第24話

「ちょ、ちょっと落ち着こう……」


 それは桜に言ったのか自身に言い聞かせたのか。龍幸は台所へ向かうと緑茶の入った湯飲みを2つ持って戻ってくる。


 桜が気になったのは、ゆわだ。

 逃げるように2階へ上がって行った彼女。不都合な会話でもしていたのか。だとしたら悪いことをしてしまった。


 そうして目の前にいる大人はというと、ものすごくソワソワとしていた。ひとまず桜から切り出す。


「どうやら私と志河さんが肉にふけっている間に、学校から電話があったらしくてですね」


「それって……先生とやり合った件で?」


「そういうことです。あのオバハン流石です。一番の嫌がらせが何か分かってる。ていうか狭い田舎なんだから、母親が出産間近だって知ってるだろうに。わざわざ面倒事を……」


 愚痴るほどにハラワタが過熱されていく。桜は早々に語調を変えた。


「まあお母さんは笑い飛ばしてましたけど」


「じゃあ、五郎さんに怒られたの?」


「……いや、怒られたって感じじゃないですね。注意レベルです」


 拍子抜け、と龍幸の顔に記載される。


 そこで桜は家出の理由、ひいては父への不満の正体を明かした。


「気遣いが鬱陶しいのですよ」


 結果としてこの一言が、彼女にとってトリガーとなった。


「別に私はバトッたこと、何にも気にしてないんです。むしろやったった感で満腹ですよ。なのにあの父親は何回も話聞くぞとか言ってきて……あげく三者面談しようとか提案してきたので、ついに我慢の限界に達しまして、現状に至ります」


 今まで積み上げられてきた父親に対するストレスが、次々に露わとなっていく。


「あの人は昔からそうなんです。距離感が自然じゃないんです。親子とはいえ異性なんだから、男にはわからないこともあって当然じゃないですか。そういうのにも踏み込んでくるんです。お母さんに任せて、一歩引いてくれればいいのに」


 桜の語気に気圧されてか、龍幸は口を挟まず聞き続ける。


「何より、気遣いが的外れなんです。例えば進路。前に言いましたけど、私は上京とか全く興味ないんです。ただそれを伝えると父親はいつも、ウチのこと気にしなくていいんだぞと言うんです。私のこと、家族のために家に残ろうとする健気な少女のように思ってるんです。別に東京に興味ない若者だっているっての。つまりそういう自分の中にある娘の偶像に、私をはめ込んで考えてるの。それが腹立つんだよ。最近も弟が生まれることで私が寂しがるとか考えているのか分からないけど、輪をかけて過干渉になってるのが本当ムカついてどうしようもないっての……はい、ご静聴ありがとうございました」


 ここまでさらけ出せば、いやでもスッキリするというものだ。デトックスの叶った桜とは対照的に、龍幸の心は非常に複雑だった。


「うん……まあ、言いたいことはわかったよ……」


 桜の演説に対するレスポンスは、たったそれだけだった。思うところはある。しかし龍幸は明確に議論を避けた。


「それより家出の件だけどさ……予知した日は明日だよ? 大丈夫?」


「大丈夫です。ゆわちゃんが予知した夕方の5時までには戻るんで。父親も私も、一旦頭を冷やした方がいいです。ただ志河さんには迷惑かけてしまうんですけど……」


「いや、僕は全然構わないよ。むしろ今日のところはありがたいかも……」


 桜が「何故?」と言うよりも早く、引き戸が勢い良く開いた。


「サクラちゃん、ウチとまるのっ?」


 どこへ隠れていたのかゆわは、桜をキラキラとした目で見つめた。




 何の気なしに洗面台の棚を見上げる桜。

 見覚えのあるビニール袋がはみ出ていた。龍幸と行ったドラッグストア、その袋に入ったままの詰め替えシャンプーが無造作に置かれている。


 そしてその奥には、それとまったく同じ商品が2つ、鎮座していた。


 志河さんって忘れっぽい人なんですかね。なんてな。


「サクラちゃん、なにしてるのー?」


 ゆわが風呂場から顔を出す。

 下着姿で他人の家の棚を物色。確かに何をやっているのか。


「何でもにゃーい。あ、ゆわちゃんもうお風呂入っちゃったの。体洗ったー?」


「いっかいながしたよ。カラダあらうのは、あったまってからでしょ」


「ああ、ゆわちゃんちはそうなのね。じゃー私も、郷に従いまーす」


「ゴーゴー」との応援が飛んでくる中、桜は首から下を一度流し、入浴する。


「あれ、ゆわちゃん目の下が赤いよ。どうしたの?」


「え、あー、ううん。なんでもない」


 するりと話題を変えられ、桜は思わず苦笑する。何やらごまかす能力が向上している。涙の跡が見られるあたり、やはり私が来る前には愉快でない会話があったのか。


「ねえサクラちゃん……サクラちゃんはゆわに、ウソついてる?」


「え、ウソ? なんのウソ?」


「ゆわのこととか、このセカイのこととか」


 質問が壮大すぎて桜は静かに衝撃を受ける。考えたところで、答えはひとつだ。


「ついてないよ。桜ちゃんは本当のことしか言いません」


 軽いノリで回答した割に、ゆわは心底ホッとする。


「でも何で? 誰かにウソつかれちゃったの?」


「……おとうさんが、ウソついてるかも」


 そのウソの内容を聞く勇気は、桜にはなかった。裸の付き合いといえど、無理だ。ゆわの顔にある悲しみの痕跡が、その重さを物語っている。


「ゆわちゃん、あのね。もしも志河さんがウソをついていたとしても、それってたぶん、ゆわちゃんのためなんだと思うな」


「……いいウソなの?」


「そうそう、いいウソだよ。だって志河さんがゆわちゃんにイジワルなんて絶対しないもん。志河さんはゆわちゃんが大好きで、いつもゆわちゃんのこと考えてるよ?」


 それでも不満そうなゆわは、口まで潜りプクプクとさせる。


「ゆわちゃんは志河さん好きじゃないの?」


「すきだけどー、シカワサンちょーだいすきだけどー……ウソは、キライ」


 思ったよりも根は深いようだ。

 頭を悩ませる桜へ、キラーパスが飛んでくる。


「サクラちゃんも、ゴローさんにウソつかれてたんでしょ? イヤじゃないの?」


 ぐうの音も出ないというが、桜はリアルに「ぐう」と唸った。


 そうだった。私、思いっきり親にウソをつかれていた。


「……そうだね。やっぱウソってよくないね。私もウソキライ。あとゴローサンもキライ」


「え、あ、いや……ゴローさんはやさしいって、ゆわはおもうよ」


 園児に論破された後の、園児による気遣いである。


「優しさなのよ、ウソって。でも優しさって面倒臭いのよ。はーもう、めんどくさ」


 およそ教育上よろしくない台詞を吐く桜に、ゆわは「ほー」と感心する。


「やさしいがめんどくさいのかー。サクラちゃんって、やっぱヘンだね」


「そーね。ゆわちゃんは私みたいになっちゃダメだよ」


「えーやだ。ゆわ、サクラちゃんみたいになりたい」


 思わぬ好評価に、つい顔がにやける桜であった。


「どうしたらサクラちゃんみたいな、テンネンになれるのかなー」


「……ゆわちゃん。それ、誰が言ったん?」

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