第16話
「なるほど、これが都会のナポリタンですか」
桜は何度も頷き、仰々しく口をティッシュで拭う。
キョトンとする龍幸とゆわ。
辟易しながらも、龍幸が代表して告げる。
「いや普通だよ。普通のおじさんが作ったナポリタンだよ」
「いえ、都会のおじさんが作ったナポリタンですよ、これは」
いつの間にかやってきて、昼食の場にも同席している桜。
龍幸にも意味不明なイジりを披露し、ゆわの頭にハテナを植え付けている。相変わらずの変人ぶりだ。
不毛なやり取りを終えると、桜は満足げに部屋を見回した。
ところどころに貼られたガリドリのシール、無造作に重ねられている幼稚園のプリントや育児書の数々、☆印や落書きの書かれたカレンダー。
父娘からすれば日常となったこの景色も、お隣さんは別の印象を受けるらしい。
「立派にゆわちゃんちやってますね、この家も。いっぱしに生活感出しちゃって」
「そんな風に感じるんだ」
「そりゃだって、ひいばあちゃんが住んでた時期から不遇の空き家時代、そして現在までずっとお隣さんですから。小さい頃はここで、空姉ちゃんとかくれんぼとかしてましたよ」
桜の口からその名前が出ると、いまだに妙な違和感を覚える。
「そらねえちゃんって、おかあさん?」
ゆわの問いに、桜は返答をためらう。
声のトーンを落とし、丁寧に語りかけた。
「うん。私が小さい時、よくゆわちゃんのお母さんと遊んだんだよ」
ゆわは「ふーん」と応え、フォークに巻いたナポリタンを食べる。端にケチャップをつけた口が、そっけない声色で一言。
「へんなの」
龍幸が皿を洗っていると、珍しく桜が手伝いにやってきた。
「ゆわちゃん、なんかおとなしいですね。カミナリでも落とした感じですか?」
「うーん。カミナリ落としたら、誤って僕も感電しちゃった」
「なんですかそれは」
食器に残った水滴を手際よく拭き取りながら、桜はむうと口を尖らせる。
「子育てって、大変なんですねえ」
「どうしたの急に。そんな悩みを持つのはまだ早い……こともないのか」
近々、桜の家には赤ちゃんがやってくる。
年の離れた姉となる彼女にとっても育児の2文字は無関係と言えなくなるのだ。
「めっちゃ楽しみなんですよ、弟ができるの。でも、ちょびっと不安……いや不安は言い過ぎだな。何かこう、ブルー?」
「洋子さんと五郎さんが構ってくれなくなる、とか?」
茶化してみると桜は「いやいや」と呆れる。
「子どもじゃないんだから、今更親の愛には飢えてませんって。とにかく、私は育児手伝わなきゃいけないブルーなんで、色々教えてくださいね、先輩」
「いいけど、でも大変なのは何年も続くんだよ? 桜ちゃん、卒業後はどうするの」
「はっきりは決めてないですけど、家を出ることはないでしょうね。ここからでも通える大学ありますし。都会って、私あまり興味ないんで」
その時、外から車の停まる音が届く。
居間にいるゆわが「きたよー」と告げた。
五郎の運転するセダン、その助手席に座る洋子は窓を開け、快活な笑みを見せる。
「ごめんねー。うちのピンク頭、面倒見てもらっちゃって」
「いえいえ。それより検診はどうでした?」
「全然問題なし。あとは生まれるのを待つだけね」
洋子は現在、妊娠37週目。
いよいよ運命の時が近づいていた。
「あかちゃん、もうすぐ?」
ゆわが尋ねると洋子は力強く頷き、ハイタッチを交わす。
洋子からは一切の不安も見られない。
空の時とは大違いだと、龍幸は密かに驚いていた。
ただ五郎はというと、比較的高齢での出産とあって不安が顔に表れている。
「桜、おまえまた助手席にペットボトル置きっ放しにしたな。危ないだろ」
「……うるさいなぁ」
目前に迫っている新たな家族の誕生への心境は、3人とも異なっていた。
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