第25話

 予知した予定日の空は、いつにも増して日差しに容赦がない。洗濯物は午前中にはすっかり乾き、テレビからは熱中症の警戒を呼びかける声が幾度となく聞こえる。


 列島が気温に注目する真夏日、とある家族へ新たな生命が与えられようとしていた。


 だがその一家の長女はいまだ、実家から徒歩1分の簡易的な家出を続けている。


 昨晩、桜とゆわが風呂に入っている間、龍幸は五郎に連絡していた。


「ごめん……今、迎えに行くから。本当にごめん……」


 五郎はこう、か細い声で告げる。

 だが直後に電話相手が変わった。洋子だ。


「ごめん龍幸くん、今日のところはウチのアホ、預かってもらっていいかな?」


 奥で何か言っている五郎を一喝し、洋子は続ける。


「桜もウチの人も、少し距離を置いた方がいいわ。何よりあんまり空気が重苦しいと、生まれてくる子までネガティブになりそう」


 笑い合った後、龍幸は改めて了承した。初産にも関わらず、洋子は臨月になっても結局カラッとしたままだ。


 洗濯物を取り込んでいると、家から桜の悲鳴が響いた。それに追随してゆわの笑い声、そして微かにコミカルなBGMが聞こえる。スマホゲームで遊んでいるようだ。


「あ、もう12時だね。それじゃあお昼ごはんは、私が作っちゃおうかなー」


「え、いやいいよ。それより桜ちゃんはそろそろ……」


「ゆわちゃんも一緒にやろー」と桜はゆわを連れて行く。


 お風呂も布団も共にしたせいか、女子2人はより懇意な仲になっていた。


 食卓に並んだのはオムライス。

 見た目はけしてキレイではなかったが、それすらも笑いのタネとなる。桜とゆわは台所でも食卓でも常に笑い合っていた。


 そして桜は、何かを恐れているかのように、いつもにも増して口数の多かった。


「桜ちゃんはそろそろ帰った方がいいよ」


 食べ終わってから龍幸が告げると、居間は一瞬にしてアウェーになった。


「まだいいじゃないですかー。まだ1時ですよー」


 ゆわが予知した時間は、5時。確かにまだまだ時間はある。


「ダメだよ。その時間までに、五郎さんと仲直りしておいた方がいいよ」


「大丈夫ですってー。そんな大したことじゃないですから」


「いや、大したことだよ」


 この辺りでゆわは雰囲気を察し、口を挟まなくなった。しかし桜は対照的に、より反論に力がこもっていく。


「うちの問題ですから。志河さんが首突っ込まなくてもいいじゃないですか」


「1泊してる訳だし、関係ないことはないよね」


「珍しく力技ですね。いつスイッチ入ったんすか。あ、父親に何か頼まれました?」


「五郎さんはこういう時、人に頼るタイプじゃないよ。娘なら知ってるでしょ」


 桜は小声で、しかし聞こえるように「知らねぇよ」と呟く。険悪になる龍幸らを見て、ゆわはあたふたしていた。


「じゃあ私のため、とでも言うんですか。勘弁してくださいよ。言ったじゃないですか、間違った気遣いは面倒なだけなんですって」


「桜ちゃん前に言ったよね。言わぬが花とか言ってないで、思いは言葉にすべきだって」


「……そんなこと言いましたっけ?」


「言ったよ。それ聞いた時、僕はものすごく感心したんだよ。でも教えてくれたはずの桜ちゃんができてないじゃん。気遣いが鬱陶しいなら、ちゃんと言いなよ」


「だから今言ったじゃないですか、面倒だって」


「何で僕には言えるのに、五郎さんには言えないの?」


 途端に議論は途切れる。

 返答を失った桜は、悔しそうに口をしかめた。


「コミュニケーションを取ろうとしないで一方的に嫌うのは、ズルいよ」


「……ハナからウソで予防線張っている人の方が、ズルいと思います」


 やはりというべきか、根源には彼女の人生における最も大きなウソがあった。


 本当にウソというものは、取り扱いが難しい。あるいはウソなんて、きっかけが善意か悪意かなど関係なく、誰かを傷つける結末にしか帰着しないのかもしれない。


 そうは思っても龍幸が引き下がらないのは、そこにある善意を、見捨てられないからだ。


「桜ちゃん分かってるだろ。そのウソは君のためを思ってのウソなんだって。利己的な目的なんてないんだよ。五郎さんは、いつでも桜ちゃんの幸せを考えて行動してるんだ」


 その時、桜はゆわを一瞥する。

 ゆわもまた、同じタイミングで桜の方を見た。


 ゆわは少し驚いたような顔をし、桜は複雑そうに唇を噛む。


「だからちゃんと向き合って、五郎さんと対話しようよ」


 それから龍幸、そしてゆわは静かに反応を待った。時間にしてほんの数秒。


 沈黙の末に桜が見せたのは、いまだ世界を拒もうとする偽物の笑顔だ。


「親って勝手ですよね。幸せの価値観を押し付けて」


 言い出しこそ声を詰まらせていたが、しゃべるごとに唇は潤滑に働く。


「ウソで騙す方が幸せって思っているんですか、志河さんも父親も……それで私が喜ぶって勝手に妄想して、でもきっちり父親面して……それって本当に私のためなんですか?」


 桜は口数が増えるほど、感情的な言葉を生み出す傾向がある。それだけならいいが、時に本心とは異なるウソを吐き出すこともある。


 龍幸は本能的に勘づいた。

 今の桜はまさに、悲しく「悪いウソ」をつこうとしている。


「本当はウソをついている方が、楽だったんじゃないですか? 説明が面倒だから、先送りしてるだけじゃないですか? グレるのが怖かったんじゃないですか? いつか生まれる自分らの子を普通に育てるために、子育ての練習がしたかっただけじゃないですか?」


「そんな訳……」


「そんな訳ないって、私も思いたかったですよ。でも正解が分からない以上、可能性は無限にあって、それだけイヤな想像も増えて……頭がおかしくなりそうですよ」


 声は震え、目には涙が溜まっていく。それでも桜の瞳には、泣いたら負けだと言わんばかりの燃えつきそうな怒りが映る。


「私のためって気持ひとつでウソは許されるんですか? 私からすればウソをついている行為そのものが……おまえは本当の家族じゃないって、宣言に聞こえるんです」


 刹那、ガラスが割れたような鋭い音が、庭から居間へ飛び込んできた。


 1秒も経たず、龍幸と桜は同じ予測に至った。顔を見合わせ、網戸を開く。


 そこには顔を青ざめさせる、五郎がいた。

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