第34話

 金田家から帰宅した龍幸は、すぐに夕飯の準備にとりかかった。


 土鍋に白菜やニンジン、鶏肉などを敷き詰めていく。寒くなってきたあたりから住民権を得る鍋料理は、その手軽さから龍幸にとって心強い味方となっていた。


「ハナちゃん追いかけていった後、2人で何してたの?」


 父娘で鍋をつつく中で尋ねると、ゆわは宙に目を向けて記憶を巡らせる。


「うーん、おにんぎょうであそんでたのもあったけど、けっこうおハナシもした」


「へー、何の話?」


「おばあちゃんとか、ようちえんとか、ガリドリとか……あと、リコンのこと」


 白菜が喉につまり、激しく咳き込む龍幸。


「り、離婚っ?なんでそんな話……」


「ハナちゃんがいってた。リコンだから、おとうさんがいないんだって」


 その通りである。

 であるが、まさか園児の会話で飛び出すとは。きっと本質的には理解していないのだろうが、大人にとっては心臓に悪い言葉である。


「ゆわ、離婚って、あんまり他の人に言っちゃダメだよ?」


「なんで? ワルいことなの?」


「悪いこと……なのかなぁ」


「はんざいなの?たいほされるの?」


「されないされない!そんなに悪いことじゃないよ!」


 心臓に悪い言葉のオンパレードである。どこで覚えてくるのか。


「離婚っていうのは、色々あってお父さんとお母さんが別に暮らすことだよ」


「ダメじゃん!フコウじゃん!」


 漫才師のような速度で、5歳児からツッコミが飛んだ。


「いや、不幸ってわけじゃないこともあって……」


「なんで? おとうさんもおかあさんもハナちゃんも、みんないっしょのほうがいいじゃん。みんなたのしくなって、シアワセじゃん」


 純白な意見を前にして、龍幸はむしろ腹が決まる。ここは逃げてはいけない。


「ちょっとタイム!」


 熟考の機会を得ると、龍幸は箸を置いて腕を組み、頭をぐるぐる巡らせた。

 

 ゆわはしかめっ面で父を待つ。

 鶏つくねを冷まそうとするその息づかいにさえ、若干の苛立ちが感じられた。


 1分ほどの脳内会議を終え、龍幸は第一声、こんな言葉を用意した。


「ゆわ、あのね。幸せって、人によって違うんだ」


 意外に感じたのか難しかったのか、ゆわは目を丸くし、咀嚼を止めた。


「例えば、そうだな……プリンとコーヒーゼリーだったら、ゆわはどっちが好き?」


「コーヒーゼリーって、あのくろくてにがいヤツ?」


 肯定すると、ゆわは「うえー」っと顔をしかめた。


「そんなのプリンにきまってるじゃん」


「うん、そうだよね。でも実は……お父さんはコーヒーゼリーの方が好きなんだ」


「えええっっ」という叫びと共に、ゆわは全身で驚きを表現する。


「なんでっ?あんなにがいのに!」


「ゆわ。今まで秘密にしてたけど……お父さんは、苦いのが好きなんだ」


 瞬間、父娘の心の距離が離れていく。

 ゆわは考えられないといった冷たい目を龍幸に向け、なぜか大根を一口かじった。


「え、じゃあおとうさん、ピーマンすきなの……?」


「ピーマンもセロリも好きだよ」


「まっちゃのアイスも……?」


「あー、たまに食べたくなるね」


「まさか、サカナのにがいところも……?」


「あ、すみません。それはお父さんも苦手です」


 ゆわは「あぶなかった……」と安堵する。魚の内臓だけは許容できないらしい。


「つまりね、ゆわにとってコーヒーゼリーは嫌なものだけど、お父さんからすれば嬉しいものなんだ。その逆もあって、ゆわはプリン大好きって言うけど、嫌いな人もいるんだ」


「そ、そんなヒトいるの……?」


「いるよ、たぶん。それと同じで、ゆわが不幸だと思っていることでも、別の人からしたら幸せかもしれない。だからハナちゃんのお父さんとお母さんが別々に暮らすのも、2人にとってはそれが幸せだって考えたからかもしれないんだ」


 そう締めると、ずっと口が半開きだったゆわはここまでの説明を無理やり飲み込むように、麦茶をグッとあおった。


 そしてポツリと呟く。


「……じゃあウチは……」


 しかしその後には続かず、食卓に不思議な沈黙が流れる。


「ウチは、何?」


「いや、何でも……」


 誤魔化そうとし、さらに不自然な空気が生まれる。ゆわはそれを嫌うように声のトーンを上げ、まっすぐな瞳で訴える。


「でもそれじゃあっ、だれがフコウなのか、わかんないじゃん」


 他人が不幸なのかどうか、目で見て耳で聞いたことだけでは判断できない。人は本当の意味で、他人の不幸を見つけることはできない。


 ゆわの口にした絶望は、否定しようのない真理でもある。大人になるにつれ、いつしか悲観さえしなくなる不幸の価値観の差異。


 ゆわにはまだ絶望を感じる余地があるのだと、悲しく理解したその刹那、繋がる。


「そう、そうなんだよゆわ。だから、くだんはすごいんだよ」


「え、くだん?」


「そう。くだんの力でゆわは人の不幸を見つけているでしょ。それって本当にすごいことなんだ。大人の多くができなくて、諦めていることなんだ。だからその力で人助けしたいって頑張るゆわは、大人よりもずっと正しいんだ」


 ゆわには難しかったらしく、頭を揺らしていた。


「ごめん、ちょっと難しかったね」


「うー……うん、でも、ちょっとわかる」


 くだんの話題を避けていたゆわだが、多江によるトモヨの話を求めたのは、くだんに関する何かを得たいと考えたからだろう。


 ゆわはくだんとの邂逅からヒーロー的行動という自己肯定の置き場を見つけた。ならば未来予知が苦悩の対象になった今でも、それ自体がゆわを救済する一因になりうるかもしれない。


 龍幸は本能的に、まだゆわにはくだんが必要だと感じていた。


 夕食後から入浴時、布団に入るまでゆわは何やら思考の海に潜っているようだった。龍幸はそれを静かに見つめ、想像もつかない彼女の次の言葉を待つ。


 並んで布団に入り、照明を消して数分後のことだ。


「……きょう、ハナちゃんのミライみた」


 重い口を開き、話し始めた。

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