第19話

 ショッピングセンターに行った日から、ゆわはより妙な雰囲気を纏うようになる。ぼうっと宙を眺め、時には何か振り払うようにブンブンと首を振っていた。


 そんな中、龍幸は不思議な話を耳にする。


「志河さん、あの……」


 幼稚園の駐車場にて、ママ友の中林が手招きする。


「大した話じゃないんですけど、リンが昨日、ゆわちゃんに変なこと聞かれたって……」


「変なこと? 何です?」


「リンちゃんってお父さん何人いる、だって」


「へ、変なことですね……」


「でしょう? 何だか私も気になっちゃって……」


 その噂話が引き金となり、いよいよもって本格的な不安が胸を占める。


 果たしてその夜、龍幸は覚悟を決める。自然に、まるで明日の朝食のリクエストを聞くように、ゆわへ話しかけた。


「あ、そういえばさ、ゆわ」


 うつ伏せになりながら、タブレットで動物の動画を鑑賞するゆわ。「なーにー」と返事をするだけで、龍幸には顔を向けない。


「リンちゃんに、お父さん何人いるか聞いたんだって?」


 次の瞬間、ゆわは動画を停止させる。

 ゆっくりと振り向き、凄みのある声を発した。


「だれが、いった……?」


 この緊張感はあまりに想定外で、父の語気はみるみる弱まっていく。


「えっと今日ね、リンちゃんのお母さんから聞きまして……」


「くっ……ナイショっていったのにっ……!」


「いや、あの……怒っているんじゃないよ? 何でそんなこと聞いたのかなーって……」


 思いがけずお説教しているような雰囲気となったため、龍幸は空気を和らげようと言葉を選ぶ。


 が、気づけばゆわは涙の始まりを予感させる表情をしていた。


「ゆ、ゆわ、お父さん怒ってないよ、ホントだよ?」


「ちがうっ……そうじゃ、なくて……」


 否定を口にしながらも、涙の堰にヒビが入っていく。そうなればもう何もかもが手遅れである。あっという間に氾濫し、涙で濡れた悲鳴が轟く。


 ただその中でも、ゆわは嗚咽の間から何かを伝えようと言葉を紡ぐ。


「おとうさんがっ、おとうさんじゃなかったらっ……ゆわヤダよぉ……」


「えっ、お父さんが何てっ?」


「おとうさんが、いなかったらっ……ゆわ、よるひとりでおトイレいけないぃ……」


「えっ、トイレっ? 何でトイレっ?」


 大パニックの龍幸に大洪水のゆわ。

 いよいよ混沌とし出したところで、突如ゆわが決定的な言葉を口にする。


「サクラちゃんがっ、ゴローさんにっ、ほんとうのおとうさんじゃないっていうから……」


「……え、ちょっと待って。桜ちゃんが五郎さんに、そう言ったの?」


「ミライのサクラちゃんがいったぁ。それをいまのサクラちゃんにいったら、そうだって……」


「いや、そんな訳……」


 桜が五郎に「本当のお父さんじゃない」と言う未来。


 そしてそれを知った「今の桜」の反応。


 そんなこと、あるはずがない。


 何故なら桜は、両親と血縁がない事実を、まだ聞かされていないはずなのだから。


「バレてしまいましたねぇ」


 桜である。いつの間に家に入っていたのか、廊下からひょっこり顔を見せる彼女。


 自身の境遇や存在、すべてが滑稽であるかのような、自虐的な笑顔がそこにあった。

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