おっさん冒険者のやり直し 三度目の人生で、可愛い弟子と充実した日々を送る

緋色の雨@悪逆皇女12月28日発売

第1話

 陽の光が降り注ぐ草原に一陣の風が吹き、草の絨毯が波のように揺れている。まるで若草色の海を見ているような幻想的な光景だが、そこには明らかな異物が紛れ込んでいた。

 漆黒の毛並みに覆われた巨大な魔獣、冥界の番犬とも呼ばれるヘルハウンド。そいつが俺をまっすぐに見据え、威圧するかのように咆哮を轟かせた。

「やれやれ、ガルムの毛皮を集めるだけのはずが……こんな大物と遭遇するなんてな」

 予期せぬフィールドボスの出現に俺はため息をつく。

 ヘルハウンドのレベルはおよそ30。

 熟練の冒険者なら問題なく狩れる敵だが、ここは初心者に毛が生えたような冒険者がPTで狩り場にすることもある。

 放置しておくのは危険だと判断して、相棒ともいえる剣を引き抜く。


「かかってこい、犬っころ」

 言葉を理解出来るとは思わないが、ヘルハウンドが飛び掛かってくる。

 数百キロはある巨体の飛び掛かりは、まともに食らえば圧死する。

 なかなかの身軽さだが、それはあくまで巨体にしてはだ。予備動作の大きい飛び掛かりを喰らう理由はない。

 さっきまで俺の居た空間を巨体が押し潰したとき、俺は側面に回り込んでいる。魔獣の飛び掛かりに併せて、カウンターで剣を振り上げる。

 思わぬ反撃に魔獣は怯むが、その手応えは浅い。


「ちっ、やはり正攻法で硬い毛皮を抜くのは無理か」

 ならばと、俺は体内にある魔力素子(マナ)を練り上げて魔力に変換。頭の中で魔法陣を組み上げ、ヘルハウンドの鼻っ面めがけて【炎槍】を放った。

 初歩的な攻撃魔法で威力は低い。だが鼻っ面に直撃を喰らわせれば、いかにヘルハウンドといえども仰け反らずにはいられない。

 眼前に、ヘルハウンドの柔らかな腹が晒された。

 俺は腰だめに構えた剣を全力で突き出す。その一撃は柔らかい腹の毛皮を抜け、ぞぶりと肉に突き刺さるが――半ばで柄を握る手が滑ってしまう。


「――っ」

 ヘルハウンドの前足が襲いかかってくる。

 直撃コースで、回避は間に合わない。それを知覚するより早く、俺は奥の手の一つである【マインド・アクセル】を発動させる。

 視界から色が消え、時の流れが半分になったかのように知覚する。

 とっさに剣を離して身体を捻る。右腕を跳ね上げて前足に当て、その反動でわざと自分の身体を弾かせる。

 そうして大きく仰け反った俺の目前を、必殺の威力を秘めた前足が通り過ぎた。痛みに我を忘れたヘルハウンドは再び前足を振り上げるが――


「終わりだっ!」

 懐に飛び込み、半ばまで食い込んだ剣の柄に掌底を放つ。その衝撃で剣が柄まで沈み込み、ヘルハウンドが断末魔を上げた。

 それが消えると、ヘルハウンドは光の粒子となり、一部が俺の身体に流れ込んでくる。

 魔物や魔獣を倒したときに発生する現象で、冒険者のあいだでは経験値を獲得すると表現される。その光の粒子を取り込めば取り込むほどにレベルが上がるからだ。

 光の粒子が消えたとき、その場にドロップアイテムである拳ほどの魔石と、ヘルハウンドの毛皮が残った。俺はそれを拾い上げ、マジックバックへとしまった。

 予期せぬ戦闘を強いられたが、幸いにして依頼の毛皮も揃っている。少し切り上げるには早い時間だが、今日は酒場でのんびりするとしよう。




 狩り場から街道に出て、徒歩で一時間ほど掛けて町に戻る。

 そんな近い場所に町があるなんてと思うかもしれないが、狩り場で発生する魔物の多くは、その場から離れることが滅多にない。

 逆に言えば例外もあるが、狩り場やダンジョンは町の収入源になるので、近くに町や村が作られることは珍しくない。

 俺は踏み固められた街道を歩き、町の片隅にある冒険者ギルドに帰還した。


「セツナさん、お帰りなさい」

 なじみの受付嬢であるミーナが笑顔で出迎えてくれる。

 人当たりが良くて冒険者から人気もある受付嬢。俺より十歳ほど年下なので恋愛対象にはなり得ないが、この年まで独り身の俺にとっては癒やしとなっている。

「ただいま、ミーナ。依頼のガルムの毛皮と魔石、それと……」

