二人は気付いていない。それを知覚した瞬間、俺は無意識に【マインド・アクセル】を起動させていた。
だが、だからこそ分かる。このままでは間に合わない。二人のどちらかが斬り殺される。
――なんて、させる訳ないだろ!
俺は【アクセル】を使って一歩を踏み出した。届かないはずの距離を、驚異的な踏み込みで詰め、二人の前に身体を割り込ませた。
背中に焼けるような痛みが走る。俺はその激痛に耐えかねて、ずるずると崩れ落ちた。
「師匠? 師匠っ!? しっかりしてくださいっ! いま、回復魔法を使いますからっ」
俺の負傷に気付いた蒼依が縋り付いて回復魔法を使い始める。俺の身体は優しい光に包まれるが――その回復魔法では間に合わないだろう。
それよりも追撃は大丈夫なのかと、必死にジークに視線を向ける。そちらは蒼二が反応していたようで、ジークに剣を向けていた。
「ジーク、どういうつもりだ!」
「……悪いな。俺も外れ加護だからな。ずっと自分の加護を変えたいと願っていたんだ。だから、一人しか加護を得られないのなら、この加護は俺がもらう!」
一瞬の隙、ジークが壁の魔法陣に取り付いた。淡く輝いていた魔法陣が強い光を放つ。
「ジーク、貴様ああああああっ!」
蒼二がジークに斬り掛かり、その胸を斬り裂いた。だが致命傷には至らなかったのか、ジークは身を翻して隠し部屋から飛び出していく。
「逃がすと思っているのかっ!」
「――蒼二、待ちなさい!」
「なんで止めるんだ、蒼ねぇっ、師匠が斬られたんだぞ!?」
「その師匠が先だからよっ!」
「――っ、分かった」
蒼二は俺の元にと駈け寄ってくる。
「蒼ねぇ、師匠の傷は!?」
「深手よ。付け焼き刃の回復魔法じゃどうにもならない。蒼二、ポーションはある?」
「たしか……一本だけ残ってるはずだ。師匠、飲んでくれ!」
蒼二がポーションの飲み口を唇に押し当ててくる。俺は咳き込みそうになるのに耐え、なんとかその中身を飲み下した。
ほんの少し身体に熱が宿るが、それ以上の勢いで身体から熱が消えていく。いままでも何度か深手を負った経験があるが……これは助からない。
そんな、残酷な確信を得る。
「……二人とも、もう、ごふっ。……良い。無駄だ」
「なにを言ってるんだよ師匠!」
「そうですっ! きっと助けて見せますっ!」
可愛い弟子二人が、俺のために必死になっている。
子供も、そして伴侶も得ることが出来なかった俺だけど、こんな風に弟子に看取られるのなら、それも悪くない。
「二人とも、分かってる、だろ。……受け入れろ」
冒険者は死と隣り合わせの職業だ。幾度となく知り合いを見送ることになる。蒼依と蒼二だって、俺がもう助からないことを分かっているはずだ。
「私のせい、ですね。師匠に加護をプレゼントしたいなんて言い出したから」
「蒼ねぇだけのせいじゃねぇよ。俺だって、同じ気持ちだった!」
「どっちのせいでも、ない」
ジークがあんな悩みを抱えているとは知らなかった。ジークが俺と同じように苦しんでいたのなら、あの状況で凶行に及んでもおかしくはない。
師匠でありながら、弟子の苦しみに気付かなかった俺の責任だ。
「聞いてくれ、二人とも。俺の……うくっ。遺言、だ」
「どうして、どうしてそんなことを言うんですか!」
「そうだぞ、師匠! 俺に奥の手を教えてくれるって言っただろ!」
「……すまない。だが、聞いて、くれ……っ」
俺はもう長くない。こうしているうちにも命の灯火が消えようとしている。だからその前に、師匠としての最後の務めを果たさなくてはいけない。
「二人とも、復讐に、囚われる……な」
「なんでだよっ! ジークは師匠を斬ったんだぞ!?」
「蒼二、許せと言ってる、訳じゃ……ない。……くぅ。……だが、お前達には、復讐に囚われて欲しく、ないんだ……だから……ぁくっ」
俺が逆の立場なら、ジークに蒼二や蒼依が斬られていたら、俺は自分の人生を費やしてでも、ジークに復讐しただろう。
