第32話
門をくぐると、落ち着いた佇まいの平屋住宅が龍幸らを出迎えた。庭には芝生が広がり、松の木々はどれも絵に描いたような端正さを誇っている。
「金田さんち久々ー。ハナちゃんが生まれた時以来かな」
こんな感想を口にしたのは桜だ。
多江の話を聞いて興味を示したらしく、意気揚々と志河父娘に同行していた。
「桜ちゃんは聞いたことないの? 多江さんのくだんの話」
「聞いた覚えはありますけど、忘れましたね、はい」
玄関で3人を出迎えたのは多江だ。
流子は用事があり外出しているらしく、家の中はシンと静かな時間が流れていた。
ゆわがキョロキョロと見回す。
「ハナちゃんは?」
「どこだろうねぇ。まあ家の中にはいるから、あとで顔を出すでしょ」
多江とハナは、いまだ仲直りには至っていないようだ。
客間に3人を通すと、多江は急須で丁寧にお茶を淹れる。
「相変わらずエラい髪してるわね、あんたは」
「いやぁもうコレじゃないと逆に落ち着かないっていうか、ピンクあっての私です」
「何言ってるのかよくわからないけど、良いじゃない。若いうちに好き放題やっちゃいな」
グッとサムズアップする多江に、桜は「へへ」と照れ臭そうに頭を掻いた。
「さて」と多江はひとつ間を置くと、じっとゆわを見つめる。
「ゆわちゃん、くだんの話聞きたいって?」
「うん。くだんのことしりたい」
率直な返答に、多江は喜びを頬に浮かべた。
「桜にも話したことあるよ、あんたが小さい時」
「いやーそれが全然覚えてないんだよねー。なんでだろう」
「あんたは落ち着きのない子だったから、そもそも聞く気がなかったんでしょ。それがなんで今になって?」
「それはほら……人は変わるんだよ、多江ばあちゃん」
「まあ良いや。それで、流子からどこまで聞いたの?」
今度は龍幸に向いた視線。
龍幸が流子の言葉をそのまま告げると、多江は小さく笑う。
「ほぼ何も聞いてないじゃない」
そうして多江は、在りし日のくだんとの思い出を語り始めた。
「私はね、ちょうどゆわちゃんくらいの頃、くだんの子に命を救われたの」
幼少期の多江は、親の目を盗み家を飛び出しては、よく冒険していた。
その夏の日も多江は、たった1人で近所の山を散策していた。
その最中、傾斜に立つ木にカブトムシが止まっていると気づく。猪突猛進で駆け出した多江だが、次の瞬間。
「あぶないよっ!」
背後から飛んできた声に驚き、多江は急ブレーキ。そこで初めて、傾斜が雨でぬかるんでいることに気づく。
転倒するも直前で留まったため大事には至らなかった。もし止められなかったら、転げ落ちてタダでは済まなかった。子どもながらに多江は身震いしたという。
「よかった、まにあった」
そう言って多江に手を差し伸べたのは、近所に住む1個上のトモヨだった。
号泣する多江の手を取り、トモヨは彼女を原っぱまで連れていく。木漏れ日の差す大ケヤキの下、多江が泣き止むまでトモヨは、その手を握り続けていた。
落ち着いたところで、多江はトモヨに尋ねた。
「なんであそこにいたの?」
「タエちゃんがあぶないっておもって、ついてきたの」
「なんであぶないってわかったの?」
トモヨはキョロキョロと周囲を確認すると、耳元で告げる。
「わたし、くだんなの。たまにミライがみえるの。ナイショだよ?」
その日を境に多江にとってトモヨは、ただの近所の子ではなくなった。
毎日のように共に遊び、トモヨの未来予知を最も間近で見続けた。
トモヨが能力を発揮する機会はけして多くはなかった。しかし予知した未来はすべて当たっていて、その度に多江は羨望の眼差しを送っていた。
だがトモヨが小学校に上がったことで、2人の関係は少しずつ変わっていく。
2人とも小学校や幼稚園での友達と遊ぶようになる。飽き性の多江はいつしかくだんなど忘れてしまっていた。
ただ多江が1年遅れて小学校に上がったことで、登校途中トモヨとしばしば顔を合わせるようになる。
多江は久々に、くだんの話題をトモヨへ振った。
しかし、トモヨの答えは意外なものだった。
「……くだんはもう、いい」
それ以来、トモヨとくだんの話をすることはなくなった。
「あの時のトモヨちゃんの顔、今でも忘れられない。悲しそうな、怒ってるような」
遠い目をする多江。
次の言葉を口にすると、それが昔話の終わりを告げる合図であるかのように、深く深くため息をついた。
「何か、嫌な未来でも見ちゃったのかもね」
つい龍幸はゆわを盗み見る。
ゆわは最初から最後までじっと黙って聞いていた。
それはけしておとぎ話を聞くようなものでない、誠実な態度であった。
桜は小さく挙手をする。
「それで、トモヨちゃんって子は今どこに?」
「私が小学校3年になる前かな。隣町に引っ越しちゃった」
「えー」と残念そうな声を上げる桜。
追随して龍幸も尋ねる。
「でも、隣町なら会いに行けますよね」
「確かに! 名前さえ分かれば……」
「それは無理よ」
多江は力なく、寂しそうに笑った。
「風の噂でね、去年亡くなったって」
「え……」
「この歳になれば、もう珍しいことじゃないわ」
龍幸も桜も、思わず閉口してしまう。
「なにがなくなったの?」
ゆわの疑問に、多江はするりと返答する。龍幸や桜が息を呑む間もなく。
「もう会えないってことよ」
ゆわは「ふーん」とそれ以上、踏み込むことはなかった。
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