 マジックバックを開けて、カウンターの上に依頼の品と一緒に、ヘルハウンドの毛皮と魔石を並べる。その瞬間、ミーナの目が丸くなった。

「この大きな魔石……まさかフィールドボスですか!?」

「ああ、ヘルハウンドが発生した」

「ヘルハウンド! た、大変です、すぐに緊急依頼を出さないと!」

「落ち着け。倒したから魔石がここにあるんだろ」

 ちょんちょんと魔石をつつくと、我に返ったミーナが恥ずかしそうに顔を赤らめた。少しそそっかしいところが愛らしい。冒険者達から人気があるのもよく分かる。


「そ、そうですよね。……あはは。私、なにを慌ててたんだろう――って、倒した? ヘルハウンドを一人で倒したんですか?」

「俺は基本的にソロだからな」

「ふわぁ、さすがセツナさんですね。この町の冒険者なら複数のPTで挑むレベルなのに、さすがはレベル60に達しただけありますね!」

「……まぁな。それよりミーナ、依頼達成の手続きを頼む」

 あまり触れられたくない話題になりそうなのを察して、手続きの催促をする。

「あ、そうでした。えっと……依頼は問題なく達成ですね。ただ、ヘルハウンドは緊急依頼を出していなかったので……」

「分かっている。通常の討伐報酬で問題ない」

 緊急依頼は町が危険に晒されそうな場合に出す依頼なので、依頼を出す前に倒してしまった場合には、当然ながら緊急依頼の報酬は入らない。

 むろん、それによって緊急依頼が出るまで狩ろうとしない冒険者なども現れるが、未熟な冒険者が報酬目当てで突発的に無茶をするのを防ぐ意味もある。

 俺の場合は無茶をせず狩れる敵が目前に現れたから狩っただけなので報酬に不満はない。ありがたく討伐報酬だけいただいておく。


「それでは、ガルムの毛皮を集める依頼と討伐報酬、それにドロップ品の買い取りでこれだけになります。問題がなければ冒険者カードを渡してください」

 金額に問題がないことを確認して、俺は冒険者カードに報酬を振り込んでもらう。それからカードを受け取ろうとすると、一緒に包装された小物を差し出された。

「……それはなんだ?」

「あの、クッキーを焼いてみたんです。以前、酔っ払った冒険者から助けてくれたお礼と、そ、その……今日から、ク、ククルのお祭りなので……っ」

 ククルのお祭りとは三日間開催される、異性にプレゼントを贈り、想いを伝えるお祭りのこと。ミーナの赤らんだ頬が、差し出したクッキーの意味を雄弁に語っていた。

「……すまないが、俺にはずっと想い続けている女性がいるんだ」

 決して手の届かない存在になってしまったが、それでも忘れられないでいる。紅葉(クレハ)が鮮烈な思い出を残していったおかげで、俺はこの年になってもいまだに独身だ。

「知っています」

「……む、話したことがあったか?」

「いいえ、でも、見ていたら分かります」

「そうか。つまり……俺の勘違いと言うことか」

 恋心を伝えたのではなく、日頃の感謝の印としてのプレゼント。いい歳のおっさんが、若い娘に告白されたと勘違いするなんてと己を恥じるが、ミーナは首を横に振った。

「勘違いではありません。私はただ、自分の想いを伝えたかっただけ。ですから、このクッキー、受け取ってください」

「そうか……なら、クッキーだけは受け取っておこう」

 気持ちを受け入れることは出来ないが――とは口にせず、冒険者カードと一緒にクッキーを受け取る。俺が言外に込めた意味を察したのか、ミーナは少しだけ寂しげに微笑んだ。



 依頼の報告を終えた俺は、冒険者ギルドの隣にある酒場にやってきた。それほど大きな町ではないが、冒険者ギルドの隣にある酒場はそれなりに賑わっている。

 俺は隅っこにある丸いテーブル席に腰を下ろした。

 ほどなくして運ばれてきたエールを片手に、周囲の若い冒険者達の会話に耳を傾ける。

 愚痴なんかも聞こえてくるが、大半のやり取りは夢や希望に溢れている。この町の周辺にある狩り場やダンジョンのレベル的に、初心者や中級者の冒険者が大半だからだろう。

 俺のようなおっさん冒険者は他に見当たらない。


 そろそろ潮時かもしれないな――と、不意にそんな考えが浮かんだ。