だが、二人にはそんな日々を送って欲しくない。
「お前達は……まっすぐ、に、強く、なれ……はぁ」
「師匠がそう言うのなら復讐なんてしません。これからも、師匠が誇れるような弟子でいます。だから、だから死なないでくださいっ、お願いです、師匠。お願いですから……っ」
「蒼依……すまない」
「どうして、どうしてそんなこと言うんですかっ。すまないなんて、そんな言葉で片付けないでくださいよ! 一生に一度のお願いですからぁ……っ」
あぁ、悲しいな。可愛い弟子が初めてかもしれないわがままを言ってくれているのに、俺はそれを叶えてやれない。
でも、だからこそ、いまの自分に出来ることをするために、俺は最後の力を振り絞る。
「蒼二、お前はまっすぐだが、無鉄砲なところが、ある。蒼依の言うことを、よく……聞くんだぞ。それと、蒼依はなんでも……はぁっ。……はぁ。背負い込むところが、ある、から。お前が支えて、やれ……」
「……師匠、分かった。分かったから、死なないでくれよぉ」
蒼二が俺を見下ろし、ポロポロと涙を流す。ずいぶん大人になったと思っていたが、まだまだ子供だったみたいだな。
俺はもう支えてやれないのに、こんなんじゃ今後が心配だ。
「蒼依。お前は、姉として……蒼二のこと、うぐっ。……しっかり見て、やるんだ。だが……はあっ。一人で出来ないときは、蒼二を頼れ。お前達が二人で支え合えば、大丈夫、だ」
「……分かりました。師匠の教えを守って、二人で支え合って生きていきます」
「そう、か……」
蒼依はしっかりしているぶん、無理をするところがあるから心配だ。
だが、蒼依と蒼二。二人でなら、きっと乗り越えられるだろう。そんな風に考えていると、蒼依の顔が徐々に近付いてきて――俺の唇を奪った。
「あお、い?」
「師匠、お慕いしています。ずっと、師匠のことが好きでした」
「……知っていた。だが、俺は、キミのお母さんに……惚れて、いたんだ」
「私だって知っています。母から、自慢されたことがありますから」
「そう、か……」
紅葉の奴、娘に話していたとは……恥ずかしいじゃないか。
「私、師匠と同じ年頃に産まれたかったです。そうしたら、師匠はお母さんじゃなくて、私を好きになってくれたかもしれないのに」
「……蒼依は、紅葉の若い頃に……似て、いる、よ……」
徐々に目がかすんで、蒼依や蒼二の顔が見えなくなってくる。
「……そろそろ、お別れのよう、だ。成長を見届けたかったが……お前達なら、必ず超一流になると、信じて……いる。おまえ、たち……は、おれ、の……ほこ、り……だ」
「師匠……師匠! 俺、強くなるよ! 師匠が自慢できるような立派な冒険者になる!」
「私も、約束します! 誰よりも強くなって、師匠のおかげだって、みんなに自慢します!」
二人が俺に縋り付いて泣きじゃくる。
一流になるという俺の夢を、二人が叶えてくれるという。
独り身の冒険者である俺は、いつか人知れず朽ち果てると思っていた。そんな俺にとって、これほど幸せな最期はない。
二人が俺の代わりに夢を叶えてくれる日が、目に浮かぶようだ。
――だけど。
だけど、俺は夢半ばで死んでいく。
精霊の加護さえ、精霊の加護さえあれば、二人の成長を見届けることが出来た。二人と一緒に最強を目指すことだって出来たはずだ。
なのに、精霊の加護がない、たったそれだけで俺の願いは叶わない。
あぁ、悔しいな。もし努力でなんとか出来るのなら、どんな努力だって、どれだけの努力だって、いくらでも惜しまない。
だから、だから……もう一度。
消えゆく意識を繋ぎ止め、懸命に手を伸ばす。その手が温もりに触れた。その感覚を最後に、俺の意識は闇へと沈んでいった。
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