 俺にはおよそ十六歳より前の記憶がない。ダンジョンの入り口に倒れていて、それまでのことをなにも覚えていなかったのだ。

 生きるために、そしていつか一流になることを夢見て冒険者になった。けれど、努力を重ねてレベルを上げても、ほとんどステータスが伸びなかった。

 俺には誰もが十二歳で得るはずの精霊の加護がない。その事実に気付くまで、大した時間を必要としなかった。


 この世界には、レベルという概念がある。

 魔物や魔獣を倒すことで得られる経験値で上昇するレベルは、上げれば上げるほど身体能力や魔力、つまりはステータスが成長する。

 その上昇量は、自分の授かった精霊の加護によって決まる。

 レベルアップで上昇する基準値に加え、剣の精霊による加護を得ていれば、力や素早さといった剣術に影響するステータスの上昇量が増え、剣技の上達速度が上がる。

 加護にも下級、中級、上級、古級といったランクがあり、上昇量も変わってくる。

 だが、俺にはその加護がそもそも存在しない。

 ゆえに、レベルアップによる能力アップは常に基準値のみ。俺のステータスはすべて、同レベルの冒険者の中で一番低い数値と同じなのだ。

 レベルが上がるにつれて仲間達との力量はどんどん開き、やがて見限られた。

 だが、仲間を恨む気にはなれなかった。俺は剣士を名乗りながら、同レベルの非力な魔法職以下の筋力しかなかった。剣士として失格と言われても仕方がない。


 だが、俺は冒険者の道を諦めなかった。いや、記憶喪失の俺には、他に選択肢がなかっただけなのかもしれない。

 いまとなっては思い出せないが、どちらにしても俺は一流になることを諦めなかった。

 非力さを補うために敵の弱点を的確に付けるように剣技を磨き、それでも足りない火力を補うために魔法にも手を出した。

 素早く避けられないから、限界までの見切りや受け流しを可能とする体術を学んだ。あらゆる技術を学び、低いステータスを補う手段をいくつも見いだした。

 何度もぶつかる壁を、努力だけで乗り越えてきた。

 だが、レベルが60に達した頃に限界が訪れた。

 高レベルになるほどに、上昇には多くの経験値を必要とする。自分のレベルより遥かに低いレベルの敵を倒しても、経験値は入らない。

 レベルを上げ続けるには、絶えず自分と同程度のレベルである敵と戦う必要がある。


 けれど、60レベルに達した俺のステータスは、一般的な30レベル相当でしかない。

 自ら編み出した奥の手を使うことで、一時的にレベル相応の実力を発揮することも可能だが、身体への負担が大きすぎて連戦することは不可能だ。

 だが、レベルを上げるには、同レベルの敵と何百回も戦う必要がある。

 命を削って頑張れば、あるいはあと一つ、61には上げられるかもしれない。けれど、そこからもう一つレベル上げるには、更なる地獄が待っている。

 俺は一流になることを諦めた。


 だから、中級冒険者が集まる町での暮らし始めたのだが……蓄えはそれなりにある。生きるだけなら、無理に冒険者を続ける必要はない。

 一流にはなれなかったが、熟練の冒険者といえる程度には至った。俺にとってはここが最高の到達点。もう少ししたら歳で衰えていく日々が待っているはずだ。

 そうなる前に、引退してどこかに腰を落ち着けるのも悪くない。


「セツナ師匠、お久しぶりです!」

 不意に懐かしい声を聞いて顔を上げる。そこにたたずむのは、青い髪の少女と少年。訳あって俺が面倒を見ている姉弟だ。

 数ヶ月前、俺がこの街で暮らし始めてからは会っていなかった。

「蒼依(あおい)、久しぶりだな。しばらく見ないうちに女らしくなったか?」

「わぁ、ホントですか? とくに意識してなかったんですけど、師匠がそんな風に思ってくれるなら、凄く嬉しいです」

 蒼依が紫の瞳は輝かせ、花開くように微笑む。

「良く言うぜ、蒼ねぇ。髪が乱れてないかとか、さっきまで俺に聞いてたじゃないか」

「ちょっと蒼二(そうじ)、どうしてバラしちゃうのよ! ……ち、違うんですよ、師匠。私、そんなことしてないですからっ」

 二人が幼い頃から知っている。俺にとっては息子と娘も同然の存在。そんな二人の少し成長した、けれど以前と変わらぬ様子に安心して笑う。

「あぁもう、蒼二! 師匠に笑われちゃったじゃない!」

「なんだよ、蒼ねぇが嘘をつくからだろ」

「そういう蒼二だって、久々に師匠に会えるって浮かれてたじゃない!」

「当たり前だろ。俺にとって師匠は憧れの存在なんだから。蒼ねぇは違うのかよ?」

「そ、それは……もちろん、私にとっても憧れの存在に決まってるじゃない」

 俺をそっちのけで、姉弟喧嘩が始まる。


「二人とも、俺に用があるんだろ? ひとまず、席に座ったらどうだ?」

 美男美女の二人が騒いでいる姿は目立ちすぎる。

「それもそうですね。じゃあ、隣に失礼します」

「ズルいぞ、蒼ねぇ」

「反対側が空いてるでしょ? 貴方も椅子を持ってきなさい」

「そうするっ!」

 蒼二が近くの机から椅子を持ってきて、俺の隣に座る。二人掛けの丸テーブルなのに、半分くらいしか使っていない。……というか狭い。

「二人とも相変わらずのようだな。だが、蒼二はまた少し筋肉がついたか?」

「おうっ! 師匠のマネをして、毎日欠かさずトレーニングをしてるからなっ」

 冒険者はレベルアップによってステータスがアップするので重要視されないが、トレーニングでもちゃんと筋力は上昇する。

 むろん、レベルによる上昇量と比べれば微々たるものだが、ステータスの上昇量が低い俺には重要で、毎日欠かさずトレーニングをしている。

 蒼二はそれを真似しているのだ。百人に一人しか受けられないという、古の精霊による武術の加護を得ているというのにおごらない、素直で優秀な弟子だ。


 ちなみに、蒼依は魔術の加護を得ている。蒼二と同じく古の精霊による加護を受けていて、魔術全般の上達速度が非常に速い。

 二人のレベルは40に届く頃で、ステータスは俺より強くなっているだろう。

 だが、もし俺より強くなったとしても、二人が俺を師匠と慕ってくれている限り、二人が俺にとって可愛い弟子であることには変わりない。

「よし、再会の祝いだ。今日は俺のおごりだから、二人とも遠慮なく食え」

 俺は二人が好きな料理を注文、雑談に花を咲かせながら夕食を楽しんだ。

 二人はこの数ヶ月、ダンジョンに挑戦する傍ら、様々な文献を漁ったりしていたらしい。


「それで俺達、師匠に折り入って話があるんだ」

「なんだ、かしこまって」

「精霊の加護についてだ」

「――っ」

 唇を噛んで、顔が歪みそうになるのを堪(こら)えた。

「蒼二っ、言い方に気を付けなさい!」

「わ、悪い」

「私じゃなくて、師匠に謝りなさい」

「師匠、ごめん」

 蒼二が叱られた子犬のように項垂れる。

「いや、急のことで驚いただけだから気にするな」

 可愛い弟子達の手前強がってみせるが、俺にとっては報われない人生の原因でもある。なんでもない風を装ったつもりだが、内心を隠しきれていないのだろう。

 二人は困ったような顔をする。

「そんな顔をするな。お前達のことだから、俺の事情を知った上で話す必要があると判断したんだろう? かまわないから話してみろ」

 俺の言葉に、二人は顔を見合わす。それから頷きあって、蒼依がじっと俺を見る。

「師匠、もしも精霊の加護を得る方法を見つけたと言ったら……どうします?」

「まさか……ありえない」

「いいえ。信憑性の高い話です」

 努力をしてレベルを上げれば上げるほど、他の者達に置いて行かれる。そんな報われない人生の原因となったのは、精霊の加護がないという、たった一つの事実。

 その原因を解消できるかもしれないと聞かされ、一度は諦めたはずの最強への渇望が甦る。

 いま加護を得たとしても、いままで上げたレベル分に補正が掛かる訳ではないだろう。

 だが、精霊の加護を得て1レベル上げれば、次の1レベルはほんの少し上げやすくなるかもしれない。少なくとも、努力するほどに苦しくなるという負の連鎖からは解放される。

 最強への道が開けるのなら、俺はどんな努力だって惜しまない。

 冷め切っていたはずの身体に、たしかな熱が宿った。

 

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